12 邪石と王家
「もっと早くに話してくれればよかったの」
その声にはっとして振り返ると、髪を乱し、肩で息をするローズが立っていた。
ここまで走って来たのだろう。
「ローズ! どうして入ってきた!」
ローズは魔石の力に影響を受けやすい。
邪石の影響も同様だろう。ローズに何かあったら、と思うといつもの冷静さを失っていた。
「今すぐ出るんだ」
華奢なその肩を無理やりに掴み、出口の方に体を向ける。
「痛いっ……!」
その悲鳴にも似た声を聞いて、ジェイドは我に返る。
肩に置いた手を離し、とっさに一歩離れる。罰が悪く、ローズの顔をまともに見ることができない。
「ねぇ、こっちを見て」
優しい声に導かれるままに、顔を向けた。怒っているだろう。呆れているだろう。
そう思っていたのに、そこにはにっこりと微笑むローズがいた。
「どう? 私はなんともないわ。ジェイドに過保護に守られるほど、もう弱くないのよ」
ローズは昔から大人しく守られるだけの王女ではなかった。
何かあれば自分から突っ込み解決しようとして、見ている者をいつもハラハラさせるような王女だった。
そして、それはいつも誰かの為だった。
そんなローズが記憶を取り戻し、国に迫る危機を感じて、何もしない訳がない。
そう分かっていたはずなのに、恐れていたのだ。あの日の悲劇が繰り返されることを。
ローズはあの日の記憶を取り戻したというのに、明るく笑っている。
悲しみや苦しみを抱えながらも誰かの為に笑える、そんな優しい少女なのだ。まだあの日のことを引きずっているジェイドよりも、よっぽど強い。
その強い優しさに惹かれて、ジェイドは王女ローズマリーに忠誠を誓ったのだ。
(やはり、ローズには敵わないな……)
「それに、私はちゃんと教会では家事だってやってたのよ。ある程度のことは、もう一人でできるんだから」
「そうだな。でも、ローズを守ることが俺の使命だ」
もう、迷わない。ローズが望む道を守る。
それが〈守護者〉であるジェイドの役目だ。
「だったら、ジェイドが無事でいてくれなきゃね。その為に、私はここまで来たんだから。ジェイドって、すぐに無茶するんだもん」
そして、ローズはジェイドの横を通り過ぎて邪石のある小部屋へと足を踏み入れた。
「これが、邪石……」
ローズの呟きが小部屋に響いた。
奥の部屋に散らばっていたのは、あの夜襲ってきた賊が持っていた武器。長剣や短剣、小振りから大振りのものまで様々だ。
それらにはめ込まれていたのは、今はもう存在しないはずの邪石。
そして、この邪石が原因で保管庫の警備をしていた騎士達が乱闘騒ぎを起こしたのだという。
部屋を出て行った二人の後をつけていたローズは、彼らの話を聞いていた。そして、ジェイドが保管庫内に入った後、パーカーに無理を言って中に入れてもらったのだ。
邪石の存在は、代々王族にのみ語り継がれていた王家の秘密の一つ。
王女であるローズは、父から邪石について聞いてはいたが、こうして現物を見るのは初めてだった。
王家と邪石の因縁は、百年前にまで遡る。
かつてアレクサンド王が治めた争いに、邪石は用いられていた。その邪石の力を魔石の力で抑え込み、彼は勝利し王になった。そして、その時に邪石はすべて封じられたはずだった。
しかし、アレクサンド王はまだ邪石を警戒していた。
だから、サーレット王国の守護の要として、王城の守護石エンジェライトに魔力を込めたのだ。邪石の力を抑え込めるように。
王家はその意志を継ぎ、代々守護石エンジェライトに魔力を込めていた。しかし、王族であっても魔力を持たない者もいる。
ローズの父は、魔力を持たなかった。その為、王族の傍系一族の中で一番強い魔力を持っていたアーリンが王妃となったのだ。
そうして王族が守護石エンジェライトに魔力を込めることで、アレクサンド王の守りを維持してきたのだ。
(今、その守りはどうなっているのかしら……?)
王国の守りである守護石エンジェライトの場所は、王族しか知らない。そして、八年前の火事で魔力を持っていた王族は、母を含め皆亡くなったと聞く。
「ねぇ、ジェイドが邪石の存在を知ったのは、いつ頃からなの?」
「たしか、あの火事の半年後ぐらいだったかな……」
火事で王族の魔力が失われた後、邪石が現れたということになる。
(もしかして、邪石の力を利用するのに王族の守護が邪魔だったの?)
しかし、王家の守りについては王族以外誰も知らないはずだ。王族が代々アレクサンド王の魔力を保ってきていることなど、知られるはずがない。
「どうしたんだ?」
「あの火事と邪石って、何か関係があるような気がするの」
心配そうにこちらを見ていた緑色の目が見開かれる。
「俺も、そう考えていた」
やはり、邪石について調べていたジェイドは気付いていたらしい。
「邪石には、人の心を惑わす力があると思う。この石からは、怒りや憎悪、悲しみが伝わってくる……きっと、負の感情に働きかけるのよ。この石の声に耳を貸してしまったら、心を呑まれてしまうわ」
あの火事の日、厳重な警備の中で賊の侵入を許したのは、人々が邪石に心を惑わされたからではないだろうか。
今日、乱闘騒ぎを起こした騎士達のように。
そうなると、邪石はあの火事の時にはすでに存在していたことになる。
「騎士達は、この石に呑まれたのか」
「えぇ。おそらく……誰にでも、負の感情はあるもの」
ローズは、教会で悲しみに打ちひしがれる人をたくさん見てきた。その悲しみが憎しみに変わるところも。ペイン神父の説教にも耳を傾けずに、自ら地獄に足を踏み入れてしまう人も。
ローズは、その人達を救ってあげることができなかった。でもせめて、この邪石から悲しみを訴える人々を救ってあげたい。
「……悲しまないで。もう、怖いことは起きないわ。私が、解放してあげる」
不思議と、怖いという感情はなかった。それよりも、邪石から聞こえてくる声があまりにも悲しみに満ちていて、どうにか救ってあげたいという気持ちの方が強かったのだ。
腕輪をしている右手をかざし、思いを込める。そうすると、邪石から放たれていた黒い光は徐々に薄れていった。
そして、優しい淡い光だけが残る。そこにあったのは、空色の美しい石だった。
「ローズ、今力を……?」
ジェイドの声には、焦りが滲んでいる。
力を使わない、そういう約束だった。
しかし、この状況では仕方がないだろう。それに、ローズはもう、自分の身を守る為に力を使わないなんて嫌だった。
「ごめんなさい。でも、このまま邪石を放ってはおけないでしょう?」
「あぁ、助かった。ありがとう」
ローズの耳に届いた返答は、予想とは違っていた。怒られることはあっても、まさかお礼を言われるとは思っていなかった。
少し戸惑うローズを見て微笑んだジェイドは、どこか吹っ切ったような晴れ晴れとした表情をしていた。
ふと視線を邪石に向けると、その姿に驚く。
「……これ、ブルーレース・アゲート?」
ブルーレース・アゲート。
本来であれば、友情や愛情に通じる力を持つ石だ。争いや不安を煽るような石ではない。
魔力が戻ったローズは、石のことは自然と感じられる。知識としてではなく、感覚で分かるのだ。
だからこそ、引っかかった。この石は、こんなこと望んでいなかった。
(……これは、どういうこと?)
ローズは、邪気を失ったその石を不思議な気持ちで見つめていた。




