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あの日、実家から帰ってみちるの好物を作っていたゆきえは、私と智子の母との話を聞いていたのだろう。何も感じず、考えず、ただひたすらにみちるだけを思って生きていると思っていたゆきえは、しゃんとしていたのだ。みちるだけを思っているようにすることで、ゆきえは心のバランスを保っていたのかもしれない。あの日から、いや、それよりも前、智子に溺れるようになったその時から、心を閉じていたのは私なのかもしれなかった。


――そうして、ツルは空高く舞い上がり、3度、頭の上をくるりと大きく回って、

        遠くに消えて行ってしまったのでした…おしまい――


「みちる。こんなちいさな狭いところに押し込めてごめんなさいね。」

「おかあさん?」

「お母さんは、あなたもお父さんも幸せにしてあげられなかったわ。」

「?」

「みちる、あなたは遠くに行かなければいけないのよ。わかるかしら…。」

 遺影のみちるは、無邪気に笑っていた。話しかけるゆきえの隣にこうして並んで座るのは、実は初めてだった。他人は私を責めるだろうか。だが、ここにこうして並ぶ事が、どれだけの拷問だったか、誰にもわかりはしないだろう。自分が巻いた種だと言ってしまえばそれまでだが、私の心は裂けてしまいそうだった。

「ゆきえ、何を考えているんだ…」

「明日は、一緒に行っていただきますよ。行徳寺に…。」

「行徳寺って、何をしようっていうんだ?」

「お参りに行くだけです。こうして並んで手を合わせる。ずっと避けてきた事です。行っていただきますよ。」と、ゆきえは云うと、「みちるが待っているって言ってますから。」と加えた。

「誰が?誰が待っているっていうんだ…?」



みちるちゃん。みちるちゃん。

 今夜はどうしてはやいの。

 ふたりでこれから遊ぼうよ。

 とうちゃん、かあちゃん、寝たからさ。

 ふたりでこれから遊ぼうよ。

 毬投げ、お手玉、おはじきに、めんこに、ビー玉、こま回し。

 ふたりででこれから遊ぼうよ。


「みちるちゃん。」

「みきおくん。」

「教えちゃだめって言ったじゃないか。どうして?どうして話しちゃったんだい?」

「あんまり心配ばかりするんだもん。お友達がいるって教えたかったのよ。」

「もう、会えなくなっちゃうじゃないか。」

「どうして?」

「どうしてって…遠くに行かなくちゃいけないからだよ。」

「遠くって?」

「みちるちゃんも、行くんだよ、遠くへ。」

「みちるも…。いやだ、ここがいい。」

「さっき、おとうさんとおかあさんがここへ来ただろう。」

「うん、来たよ。」

「もう大丈夫。遠くに行っても、大丈夫。」

「いやだ、ここがいい。」

「もう、ここにはいられないんだ。おらもここへは来られない。」

「いやよ。」

「大丈夫。おとうさんとおかあさん、ずっと仲良しだから。」

「ちょっと待って。みきおくん、どこへいくの?」

「さよなら、みちるちゃん」

「いやよ、待って。待ってよ、置いていかないで。みきおくん。置いていかないで。みきおくん。いやよ、いやよ、いやぁ。」


 みちるの声が聞こえた。

 私は思わず、掛けていた布団をはねのけて布団の上に腰かけるように座った。隣でねているゆきえも目が覚めて、

「どうしたのですか?」

 と、言った。

「今、みちるの声が聞こえたんだ。」

「みちるの声?」

「ああ、みちるの声だ…」

 私はそう言って、カーディガンを羽織ってみちるの部屋に向かった。ゆきえも着いてきた。たしかにみちるの声だった。「いやぁ」と、悲しい叫びに聞こえた。

 みちるの部屋の襖戸を開けた。開けたとたん、中からは冷えた空気がざぁっと音をたててゆきえと立っていた廊下に流れ出た。ゆきえがパチンと電気をつけた。いつもの通りのみちるの遺影と仏壇しかない、ただそれだけの和室だった。

「夢だったのかな。」

 私がゆきえの顔を覗き込むと、ゆきえは、

「いえ、きっと、夢なんかではないのでしょう。私が、みちる、みちる、と言い過ぎたせいかも知れません。逝き場がないのですよ。」

「行き場?」

「ええ、もう逝かせてあげないと。」

 ゆきえはそう言うと、仏壇の扉をそっと閉めたのだった。思えば、仏壇の扉を閉めたのは、みちるが逝って初めてのことだったのかもしれない。その夜、布団の中でゆきえは必死で涙をこらえているようだった。時折、嗚咽がもれていた。暗い闇は続いた。


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