3 ストーンマーケット
賊の噂を聞いてからも、森の奥にある教会では平和な日々が続いていた。
「みんな、準備できた?」
ローズはにっこりと微笑み、子ども達を振り返る。
ローズが着ているアップルグリーンの爽やかな色合いのドレスは、膨らみを持った袖と大きなリボン飾りが特徴的で、とても可愛らしい。
子ども達も普段着ではなく、よそ行きの装いで、少しそわそわしている。ゾイは、控えめに刺繍の入った茶色のベストに、同系統の茶色いキュロットを穿いている。リアーナは珊瑚色、ユイアは蜜柑色の可愛らしいドレスを着て、二人とも髪を結い上げている。
けっして贅沢ではない教会での暮らしだが、教会に通うご婦人方がお古のドレスや紳士服などをくれるので、こういったお出かけの時はみんなめいいっぱいお洒落をする。
「なぁ、早く行こうぜ」
ゾイがぶっきらぼうに言うが、その顔は笑っていた。わくわくとした気持ちを隠せないでいるゾイが可愛くて、ローズはリアーナとユイアと笑みを交わす。
三ヵ月に数回程度、買い出しもかねて、教会から少し離れたボルダーの街へ出かけていた。
子ども達は、この外出をいつも楽しみにしていた。
賊が街の付近にも出たという情報から、今回の外出は中止するように、とペイン神父には言われていた。しかし、ローズは子ども達の為にもどうしても街へ行きたかった。
今、街ではストーンマーケットが開かれている。
きっと、多くの人が集まっているだろう。活気ある街の様子を見れば、子ども達の不安も少しは取り除けるかもしれない。
自分が子ども達を守るから、とペイン神父を渋々納得させ、早めに帰ってくることを条件に外出の許可を得たのだ。
「よーし! じゃあ行きましょうか」
「ねぇ、ローズ。今日はなんでそんなに荷物が多いの?」
リアーナが、素朴な疑問を口にする。
その大きな茶色の瞳は、ローズの手元を見ていた。
確かに、ローズの荷物は多かった。賊が出た時の為に、と武器になりそうな物をすべて鞄に詰め込んだからだ。
「え、いや。何があるか分からないじゃない?」
子ども達には、賊が出たことは内緒にしている。襲われた時の、家族を失った時の恐怖を思い出させたくなかったから。
ローズは、なんとか誤魔化そうと笑顔を浮かべてみせる。
「そういうもの?」
「そ、そういうものよ……ほら、早く行かなきゃお店が閉まっちゃうわよ」
「えっ!」
ローズの言葉に、本気で焦るリアーナ。少し罪悪感に胸がちくりと痛んだが、これもすべて子どもたちのためだ。
「大丈夫。まだ昼間だから店は閉まったりしないよ」
そう言ったのは、ゾイだった。リアーナの手を握って、安心させるように笑う。
反対側には、ユイアの手を握っていた。普段は嫌々手をつないでいるのに。ゾイにも、お兄さんとしての自覚が出てきたのだろうか。ローズは、仲の良い子どもたちの様子を微笑ましく思う。
「ほら、ローズも」
ユイアが差し出した手を握り、ローズも子ども達と並んで道を行く。
空を見上げると、眩しい太陽がさんさんと輝いていた。
ボルダーの街は、教会のある森を抜けたところにある。名産であるボルダーオパールがなかなか採れないという現状でありながらも、ストーンマーケットが開かれていることもあり、街には多くの人が集まっていた。賊がこの辺りに存在しているということが嘘のようだ。
「うわぁ……!」
街に来るのが初めてだったユイアは、街の様子に目を輝かせる。ユイアは、賊に襲われた時のことがトラウマになって、しばらくふさぎ込んでいたのだ。しかし最近になって、ペイン神父とローズや他の子どもたちに心を開いてくれるようになった。何より、こうしてユイアが外に出られるようになったことが、とても嬉しい。
ボルダーの街は、人口二千人程の小さな街だ。
噴水のある広場を中心に、様々な店が立ち並ぶ。赤い屋根と白い壁で統一された街並みは、見ているだけでも楽しめる。
ストーンマーケットは、各地の魔石商人が一同に集まる大きなイベントだ。
その為、商人だけでなく、観光客も各地から集まってくる。国内が不安定な状況で、人々が魔石の加護を求めるのは当然の流れだろう。といっても、魔石は珍しいもので、ストーンマーケットで売られているのは普通の宝石だ。
美しい石には魔除けの効果があり、精神的な支えにもなる。直接的な攻撃から身を守ったり、その力を引き出すことは普通の人間にはできない。しかし、それでも人は何かを支えにしなければ不安で生きていけない。
小さなボルダーの街は、およそ一万人もの人で溢れていた。
そんな活気溢れる街の様子に、子ども達は目をきらきらさせながら歩く。人の波にもまれる、という経験も子ども達には初めてだろう。
ペイン神父に頼まれた買い出しを済ませ、賑わう街を楽しむ。
広場ではストーンマーケット以外にも様々な催し物がされており、大道芸人のショーも見ることができた。大きな玉に乗ったピエロや、美しい女性の情熱的なダンス、手品ショーなど、子どもたちはそれらを食い入るように見ていた。
子ども達の楽しそうな様子を見て、ローズはペイン神父に無理を通してまで街に来てよかった、と感じていた。
「じゃあ、最後はストーンマーケットを見に行きましょうか」
「やったー」
嬉しそうにはしゃぐリアーナ。ユイアとゾイにも、笑顔が浮かんでいる。
ストーンマーケットは、広場や通りに開かれていた。
出店がいくつも立ち並び、どこから行くか迷ってしまう。
ローズも聞いたことはあるが、実際に見るのは初めてだった。子ども達の為に自分がしっかりしなければ、と思いながらも、思わず笑顔がこぼれる。
「いらっしゃいっ!」
という元気の良い掛け声につられて、ローズ達はその声のした方へ向かう。
台に並べられた美しい石の数々。種類によって異なるが、大きさはだいたい小石ぐらいだ。値段もそんなに高くはない。それに、店主はとても愛想のいいおじさんだった。
店主は少しの間頬を染め、ぼうっとこちらを見つめていたが、ローズの腕を見てはっと驚く。
「お姉さんのその腕輪、もしかしてエンジェライトじゃないのかぃ?」
店主がローズの右手を指差して言う。右手には、記憶を失くす前から持っていた空青色の腕輪を身に着けていた。
「エンジェライトっていうんですね。私、あまり石とか詳しくなくて……」
「エンジェライトはこの王国の守護石にもなっている石で、とても希少な石なんだよ。こういう商売だが、そこまで美しいエンジェライトは見たことがないよ」
「そうなんですか?」
改めて自分の右手で輝く腕輪を見つめる。記憶を失った時に持っていた、ローズの身元を示すかもしれない腕輪。自分の過去がぽっかり失われていることに不安を覚えた時、この石の輝き心を癒されていた。
この腕輪は、ローズの大切な宝物である。
「もしかすると、魔石かもしれないなぁ!」
あはは、とふざけて笑う店主につられてローズも微笑む。
全ての石や宝石が、魔力を持つ魔石という訳ではない。
魔力は少なからず宿っているが、気休め程度の力しかない。強い力を持つ魔石は、王宮にあり、この国を守っているという。
かつて国を治めたアレクサンド王には、魔石の魔力を扱うだけではなく、魔力が低い宝石の力も高めることができたという。
そうした伝説が語り継がれたことで、アレクサンド王は神格化された。
今ではどの教会にもアレクサンド王の聖画や像が飾られている。
ふと、ユイアが台の上に並んでいた石を手に取る。その石は、澄み切った夜空のような青色をしていた。
「お嬢ちゃん、その石が気にいったのかぃ?」
店主の言葉に、ユイアが頷く。
「その石はラピスラズリと言って、色の変化で危険を知らせてくれる幸運のお守りなんだ。きっとお嬢ちゃんを守ってくれるよ」
その言葉を聞いて、ユイアはじっと石を見つめる。その表情は、とても悲しそうだった。両親が賊に襲われたことを思い出しているのだろうか。もし、危険を知らせることができていたなら、と。
「あの、この石ください」
ローズは鞄から財布を取り出し、店主に銀貨を一枚手渡す。ゴツゴツした手で銀貨を握り、店主が笑顔でお釣りをくれた。
「はいよっ」
そう言って、店主はユイアから石を受け取った。磨いてくれるらしい。
「ローズ、ありがとうっ」
にっこりと笑いかけると、ユイアは嬉しそうに目を輝かせた。
「それにしても、お嬢ちゃんラッキーだねぇ。今日はいつもよりなんだか石の調子がいいよ」
店主は、ユイアの石を磨きながら笑った。
そういうことなら、とゾイとリアーナにもそれぞれ好きな石を選んでもらった。
「なんだ、お姉さんは買わないのかぃ?」
「はい。今日はたくさん子ども達の笑顔が見られましたから。それに、私にはこの腕輪がありますから」
ローズはゾイ、リアーナ、ユイアを見つめて微笑む。
「そんなこと言わずに買えばいいじゃないか。俺たちだって……その、ローズの笑った顔が見たいんだから……」
ゾイが顔を真っ赤にして言った。リアーナとユイアも笑顔で頷く。
子どもたちの気持ちは嬉しいが、ローズは自分のためにお金を使う気にはならなかった。ペイン神父は、せっかく街へ行くのだから楽しんできなさい、とお金を渡してくれた。それでも、ローズは子どもたちの楽しむ姿を見られただけで、十分だった。
様子を見ていた店主が、ローズの前に透明の石を差し出す。
「じゃあ、優しいお姉さんにはこのクォーツをあげるよ」
「え? でも……」
「めったに見られないエンジェライトが見られたんだ、そのお礼だよ。ほら」
断ろうとしたが、せっかくの好意だ。
ローズは思い直して店主から石を受け取る。
「では、頂きます。本当にありがとうございます。大切にします!」
店主に皆でお礼を言い、ストーンマーケットを後にする。そして、目の前の子ども達を思いながら、ローズは石に祈りを込める。
「みんなのことを守ってくれますように……」
その時、ストーンマーケットにある多くの石が輝いた。しかし、ほんの一瞬のことだった為、多くの店主は目の錯覚だろうと思い直すことにした。
たった一人を除いては――――――。
*
赤く染まりかけた空。
帰り道は、ストーンマーケットの話で盛り上がっていた。
「この石すっごくきれい! 本当にありがとう」
「喜んでくれてよかったわ。リアーナの石は……たしか、オレンジムーンストーンだったかしら?」
「うんっ」
月の雫とも言われる美しい橙色の石。
月の光のように、未来を照らしてくれるのだという。リアーナの未来が明るいものであることを願う。
「ゾイの石も見せて?」
ゾイはそっとポケットから紫色の石を差し出す。たしか、マリアライトという石だった。
「ゾイの瞳みたいに綺麗ね」
「そんなこと言ったって何もしてやらないからな!」
頬を染めたまま、わざと怒っているゾイがかわいくて、ローズはくすくす笑った。
「ユイア、初めてのお出かけで疲れちゃったみたいね」
歩き疲れたユイアを背負っていたのだが、どうやら眠ってしまったようだ。
今回のお出かけで、ユイアの外に対する恐怖が少しでも和らげばいいとローズは思う。
「けっこうはしゃいでたからなぁ」
ゾイは、気持ちよさそうに眠るユイアの顔を見ながら言った。
「でも、あんなに笑ったユイアの顔、初めて見たかもしれない」
と、リアーナは嬉しそうに笑う。
「そうね。今日は本当に楽しかったわ。今度はペイン神父と一緒に来ましょうね」
「うん!」
無事教会に着き、ローズはユイアをベッドに寝かせる。
今日のことを嬉しそうにペイン神父に話す子ども達の声が、二階まで聞こえてきた。
それを微笑ましく思いながら、ユイアにかけ布をかける。
その時、ローズは自分の右手に腕輪がないことに気付いた。
自分の部屋に戻り、鞄の中や買い物袋の中に紛れていないか探すが、どこにもない。
(もしかして、ユイアを背負った時に?)
あの腕輪は、記憶のないローズにとって唯一持っていた過去に関する物。それに、あの腕輪の放つ優しい輝きに何度も救われた。
「探さないと……!」
ローズは立ち上がり、部屋を出た。