俺様ゾンビはお莫迦がお好き 3
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「…祐?何で黙り込んでる訳?調子悪い?」
声に気付いた瞬間、俺の目の前に香の顔がドアップで見える。
思わず俺は背後にのけぞる。
いつの間にか香は小さな机から回り込み、俺を覗きこんでいた。
声をあげる失態は犯さなかったが、動いていないはずの心臓が動揺で破裂寸前だ。
ビビるだろ、実際。惚れた女が息のかかるような間近に、不意打ちで来たら。
「何よ。そんなに嫌がることないじゃない」
むっとしたように文句を垂れた空気の読めない女は離れた俺に近付き、手を伸ばして俺の額に触れる。
「うーん。熱はないわね。っていうか、体温ないし」
小首をかしげて、考える香の仕草にあるはずの無い熱が身体によみがえる様だった。
十七歳にもなって化粧っ気もない、極めて普通の顔した女なのに、不意に見せる表情やしぐさが可愛すぎて困る。
“こいつ、思春期の男の性欲舐めてんのか?”
いつも何でもない顔してお前と二人きりになって、手一つ出さない俺の強靭な理性だって、そろそろ限界だってのに。
このまま抱き寄せて、キスして、服脱がして、抱いて一つになりたい。
何度そんな感情を飲み込んだかしれない。
香の眼中に俺は存在していない。香は俺ではない他の男にばかり惚れて、その恋する乙女状態のあいつの横顔をずっと見て来た。
俺には決して向けられない。そう思った。だから、家族でもないのに『家族』であろうとする事にこだわった。
幼馴染じゃ恋人には勝てない。
家族なら、恋人よりも深い関係だと…そう信じて思いこんだ。
こいつの傍に居られる言い訳を、ずっとそうやって作り続けて、告白する勇気すらなかった自分を誤魔化してきた。
きっと依存していた。これまでずっと。
香を守ると言う名目に、家族であろうとすることに。
せめて、俺の横やりなんか通じないくらい、香を愛して大事にしてくれる奴が出てくるまでは。
そう思いながら、その時が来なければいいと天邪鬼に、香の邪魔をして意地悪をして気を引く事しかできなかった。
自分が死ぬ寸前になっても、無駄な足掻きを止められず、生きることに縋りついた。
死にたくない。
香を誰かになんて渡したくもない。
あいつが迷惑だと思っても、俺は香の傍に帰りたかった。
『祐は…父さんみたいに、居なくならないよね?』
父親の眠る棺の前で、しゃくりあげながら俺の手をきつく握り締めてそう聞いた香に俺は約束したんだ。
『お前が死ぬまでずっと傍に居るに決まってんだろ』
震えながら、縋りつくように指先の血の気さえ失せるほどに強く握り締めてくる香の手を握り返して、俺は香の親父さんの霊前で誓ったんだ。
例え俺が先に死にそうになっても、絶対に生きてやるって。
寂しがりで泣き虫な香をずっと守る。
ただその一念だった。
俺が“活かされている”のは、香が居るからだ。
そんな理由、こいつには言えない。
誓ったあの日から、これまでの歳月、俺は香を傷つけてばかりでかなり嫌われた。
香の事だ、今は俺が居なくなれば清々するとでも思っているだろう。
俺は自分の額に触れている香の手を掴んで下ろす。
「お前、俺がさっさと死ねば良いとか思ってんだろ」
「…何言ってんの?」
「俺が死んだら、俺の親衛隊とか言う莫迦女共に絡まれる事もねぇし、俺の世話もしなくて良いもんな?」
「そんな事、誰も一言も言ってないじゃない!何ひねくれてるのよ!」
そうだ。何時だって俺は香にだけは捻くれている。
素直になんてなれねぇ。こうして怒りを煽らなければ、香は俺を見ない。
「だったら、俺がこのまま生きようが死のうが、お前に関係ない」
むっと怒った香は、空いた手で俺の肩を掴むと、そのまま俺を床に押し倒す。
弓道部のせいか、香は腕力だけはやたらに強くて、その動作を俺は回避できなかった。
香は俺に馬乗りになる様な格好で、俺を見下ろす。
このマウントボジションはやばいだろ。一体何の拷問だよこれ。
「関係あるわよ。口が悪くて、女癖が悪くて、性悪で、あたしのことなんて女とも思ってない、取り柄は顔だけ男の事でもね!」
「随分言ってくれるな、お前」
「腐れ縁のロクデナシな幼馴染を持ったあたしの身にもなってよね。勝手に死んで、あたしの大っ嫌いなオカルトホラーな身体になって帰って来て、結局、何時もと何にも変わらないことして…何なのよ、あんた」
眉間に皺をよせ、下唇をグッと咬んだ香は、俺のシャツの肩口をきつく握る。
なんでそんな泣き出しそうな顔で、俺を見る?
「そんなに俺が嫌か?」
「…嫌い…大っ嫌い」
ぽつりと香は、俺の予想した言葉を違わず呟いた。
同時に、俺の頬に温かな滴が落ちる。
「父さんみたいに…勝手に死んじゃうんだもの」
香の父親はトラック運転手だった。俺達がまだ五歳の時、雨の日の高速道路を走行中に他のトラック同士の追突事故に巻き込まれて死んだ。
もがき苦しんだ格好の、炭みたいな父親の亡骸を見て以来、香はオカルトもホラーも受け付けなくなった。
自分の父親のあんな姿を見たら、当然だ。大人だって直視できなかった。