27 天使が微笑む時
「すっごく緊張したわ……!」
ローズはおもいきり息を吐く。
次期女王のこんな姿を見たら、国民は幻滅するだろうか。
しかし、ここは王族のみが立ち入ることを許されている森だ。誰かに見られる心配はない。
「大丈夫だったかしら?」
「あぁ。立派だった」
後ろからついて来ていたジェイドが優しく言った。
「コラート侯爵のこと、もう大丈夫よね」
ローズは、彼に対して罰を与えようとは思っていなかった。
全てはフェイルの呪いのような執念が起こしてしまったものだ。罰せられるべきは、邪石の力を抑え込むことができていなかった王族だ。アレクサンド王の魔力を保つこと自体できていなかったのだから。
ローズは、大臣達にこの罪を共に背負って欲しい、と言った。それはとても無茶なものだろうと思っていたが、あの場にいた全員が共に王族の罪を背負うと言ってくれた。
その判断が間違っていたと思われないよう、女王として正しくこの国を導いていかなければならない。
ローズは改めて覚悟を決めた。
しかし、彼は違った。
陰謀の黒幕とされていたドミニエール・コラート。
ドミニエールは、意識を取り戻してすぐ自殺を図ったのだ。ちょうどその時ジェイドとパーカーが見舞いに行っていた為阻止できたが、彼は相当責任を感じていた。
しかし、今回の問題はドミニエールだけの責任ではない。
自殺未遂の話を聞いて駆け付けたローズは、ドミニエールに問うた。
『今あなたが死んで何が解決するというの? そうすることで死んでしまった人々が帰って来るの?』
そう言ったローズの頬には、無意識に涙が伝っていた。
ドミニエールはその言葉を聞いて、顔を酷くぐしゃぐしゃにして泣いた。何度も何度も謝罪の言葉を口にし、頭を床にこすり付けるようにして下げた。ローズは、弱り切ったその身体を優しく抱きしめた。
ドミニエールは、もう十分苦しんだはずだ。
大切な息子の身体は闇に囚われ、自分も逆らうことができずに操られてしまった。多くの人を傷つけ、国を危険に晒した。八年間に渡り邪石の影響を受け続けた為に、その人格は崩壊しかかっていた。ローズの魔力によって少しずつ回復したドミニエールは、自分が犯した罪の重さに耐えられなくなり、自殺を図った。
せっかく邪石の呪縛から解き放たれたのに、ドミニエールは未だに苦しんでいる。
そんな彼を解放してあげたいと思い、ローズは爵位を剥奪した。
爵位はドミニエール自身を王城に縛ってしまう。フェイルに操られていた分、少しでも自由に生きて欲しかった。
『静かな所で、御家族とゆっくり過ごしてください。八年間、あなたには選択肢がなかったでしょうから……』
フェイルの器となっていたライトは、まだ目覚めない。
八年間、フェイルがどのようにライトの身体を支配していたのか分からないが、相当な負担がかかっていたのは間違いない。
『癒しの力のある魔石をライトの側に置いているから、きっともうすぐ目覚めるわ。目が覚めたら、たくさん愛してあげてくださいね』
ローズの言葉を聞いて、ドミニエールは涙ぐみながら頭を下げた。
『ローズマリー様、このご恩は絶対に忘れません。本当に……本当にありがとうございます……』
そう言ったドミニエールの瞳には、確かに希望の光が宿っていた。
「ドミニエール殿はもうヘンデリュッヒ地方に移り住んでいるらしい。ライトも無事意識が戻ったそうだ」
森の中心に立つ天使像に向かいながら、ジェイドは言った。
ドミニエールには、侯爵位を剥奪し、伯爵位を与えた。
ヘンデリュッヒ地方の田舎街がその領地だ。きっと、ライトの療養にもなるだろう。
「そう。本当によかったわ。これからは、家族の時間を大切に生きて欲しい。あの子達も……」
少し寂しい気持ちになりながら、ローズは子ども達のことを思う。
本当の家族のように思っていた。
ローズに甘えてくる可愛い子ども達。あの子達のおかげで笑って生きていられたのだ。でも、もう子ども達は本当の家族の元に帰る。
それはとても嬉しくて、喜ばしい。それなのに、やはりどこかで寂しいと思ってしまう。
ローズの両親は、もう自分の側にいないから。
「ローズ、大丈夫か?」
そう心配そうにジェイドに見つめられ、ローズは慌てて笑顔を浮かべる。
「大丈夫。ちょっと、寂しいなぁと思って……」
「バルロッサ様もアーリン様も、ローズのことを見守っているはずだ。きっと女王となるローズの姿を誇らしく思っているだろう」
ジェイドの優しい言葉に、力なく笑う。
先程まで大臣達に気を張っていた為、ローズはもう自分の感情を抑えこむことができなかった。
無意識に、どんどん涙が溢れてくる。
「……俺がいる」
ふいに聞こえたジェイドの言葉にどきっとする。その真剣な眼差しが、ローズを射抜く。
先ほどまで溢れていたぴたりと涙は止まり、熱い視線に囚われてその場から動けなくなってしまう。
「俺は、ローズの側にいる。もう決して一人にはしない」
その言葉をローズはすんなり受け入れることができた。
ジェイドは自分の側からいなくなる訳がない。それは確信に近かった。
ふわりと風が吹き、太陽の日差しに輝く金色の髪をすくう。ジェイドの顔が一瞬見えなくなり、また現れる。
「……ジェイドが私から離れるなんて、思っていないわ」
どんなことがあっても、ジェイドだけは側にいてくれる。
それだけで、ローズは真っ直ぐ前を向いていける気がした。女王としての自信を彼が与えてくれる。
この気持ちが真っ直ぐ伝わればいい、そう思ってローズは笑みを浮かべた。
その女神のように美しい笑顔は、ジェイドの理性を少しだけ崩壊させた。
ぎゅっ、と身体が温もりに包まれる。
抱きしめられたのだと理解するまでに、少しの時間が必要だった。
徐々に鼓動が早くなり、顔が熱くなる。おそらく、頬は赤く染まっていることだろう。
「……ジェ、ジェイド?」
そう声をかけても答えないので、ローズは行き場もなくさ迷わせていた手を、仕方なく背に回してみる。
ジェイドの腕の中は、居心地が良くてとても安心する。
ここが不可侵の森で本当によかったと心から思う。
こんな所を大臣達に見られる訳にはいかない。
仮にもローズは女王で、ジェイドは王国軍総指揮官なのだから。
天使像に見下ろされながら、二人はしばらく二人は抱き合っていた。
そして、もう一度ジェイドの名を呼んだ。
このまま、ここでじっとしている訳にはいかない。明日の即位式の準備はまだまだあるのだから。
「ねぇ、どうしたの?」
「……いや、すまない。ローズがあまりにも無防備に笑うものだから……つい」
「えっ?」
「ローズが綺麗すぎるんだよ」
低くいのにどこか甘い声で囁かれて、ローズはぼっと頬に火が灯るのを感じた。そんな台詞を耳元で吐かないでほしい。
せっかく落ち着いた心臓も、また暴れ出してしまう。
「ローズは、明日女王様になるんだな」
「……え、えぇ」
声が震える。心臓の音がうるさい。それに、なんだか恥ずかしくてローズはジェイドの顔をまともに見ることができない。
「きっと、みんなが笑っていられる平和な国になるだろうな」
本当に無邪気にジェイドはそう言った。
それは、女王になる者として最高に嬉しい褒め言葉だった。
そういう国にしてみせる。絶対に。
そして、ローズは無意識にジェイドに身体を預けていた。
こんなにも落ち着かないのに、何故か安心できる。
ローズにとって、ジェイドの腕の中は不思議な場所だった。
「天使像の前での出来事は、全て夢幻となる」
ジェイドが口にしたのは、この森に憧れを抱く者が作り出した伝説の一つだった。
王族しか立ち入ることができないこの森に入れたなら、天使に出会うことができる。
しかし、その出来事は夢のように忘れ去られてしまう、というものだ。
――――何故、その言葉を今ここで……?
不思議に思ってジェイドを見つめると、彼はローズを優しく包んでいた腕を緩め、少し悪戯っぽい表情を浮かべた。
そして、ジェイドの整った顔が近づいたかと思うと、ローズの唇に温かくて柔らかいものがそっと触れ、離れた。
茫然とするローズを見てにっこりと微笑み、甘い空気を残してジェイドは横を通り過ぎていく。
(え、今、私の唇に……触れた……?)
ローズは、まだ感触の残る唇に思わず触れた。
時間差で、ようやく気付く。ジェイドに口づけられたことに。
「ちょっと……ジェイドっ!」
ローズは頬を真っ赤に染めて、ジェイドの背を追いかけた。
「忘れられる訳ないじゃないっ!」
必死に気持ちを隠そうとしても、その表情を見れば誰でも分かってしまうだろう。
ローズの緩む頬は、恋する乙女のそれだった。
“この天使像の前での出来事は夢の中のことですので、どうか忘れてください。”
そんな王女と守護者を見て、眠るように穏やかな表情をしていた天使が、柔らかにその口元を緩め、微笑んでいた。
微笑む天使像の下で愛を誓い合った二人は永遠の愛を手に入れる、という新たな伝説が生まれるのはまだ先の話である。




