20 王族の役目
ぶわりと埃が舞う。
扉を開けると黴臭く、ローズは口元を押さえる。
部屋の中には、埃を被った価値ある美術品が無造作に置かれている。
「どれだけ使われていなかったのかしら」
ここはもう王城内である。
どの王城にも、王族しか知らない隠し通路というものが存在するものだ。
王宮を取り囲む森の中、一見何の変哲のない木の下にある隠し通路を通れば、人に見つからずに王城に入ることができる。
ローズはその隠し通路を通って王城内に入り込んだ。もちろん一人で、だ。
ロイには悪いが、魔石エンジェライトの癒しの力を使い、今は眠ってもらっている。
この隠し通路を王族以外に知られる訳にはいかないし、何も知らない彼を巻き込みたくなかった。
それに、守護石エンジェライトがある森に入れるのは、王族のみなのだから。
隠し通路の出口は美術倉庫だ。
王城内にある王宮美術館は、絵画や美術品の蒐集家だった何代か前の王によって作られた。そして、集められた美術品の数々を保管するために、美術室だった部屋を美術倉庫として使用している。
美術倉庫に保管されている絵画の一つ、『アレクサンド王と天使像』という名の絵画の裏に隠し通路は存在する。外から見れば、ただの巨大な絵画にしか見えないが、額縁の仕掛けを押すと、壁の向こうに扉が現れるようになっている。
アレクサンド王が天使像に祈りを捧げている様を描いているこの絵画と隠し通路は、アレクサンド王の時代から変わらずここにある。
今まで何度も美術館の改装は行われてきたが、この場所だけは手をつけていない。
しかし、そんな由緒ある絵画でさえ、今ではかなり埃を被ってしまっている。手入れする者がいなかったのだろう。うす暗い美術館倉庫には、布を被せられた価値ある美術品の数々が眠っていた。
アレクサンド王の絵画を見て、ローズはふと両親のことを思い出す。
執務に忙しい父と魔石の魔力で国民の為に祈っていた母。
そんな二人とゆっくり過ごせる時間は、ローズの誕生日の日と、家族の肖像画を画家に描いてもらう時ぐらいだった。
その為、ローズは毎年のように画家に来て欲しいとねだったものだ。
きっとこの埃まみれの絵画たちの中に、幸せに満ちていた頃の家族が描かれた肖像画が眠っているはずだ。
しかし、今は両親の絵を見つけて感傷に浸っている暇はない。
美術倉庫を出て、ローズは美しく磨き上げられた大理石の床と精密な彫刻が掘られた壁が続く廊下を歩く。
(誰にも会いませんように……)
真っ直ぐに伸びる廊下をローズは足早に進む。
長いと感じる廊下で、すれ違う者はいなかった。この王城の主がいないから、と言ってもあまりにも不用心すぎやしないか。この警備では簡単に賊に美術品を盗まれてもおかしくない。
しかし、誰にも見つからずに森へ行けるのなら好都合ではある。
美術館から、中庭の森はすぐだ。
広い王城内の中央に存在する王宮の森。そこには強い守護の力が働いており、王族以外はその中心にある天使像に辿り着くことはできない。ただひたすら森の外側をさ迷うことになる。
しかし、その森の守護も王族がいない今となってはどこまで保たれているのか分からない。
「いつ見ても、本当に美しいわ」
目の前には眠るように目を閉じている空青色の美しい天使像。
その表情は安らかで、手は祈るよう胸の前で組まれている。魔石エンジェライトで作られたこの像が、この国を守っているのだ。
少し見上げる程の高さに、天使像はある。空を見ると、もう太陽は沈み徐々に夜が訪れようとしていた。月がうっすらと天使像を照らしている。
手を伸ばし、ローズは天使の握りこまれた手に触れてみる。触れた所からじんわりと優しい力を感じる。
「教えて、アレクサンド王」
そう強く願うと、暖かく優しい声が聞こえてきた。目を閉じ、その声に意識を集中する。
『私の名はアレクサンド・セラフィナイト。私の子孫に伝えておかなければならないことがある』
頭に直接響いてきたアレクサンド王の声に驚きながらも、納得していた。今まで、文献にも歴史にも残されていない邪石の存在をどうやって王族は知っていたのか疑問だった。語り継がれるにしても、百年間ずっと現れなかった邪石についての知識を把握できるはずがなかったからだ。
代々王族は魔力を込める際、このアレクサンド王の言葉を聞いていたに違いない。
だから、邪石の存在を知っていたのだ。
『私がこの国の王となった時、邪石という人の心の闇を利用し、操る邪悪な石が生み出された。私は邪石を生み出した人物を捕えることができなかった。もしかすると、私の子孫の時代に再び邪石が現れないとも限らない』
すぐに、あの夢を思い出す。
邪石を生み出した人物は、フェイル・コラートだ。最後の場面で、アレクサンド王は彼を追い詰めていた。しかし、捕えることができなかったのだ。だとすれば、邪石はやはりコラート侯爵が作り出したのだろうか。
そう考えるうちにも、アレクサンド王の言葉は続く。
『邪石の力は強力だ。だが魔石の力を使えば、浄化することもできる。だから、私は完全に邪石の力を抑え込む為に守護結界を張った』
守護結界。それは、ローズが初めて聞くことだった。
『このサーレット王国内にある強力な魔石の力を結びつけた。この結界の内側では邪石は力を発揮できない。しかし、この結界もいつまでもつか分からない
』
王族が守護石エンジェライトに魔力を込め続けてきた理由。
それは、守護結界を保つ為だった。
しかし八年前から魔力の補強はできていない。それに、力の弱い王族や力を持たない王族もいた中で、どれほどの魔力が残っていただろう。
時が経つにつれて弱まっていく結界を補強できる程の魔力があったのだろうか。おそらくなかったに違いない。徐々に弱まりつつあった守護結界はいつ崩壊してもおかしくなかったのだ。
そして、決定的なのが八年前の火事による王族の不在。もう守護結界は、その機能を果たしているとは言い難い状況にある。
『だから、どうか力を貸して欲しい』
アレクサンド王の声は、その一言で途切れた。
目を開けて、ローズはじっと天使像を見つめる。
触れたその手から、魔石の魔力が伝わってくる。
約百年間、アレクサンド王の魔力を繋ぎ、守護結界を張り続けた魔石エンジェライト。
その魔力は、今や驚く程に弱まっていた。
核となるエンジェライトがこの状態では、繋がれた魔石ももう魔力は残っていないだろう。
ローズは、エンジェライトから延びる細い魔力の線を辿ってみる。
その先にあったのは、三つの魔石だった。
ヘンデリュッヒ地方から感じるのは、魔石ハウライト。
ブルーム地方から感じるのは、魔石ブルータイガーアイ。
そしてクロムド地方から感じるのは、魔石クォーツ。この魔力には、覚えがあった。
「教会の、クォーツだわ……」
ローズは八年間、腕輪のエンジェライトと教会のクォーツに守られていたのだ。
記憶を取り戻したあの時、側にはクォーツがあった。
おそらく、記憶を取り戻す為にローズは無意識にその魔力を使ってしまった。
そして残されていた魔力も底をつきかけ、魔石としての力を保てなくなったのだろう。
だから、あのクォーツがまさか国を守る程の強力な魔石であったと気づけなかった。
「でも、守護結界の為の魔石がこんなに弱っていたら、邪石を抑え込むことなんてできない」
邪石はもうこの国中に広まってしまっている。
ローズは、この国を救う方法がここにあると信じていた。しかし、今の状態ではアレクサンド王の守護結界は力を発揮できない。
彼のように一から守護結界を張ることなんてできるのだろうか。
「どうすれば……」
一人、天使像に呟いた時だった。
王族しか入ることのできないこの森に、足音が聞こえた。セラフィナイト家の血を引く王族は、もう自分しかいないはずなのに。
ありえない。
しかし、この弱った守護石を思えば誰が入って来てもおかしくはないのかもしれない。
その足音は、真っ直ぐこの天使像に近づいて来ている。ローズは咄嗟に天使像の後ろに身を隠した。
(一体誰が……?)
周囲を森に囲まれているが、天使像の周りには木々はなく、見通しが良い。
ここに隠れていても、見つかるのは時間の問題だろう。
覚悟を決めて、その足音の主と対峙することを決めた。
しかし、ローズの助けとなるはずのエンジェライトにはほとんど魔力が残っておらず、武器もなく丸腰で、唯一の救いは動きやすい軍服ということだけ。
無謀にも程がある。
きっとジェイドが側にいたら怒られたことだろう。
(そう言えば、ジェイドは無事かしら……)
ぼんやりと彼を思い出すと、近くにジェイドがいるような錯覚を起こす。
今頃コラート侯爵の屋敷にいるはずで、王城に来ることはないだろうに。
でも、そういえば……――――
『こっちが片付いたらすぐにローズの元へ行く許可をくれ』
こんな事を言っていたではないか。
もしこの森に入れるとしたら、ローズの〈守護者〉であるジェイドだけだ。
そう思うと、少し肩の力が抜けた。近くにエンジェライトがあることで気が付かなかったが、近づいて来ているのは、確かに魔石リビアン・グラスの魔力だった。




