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18 覚悟を決めて

 ジェイドは、コラート家の屋敷の地下室にいた。

 あの隠し扉を開き、少し長い階段を降りた先にあったのは重い扉。地下室だ。

 ジェイドは躊躇うことなくその扉を開いた。

 真っ暗な地下室にある灯りは蝋燭一本のみ。

 揺らめく蝋燭の明かりだけでは部屋の全体像は掴めない。部屋の奥行も、何が置かれているかも、人がいるのかさえ分からない。音もない静かな空間で、感じるのは邪悪な気配のみ。

 気づきたくなかったが、部屋には死臭が漂っていた。この暗闇の先に何があるのか、ジェイドは想像しただけで怒りが込み上げてくる。

 おそらく、邪石はここで作られているのだ。

 しかし何故わざわざ自分をここに誘導したのだろうか。


 ――――罠かもしれない。


 ジェイドは神経を張りつめ、左袖で鼻を覆い、右手で剣を構えた。そして、どこまでも続いているような暗闇を睨みながら歩を進めた。


 警戒しながら進んでいくと、ふいに足元に人の気配を感じた。

 一瞬、この死臭を放つ死人だろうかという思いが頭を霞めたが、すぐに違うと判断できた。足元のそれは動いていたからだ。

 暗闇の中、徐々に慣れてきたその目に映ったのは、この場でこんな風に存在するはずのない人物。ジェイド達が追い詰めたいと思っていたコラート侯爵その人だった。

 何故、黒幕であるはずのコラート侯爵が自分の屋敷の地下室で苦しんでいるのだろう。

 足を怪我しているのか、床を這うようにして進んでいた彼は、その進路を阻むように立つジェイドの存在にようやく気付き顔を上げた。


「ジェイド……なのか?」


 その声は弱々しく、かすれていた。


「一体何があった?」


 コラート侯爵はジェイドの問いには答えず、ただ逃げろと呟いて意識を失った。

 ジェイドはしゃがみ込み、その脈を確かめる。微かだが鼓動を感じた。

 生きている。ずっと殺してやりたいと思っていた。しかしこの状況でそう思うほどジェイドは愚かではなかった。

 逃げろ、とはどういうことなのか。

 一体何から逃げればいいのだろう。

 このまま一人で進むべきか否か。

 考えていたジェイドの目の前に、ゆっくりと黒い影が近づいてきた。


「よく来てくれた。待っていたよ、王女の〈守護者〉殿」


 裾の長いローブに身を包み、フードを目深に被ったその姿には見覚えがあった。


「お前が、闇の魔石商なのか?」


 あまりにも予想と違った闇の魔石商に、戸惑いを隠せない。

 声は若く、その姿は小柄だった。暗闇の為、その眼の色も髪の色も顔さえフードに隠れて何一つ分からない。

 しかし、ジェイドには普通の青年に見えた。

 この若さで邪石製作を指揮していたというのか。

 人を邪石の為だけに殺せるのか。ありえない。何かの間違いだ。

 ジェイドの頭は混乱するばかりだった。


「いかにも。しかし、そんなことはもうどうでもよい。〈守護者〉殿に協力してもらいたいことがあるのだ」


 独特な話し方をする。協力と言いながらも、その声には有無を言わせぬ力があった。命令に近い。

 しかも、それに慣れているようだ。貴族の息子か何かだろうか。それにしても、王国軍が屋敷に攻め入っているというのに、随分冷静だ。

 ジェイドを招き入れたのはこの男だろう。


(一体何者だ……?)


 不意に、視界が歪む。平衡感覚が失われ、身体が傾く。

 咄嗟に右手に持っていた剣を床に立て、かろうじて膝をつく。それでも、足元も手元もふらふらと頼りない。

 このまま倒れてしまった方がどれほど楽だろうか。ふいに浮かんだその思考をすぐに振り払い、毅然とした態度でジェイドは目の前の男を睨みつけた。


「何を…した……?」


 ガンガンする頭の中で、状況を整理する。

 おそらく何かの薬を嗅がされたのだ。

 ここには、死臭が漂っている。その為に鼻が利かなくなり、薬の匂いに気付かなかった。

 気を抜けば、今にも意識は飛びそうだ。


(これは、何の薬だ?)


 ジェイドが今、倒れる訳にはいかない。脳裏にローズの笑顔が浮かぶ。

 ローズは無事だろうか。

 早くこんな奴を捕まえて、彼女の側に行きたいのに。

 しかし、ジェイドの意志とは裏腹に瞼は重みを増し、その身体はぐらりと床に倒れた。

 駄目だ。起きなければ。

 コラート侯爵が倒れていたのは怪我のせいだけではなく、この薬のせいでもあったのだ。彼も必死に逃げようとしていたのだろう。

 目の前の、この男から。

 コラート侯爵と闇の魔石商の関係は、ジェイドが想像していたものとは違っていたのかもしれない。

 ローズは、ジェイド達が確信して話した後でも、コラート侯爵を信じているようだった。

 ローズが正しかったのかもしれない。


(すまない、ローズ……)


 ジェイドは、もう自分の意識を保つことができなかった。ローズを置いては死ねないのに。

 そう思うのに、意識は闇に堕ちていった。


「やっと効いたか。これで、あの森へ入れるな」


 闇の魔石商は、乱暴に姫の守護者の身体を蹴り、完全に意識がないのを確認して言った。



 * * *



 懐かしい風景だ。

 今ローズの目に映るのは、十年間両親と幸せに暮らした、エンゼルグ城。丘の上に立つ城からは王都フィレーネを見下ろせる。そして城下からもその姿を見ることができる。


「うわぁ……いつ見てもお城ってすごいですね」


 ロイが隣で感嘆の声を上げる。王国軍の演習などで王城の近くに来たことはあっても、中に入ったことはないらしい。

 人目につかないように、と整備されていない山道を休憩なしで駆け抜けた。二人を乗せた馬も、疲弊しきっている。少し無理をさせすぎたかもしれない。そう思うローズも、肩で息をしており、ロイのように話す気力はなかった。

 王都に着くまで、何度かロイが休憩しましょうと提案してきたが、ローズは断り続けた。何か、嫌な予感がしたのだ。

 彼は何も言わずに「分かりました」と言ってそのまま馬を走らせた。しかし、明らかに無理をしているローズを気遣ってか速度はやや緩やかに進んでくれた。初めての乗馬、長距離の移動、慣れない山道。身体には、相当な負担がかかっていた。


「もうすぐですから、少し休みましょう。ローズさん、相当無理してますよね」


 ローズ達は王都を囲む森の中にいた。

 しかし、もう王城が見える程に近づいている。あと少し馬を駆ければ、あの懐かしい城に着くだろう。

 もう陽は傾き始め、空は淡く夕闇に染まりつつある。半日、休みなしで馬をかけてきたのだ。ロイは本気でローズを心配して言ってくれている。

 これ以上、心配をかける訳にはいかない。ローズは大人しく頷いた。

 ここまで頑張ってくれた馬に、弱弱しくありがとうと囁く。馬は一声鳴くと、膝を追った。

 おそるおそるローズは地面に足を付ける。ずっと馬上でいて、身体のあちこちが痛い。

 足にうまく力が入らず、ふらつく。そんなローズに、ロイが手を添えてくれる。


「ありがとう……」


「いえいえ」


 にっこりと彼は屈託なく笑う。

 半ばロイの腕にしがみつくようにしてローズはようやく地上に降り立った。


 木の幹にもたれかかり、ローズは水を飲む。

 ロイは、王都に行って果物を買ってきてくれくるという。この辺りでは邪石の影響はどうなのだろうか。

 街の様子も気になるが、ローズにはその体力が残っていなかった。


『疲労回復には果物が一番ですよね!』


 そう言ってロイは笑顔で走って行った。やはり、小柄なロイでも兵士なのだ。ここに来るまで全く疲れを見せていない。しっかりと鍛えられているのだろう。


 目線を上に向けると、凛としたエンゼルグ城が目に入る。白を基調とした美しい城だ。

 塔がいくつも林立し、左右対称に建てられた城の姿は天使が羽を広げている様を表している。その名の通り、王城には多くの天使像が置かれている。そのどれもが繊細で美しく、一つとして同じ物は作れない芸術品だ。

 そして人々は、その天使像を目印に広大な城内を歩くのだ。

 しかし、それをまた覚えることも難しい。

 昔、ジェイドとパーカーと城内で遊んでいて、パーカーだけが迷子になったことがあった。

 普段から慣れている人間でなければ、あの城は迷路のようなものだ。それにパーカーはかなりの方向音痴だった。あの日から絶対に城内は一人で出歩きたくないと彼は泣きながら言っていた。

 そんなことを思い出し、ローズはくすりと笑う。これからが大変なのに、笑っていられる自分が不思議だった。

 きっと、安心したのだ。

 あの城には、両親との思い出も、ジェイドとパーカーとの思い出も、他にもたくさんの思い出が詰まっている。それは、ローズに確かに力を与えてくれる。あの城の中での生活は寂しい思いもあったけれど、それ以上の幸せで満ちていたから。


「お父様、お母様、私がきっとこの国を救ってみせます。だから、私のことを見守っていて……」


 そう言って微笑んだ時、ロイが両手いっぱいに果物を抱えて走ってくるのが見えてローズはまたにっこりと笑った。

 覚悟はできた。

 あとは、自分にできることをするだけだ。



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