19 偽りの仮面
おかしい。
何かが起きているのかもしれない。
パーカーはじっと静まり返ったコラート家の屋敷を見つめていた。
あらかたの賊は捕え、もう屋敷内に人はいないというのに、ジェイドは姿を現さない。
「パーカー殿、中にジェイド様の姿はありませんでした」
屋敷の中を確認してきた騎士が言った。
パーカーは、あまり戦闘が得意ではない。
だから外で待機していた。
黙って考え込んでいると、報告してきた兵士の顔がみるみる青ざめていく。どうしてこうも怖がるのだろう。睨んだつもりなどないのに、皆パーカーの顔を見て脅えるのだ。ジェイドには、よく「お前の顔はヴィアンドレ公爵そっくりだ」と言われていた。
そんなパーカーが戦闘に不向きで、さらに気弱だということは、誰も知らない。知られてはいけないのだ。
これは、王国軍の士気に関わることだ。威厳も何もない上官に部下はきっとついてこないだろうから。
「分かった。捕えた賊は拘留の為に基地へ。あと、この屋敷の人間がどこにいるのか調べてくれ。残りはここで待機だ。私はジェイドを探す」
屋敷に突入した兵士の話によると、このコラート家の広い屋敷の中に賊以外の人間はいなかったそうだ。奇襲に近い形で屋敷を囲ったのに。
使用人やコラート家の者達が逃げたとしたら、すぐに分かるはずだ。それなのに、突然姿を消した屋敷の住人達。捕えた賊は何を聞いてもニヤニヤと笑っているだけで、何の情報も得られそうにない。
もともと、この屋敷には賊しかいなかったのかもしれない。しかし、パーカーにはそうは思えなかった。屋敷の住人だけならまだしも、ジェイドまで姿を消したのだから。
きっと何かあったのだ。この屋敷の中で。
中に一歩足を踏み入れると、屋敷の中は驚く程静まり返っていた。兵士と賊の攻防で調度品の数々は床に散らばっている。
広い屋敷を歩きながら、王城で迷子になった時のことを思い出した。こんな所で迷子になって自分まで姿を消したと思われては大変だ。パーカーは、しっかりと屋敷の構造を覚えようとする。
広い玄関ホールから三方向に延びる廊下、左右には二階へ続く螺旋階段。この時点で、どこから行くか迷ってしまう。
「ジェイド、どこにいるんだ?」
屋敷の中では、自分の足音以外何の音も聞こえない。不自然なくらいに。その不気味さにパーカーは不安になる。
とりあえずパーカーは右の廊下を歩いていた。その通りにある部屋を覗いても、ジェイドの姿はない。
そして、また分かれ道となる。
(どうしてこうも貴族の屋敷は迷路みたいなんだよ)
事前に屋敷内の構図を覚えてはいる。
頭脳にだけは自信のあるパーカーであるが、それでは補えない程の方向音痴だった。
図面上では何でも考えられるのに、実際現場に行くと迷ってしまうのだ。自身の屋敷でさえも迷うのはパーカーぐらいだろう。
はぁと深い溜息を吐いた時、近くで物音が聞こえた。
すぐに、その音のした方へ足を向ける。もうここがどこだか分からない。
その音の主がジェイドだったらいい。そう思いながらも、剣を抜いた。賊の残党である可能性の方が高いのだから。
次第に近づいてくる音に耳を傾ける。周囲を警戒しながら進むと、ちょうど曲がり角にさしかかった。壁に身体を押し付け、その物音が角に到達するのを待つ。
コ……スー、コツ…………。
曲がり角で、音は止まった。あちらもパーカーの存在に気付いたのだろうか。しかしパーカーは動かずにじっと息を殺して待つ。
コツ……
音は、再び動き始めた。
「……!」
曲がってきたその正体を見て、パーカーは目を見開く。
ありえない。まだ賊の残党と出くわした方が納得できただろう。
何があったのだ、この人に。
「……コラート侯爵。何故あなたがそんな姿をしているのですか」
父は、あの火事で死んだ。逃げ遅れたのだ。
邪石が人の命でできていて、あの火事が関係しているというのなら、父は邪石のために殺されたことになる。
パーカーは、身体が弱いながらも自分を大事にしてくれて、体調が良い日には本を読んでくれる、そんな父が大好きだった。
それは全て、今目の前で血だらけになって倒れている人物によるものだったはずだ。
父の死をきっかけに、怒りと悲しみに支配され、パーカーはジェイドと共に軍に入った。
そして、コラート侯爵の周辺を徹底的に調べた。
彼が他の貴族を取り込み、自分に優位なように事を運ぼうとしていたのは明白だった。コラート侯爵についた貴族の反応はどれも同じで、何かに脅えていた。コラート侯爵が何らかの手を使って脅していたのは間違いない。
証拠はなくとも、あまりにも分かりやすい黒幕だった。
そう考えて、パーカーは気付く。
(俺達は、コラート侯爵を中心に全てを考えてしまっていた……)
あらゆる可能性を考えて調べていくべきだったのだ。いや、そうしているつもりだった。
しかし感情に邪魔をされ、全てコラート侯爵によるものだと決めつけてはいなかっただろうか。
そう自問すると、答えは是だ。
必要だったのは、一度冷静になって真っ白な状態から考えることだったのだ。調査を始めた頃、自分の頭の中は怒りや憎しみが大きすぎるぐらいにあった。そして時が経ち、冷静さを取り戻しても、その時にはコラート侯爵が中心であるという固定概念が張り付いていた。
今、目の前にいるコラート侯爵は酷くぼろぼろで血まみれだった。
短剣で地面を刺し、腕の力だけで自分の身体を引きずってきたのだろう。彼が来た方向から床にはべっとりと血がついている。
あのコツ、という音は短剣を突き刺した音、スー、というのは身体を引きずった衣擦れの音だったのだ。
常に自信に満ち溢れていた藍色の瞳には絶望が浮かび、いつも整えられていた臙脂色の髪はまとまってすらいない。
歩けていないということは、足に何らかの怪我を負っているのだろう。視線をコラート侯爵の脚に向けると、紺色のズボンは血でどす黒くなっていた。
意識が朦朧としている彼は、パーカーの呼びかけに気付かない。
その虚ろな目には、今何が映っているのだろうか。
目の前のありえない状況を見て、パーカーは理解した。
自分達の推測は根本的に間違っていたのだと。しかし、コラート侯爵が関係していることは間違いない。
ここで復讐心に呑まれて殺すのではなく、事の真相を明らかにしなければならない。
パーカーは急いで軍服を脱ぎ、下に着ていたシャツを破る。そして、コラート侯爵のズボンを剣で切り、傷口を確認する。血だらけで確認しにくいが、両足に刃物で傷つけられたような深い傷があった。すぐにシャツを傷口に巻き付け、止血した。
そうして初めて、コラート侯爵はパーカーの存在に気がついたようだった。
「ヴィアンドレの……」
「……はい、パーカーです。コラート侯爵、あなたに何があったのかすべて話してもらいますよ」
ジェイドと共に考えた推測はあながち間違いではないだろう。コラート侯爵、賊、闇の魔石商が手を組んでいたのは間違いない。
しかし、中心人物が違っていた。
これまで黒幕としていたコラート侯爵ではないとすると……。
賊は金で動く。わざわざコラート侯爵や闇の魔石商と手を組もうとは思わないだろう。
残るは、闇の魔石商だけだ。
邪石を作り出し、国中に広める為にコラート侯爵の地位を利用したのだろうか。邪石を広め、コラート侯爵が王になれば、彼を利用した闇の魔石商は国を思い通りにできる。
賊は、その為の手駒に過ぎない。そして、コラート侯爵がそんな計画に耳を貸すはずがない。パーカーの知る、昔のコラート侯爵のままだったなら。
闇の魔石商がすでに邪石を持っていたと仮定したなら、彼が操られていた可能性もあったのだ。
邪石によって操られていたから、火事の後から人が変わったように感じられたのだとしたら……。
(ローズ様は間違っていなかったんだ。感情に捉われて、俺は真実を見失っていた……)
「……王女様が……危ない……!」
そう言って、コラート侯爵は気を失った。血を流し過ぎたのだ。急いで手当をしなければ命が危ない。
パーカーはすぐにコラート侯爵を背負って屋敷を出て、待機させていた騎士達に任せる。
そして、自分は再び屋敷内へと戻る。
コラート侯爵がどこから出てきたのかを調べる為だ。彼の言葉も気になるが、姫を守るのはジェイドに任せた方がいいだろう。
パーカーにはパーカーのやるべきことがある。
今度こそ、真実を見誤ってはいけない。
「二人共、無事でいてくれ」




