15 アレクサンド王
「これは、酷い……」
漂う腐臭。目の前に広がる血の海と、死体の山。視界に広がる、無残な光景が信じられない。
薄暗く、不気味な雰囲気のその部屋で、若き日のアレクサンドは呆然と立ち尽す。
王国軍に所属していたアレクサンドは、行方不明者の捜索をしていた。
ここは、王国軍の所有する屋敷の地下。
アレクサンドはゆっくりと横たわる人々に近づいた。苦しみに悶絶したであろう人々の顔を一人一人確認していく。
「守ってやれなくて、すまなかった……」
そう言った彼の目には、涙が浮かんでいた。
王の間で、アレクサンドは王の到着を待つ。
権威を主張するかのように煌びやかに飾り付けられたその部屋は、居心地が悪い。
「何用だ? アレクサンド」
ようやく現れた国王フェイル・コラート。
燃えるように赤い髪は綺麗に整えられ、その濃藍色の目は鋭く、目の前の客人を真っ直ぐ捉えている。
纏う空気の異様さに、アレクサンドは顔をしかめた。
「申し上げます。私が捜索しておりました行方不明者ですが、先日王国軍所有の屋敷の地下にて発見いたしました」
「そうか。よかったではないか」
「……そこで、全員の死亡を確認いたしました」
しん、と静まり返る室内で、笑っていたのはフェイルただ一人。
「それは残念だったな。用はそれだけか? なら、私はこれで失礼する」
そう言うなり、王は立ち上がった。そんな用でわざわざ呼んだのか、と小言を家来に吐き散らしながら。
「お待ちください! 何十人もの国民が亡くなっていたのですよ!それも王国軍所有の屋敷で。国王様は、何とも思わないのですか!?」
しかし、国王は憤りを露わにしたアレクサンドを目障りだと一蹴し、立ち去った。
◇
「このまま、あの国王に国を任せる訳にはいかない」
「国民のことなどおかまいなしで、自分のことしか考えていないではないか」
国中に、反乱の意志が根付き始めていた。
アレクサンドは王国軍を辞めた。
国民ではなく、国王の為にしか機能しない王国軍に嫌気がさしたのだ。国王は、自分の私利私欲のためにしか動かない。力を求めて、民を踏み荒らす。
そして、彼は国民達の反乱を止める為に動いていた。
アレクサンドに賛同して王国軍を辞めた仲間と共に。
確かに、フェイルには問題がある。しかし、反乱を起こしたところで、市民が傷つくだけだ。アレクサンドは、もう誰にも傷ついてほしくなかった。
「アレクサンド、今まではお前に賛成して反乱を止めていたが、もう我慢できない。あの国王は国民のことを奴隷か何かと勘違いしている」
どんどん増え続ける行方不明者。何の対応もしない国王。家族を失った者達の悲しみは、国王フェイルに対する怒りへと変わっていた。
「アレクサンド、お前が一番分かっているはずだ。このままではいけないと……」
「あぁ。だが、戦うなら、俺だけで戦う。市民を巻き込みたくない」
「そんなお前だから、俺達は一緒に戦いたいんだ。頼む。お前が指揮を執ってくれ」
彼を見つめる眼差しには、強い覚悟と意志が感じられた。もう、止めることはできないだろう。
「……分かった」
今度こそ、必ず守ってみせる。アレクサンドの強い決意は、その燃えるような紅色の瞳に宿っていた。
アレクサンドの働きと魔石の加護により、反乱軍は王城に攻め入ることに成功した。
王国軍の兵士は、皆正気を失っており、身体が動けなくなるまで戦い続けていた。
王国軍の兵士達からは、魔石の魔力のような、それでいて邪悪な力を感じる。
「この感じ、どこかで……」
そして、その力を王城の奥からも感じる。
アレクサンドは、その場を他の者に任せて、力を感じる方へと一人走って行く。
アレクサンドが辿りついた場所は、国王の玉座だった。
そして、そこにはフェイルの姿があった。
反乱軍に攻め込まれているのに、国王は余裕の表情で煌びやかな玉座に座っていた。
「フェイル、お前は一体兵士達に、国民に何をしたんだ?」
「この無礼者め。私が何をしようと勝手だろう。国王なのだからな。お前達の反乱軍などすぐにでも蹴散らしてやるわ」
「その、力でか……?」
そう言うと、フェイルはにやりと笑った。
「そうだ。国王たる私が何の力も持たぬなどと思われたくなかったのでな」
「フェイル、お前だったのか」
あの地下で感じた力と兵士から感じた力、そして目の前のフェイルから感じる力は同じだった。
それは、魔石を血で穢し、生み出されたもの。
そして、フェイルはずっと魔石の魔力を求めていた。その執着は凄まじかった。しかし何の力も持たない人間に何ができるだろう。アレクサンドは、フェイルには何もできないと思っていた。だから、気付けなかった。彼の非道な行いに。
「そんな力を得る為に、国民の命を奪ったのか!」
「何を言う。国民が国王の為に命を捧げるのは当然のことだ」
全く悪びれずにこの国の王は言った。アレクサンドには、フェイルを理解することができない。
「フェイル、お前は間違っている! 国民を守ることが王の務めだろう!」
* * *
はっと目を覚ます。
身体はびっしょりと汗をかいていた。はぁはぁと息を吐きながら、何とか呼吸を整える。
ローズはすぐに周囲を見回し、兵舎の一室であることを確認する。窓から見える月は、まだ夜であることを示していた。
「今のは……夢?」
夢にしてはやけに現実的だった。
それにローズは、伝説の中の彼しか知らない。
夢で見たアレクサンド王は、まだ三十代半ば。
しかし、金色に輝く髪と強い意志を宿した紅色の瞳は、伝説に聞くアレクサンド王の姿と同じだった。
少し落ち着いてから、腕輪が熱を持っていることに気付く。
「アレクサンド王と一番相性がよかった魔石エンジェライト。もしかして、あれは本当にアレクサンド王だったの?」
魔石エンジェライトにアレクサンド王は魔力を込めた。
その時に、記憶も一緒に流れ込んでいたとしたら……?
ローズが邪石に触れたことによって、アレクサンド王の記憶が反応したのかもしれない。
邪石に対する危機感を誰よりも感じていたのは彼だろうから。
「随分と、語り継がれている伝説と違うのね」
人々が魔力を求めて争い合い、その争いを治めたのがアレクサンド王だ、というのが一般的に語り継がれている伝説だ。
その争いを治められなかった王族が、コラート家であった。
まさか国王自らが、魔石の力を得る為に国民の命を奪っていたとは……。
きっと、歴史を作り変えたのはアレクサンド王だ。
邪石の存在を隠す為に。
邪石の存在が知られれば、誰かがまた作り出すかもしれないから。
(邪石が人の命を犠牲にして作られていたなんて……)
しかし、だったら何故アレクサンド王はコラート家をそのまま残したのだろうか。
それに、あの邪石をどうやって封じたのだろう。
ローズには、まだ分からないことだらけだった。
邪石を封じる方法が分かれば、この国を救うことができる。
しかし、何度腕輪にアレクサンド王の記憶を見せてほしいと願っても、それは叶わなかった。
ローズは、すぐに外にいるパーカーを呼んで今見た夢の内容を伝える。
話を聞くうち、パーカーの表情はどんどん険しくなっていった。
行方不明者が出て、邪石が出回っている。
百年前と同じことが今起こっているのだ。それが何を意味するのかは嫌でも分かってしまう。
そして、一番怪しいのはやはりコラート侯爵だった。
かつての国王であり、邪石を作り出したのがコラート家の人間だったのだから。
ジェイドにも伝えてくる、とパーカーは急いで部屋を出た。
その直後から基地内は慌ただしくなり、緊張感が漂っていた。
そして、今ローズがやるべきことは……。
「私は、邪石を封印する」
かつてアレクサンド王がやり残したこと。
しかし、その方法が分からない。それを知るのは、アレクサンド王だけだ。
それを知る為には、再びアレクサンド王の記憶に触れる必要があると感じていた。
ローズが持つ腕輪ではなく、伝説となった男の魔力が全て込められた、王城の守護石エンジェライトに。
きっと、それがこの国を救う為の鍵となる。