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水色の太陽  作者: one
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第一話 「On your marks」

この小説は『同性愛』『ボーイズラブ』『ゲイ』の要素を多分に含んでおります。

ご理解の無い方、免疫の無い方は気分を悪くする恐れがありますのでご注意ください。

また当小説は数年前から某同性愛者向けのHPにて連載していたものを原作者自らが編集・転載したものです。




「それでは行います。」


 マネージャーがそう合図を出すと、彼は小さな声で「お願いします」とつぶやいた。

 眼前に広がるのは、赤黒い『タータン』と呼ばれるゴム様の地面。彼のすぐ手前にはスターティングブロックというスタートを補助する器具が設置されている。


「オンユアマークス。」


 聞くからに日本語英語のその発音にはもう慣れた。彼は号令に従ってスタートラインに着くと、軽く背伸びをして、試しに後ろ足でブロックを蹴りつけた。ブロックはタータンにしっかりと根ざしていて、カシャンという小気味いい音を鳴らして彼の蹴り足を弾き返してくれる。

 彼はスタートラインに手を着いて待機の姿勢を作る。しばしの静寂。汗が一滴、頬を伝って落ちていった。濡れたタータンに暗い染みがつく。


「セット。」


 声と同時に、彼は腰を上げる。

 スタートラインに着いた両の指の先に全身の体重がかかる。辺り一面に一筋の緊張が走るのを感じた。

 間髪も入れずに、彼の耳にはあの聴きなれた号砲が聞こえた。その瞬間、彼は思い切りブロックを蹴りつける。そしてそこから100m、彼は風を切るのだ。何を考えることもなく。ただただ無心になれるこの時が、彼にとって一番気楽な時間なのだ。




「10秒86!

 新藤、これなら今年行けるよ!インターハイ!!」

 興奮を隠さずに駆け寄って来たのはマネージャーのともよだった。

 四人居るマネージャーの中では一番陸上に精通していて、自身も中学では全国大会に出場するレベルだった。しかし何故か高校ではマネージャーに転身してしまい、期待していた先輩や顧問をそれはそれは落胆させた奴だ。マネージャーに転身した理由を聞くと「一身上の都合」としか教えてくれない為に部内では二年が経過した今でも興味の的である。


「…86ね…。つっても手動だから実際はよくわからないだろ。」


 進藤、と呼ばれた青年はハァハァと息をはきながら掠れた声でそう答えた。こういう時はあまり話したくないのが本音だったが、無視する訳にもいかない。

「私が測ったんだから大体合ってるよ!まだ春先だからもっと伸びるね。」

 そう言ってスポーツドリンクのボトルとタオルを差し出す。サンキュ、と言って彼はまずドリンクをがぶがぶと飲み干した。春先とはいえ日差しの強い日の競技場はその赤黒いタータンが熱を吸収して気温よりも大分暑い。

 ともよの声が聞こえたのか、他のブロックにも彼の記録が伝わり、所々で感嘆の声が聞こえる。

 彼にとって、それらは全てどうでも良いことだった。



 彼、進藤 ゆうは、「自分はまわりの人間と違う」ということに、小学生の頃には気付いていた。

 高学年にもなると夕の同級生達は今時の可愛いアイドルの話で持ち切りだった。置いていかれないように話を合わせていたが、内心ではそれに辟易していた。

 夕が気になったのは可愛い女性のアイドルではなく、恰好の良い男性のタレントや、同級生や先輩。全て例外なく自分と同じ「男」だった。

 自分のその性癖を受け入れるのはとても困難で、何度か告白してきた女の子と付き合ってもみたが、全く好きにはなれず、かえって悩みを増やすだけだった。

 受け入れるしかないと悟ってからは、周りと同調し、己を隠し、当たり障りの無い生活を送ってきた。

 夕にとって陸上は、青春の宝物などではなく、何も考えなくてもいい時間をくれる都合の良い隠れみのだ。 「インターハイ」などと言われても、全くピンとこないのが実状だった。




「一週間後に他校との合同練習会があるけど、その時にもビシッとお願いね!他校の奴らに見せつけてやってよ!『王子様』。」

 ともよはそう言って意地悪く微笑んだ。

「それやめろよ…。気持ち悪いから。」

『王子様』とは誰が付けたか分からないが夕の通り名みたいなものだ。容姿端麗の夕を誰となくそう呼び出したらしく、今では他校の生徒にも蔓延している。というか出所は他校の女生徒、というのが一番有力なのである。なんにしろとてもナンセンスなので本人はあまり気に入っていない。


「合同練習会ね。」

 そう鼻で笑いながら、夕は冷めた目で太陽を見た。赤みを帯びた太陽が、夜の訪れを告げているようだ。


 今世間一般では春休みと言われる時期にきている。とは言っても部活はほとんど休み無く毎日あるので、部活動に勤しむ中高生にとって十日足らずの休みなど、無いに均しい。

夕の所属する陸上部も例外ではなかった。

 しかし夕にとって、学校でのトモダチとの会話ほど不毛に感じるものも無いので、それがある程度廃除されている期間は中々都合の良いものだった。

 その春休みの中頃、夕の高校では毎年他校の選手、顧問を招いて『合同練習会』というものを行っている。 目的は選手同士の交流や他校の指導者による技術の伝播など、様々だ。

夕はこれに参加するのは二度目になる。一年時にも参加は出来たらしいが、ただ面倒だったので行かなかった。


 とにかく、そんなイベントが一週間後に迫っていたのだ。


 夕焼けに辺り一面が真っ赤に染まる。

 普段は意地汚く聞こえる烏の鳴き声も、この時間帯には風流を感じさせる。カァ、カァという声が、まるで終わってしまった一日を惜しむかのような色彩を載せ、万物に哀愁を漂わす。

「またベスト出したんだって?やるよな~。」

 家路の途中、自転車を漕ぎながら呆けた声でそう言ったのは走り幅跳びの信哉だった。記録は上位に入るが、飛び抜けて優秀な選手というわけでもない。そういえば苗字はなんだっけ、と夕は少し首を傾げるが、どうでもよくなって「ハハ」と渇いた笑いだけ返した。

「俺も夕くらい短距離早かったら、もっと遠くまで跳べるんだろうな~。そしたら夕みたいにモテるかな?」

 何故か上機嫌の信哉はそのまま話を続ける。 

「知ってるか~?大会で夕が走る時になると会場のほとんどの女子が見てるんだぜ。んで自分の学校の選手より夕の応援してる不届きな奴もいるんだ。羨ましいよな~。」

 大袈裟な身振りでそんなことを言ってる。「だから俺も会場全部を注目させるような大ジャンプしたら、行けそうじゃね~?」そう続けた。行けるって、何処に行きたいんだとツッコミたい気分になる。

「ばーか。そんだけでモテるかって。様は顔と性格だよ。俺にはあるけど、お前には無い。だから無理!」

 笑い混じりにそう返してやる。すると自転車のスピードを落として「あー、感じ悪いぞ~」なんて後ろの方でぼやいている。

「置いてくぞー。」

 言って速度を上げる。真っ赤な太陽に向かって。 「まてよ~。」と信哉が後ろから付いてくる。


 全ては、茶番。夕はそう思っていた。トモダチと笑い合うのも、冗談を言い合うのも。全てが夕の心を乾かし、かえって孤独感を煽る。誰も自分の気持ちや考えなんて分かりっこない。この世界には何も無い、この世はシロクロだ、と本気でそう思っていたのだった。


 彼と出会うまで。





 合同練習会当日は綺麗に晴れた。まさに小春日和と呼ぶに相応しい様相だった。

 平凡なサイズの競技場に、非凡な数の人が集まる。参加校は周辺の十校程だが、中々の賑わいを見せていた。


 夕は顧問から短距離ブロックを取り仕切るように言われていた。

 彼はキャプテンでこそなかったが人をまとめるのは得意だったので、その任務は例え相手が一番人数の多いブロックでも、さして難しいことではなかった。夕の一挙一動に毎度女子の黄色い声があがるのは、聞こえない振りをしてやり過ごした。

 そのブロックの指揮に追われる中、何となく夕の気を引く奴がいた。それが彼のスポーツマン然とした体躯のせいか、憎めない顔立ちのせいか、夕にはよく分からなかった。ただ、ドリルをこなす最中でも、彼とはなぜかよく目が合った。

 それが、夕が彼を初めて意識した瞬間だった。



 休憩時間に入り、ほてったタータンに座り込んで夕はぼ~っと空を見つめていた。正体の分からないもやもやが、夕の心にベールをかける。すでに半分飲んでしまったポカリを、また大きく口に含む。

その時だった。


「『おーじさま!』。」


 あまり反応したくない呼び名で、背後から聞き慣れない声がそう言った。

 振り向くと、あいつだった。さっきからずっと気になって仕方のなかった、あいつ。

 いつの間にかものすごい至近距離まで近づかれていたようで、背中に触れるかというくらいの距離に奴も座り込んでいた。目が合うと、奴は子供みたいに笑った。

 夕は鳩が豆鉄砲を喰らったみたいな顔で数秒間黙ってしまったが、とりあえずさっき口に含んだポカリを飲み下して、やっとの事で「…え、何…?」とだけ声を発した。続けて「それからその呼び方やめて」とも。


「新藤先輩!本物っすよね~!俺一年の頃から先輩のファンなんっすよ!つか、やっぱり近くで見るとますますかっくいーっすねー!」

 ホントに鼻先10㎝。近くってどんだけ近くだよなんて思いながら、夕はとりあえず呆気に取られるしかなかった。


 奴は朝陽あさひ 武人たけとと言った。なんでも夕の一つ後輩で、去年から夕のファンだと言うのは本当らしい、夕の去年の記録まで大体覚えている。

「様はストーカーだろ?」

 というとそれは違うらしい。れっきとしたファンだと言う。

「先輩って走るの速くてかっくいいだけじゃなく、リーダーシップもあるんすね!いや~、俺感心しちゃったな~。ちょっと分けて下さいよ!」

「何をだよ」と言葉で小さなツッコミを入れて、夕は立ち上がった。

「あ、何処行くんすか?」釣られて武人も立ち上がる。

「そろそろ休憩終わりだから、先生にメニュー聞きに行くんだよ。」

 そう言いながら、夕は思った。「こいつ、背高いな…」と。

 171㎝の夕はあまり大きいとは言えないが、武人は夕より頭半分大きかった。体型はいかにもスポーツマンといった感じで無駄な脂肪もなく、細いのに手足にはしっかりした筋肉が付いている。目鼻立ちははっきりしていて、正直夕の目にも格好よく映った。短い黒髪をワックスでつんつんに立ち上げている。 スポーツマンにしては長めの髪を携える夕とは、なんとなくタイプに差があった。

「分けて欲しいのは俺だっつーの。その身長くれよ!」

 と言って小さく蹴りを入れる。武人は「へへっ」と小さく笑った。


 久しぶりの感覚だった。「楽しい」という感覚。まるで今までモノクロにしか見えなかったものが、鮮やかに色付いて見えるように、夕の心は暖かかった。



 夕の通う高校のある街は海に面していて、とても自然に恵まれた土地だ。その町並みには斜面が多く、交通には不便なもののその景観は素晴らしい。プラスしてその土地柄の為陸上のトレーニングにうってつけなので、夕の陸上部の顧問は赴任と同時にわざわざこの街に家を買ったという。

 夕がこの高校に進学した二つの理由のうちの一つもこの環境だった。そんな場所にある小さな競技場でこの練習会は行われていた。


 「待って下さいよー。」と言って付いてこようとする武人を追い払ってから小走りで指導者控室に向かう。その途中でストップウォッチなどの器材を運ぶともよと出くわした。

「あれ、どうしたの珍しい。」

 出合い頭にいきなりそう言われて夕は意味を把握出来ずに咄嗟に「は?」という間抜けな返事をしてしまった。

 ともよは持っていた器材を目的の場所と思われる場所にガシャンと置くと「ふぅ」と一息ついてから「なんか機嫌良さそうじゃん。」と言った。

 そう言われると確かにいつもより表情が緩んでいたような気がして、隙だらけだった自分を思うとなんとなく頬が紅潮してゆくのが解る。

 その様子を見てともよは楽しそうに「なんかいいことあったんだ。」と追い打ちをかけた。

「べ、別にそんなんじゃねぇよ!」

なんだか意味も無く恥ずかしくて、大袈裟にそんな対応をとってから夕は逃げるようにその場を去った。 ともよはそんな夕の後ろ姿を見てクスクス笑っていた。


 失礼します、と言って指導者控室に入る。そこには十数名の指導者、自校・他校の顧問や、中には大学生らしい人もいる。間もなくして「新藤!」と呼び当てられた。夕の陸上部の顧問、富田だった。

「もう休憩終わるから短距離ブロック集めてくれ。メニューは俺が直接指示する。」

 ハイ、と短く返事をして夕は踵を返す。

 競技場に出て「短距離集まってー!」と声を上げた。また耳障りな音声が四方から聞こえたが、これも聞こえない振りをした。


 夕の顧問である富田は、陸上の教員としてはなかなか有名な人間だ。毎年有力な人材を何人も育成し、去年には県の優秀指導者賞も授賞した。とは言っても夕の入学と共にこの富田も赴任してきたので、夕が彼目当てにこの学校に来たという事では無い。

 彼の指示の元、夕含む短距離ブロックは着々とメニューをこなしていった。その場には、武人の姿もあった。

 夕はしばしば武人の動きを観察していた。先程はあまり気にならなかったが、よく見ると奴は中々筋が良いようだ。普通の選手が戸惑うような独特な動きのドリルでも、武人は難無く習得していた。

 感心して見とれていると、たまにばちっと目が合ってしまう。

 夕は少し恥ずかしくてすぐ目を逸らしてしまうが、武人は気にせずさっきみたいに子供のように笑ってぶんぶんと手を振る。それを見ると「やめろよ恥ずかしい」と思う反面、なぜか朗らかな気分にさせられた。


 午前中のメニューの最後は軽い走り込みだった。100m×10本を1セット。最高速度で走るわけではないのでさして厳しいメニューではない。夕はブロック長ということもあって先陣を切って1番前の列に入った。トラックのレーンにあわせて3、4人が一緒に走る。

 なんとなくそんな気がしてはいたのだが、同じ組に武人も入って来た。「お願いしまーす」などと言って軽い態度で。普通は三年で埋まる筈の組だが、そこに躊躇なく入ってくる辺り馬鹿なのか度胸があるのか。どちらにせよやっぱり面白いやつだなと夕は思った。


「俺の横に並ぶなんて、いい度胸だな。」

 夕は軽く腕のストレッチをしながら武人にそう声をかけた。

「狼の群れに羊が一匹迷い込んだ感じっすねー。」

 奴はそう言ってヘラヘラしていた。

 まもなく組が埋まって、一本目がスタートした。

 奴が隣にいるからと言って、手を抜くつもりはない。



 一緒に走ってみて感じたが、武人は中々に速い。

 後半こそ差が開くが、他の三年には全く引けをとらない走りをする。走り込みなので本気ではない。だから実際のタイムまではよく分からないが、フォームその他を見る限り、優秀といっても過言ではないようだった。



「…先輩やっぱりめちゃくちゃ速いんすね…。全然ついてけないっす…。」

 五本目が終わって、またスタート地点に戻る途中、武人がハァハァと息せき切りながらそう言った。

 夕もそこそこに息が苦しくなって来ていたが、武人のそれは少し異常だった。大方少し無理をしているのだろうということは、夕にも容易に想像できた。

 無理もない、二年がついてくるにはかなりの速度だ。これだけの練習会の第一組ともなると、県内屈指の選手が並んでいる。実際、武人以外の二人は毎回大会で決勝を一緒に走っている顔なじみだった。

 そんな精鋭の中で遅れる事なく走っているだけでも見兼ねた根性だと、夕は思う。

「お前も中々やるじゃん。もっと遅い奴かと思ってたよ。」

 これはある意味嘘だった。これまでの動きから、武人がある程度の実力者であることを夕は予測していた。ただ武人の気を煽るのに十分な文句だと思ってそう言った。

「失礼っすね…。これでも結構やる奴なんすよ、俺。」

 自分で言うけど、とか言いながら武人はやっぱり苦しそうだった。

 しかしその後残り五本も、その調子で遅れず走り切ったのだから、確かに結構やる奴だと思えた。その代わり午前練習終了のクールダウンでは全く元気が無く、しかも途中で姿が見えなくなった。人伝てに聞いた話では、気持ち悪くなってリバースしに行ったということだった。全く無理もない。



「午後からの練習は競技場じゃなくて海に行くから。昼食をとったら一時半に駐車場のバスに集合。」


 午前中の練習のダウンが終わり、短距離ブロックの選手達を集めて富田が言った言葉だ。

 『海』というとなんとなく楽しいイメージを抱きがちだが、陸上に於いてこのワードに喜ぶ選手などそうそういない。そもそも春先の海など冷た過ぎて入れたものではないのだから、海水浴に行くわけではないことくらい誰にだってわかる。


 日中になって気温が上がって来た。春といえど陽射しはじわじわと体力を奪う。夕は競技場の出口で額を伝う汗を拭った。

 中にいるよりは外にいた方が断然涼しく、ナカマ達のつまらない話に相槌を打つ必要がなくなる。いつもこういう長い休憩時間には外の木陰で一人で昼食をとっていた。夕のお気に入りの木陰は、競技場に隣接する大きな公園の中にある。


 夕は足早に件の公園に向かう。途中、競技場に沿って植えられた桜並木が目に入った。今日の暖かさもあり、桜並木は満開とはいえないが十分な美しさを見せていた。そういえば、あの木も桜だったな、と夕は思い立って歩く速さを増した。

 例の桜の木は、あまり目立ったところには無い。公園の入口近くには、最近植林されたある程度の大きさの桜が数本あって、大体の人間はそっちに目が留まる。その公園の奥まで歩いていくと、ポツンと、一本だけ、その立地のせいかあまり大きくなれなかったのだろう桜の木があるのだ。

 大きい気なのだがもう相当の歳をいっているためか見た目が良いとはお世辞にも言えない木だったが、夕は、その木がとても好きだった。


 目的の桜はまぁまぁの咲き具合だった。やはり今日初めて花が咲いたらしく、散った花びらはほとんど無い。

 しかしただ一つ問題があるとすれば、なぜか先客がいた事だった。しかも無遠慮に大の字になって幸せそうにすやすやと寝息をたてるそれは、先程まで死にそうな顔で夕の後ろを走っていた、あいつ。

 とりあえず夕はクエスチョンマークを浮かべるしかなかった。


 太平楽に眠る武人の足元に立ち尽くし、夕はこの事態をどうすべきか少し考えた。ジャージのポケットからあまり使わない携帯電話をとり出して時間を確認する。12時8分。時間はまだまだある。他を探すか?とも思ったが、とてつもなく面倒な気がした。

 仕様がないので武人を避けて空いてる場所に座り、たまに落ちるピンク色のヒラヒラを眺めながら、コンビニで今朝買ったツナのおにぎりをちびちびかじった。

 しばらくぼ~っとしながらかさかさと風が木々の葉と戯れる音を聞き、思い出したように、「…桜って、ピンク色だったな」とひとりごちた。

 夕は久しぶりに自然が美しいと思った。空は曇りなく晴れ渡り、青々と讃えている。そこに桃色の羽が揚々と拡がり、ヒラヒラと舞う花びらは、まるで妖精が躍っているかのようだ。去年もこの季節にここに座っていたが、果たしてここまで美しい情景だっただろうか。何故ここまで違うのか、夕にはよく分からなかった。いや、薄々感づいてはいるが、あまり信じたくなかった。

「今日会ったばかりだっつの。」

 そう言って武人を見た。さっきと微妙に体勢が変わっていたが、依然気持ち良さそうに寝入っている。



 時間は1時を回っていた。どうやら夕も少し眠ってしまっていたらしい。座ったまま木にもたれて寝ていた為か少し身体が痛んだ。

 立ち上がって伸びをして、未だに隣で寝息をたてる固まりに蹴りを入れた。武人はそれにびっくりしたようにがばっと起き上がると、寝ぼけているのかキョロキョロと周りを見ると訝しげな顔をして、漸く足蹴の主である夕を見上げて視認すると眼をぱっと輝かせた。

「先輩なんでここにいるんすか!?俺の特等席っすよここ!」

 見事にこっちの台詞だと思ったが、皆までは言わなかった。

「もう1時回ったから、そろそろ戻んねぇとマズイぞ。」

 上から見下してそれだけ言ってやった。武人は己の携帯を確認すると、夕を見てアハハと笑った。その後夕が下げるコンビニ袋に視線を落とすと、

「もしかしてここでご飯食べたんすか?だったらもっと早く起こしてくれれば良かったのに。」

 などと文句を垂れた。



「よそ者のくせによくあそこ見つけたな。」

 競技場に戻る途中で気になったから聞いてみた。武人は上機嫌に歩きながら答えた。

「昔から好きなんすよ。自分だけの秘密基地とか捜すの。なんかこういう大きな公園とか見ると、血が騒ぐんすよね。なんかありそうで。」

 またあの子供のような笑みを浮かべている。夕はまた心が暖まるのを感じた。なんとなく、夕はこの顔に弱かった。

「あそこは俺のお気に入りなんだよ。あの公園ってさ、入口の桜にみんな注目するんだ。誰もが外見の綺麗なもんに目が眩んで、もっと奥まで入って行こうとしない。奥に隠れてるものを、見ようって思わないんだろうな。」

 夕は遠くを見ながらなぜかそんな話をしていた。

「奥の奥に寂しそうに佇んでるあの木を見たら…なんか、他人の気がしなくてな、あそこに居ると落ち着いたんだよ。」

 言ってから変な事を口走った気がして、「って、俺何言ってんだろ。」とごまかした。武人はいつになく真面目にその話を聞いていたが、すぐにニカッと笑って「先輩って結構キザっすね!」と言った。夕は小さな声で「うっせぇよ」とだけ返した。


 しばらく歩いていたら前から小柄な女子が歩いて来た。何かを捜しているようだったが、武人に気付くと小走りに寄ってきた。夕はなぜか、嫌な予感がした。

「武人、やっと見つけた。何処に居たのよ…。」

 少し息を切らしたそのスポーティな女の子は、夕に会釈をした後そう言った。

 武人は楽しそうに「あの辺!」と言ってさっきの公園とは見当違いな方向を指差した。女の子は疑いの眼差しで武人を見る。

 訝しむ夕に気付いたのか、武人は別に言わなくてもいいことを言った。


「あ、先輩紹介しますね!香奈っす!付き合ってるんですよー、俺たち!」


 と。

 その瞬間、夕の瞼に映る桜の花が、真っ白に染まった。

 そんな気がした。


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