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――そうして、2人は幸せにくらしましたとさ。おしまい――
「え~、もうおしまい?」
「そうよ、おしまい。もう寝なさい。」
「もう1個、よんで欲しかった。」
「また、明日ね。」
「…」
「早く寝ないと、怖い怖い童がやって来て、いたずらするわよ。」
「わかったぁ。」
そう言うと、みちるは、思いっきり布団を被った。パチンと音がして、母がみちるの部屋を出て行くと、みちるの部屋には闇が訪れて、そうして、うとうと始めたみちるの耳に今夜もあのわらべ歌のような歌詞が聞こえてきた。
みちるちゃん。みちるちゃん。
今夜はどうしてはやいの。
ふたりでこれから遊ぼうよ。
とうちゃん、かあちゃん、寝たからさ。
ふたりでこれから遊ぼうよ。
毬投げ、お手玉、おはじきに、めんこに、ビー玉、こま回し。
ふたりででこれから遊ぼうよ。
その夜。いつもなら、目を開けると、それはもう朝日が差し込んで、暗闇はどこにも無かったのだけど、その日に限ってそこはまだ、真っ暗な世界だった。
一人で眠るには少し広すぎるその和室。父親が使っていたその部屋が、みちるのものになった。でも、まだ幼いみちるの眠るその寝具の脚元のその向こうには、広く畳が見えていて。そうして、その隅の隅の端っこに、一人の男の子が、こっちを向いて、
「みちるちゃん、遊ぼうよ」
そう言って両方の手の平で、刺繍細工の施された小さな毬を持って立っていた。
どうしてだろう。灯りのないその場所のはずなのに、黄色のぼんやりとした灯りがともっているようで、そこだけがみちるの目にははっきりと浮かんで見えた。
寒い寒い北風の晩なのに、その子ときたら、うすい一重の寝着を着て、おまけに膝から下はつんつるてん。上手に毬をついて、みちるに、
「遊ぼうよ。」
そう誘うのだ。
静かに寝入っていたはずの未散が、母親に掛けてもらった布団をはいでその男の子のところに歩いてゆくと、その男の子は、持っていた毬をみちるの方へ、
「ほら。」
と言って転がした。
みちるがそれを受け止めると、にっこり笑った。
「あなたはだあれ?」
「おら?おらは『みきお』」
「みきおちゃん?」
「どこから来たの?」
「すぐそこだよ。」
「みちると遊びに来たの?」
「そうだよ。みちるちゃん。あそぼ。」
「うん。あそぼう。」
そう言って、2人はその闇の中で、ひとしきり遊んで、そうして、明け方明るくなる頃、みきおは、すうっとみちるの前から消えてしまった。まるで、煙のように。低く低く垂れこめた煙が、朝の光に打ち消されるように、すうっと消えてしまった。
「みきおちゃん?」
みちるがどんなに名を呼んでも、明るくなったその部屋に、みきおは帰ってこなかった。
朝になって、母親がみちるを起こしにやってくると、みちるの部屋は、いつもよりひんやり冷たく、冷気が漂っていて、
「おや、この部屋は他の部屋より、ずいぶん冷えてしまったね。」
「みちる、朝よ。おはよう。」
母はそういうと、東側の窓のカーテンを開け、真冬の光が差し込んだ。みちるは少し目眩がして、開きかけた瞳を閉じたのだった。
――そうして、悪い鬼をやっつけて幸せに暮らしましたとさ。おしまい――
「おやすみなさい。」
「あら、今夜はどうしたの?珍しいわね。お休みなさいだなんて。」
「だって、ママがいったんだよ。お話は1個ってさ。」
「そうね。お話は1個。」
「うん」
「おやすみ。」
母はそう言うとまたいつものように電気をぱちんと消して出て行った。暗い闇夜がやって来て、いつものようにみきおの歌が聞こえてきた。
みちるちゃん。みちるちゃん。
今夜はどうしてはやいの。
ふたりでこれから遊ぼうよ。
とうちゃん、かあちゃん、寝たからさ。
ふたりでこれから遊ぼうよ。
毬投げ、お手玉、おはじきに、めんこに、ビー玉、こま回し。
ふたりででこれから遊ぼうよ。
いつものようにみきおが足元に立っていた。
「みちるちゃん。」
「みきおくん。」
2人はすっかり打ち解けて、にっこり笑って遊び始めた。
「ねえ、みきおくん。今度、お外であそぼうよ。」
「外?」
「そう、おひさまの下で、鬼ごっこしようよ。」
「……」
「だめなの?」
「……」
「おら、ここへは夜しか来れないんだよ。」
「夜?」
「そう。夜。」
「夜だけ?」
「そう、夜だけ。」
「……」
その夜は、みきおに「夜しか遊べないんだ」と言われて、とても悲しくなった。みちるには友達がいなかったのだ。体が弱くて生まれた頃から誰とも遊んでいない。窓の外、みちるが外を見降ろすと、近所の子供たちが、毎日毎日鬼ごっこをしている。その輪の中に自分も入りたい。みちるはずっとずっとそれだけを望んできた。家の中から、窓を通してみんなの遊びを見るのではなくて、その輪の中に走ってゆきたい。皆と一緒に走っていたい。だが、みちるにはずっと叶わぬ夢だった。
そんなみちるのところにみきおがやってくるようになって、部屋の中ではあるけれど、遊べるようになった。うれしい。でも、みちるは外で遊びたい。そんな思いはやっぱり叶わなかった。
「あのね、みちるちゃん。」
「なに?」
「約束して欲しいんだけど。」
「約束?」
「そう、約束。」
「うん。どんな約束。」
「あのね、絶対に誰にも言ったらだめだよ。」
「?」
「ここに毎晩、おらが遊びに来ているってこと。絶対。言ったらだめ。」
あんまり怖い顔でみきおが言ってはだめ、って言うものだから、みちるはすっかりおじけづいて、本当は、ともだちができた。とみんなに言いたいのに、じっと我慢しなくてはならなくなった。だって、みきおは、
『誰かに言ったら、もうここへは来られなくなってしまうんだ。』
と、言ったから。
やっとできた友達がいなくなってしまったら……だから、みちるは言いたいのをじっと我慢した。
「みちるにもお友達ができたよ。」
心の中で何度も何度も呟いた。
「みちる、あなたも本当なら小学生なのよね。」
母はそう言いながら、そそくさと掃除を始めた。外の空気が冷たかったけど、母は、窓を全部開け放し、
「気持ちいいわね。」そういって、はたきをかけはじめた。今日もまた近所の子供たちは、みちるの部屋の前を、ものすごい勢いで走っている。
「きゃー、待ってぇ~。」
「やだよ~。」
「だめぇえ。」
みちるもその輪に入りたい。どの顔もとても楽しそうなのだ。
「おにいちゃんも、おねえちゃんもにぎやかね。嫌になってしまう位だわ。」
「みちるはいやになんてならないよ。」
「ここから出ていけないのに、声ばかり聞かされて、嫌になるわよね。」
「だから、ならないってば。」
「さてと、晩御飯の買い物に行かなくちゃ。」
母はいつもそうだ。自分の思いだけをさっさと並べて、さっさと出てゆく。私の思いなど何もきいてくれない。ずっとずっと、私はここに置いていかれるばかりだ。この部屋はいつも眩しい。朝日がこぼれて、昼間は蘭を育てる温室のように暖かで、太陽の沈むその頃には、真っ赤な夕日を見る事が出来る。私は、この部屋にいて、時を知る。ここから出て行くことなしに季節を知るのだ。
みちるちゃん。みちるちゃん。
今夜はどうしてはやいの。
ふたりでこれから遊ぼうよ。
とうちゃん、かあちゃん、寝たからさ。
ふたりでこれから遊ぼうよ。
毬投げ、お手玉、おはじきに、めんこに、ビー玉、こま回し。
ふたりででこれから遊ぼうよ。
漆黒の暗闇の中で、みきおの歌が聞こえてきた。
怖くなんてない。ワクワクする。もう何日、こうしてみきおと遊んだだろう。暗闇の中で何度、こうして寝床を抜け出しただろう。暗闇が楽しい。そう、、怖くなんてない。楽しくて仕方が無いのだ。