21 闇の魔石商
「ジェイド……?」
ザッと地面を踏みしめて木々の隙間から現れたのは、紛れもない自分の〈守護者〉だ。
しかし、その様子に違和感を覚える。魔石リビアン・グラスの魔力もいつもと違う。剣に埋め込まれた魔石を見れば、美しかった黄金は黒く淀んでいた。
こちらを見つめる緑の瞳は虚ろで、焦点が定まっていない。
一歩一歩、ジェイドは剣を手に近づいて来る。
怖い。ジェイドの感情が感じられない。
明らかに普通の状態ではない。彼がローズに刃物を向けるなんてありえない。
しかし目の前にいるジェイドは、その瞳でローズを捉え、剣の切っ先を確かにこちらに向けていた。
(コラート侯爵の屋敷で何かあったんだわ)
ローズは、様子のおかしいジェイドの姿を見て確信していた。
邪石が作られていたのは、コラート侯爵の屋敷だったのだ。
ジェイドの魔石リビアン・グラスは、今はもう邪石と化していた。
やはり、邪石は魔石を穢して作られていたのだ。おそらく人間の血で。
彼は邪石に操られている。
賊の様子を聞く限りでは、一種の催眠効果もありそうだった。
リビアン・グラスは長年ジェイドと共にあった魔石だ。彼に与えるその影響は大きい。
しかしまだ邪石になったばかりなら、浄化すれば正気に戻すことができるはずだ。
騎士たちを惑わせた邪石を癒した時のように。
考えていると、突然ジェイドがローズに向かって剣を振りかぶる。
咄嗟に右に避け、剣をかわす。しかし戦闘慣れしたジェイドと、人を殴ったこともないローズでは動きに明らかな差があった。
しかし、ジェイドの手によって自分が死ぬなどあってはならない。そんなことになれば、ジェイドが正気に戻った時何をするか分からない。
「ジェイド! しっかりして!」
必死にジェイドに呼びかけるが、反応はない。
そのかわりに、次の攻撃が仕掛けられる。
ジェイドの剣さばきは、素早く隙がない。重みのある長剣を軽々と持ち、体勢の切り替えも早い。
どうにかして、浄化できないか。そう考えるうちにも素早い刃がローズを襲う。
しかし、ローズに触れる寸前で剣の動きは鈍くなる。まるで、避ける隙をつくっているように。
ジェイドと交わした〈守護者〉としての誓いが、ローズを守っているのだろう。〈守護者〉は、王族を傷つけることはできないから。
もし、傷つければ、〈守護者〉は命を失う。
【石の契約】はそれだけ重い契約なのだ。
しかし、〈守護者〉との心の繋がりが深いほど、魔石の力は大きくなる。彼が邪石に呑まれながらも〈守護者〉としてローズを守っているのは、ジェイドの中にローズの存在が強く残っているということでもある。
そこに希望を感じ、何度も彼の名を必死で呼ぶ。
しかし、その瞳はいつものように優しく見つめてはくれない。
「セラフィナイト家の姫よ。そんなことをしても無駄だ」
突然、黒い影が現れた。
よく見ると、それは黒いローブを纏った人間だった。声はまだ若い。顔はフードに隠れてよく見えない。
しかし、その男からは邪気が溢れ出ていた。あの賊の持っていた邪石よりもはるかに強力な力を感じる。
この男が闇の魔石商だと直感した。
どうしてこの男が森に入ることができたのか。
おそらく、守護者の魔石を利用したのだ。
ローズと石の契約を交わしたジェイドの魔石には、王族の力が込められている。
王族の魔力に反応する守護は、ジェイドと共に入って来た闇の魔石商も招き入れてしまったのだろう。
「あなた、初めからこの守護石エンジェライトが狙いだったのね」
始まりは、八年前の火事だった。
魔石の加護を受けたセラフィナイト家の血筋を絶やし、守護石エンジェライトの魔力が弱まるのを待つ。その間に邪石を作り出し、国中に広める。
初めは邪石の力を抑え込めていた守護結界も、核となる王族の魔力が失われ、力が弱まってしまった。
コラート侯爵は、本当にあの火事の首謀者だったのだろうか。
この闇の魔石商から感じる邪気は凄まじい。ローズの知るコラート侯爵を信じるならば、彼も操られていたと考えるべきではないだろうか。
魔石を持つ守護者でさえ、邪石の力によって守るべき王族を襲っているのだから。
ジェイドを利用したことによって、闇の魔石商は目的である守護石に近づくことができた。
となると、利用価値がなくなってしまったコラート侯爵は今どうなっているのだろう。
パーカーや作戦に参加した騎士達のことも気になる。
しかし、考えている暇はない。ジェイドは休む間もなくローズに刃を向けてくる。
シュッという音を聞いて、咄嗟に身体をそらすも、その速さには敵わない。ローズの頬に薄く線が入り、血が流れた。
こんな状況では、ゆっくり考えることもできない。
「ジェイド! 私のことが分からないの?」
地面を転がったり、刃がかすったりして、ローズはもうぼろぼろだった。
闇の魔石商の登場で、ジェイドの動きは本来の動きに近いものに変わった。
もう、避けることすら難しい。
守られるべき王女がその〈守護者〉に殺されようとしている様を、闇の魔石商は笑いながら見ている。もしここで、ジェイドがローズを傷つければ、ジェイドの命もない。闇の魔石商はそこまで計算して、ジェイドを利用したのだろう。
許せない。
「ジェイド! お願い、邪石に負けないで」
ジェイドの緑の瞳に、少し揺らぎが見えた。少しずつでも、エンジェライトの力で浄化は試みている。
しかしあまり集中できない為に、浄化も簡単にはできない。ジェイドの意志の力に働きかけるしかない。
「さっさと止めを刺せ」
いい加減見飽きたのか、少し苛立って男は言った。
その言葉を聞いたジェイドは、足を挫いて膝をついたローズの目の前に立つ。
「お願い……やめて、ジェイド。私はもう、あなたを傷つけたくないの」
もう、避けられない。この足では素早く動くことはできないだろう。
そして、ジェイドがローズを傷つければ、彼の心は今度こそ絶望に黒く染まる。もし〈守護者〉としての契約がなくても、ローズを傷つけてしまったら、ジェイドは死を選ぶだろう。
もう誰も、目の前で死を選ぶ人を見たくない。
ローズはこの国を、大切な人たちを守るために記憶を取り戻したのだ。
「ジェイド……」
ローズはジェイドの名を呼び、癒しの力を持つインカローズのような桃色の瞳で真っ直ぐに彼を見つめた。
きっと、ジェイドなら自力でその力を解いてくれる――――そう信じて。
ローズを守るべき〈守護者〉は、目の前で真っ直ぐに剣を構えた。
そして、そのまま振り下ろす。何のためらいもなく。




