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水色の太陽  作者: one
9/11

第九話 「香奈」

 その日は学校の帰り、久々に香奈と街に出掛けた。朝方香奈からメールが入って、『総体で先輩に贈り物あげたいから選ぶのに付き合って』という事だった。気が付けば、総体まで後一週間を切っていた。

 武人の学校では毎年、総体の前日に一、二年から三年の先輩に事実上最後の大会という事で贈り物を渡す。ゼッケンに見立てた白い布に、選手それぞれの番号を書いて寄せ書きをする。それにミサンガや何か気合いの入る物を加えて渡すのがセオリーだった。


「…それでシモンは女の子になっちゃって、でもジョカの事をずっと思い続けるの。あたしそれがすっごい切なくて…。しかも結末がね…。」

 大型のショッピングモールの中を歩きながら、香奈は最近嵌まっているという古い少女漫画の話をしていた。この店は土日祝日には人がごった返す程に混むのだが、今日は平日でもう夕飯時という事もあって客はいつもより大分少ない。

 香奈いわく、少女漫画は最近の物よりちょっと昔の物の方がいいという。なんでも最近の少女漫画の殆どはただ恋や愛だと叫ぶだけで内容が伴わないんだとか。それに比べて昔の物はとても文学的で、短編でも涙が止まらないものもあるらしい。

 どちらにしろ漫画を、しかも少女漫画を読む習慣の無い武人にとってはその話は全く興味の無い話だった。

 そんな事より。

 武人の思考を支配するのはあのことばかりだった。


 武人は、生来隠し事をあまりしない。つまり、嘘を付かない。どんなことも馬鹿正直に露呈し続けて来た。たしかにいつもの如くプラスに働く訳ではなかったが、確実にそれは他人が武人に抱く信望と、武人自身の持つ自信の核となりうる部分だった。

 しかし武人は、あの時、咄嗟に夕に『隠し事』をしてしまった。嘘をついてしまった。夕の持つ闇の濃さに、武人自身が怯んでしまったからだ。

 不可抗力、と言ってしまえればいかに気楽か知れない。しかし、武人はあの瞬間自分の心の中に居た黒いモノの感触を鮮明に覚えている。秘密を手にした、という優越に似た何者かが、自分の中で暴挙を奮った感覚を、まざまざと覚えていた。

 それを思い起こす度、武人は身体の底が震えるのを感じた。自分の中に知らない自分が居るという感覚は、武人に少なからずの恐怖を与えていた。

 なんにしろ、今、武人は揺れていた。夕に、自分が秘密を知ってしまったという事を言うべきか。それともこのまま嘘を付き続けるべきか。武人にとってそれはどちらも茨の道だ。

 嘘をつくのがこれほどに辛いということを武人は始めて知った。

 最近はずっとその事について考えていた。それこそ寝ても覚めても、走っていても、ペンを握っていても。

 それに加えて、夕に対する興味も絶えない。彼のあの異常性の原因は一体何なのか。そんな答えの出ない疑問をずっと唱え続けている。


「…ねぇ、ちゃんと聞いてる?」

 気が付くと香奈の顔が目の前にあった。武人は思わずたじろいだ。

「…え?聞いてる聞いてる!あれだろ?シモンがオカマになったって話だろ?怖いな~。」

 そう適当に繕って香奈の顔を見下ろせばと、どんどんその小さい顔がふくれっ面に変わるではないか。

「違う!!全然聞いてないじゃん!シモンの話もう終わったから!」

 香奈はそう言って武人の肩をペチリと叩いた。

「しかもオカマじゃないし…はぁ~…もう、最低。」

 そして香奈は進行方向にそっぽを向いた。


「…だってその話、興味無いしな~。」

 流石に言わない方がいいかもしれないとは心に思いつつも、それでも口を出てしまうのは生まれ持った性か。この程度の「タブー」は簡単に口から漏れ出してしまうのが武人の口先なのである。


「そういうこと言う?普通…。ホントにデリカシー無い…。」

 案の定彼女の気分を害したようで、香奈は呆れたように首を振った。武人は「へへっ」と無意味に笑った。


 そこで少し二人の間に沈黙が起こった。武人はそれに違和感を覚えた。いつもなら香奈の激昂に触れるはずだ。それなのに今日は何か考え事でもするように押し黙っている。


「…まぁいいんだけど。」

 しばらくして香奈は声のトーンを落として立ち止まった。武人もそれを見て数歩遅れて止まる。その風体に往来の人達もちらちらとこちらを見ていた。武人は香奈の顔を怪訝に覗く。

「どうした?」

 香奈は澄ました目でじっと武人を見つめていた。

「あたしの話がどうとかって言うより、最近、武人、いつも上の空だよね。」

 武人はそれを聞いてドキッとした。

「そ、そうかぁ?」

「うん。あたしも思うし、部のみんなも言ってる。何か悩んでる事でもあるんじゃないの?」

 香奈の率直な言葉に、武人は戸惑った。確かに悩んでいる事は悩んでいるが、その内容をそんなにぺらぺら話して良いものとは思えなかった。う~ん…と唸りながら武人は目を泳がせていた。

 しばらくそうしていたら、香奈は一つため息をついた。

 そして唐突に「ここだよ。」と言った。武人は始め、なんの事か解らなかった。


「この店、来たかったの。前来たらさ、ちっちゃい陸上選手の形した人形が売っててさ。…ほら、ちょっと来てよ!」

 そういって香奈は未だに状況を把握しきれていない武人の手を引いて、目の前にあった洒落た雑貨屋に入った。武人は引っ張られるまま、クエスチョンマークを散らすしかなかった。

 いろいろな、一体何に使うのか知れない小物が陳列された棚をひとしきりすれ違って行くと、そこには確かに小さな人形がたくさん飾られた棚があった。いろんなスポーツ選手の形を模した人形で、種類はとても豊富だ。

「先輩一人一人の種目に合わせて買おうかと思って。どう?」

 香奈は適当にその人形達を選りすぐりながらこちらを振り返って聞いた。

 武人は何がなんだか分からないまま「お、おう。…良いと思うけど…」と答えていた。


 一つ398円のその人形を、三年の先輩の人数分、大体十個弱程を持って香奈はレジに向かった。贈り物で必要になったお金は後で部員で折半する話になっている。


 武人は香奈の後ろ姿を見送りながら、香奈が少し速足になっているのを見逃さなかった。怒ると少し速足になるのは香奈の癖で、武人は幼少の頃からそれを知っていた。

「うわぁ~香奈怒ってるなぁ…。そんなにシモンのことオカマって言ったの嫌だったかな…。」

 と、心の中で彼はそう呟いた。



 帰り道、二人は街の中に不自然に作られた大きな公園の前の道を、駅に向かって歩いていた。右手には中くらいの大きさの木が、人口的に等間隔に植えられた垣根 が数百メートルと続いていて、左手には大きな車道が通っているが、車は少ない。歩道に沿って付けられた街灯が二人を照らす。

 さっき買った人形の袋を下げて、武人は香奈より数歩遅れて歩いていた。さっきから幾分時間は経ったもののやっぱり香奈の歩くスピードは速い。武人のほうが20㎝以上背が高いのにも関わらず、香奈に合わせて忙しく足を動かさなければならない程だ。

 そんな行動とは裏腹、香奈はいつにもなく饒舌だ。いつもは武人の方が圧倒的に口数が多いのに、この時は逆に香奈が喋りっぱなしで武人は香奈の怒りに対する謝罪も出来ないでいた。

 始めの内は香奈の話に適当に相槌を打っていたが、そうしていてもどんどんいたたまれない気持ちになって行くだけだった。

「なぁ。」

 武人は始め少し弱い調子でそう声をかけた。しかし香奈は聞こえなかったのか、はたまた聞こえたが聞こえなかった振りをしているのか、それは知れないが自分の話を止めようとしない。

 武人がもう一度、今度は強めに「なぁ!」と言ったら、香奈はやっと話を止めて武人の方を振り返った。


「何?」

 少し目つきが冷たい。武人は少し怯んだ。

「…あの、さぁ…。なんか、俺嫌な事言ったみたいで。…その、悪かったよ!だから機嫌直してくれ!この通り!」

 武人は頭を下げて謝った。それは本当の所、出来るだけ香奈の顔を見ないようするためだった。今の香奈と目を合わせて話をするのは少し怖かった。


 しばらく沈黙があって、香奈は静かな調子で言った。

「…あんたはさ、そうやって自分がどうして相手を傷付けたかも分からないまま謝っちゃうんだよね。でも、それって、ちょっとズルイよ。言われた方は、ただ許すしかなくて何も言えなくなっちゃう。」

 そう言って香奈は語尾を落とし、またしばらく押し黙った。武人は彼女の言っていることの意味がよくわからないまま、舗装された道路を見つめ続けた。


「…うん、まぁ…ただ、今回はあんたは謝る事何にも無いんだよ。」

 そして再度口を開いた香奈の言葉に、武人は彼女の言っている事がさらによくわからなくて顔を上げた。


「俺悪くねーの??」

 そう言って怪訝な顔をした武人に対して、香奈はふっと小さく笑う。

「あたしが、ちょっと機嫌悪いのは、あんたが悪いんじゃないよ。…あたしが我が儘なだけ。」

 微笑みながら俯く香奈の顔を街灯が照らす。

 武人はもっと意味が分からないというように香奈を見た。


「あたしもあんたももう大人だから、昔みたいにはいかないんだなって。そう思ったら…ね。」

 光に照らされた香奈の顔が、ずっと微笑んでいるはずなのに、一瞬、とても淋しげに映った。武人は、その顔を見てなんだか胸の奥がぎゅっと締まるような気持ちになった。


「…もう、今までみたいにはいられないみたい!あたしも、あんたも、少しずつ秘密はできるし、知らない所もどんどんできてくる。」

 そう言った香奈の顔は微笑んではいるが、眼差しの奥には何か強い意志のようなものが見え隠れする。同時に、寂しさと切なさも。


「しょうがないんだよね。割り切らなきゃ。もう子供じゃないんだから、大人にならなきゃ。」

 そう言って香奈は踵を返した。

「そんだけ。帰ろう。」

 武人は、前を速足で歩く香奈の小さな背中が、小さく震えている気がした。



 香奈はそれからはいつもの通りのテンションになった。

 電車の中で、武人は少し考えて、香奈にこんな質問をした。

「あのさぁ、例えば…例えばなんだけど、自分の知らない内に誰かに自分の秘密を知られたら、どう思う?」

 香奈はそれを聞いて目を丸くした。

「変な質問。『自分の知らない内』なんだからどう思うも何もないじゃない。どうも思えないでしょ。」

「じゃあ、それを本人から打ち明けられたら?」

 香奈は少し押し黙って、言った。

「凄く嫌。だってそれはいつか勝手にプライバシーに侵入されてたって事でしょ。そんなの、泥棒と同じじゃない。」

 毅然と、真摯に繋げられたその言葉には、妙な凄みがあった。


「そっかぁ…。そうだよな…。」

 武人はその言葉にショックを受けたが、同時に、一つの決断が出来た。


 このことについて、夕には何も言うまい。と。



 別れ際になって、香奈は言った。

「今日はごめんね!付き合わせちゃって。ほんとは女子連中で買いにいくつもりだったんだけど、なんかみんなに乗せられちゃって…。」

 そうして香奈は苦笑した。

 武人はイマイチ彼女が何を言っているのかよくわからなかったが、「いやこっちこそ、ごめん。」と返した。


「ううん…。それから、ありがとね。」

 彼女はそう言うと小さく手を振って踵を返した。

 その時見送った小さな背中は、武人の気のせいかもしれないが、何だか嬉しそうに弾んで見えた。


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