VISITOR 2
些か、描写にエグイシーンがございます。
そう言った物が苦手な方は、ご遠慮ください。
†
それから祐が香の家に来たのは、二十分後だった。それは香が自分の顔と服に着いた祐の血を落とすのにかかった時間と、ほぼ同じだった。
「とりあえず、シチュー食わせろ」
「はぁ?傷の手当てが先に決まってるでしょ」
やっと来たと思えば、遠慮もなく食事をたかる男に救急箱を開いて待ち構えていた香が呆れる。
「手当てしないなら、ご飯抜き」
「…ちっ」
食事が絡めば主導権は何時だって香の方。
ムスッとしたまま腕を差し出した祐の肌の色が、いつもより白い気がした。傷は十センチ程度、皮膚がぱっくりと裂けている。
既に血は止まっているが、結構深い。
香はその傷に眉根を寄せ、彼の腕を取った。が、その腕の異常な冷たさに驚く。
「つめたっ!」
「水風呂浴びた。で、血も止まった」
「…確かに血は止まってるけど…病院行った方がいいんじゃないのこれ?」
「めんどくせぇ」
その一言で片づけた相手に溜め息を漏らし、念のために消毒液で傷を消毒し、ガーゼを当てて包帯を巻く。
「喧嘩でもしたの?」
「ストーカーに襲われた」
「チャラ男だもんねぇ、祐さんは」
棘のある言い回しで、日頃の恨みを揶揄した香に、祐は鼻で笑う。
「なんだ、妬いてんのか?」
「自惚れ過ぎ。いい加減に彼女を一人に絞ってよね。とばっちりでいい迷惑よ」
むっとした香は、包帯を結び終えた腕を軽く叩く。祐は大袈裟に痛がって見せたあと、鼻で笑う。それは自嘲だった。
「惚れた女には何度も振られ続けてる」
「へぇ…あんたを振る女っているんだ。世の中、捨てたもんじゃないわ」
「どういう意味だ」
「そのままの意味よ。それ、ちゃんと警察に届け出しなさいよ?」
救急箱の中に広げたものを片付けて、立ち上がろうとした香の手を、祐が握って止める。
新手の嫌がらせかと香は思ったが、自分より高い位置から見下ろして来る幼馴染の表情が、何かを堪える様に歪む。
「あ、痛み止め欲しかった?」
「違う」
憮然と呟いた祐に、香が首をかしげる。
「…あ、そう言えば、家に着く直前にあんたいたずら電話かけてきたでしょ?」
「電話?」
「そ。ケータイから。女の子使ってコロスとか言わせて」
「俺は電話してねぇ…ってか、ストーカー女に盗まれて、奪い返すために揉めてざっくりやられたんだぞ?」
怒り混じりにそう答えた祐は、治療を終えた手を撫でる。
「それで怪我?」
「あぁ。包丁振り回して、マジで殺されそうになったから、携帯電話も奪い返せずに逃げた。しかもその女、さっき死んだし」
「…は?死んだ?」
訳のわからない言葉に、香が眉根を寄せる。
「途中、遮断機の下りた線路抜けて…追っかけて来たその女が走ってきた電車に轢かれた…即死だって、救急隊が言ってたのを見て帰ってきた」
長い付き合いなだけに、彼が嘘を言う時は特有の癖があるので嘘ならば香は気付けた。だが、今それを告げる彼の言葉に癖の行為は見られなかった。
それに気付いて、香は表情を失い蒼白した顔で祐を見る。
「…た、祐…じゃ、じゃじゃじゃじゃ、じゃあ…あの電話」
オカルト物が大っ嫌いな香は、無意識に祐に縋り寄って、言葉も上手く喋れず涙目で相手を見る。
祐の方は、険しい表情のまま泣きそうな幼馴染の頭を軽く撫でる。
「心配すんな。どうにかする」
「ど、どうにかって…」
陰陽師や祓魔師でもあるまいしと、言葉を続けようとした彼女の言葉は続かなかった。
リビングの窓を破壊する激しい衝撃音で。
硝子が砕け散る音共に、閉ざされたカーテンが風ではためく。
揺らぐ隙間から覗く夜の世界に浮かび上がった物に、香は絶叫して祐にしがみつく。
「ちっ、しつこい女だな」
恐らく人であった物のなれの果て。
右半分の頭が原型もなく潰れ、削られ潰れて変形した顔は、二人を見てニタリと笑う。
左側に直角に九十度曲がった首は根元で半分千切れかかり、体はぐにゃぐにゃと軟体動物のような動きでずるずると割れたガラスの隙間から上半身を飛びこませた。
左の腕は肘からもげ、右手には血に染まった何かを握り締め、四つん這いになって身じろぎする度に、その体の一部が崩れて落ちる。
「ミィツゥケタァ…」
「いやぁぁぁぁぁっ!!」
電話の声とほぼ同じそれに、香が戦慄くと、祐が小柄な香を支えるように玄関へ向かう。
「タァスゥ…クゥ…」
縋るように呼ぶその声に、祐は「うぜぇ」と舌打ちをする。
割れたガラスに体を突き刺す格好になっていた異形なものは、痛みも感じなければ知能も欠落したのか、自分を阻むものにも気付かずに必死で身を捩る。
遠くでサイレンの音がする。
祐は相手が動けない隙に玄関の扉を開け、足のおぼつかない香とともに外に出る。
その時、祐の耳に何とも言えない気持ちの悪い肉の千切れる音がした。同時に、ずるりと引きずるような音が聞こえる。
「逃げるぞ!」
そうはいっても、恐怖で震える香の足は上手く歩けず縺れ、アパート沿いの道路をしばらく歩くように走った所で腰が抜けて座り込んでしまう。
「香!立て!」
「む、むり、ムリ、無理!祐だけ逃げて」
鋭く幼馴染を呼ぶ祐の声。だが香は首を大きく横に振る。声も震え、奥歯の根すら合わない彼女に、苛立ったように祐は舌打ちする。
後ろからは、這っているとは思えない速度でスプラッターな存在が寄って来る。
「莫迦か!置いていけるか!」
屈んだ祐は、香の体をぐっと抱きしめ、迫って来る相手を睨む。
「いい加減諦めろっ!香に手ぇ出してみろ、お前の事なんざ永久的に存在そのもの忘れてやる!」
そんな言葉でいいのか?と、恐怖の中でも変に冷静な思考をめぐらせた香だったが、あと数歩程度の距離にまで近付いた相手は不意に動きを止める。
「…ヤダ…ヨゥ…タスク…」
思いの外、効果てきめんだった言葉に、悲しげな顔を見せた元人だった存在は、祐を見つめる。香の事など眼中にないかのように。
「スゥキィナァノ…ド、シィテ、ワワワワタシ…ダダダダダメ?」
言葉すら満足に離せなくなっている相手を、祐もじっと見下ろす。
香も恐る恐る相手を見る。グロテスクな存在になってまで、追いかけて来る女の子。ストーカーになるくらい、祐の事が好きだったのだろうと思うと、恐いけれど憎めない気分になってくる。
「惚れた女以外に興味はねぇし、優しくもしねぇ。お前だからじゃねぇ。初めからそう言った。分かって付き合って別れただろ」
刹那、恐怖も忘れて、香が人でなしな幼馴染の胸を怒り任せに叩く。
「あんた、女の子の気持ちなんだと思ってるの!一途に好きだっていう気持ち弄んで、死んじゃってからも、いっぱい怪我しているのに追いかけるくらいあんたの事、好きにさせといて!ちゃんと、この子に謝りなさいっ!莫迦祐!」
猛抗議を受けて、祐は難しい顔をしながら呆れた様に溜め息をつくと、地面に伏せた相手を見る。
「…悪かった。片想いの辛さは分かってたのに、お前に悪い事をした…」
ごめんなさいの「ご」の字も満足に言った事の無い俺様男の素直な謝罪に、香は思わず目を見張る。
それは言われた本人も同じだったようで、顔の半分潰れた相手は、泣きそうな顔で笑う。
そして、握っていた右手を祐に伸ばし、そっと掌を広げる。
そこには、血に汚れてはいたけれど傷の付いていない祐の携帯電話。祐はその手からそっと自分の携帯電話を掴む。
力なく手を下ろし、次に彼女は香に視線を向けた。
「…ア、アアアアリリリガガ、ガ、ガ…ト…ゴ…メ……ン………」
そう言って、相手は完全に動かなくなった。
しばらく二人はそのまま動けず、事前に祐が通報した警察が来るまで、ただそのまま動かなくなった相手を見つめていた。