9 守護者の役割
ボルダーの街は、平和な田舎街だ。
その為、ボルダーの王国軍基地は、経験の浅い騎士達の訓練や教育の場としての役割の方が強い。王城勤務を目指して、多くの騎士がこのボルダーの基地で経験を積んでいる。
そんなボルダーの基地には現在、賊の出現に加えてさらに騎士達を緊張させているものがあった。
それは、基地に突然やってきた二人の人物。
一人は、王国軍総指揮官であるジェイドの存在。サーペンティン大公家という家柄でありながら実力主義の王国軍に入り、異例の速さで出世を遂げた若き指揮官である。
ジェイドは若い騎士達にとって憧れの的だった。そんなジェイドに認めてもらいたくて、騎士達はいつも以上に張り切って仕事に臨んでいる。
もう一人は、ジェイドを追いかけてきた美少女ローズ。ジェイドの話によると、ローズは貴族の娘で、今は賊に狙われているのだという。
男ばかりの基地に、美しい娘が現れたのだ。
ローズの存在に騎士達はとんでもなくドキドキしていた。何せ、ほとんどの者が女性と接したことがない為、どうすればいいのか分からない。
それに、憧れのジェイドの大切な人ともなると余計に緊張してしまう。
しかし、騎士達はローズのことを何としてでも守ると決めていた。
「ローズのこと、この基地で守って欲しい」
という、他ならぬ総指揮官の頼みなのだから。
そして、守るべき自分達がローズを怖がらせてはいけないと、屈強な騎士達はこの日から煩悩を消す訓練を始めたのだ。
『鼻の下は、伸ばさない!』
『『伸ばさない!!』』
『じろじろ見ない!』
『『じろじろ見ない!!』』
どこからか、男達の威勢の良い声が聞こえてくる。
その声を聞いて、ローズの意識はだんだんと覚醒していく。
目を開けると、目の前には見慣れない天井。首を横に向けると、窓辺に椅子と机、壁側にクローゼットが置いてあるのが見えた。
ここはどこだろう、とまだぼうっとしている頭で考える。
コンコン、とノックの音がする。
「……はい?」
少し警戒しながら返事をすると、よく知る声が聞こえてきた。
「ローズ、俺だ。入るぞ」
「ええ」
答えてすぐに、ジェイドが姿を現す。
「おはよう、ローズ」
「おはよう。それ、何を持っているの?」
ジェイドは、何やら大きな袋を抱えていた。
「あぁ、これはローズの着替えだよ」
そう言って、綺麗に包装された袋から取り出されたのは、桜色のドレス。ジェイドから受け取ったドレスを、ベッドの上に広げてみる。袖や胸元に花の刺繍をあしらっていて、とても可愛らしい。
「うわぁ、素敵なドレスね。どうしたの?」
「着替えが必要じゃないかと思って、ドレスを仕立ててもらったんだ。気に入らないか?」
少し心配そうに、緑色の瞳がこちらを見る。
彼がローズの為にしてくれたことだ。嬉しいに決まっている。
「そんな、とても嬉しいわ。ありがとう、ジェイド」
「よかった。俺にできることがあったら、何でも言ってくれ」
「うん、ありがとう」
にっこりと笑顔を返すと、ジェイドは頷いて部屋を出た。
早速着ていたドレスを脱ぎ、ジェイドがくれた桜色のドレスを着る。最近のドレスは一人で着るのが難しいものもあるが、このドレスは一人でも着られそうだ。きっとその辺りも配慮してくれたのだろう。
おろした髪をとかし、身なりを整えて部屋を出る。
「あれ……? ジェイド、どこに行ったのかしら?」
てっきり扉の前で待ってくれていると思っていたのに。右も左も分からないままに一人にされて、ローズは少し不安を覚える。
とりあえず、ジェイドを探す為に基地内を歩くことにした。
廊下でちらほらとすれ違う若い騎士達は、何故かこちらを見ると顔を真っ赤にして走り去ってしまう。
何か顔に変なものでもついているのだろうか。それともドレスの着方が間違っているのだろうか。
自分ではよく分からない。
しかし、そんな感じであまりに避けられる為、ジェイドのことは誰にも聞けずじまいだった。
宿舎は全部で六棟あり、そのうちの第三舎から第六舎までは、新兵が入っているという。
今は賊に備えて街の護衛に多くの騎士たちが駆り出されている為、宿舎に残っている騎士は少ない。
宿舎はどれも同じような造りになっていて、中央の入り口を入ると左右に一室ずつ部屋が分かれている。
ローズが泊まったのは、第五舎の一階の右端の部屋だ。
第五舎は新米騎士ばかりの棟である。男ばかりの兵舎に少し戸惑いながらも、ジェイドを探して第五兵舎内をぐるぐる歩く。
ローズをここに置いてどこに行ったのだろうか。他の兵舎を探すことも頭に浮かんだが、その間に入れ違いになってもいけないだろうと第五舎を出ることはしなかった。
しかし結局、ジェイドの姿はどこにもなかった。
一旦部屋に戻った方がいいかもしれない。そう思い、引き返そうとした時……後ろに人の気配を感じた。
振り返ると、王国軍の騎士服を着た若い兵士が立っていた。
王国軍の騎士服は紺色で、胸ポケットが付いた立襟のチュニックが基本だ。
しかし、騎士服を着ているというよりは、着られているといった方がいいような出で立ちだった。
まだ少年っぽさの残るあどけない顔をした、栗色の髪の青年。身長も歳も、あまりローズとは変わらないだろう。
そのくりっとした焦茶色の瞳は、じっとローズを見つめている。
「……もしかして、あなたがローズさんですか? 僕、ロイって言います!」
子犬のような人懐っこい笑顔を向けられ、ローズも思わず笑みをこぼす。
「はい、ローズと言います」
「先輩達が言ってた通り、本当に綺麗な人だなぁ……あ! ジェイド様の恋人って本当ですか?」
「……こ、恋人?!」
突拍子のないことを言われ、声が裏返る。
必死で違うと訴えるが、どうもこの基地内でローズはジェイドの恋人として認識されているようだ。
やはり、あの抱擁が誤解を招いたらしい。
(でも、ジェイドはきっと否定するわよね……)
八年ぶりに会ったジェイドは、男らしく成長していて、一緒にいるだけで落ち着かない気分にさせる。
あの緑色の瞳に見つめられるだけで、胸が苦しくなる。
しかし、彼はただローズの〈守護者〉だから側にいるのだ。おそらく、こんな噂は迷惑なだけだろう。
〈守護者〉の役割は、契約した王族を命に代えても守り抜くこと。
ローズは王族として、〈守護者〉であるジェイドに守られる存在なのだ。
当時はそんなこと気にしたことはなかったのに、【石の契約】の意味を理解している今では、ジェイドが〈守護者〉であることに胸が痛む。
〈守護者〉だったからこそ、ジェイドは自分を責めて苦しんでいたのだ。
「……あの、ローズさん?」
ロイの言葉にはっとする。
「あ、ごめんなさい……。ジェイドは、私のこと恋人だとは思っていないと思います」
この言い方だと、まるで自分はジェイドをそういう風に見ているように聞こえる。
ローズは顔が赤くなるのを感じながら、慌てて訂正する。
「えっと、だから……恋人とかじゃなくて、ただの……友達です」
本当は、友達というより、ジェイドにとっては主従関係でしかないかもしれない。
八年も離れていると、彼のことが分からなくなる。
何も話してくれないから、尚更だった。
幼い頃は、確かに友人だったはずだ。
しかし、今のジェイドは〈守護者〉としての役割を優先しているように思う。ローズとの間に、一線引いているような気がする。
それはきっと、家臣としては当然なのかもしれない。それでも、ローズがジェイドに求めたのは友人なのだ。
しかし、それも仕方のないことかもしれない。
ローズはこの八年間、全てを忘れ、ペイン神父と子ども達と共に心安らかな日々を送っていた。
しかし、ジェイドは違う。
彼は〈守護者〉としての役割から逃れることができない
あの日の悲劇をずっと抱えて生きてきたのだ。
再会してから、彼はしきりにローズを遠ざけようとしていた。本当は、思い出して欲しくなかったのかもしれない。
あの抱擁にも、きっと意味はないのだろう。
(もう一度会えて嬉しかったのは、私だけなのかしら……)
大切にされていることは分かっているのに、こんな風に思ってしまうのは、まだ頭の中が混乱しているからだろう。
両親の笑顔。ジェイドとの出会い。王城で過ごした日々。そしてあの火事の日のこと。様々なことが鮮明に思い出される。
自分の死を覚悟して、背を向けた父。娘を守る為に自らの魔力を全て使い果たした母。二人の姿と、今のジェイドの姿が重なる。
彼は守護者として、ローズの為に命を懸けるつもりだろう。守護者は、自分の命に代えても王族を守ることが使命だから。
大切な人は、いつもローズの気持ちよりもその命を守ろうとする。守られて、そこにいることだけを求めるのだ。
ローズにはそれが気に入らない。
守るべきは王族であり、魔力を持つ自分であるはずなのに。
ただ守られて、目の前で人が傷つくのを黙って見ていろと言うのだろうか。そんなことできるはずがない。
そう思っているのに、何もできない自分が悔しかった。
「どうしたんですか? そんな暗い顔しないで笑ってくださいよ。絶対ジェイド様はローズさんのこと大好きですよ!」
考え込んでいたローズの耳に、太陽のように明るい声が届く。ふと現実に戻ると、目の前にはロイの笑顔があった。
笑ってください、そう言われて初めて、自分が酷い顔をしていたことに気付く。
そして、昔ペイン神父に言われた言葉を思い出す。
『ローズ、笑ってください。笑顔は、人を元気にします。辛いことや悲しいこと、心を病むこともあるでしょう。でもね、笑うことができたら、前を向いて歩いていくことができるんですよ』
まだ、あの頃と何も変わっていないのかもしれない。
記憶がなく、毎日が不安で、泣き続けていたあの頃と。笑って前に進まなければ、ジェイドをここまで追ってきた意味がない。
自嘲気味にふっと笑うと、ロイが大きく首を横に振る。
「ローズさん、駄目ですよ。もっと心から笑わないと! ほら、こんな風に……わっはっはっは~」
仁王立ちになり、腰に手を当てて大げさに笑ってみせる小柄な兵士さんが可愛くて、ローズは思わず吹き出した。
「お、いいですね。そんな感じです。せ~のっわっはっはっはっは……っぃて!」
得意げに笑っていた彼は、突然頭を抑えた。
その後ろには、ロイと違って騎士服を着こなしている、すらりとした体躯の黒茶髪の兵士がいた。短く刈り上げられた黒茶色の髪、空色の瞳。その口はきつく引き結ばれており、少し厳しい目つきでロイを見下ろしている。強面の騎士の手には紙の束があり、それでロイの頭を叩いたのだろうと思われた。
「持ち場を離れてこんな所で何をしているんだ?」
「……す、すいませんでしたっ!」
ロイは謝ると、脱兎のごとくその場を去って行った。
なんだか、その様子もおかしくて、ローズは怖そうな騎士の前にも関わらず、吹き出してしまった。
目の前の騎士に睨まれ、何をした訳でもないのに怒られているような気分になる。それなのに騎士は一向に立ち去る気配はなく、ずっとこちらを見つめている。
ローズが気まずく目を泳がせていると、騎士服の胸元に名札を見つけた。
[パーカー・ヴィアンドレ]
(……ヴィアンドレ…もしかして?……いや、そんなはずないわよね……)
頭にふと浮かんだ考えをかき消していると、目の前の騎士パーカーは突然その顔を歪ませ、次の瞬間には目から大粒の涙を流し、おんおんと泣き始めた。