見初められたのは私か、あなたか
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・地名とは一切関係ありません
登場人物
・コーデリア・ヴェイル・フォアチャイルド ・ハルト・アッシュフォード
・金髪 ・黒髪
・水色 ・赤
深い深い闇の中。
堕ちたのはあなたか、私か。
囚われたのは私か、あなたか。
………
「コーデリア・ヴェイル・フォアチャイルド。其方をハルト・アッシュフォードの褒賞として降嫁する……尚本人の意向により番契約を交わすことを許可する」
ざわりと空気が揺れ、ひそやかな話し声が場を満たす。
私は頭を垂れ跪きながらその不快な音を聞いていた。
「護衛騎士に姫様を降嫁するだと?」
「いくら末席とはいえ、王族を……」
「番契約と言ったか?あれは途絶えて久しいのでは?」
「褒賞なのだからもっと強欲になればいいものを」
「王家の血を引く子どもが必要なのか?護衛騎士とはいえ所詮伯爵家……」
耳障りな音を拾っていると、壇上で大きな音がしてまた静かな空間が広がった。
「面を上げよ」
「……はっ」
漸く謁見が許されると真っ先に彼女のいる席を探す。
末席に据えられた椅子に座っている彼女は戸惑ったような顔をし、すぐに扇で顔を隠した。
それもそうだろう、彼女は何も知らなかった。
私の想いも、褒賞のことも、契約のことも。
「番契約は追って沙汰を出す……今は婚約を認めるための証書にサインをしてもらおう」
王からの言葉にまた空気が揺れる。
婚約のサインは通常教会で神に誓いをたててから神官の前で行うのものである。
それを今王城で、王の前で行おうとしているのだ。
「……野蛮ね」
誰かの呟きが聞こえ鼻で笑う。
なんとでも言えばいい。
私は彼女を手に入れる為なら何と言われようと構わない。
賞状盆を持った従者が私の目の前に立つと、そこに置かれたペンを取り証書にサインをする。
書き終わると姫の前へと進み同様にサインを促した。
彼女は暫く私の方を見つめ、その後ゆったりとした動きでペンを動かした。
双方のサインが入ったのを確認すると王が証人の欄へサインを書く。
微かにその手が震えているのは私のような者へ自分の子を嫁がせる憤りだろうか。
「……ここに二人が夫婦となったことを認めよう……コーデリア、前へ」
「……はい」
鈴が転がるような声が静かな広間に響き渡る。
優雅に階段を降り王のわきをすり抜け私の隣へと並んだ。
私への視線は一度もない。
「褒賞と降嫁に伴いハルト・アッシュフォードを一代限りの侯爵へと昇爵させる。其方の次の代からはまた伯爵へと戻るが異論はないな」
「……謹んでお受けいたします」
私が礼をとれば習うように姫も頭を下げる。
戸惑いが残るまばらな拍手を受け頭を上げると、従者の案内に従い私たちは壇上を去った。
………
従者に案内されたのは教会だった。恐らく番契約をするためだろう。
中に入り礼拝堂まで案内されるとそこで待つように従者から告げられたので、チャーチチェアに姫を座らせると私はその背後で背を向けて立った。
護衛だった時と同じ、その場所に。
番契約。
お互いを唯一の伴侶とし、一生をかけてその愛を貫く契約。
かつては盛んに行われていたのだが、愛が無く心変わりが前提の政略結婚が主流になってからは手続の面倒さもあり行われることは無くなっていった。また契約中どちらかの不貞が行われると契約した本人たちとその不貞をした相手に神の裁きが下ることも廃れていった背景にあるようだ。
そんな古めかしい契約を現代にやろうというのだ。訝しげな視線があるのも無理はない。
けれども自分が少しでも安心するためにはやらないという選択肢は無かった。
コーデリア・ヴェイル・フォアチャイルド。
この国の三番目の王女。上に兄が三人と姉が二人。
末っ子である彼女は皆に蝶よ花よと育てられた。
私が初めて彼女の護衛に着いたのは今から八年前。
当時私は十六歳で彼女は十二歳、まだ騎士になって間もなかった私は急な補充として護衛の任に着いた。護衛と言っても突然のことだったため任務としては不審物の探索といった誰がやっても問題がないものであったが、騎士になって初めて王族が係る任務だったため気合が入っていたのが記憶に残っている。
その不審物探しの最中、偶然庭園の隅で遊んでいる姫を見つけた。
柔らかな金髪が風に揺れてたなびき、まだ幼さが残るその横顔に浮かぶ笑みに一瞬時が止まったように釘付けになっていると不意に彼女がこちらを見る。
目が合ったように感じたのはきっと私だけだろう。
彼女はすぐにまた花冠を作るための花選びに夢中になっていたから。
一秒にも満たないその邂逅は私の人生を決めるのに十分なものだった。
その日を境に私は騎士の中でも護衛騎士になるための勉強を始めた。
護衛騎士になるためには実力だけではなく、筆記、実習、マナー、それにある程度の爵位が必要だった。生まれはどうしようもないが、これに関しては元々伯爵家の次男だったこともあり難なくクリアすることが出来た。
そうして全てを注ぎ込んだ末、四年前、二十歳を迎えた時にコーデリア姫の護衛騎士に任命された。
通常護衛騎士は四人任命されるのだが姫は私を入れて二人しか決めておらず、一人は彼女が生まれた時から一緒にいる乳兄弟の従兄弟であるダリウス・キャンべリッシュ。
兄妹のように育った二人の間に入り込むような形になってしまい、望んで入ったとはいえ最初はとても居心地が悪かった。二人も私の扱いをどうして良いか迷っていたようにも思われる。もしかしたらこれが原因で他の騎士が決まらなかったのだろうか。
けれどもダリウスとは任務をこなすごとに打ち解けていき、安心して背中を預けられるまでになっていった。くだらない話もくだけた口調もいつの間にか自然と話すようになっていき、仲が深まるのに時間はかからなかった。
問題は姫の方だった。私をダリウスと同じように扱っていいものか、一歩引いたほうがいいのか迷っており、私も私で憧れを拗らせていたので対応の仕方が堅くなり過ぎてしまいお互いぎこちない日々を送っていた。
そんな関係性が変わったのは護衛騎士になって半年が経った頃だろうか。
護衛騎士という職業は結婚相手という意味でそれなりに人気のある職らしく、今まで見向きもされなかったような令嬢から話しかけられるのが多くなってきていた。私は次男で結婚を急ぐ立場でもなかったので毎回それとなく逃げていたのだが、一度複数人に退路を阻まれて動けなくなったことがあった。
女性相手に乱暴に振り切ることも出来ず困っていると、静かに私の名を呼ぶ声に女性たちが一気に道を開ける。聞き間違いかと思ったが、私が彼女の声を間違えるはずが無かった。
けれども信じられない気持ちが大きく再度疑う。何故なら彼女はこれまで一度も私を名前で呼ぶことが無かったから。
「……姫様……?」
「ハルト」
聞き間違いではないのだと、もう一度紡がれた自身の名にバクバクと心臓がなる。
開かれた道の先で軽くこちらに手を伸ばした彼女に、正気に戻った私は急いで駆け寄りその手を取った。
エスコートをしろという、無言の合図だったから。
「皆様、申し訳ありません……この後予定がありますのでわたくしの騎士を返してもらいますわね」
では、ごきげんよう、と終始ゆったりとした、それでいて少し傲慢な態度のまま私たちはそこを離れた。
「……ふぅ、ここまでくれば大丈夫ね」
「……」
「……?どうしたの?」
「はっ、いえ、助けていただきありがとうございました!!」
夢現なまま歩いていると、いつの間にか王族関係者しか入れない庭園まで来ており慌ててその手を離して護衛として適切な距離まで離れる。直角に腰を曲げてお礼をいう中、ふつふつと喜びが湧き出てきた。私を助けるためとはいえ一時的にでも姫のエスコート役になれたことは一生の思い出だろう。
「ああいったことはよくあるの?」
「そう、ですね……ここ最近は顕著に……あっ、しかし、任務に支障が無いように今後も気を付けます」
「人気者なのねぇ」
「そういうわけでは、ないかと……あの方たちは私を求めているわけではありませんから……丁度良い結婚相手として見定められてるだけですよ」
「……もしかして、貴方って意外とロマンチスト?」
「えっ?……あっ、その、別に両想いじゃないととか、私自身を見て欲しいとか、そういったあれでは……なんだか墓穴掘ってますね……」
「ふふっ、なんか意外だったわ」
笑う彼女に自分の失態などどうでもよくなる。
姫と二人きりという状況に舞い上がっていると、急に冷静な部分が疑問を投げつけてきた。
「それより、姫様……どうしてお一人なんですか?ダリウスはどうしたんです?」
「……えっとね」
「もしかして……抜け出されましたね?」
「……あはは」
今は時間的に座学の授業中だ。
ダリウスは部屋の前で待機しているはずなので教師を何らかの方法で懐柔し、恐らく窓から抜け出している。
「お願いハルト!助けたってことで見逃してちょうだい!」
「……っ!なんで、名前……!」
「あっ、呼ぶ機会見失っていたのだけれど……さっき呼んだついでに……ねっ、今日だけ見逃して!」
「~っ!!!今日だけですよ……!!!」
「やった!ありがとうハルト!!ついでに共犯になってちょうだいね!」
「え?」
「コーデリアぁあああ!!!何抜け出してんだこらぁああ!!!」
ここで彼女を呼び捨てに出来るのはご家族とダリウスだけである。
つまりサボっていたことがバレたのだ。
声のする方を振り返ればテラスから身を乗り出すようにダリウスがこちらを見て怒鳴っているのが分かる。隣に居る私を見つけたのかしっかりとこちらを指差しまた声を張り上げた。
「ハルトぉ!!まさかお前もグルか!?」
「えっ!?いや、私は」
「ほら、行くわよハルト!」
「!?」
手に柔らかいものが触れると同時に引っ張られる。
手を繋がれたたのだと理解するまでに時間がかかり、遅れて喜びと恥ずかしさがやってきた。
ダリウスの声はいつの間にか遠ざかって聞こえなくなり、彼女は楽しそうに前を走っている。
怒られることは確定したが、それよりもこの時間が何物にも代えがたいものとなってしまい全てを焼き付けようと目の前の眩しい光景を見つめていた。
この出来事をきっかけに姫との距離が僅かに縮まった。少なくとも以前までのぎこちなさは消え失せただろう。流石に乳兄弟と比べるのは烏滸がましいが、ダリウスが鞭なら私が飴の役割と言ったところか。
頼られることが、甘えられることが、こんなにも甘美なものだと知ってしまった。
だからだろうか、決して越えないようにしていた持ってはいけない感情に目を背けることが出来なくなってしまったのは。
憧れをはき違え、一人の男として見られたいと。
そう思ってしまった。
そんな邪な感情を持った罰だろうか。
とある夜会で姫が誰かと会っているのを目撃してしまう。
その日の護衛はダリウスの担当で、私は珍しく伯爵家の次男として友人に招待され参加していた。
彼女もいるし万が一の時は駆けつけられるというのもあって参加したのだが、まさかこんな場面を目撃してしまうとは思わなかった。
相手の様子は見えないが体格的に男であろう。ダリウスが近づけさせたということは身分的にもかなり高い。上品に微笑みながら会話をしている彼女に相手が手を伸ばしたのを最後に私は踵を返した。
誰もいないテラスに駆け込み思いっきり手すりを叩く。
呼吸すら上手く出来ないまま何度も何度もその手を振り下ろした。
分かっている。この想いはそもそも抱いてはいけないものだということぐらい解っている。
資格すらないことも、怒る理由もないことも。
いずれ彼女は誰かに嫁ぐ。それは王女として生まれたが故の運命のようなものだ。
そこには政略的な意味合いも絡まり、決して一介の騎士などに、ましてや自国の中でなどありえない。
(解っていた、わかっていたのに……こんなにも、辛いだなんて)
現実を突きつけられたことにより、殊更に自分の想いが大きく、そして歪んでいることを自覚してしまう。
(……いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!姫様が誰かのものになるのは……!!!)
そう思うことすら不敬であり、護衛騎士として失格であることは明らかで。
けれども膨れ上がった想いが最悪の形で弾けた私には正常な思考回路など無くなっていた。
(……誰かの隣で笑う彼女を見るくらいなら、その座に私が付けばいい)
そうだ、簡単なことじゃないか。
外堀を埋めればいいのだ。絶対に断ることのできない状況に持っていき、他の人が手出し出来ないようにすればいい。
「……ははっ」
乾いた笑いとともに空を仰ぐ。
満月が煌々と地を照らし、眩しいくらいの光に思わずその手を伸ばす。
先程叩きつけた手からは血が滲みだしていたが構わずにその手を握った。
「……待っていてくださいね、愛しい姫様」
呟きは空に消え、歪んだ誓いを立てた私を月だけが見下ろしていた。
それからは己の武勲をたてるために各地を回った。
動機は不純であるが国のためという思いだけは決して揺らぐことなく心にあり、姫のことが無くとも国に命を捧げる覚悟は出来ていた。
姫の警護に付けなくなるため護衛騎士の座を一度降りようとしたのだが、他でもない彼女がその座を残すように願ってくれたため除籍されないまま城を離れることになった。
もとより短期間での成果を望めるとは思っていなかったが、たまたま緊張が続いていた隣国との国境で起きた小競り合いに巻き込まれ、それを鎮圧するという誉を得ることが出来た。
激戦区の中に身を落とした時には一度死をも覚悟したが、どうにか生きながらえることが出来現在に至る。
こちらが嘆願する前に内々に王の方から褒賞の話があったのはついていた。
姫の降嫁のみを望めば慌てたように条件を付けてきたが、幾たびかの話し合いの末私は無事に望みを叶えることが出来た。
ただしこの話には彼女の意思がどこにも反映されていない。
厳かな空間に清らかな彼女と、醜い欲望にまみれた私。
罪悪感が無いわけではない。
けれどもそれを上回るほどの独占欲に私はもう抗えない。
「……お待たせいたしました」
礼拝堂の入り口に三人の神官が立っている。
番契約には神に誓いを告げる神官と、それの証人となる神官が二人必要だ。
三人がこちらへと進み壇上へ上がると、私も彼女の手を取り立ち上がらせた。
「……ここに神に誓いを告げる者あり。二人を別つものは死のみなり、その命の明かりが消えるまで、互いのみを求めることをここに誓う」
真ん中の神官が誓いを告げると証人となる神官が私たちの前に進み出る。
「誓いの証として互いに噛み痕を付けるのですが……」
可能でしょうか、という不安を滲ませた声に僅かに自分も不安になる。
私から彼女にするには何の問題もないのだが、彼女が果たして噛んでくれるだろうか。
僅かに逡巡していると、あの、という小さな声が発せられる。
「それはどこでも構わないのかしら?」
「は、はい……ただ私たちが確認しなければならないので見られても困らない箇所の方がよろしいかと……」
「そう……貴方、どこを噛むつもりだったの?」
「………え」
先程まで一言も発しなかった彼女が受け入れるような物言いをしていることに呆気に取られて反応が鈍くなる。返事をしない私に業を煮やしたのか一歩近づいてきたので反射で一歩下がった。
「まさかどこにするか決めてないの?」
「いや、その、うなじに……」
「うなじ?分かった、はいどうぞ」
言われるがまま考えていた箇所を告げれば綺麗なターンとともに背中が向けられ、下ろしていた髪をずらし白い首が露になる。なんだか見てはいけないものを見ているような感覚に陥り口元を覆いながらまた一歩後ろに下がった。
「だ、ダメですよ姫様!!そんな簡単に曝け出しては……!!」
「貴方が嚙むって言ったからでしょう?ほら、早くしなさい」
「ちょっとまだ心の準備が……!!ご、ごめんなさいうなじは辞めます!!手!!手の甲にします!!」
「……意気地がないのは変わらないのねぇ」
「……なんで、姫様そんなに普通なんですか?!私の身勝手な我儘で貴女の一生が決まってしまったんですよ……!?」
「……私を誰だと思っているの?この国の王女として生まれた以上わたくしには選択肢などないのよ……今回だってどこの誰か分からない人との政略結婚ではなかっただけで、王命が下ればそれがわたくしの意志となるもの」
「……」
どこかで僅かに期待していた自分が恥ずかしい。
私との結婚だから受け入れてくれたのだと、そう思ってしまった自分が愚かで惨めだ。
そんなことすら思うことも烏滸がましいのに。
(……なら、いいか)
王命が彼女の意志だというのなら、私との結婚も彼女の意志であり、契約もまた彼女の意志だ。
先程手の甲を噛むと宣言したことで彼女は前を向き手を差し出している。
その手を取り、思いっきり引っ張った。
「なっ?!いっ……!!」
こちらにバランスを崩した彼女を受け止め、露になったままの首筋に歯を立てた。
油断していた彼女は突然のことに縋るように私の服を掴むが、今はそれすらも良いように思えてしまう。
噛み終えて離れると微かに血が滲んでいるのを見て、その舌で舐めとった。
「……まるで犬ね」
「……犬、ですか……悪くはありませんね、貴女の護衛騎士になった時から忠犬のように仕えていましたから」
「そうかしら」
神官の一人がその痕を確認すると今度は彼女に噛むことを促した。
こちらに近づく彼女がどこを噛むのかは分からないが身長差があるので噛みやすいように膝を折ると満足そうに微笑む。
「どこを噛まれたいの?」
「……どこでも構いませんよ」
「そう、じゃあ顔を上げなさい」
言われるがまま顔を上げれば彼女が近づく気配に目を瞑る。
喉の辺りに痛みを感じ数秒後に離れていった。
目を開け噛まれた所を指でなぞる。
これでもう彼女は私から離れられないし、他に助けも求められなくなってしまった。
契約によって縛られた関係とはいえ、お互いが唯一となるのはこんなにも心を満たすのだろうか。
「ありがとうございます」
「……本当に…………」
お礼を言うと何かを呟いた彼女の言葉は小さすぎて聞き取れず、見下ろすその瞳には怪しい影が落ちていた。そこに含まれるのが嫌悪なのか、恐れなのか、どちらにせよもうどうでもいい。
(あぁ、なんて可哀想な姫様)
神官が契約の完了を告げる祝詞を読み終わるときまで目の前の彼女から目が離せなかった。
………
「コーデリア・ヴェイル・フォアチャイルド。其方をハルト・アッシュフォードの褒賞として降嫁する……尚本人の意向により番契約を交わすことを許可する」
(あぁ、やっとここまで来た)
父の後ろ姿を眺めながら、私は内心喜びのあまり笑いそうになっていた。
案の定褒賞に降嫁を望んだハルトに心無い声や嘲笑うような囁きも聞こえてきたが、私を悪く言われた父が黙っているはずもなく壇上で杖を床に叩きつけまた静かな空間が戻る。
「面を上げよ」
「……はっ」
顔を上げてすぐに私を探し見つけた彼に飛び出して行きたい欲が生じるが、その欲ごと扇で覆い隠した。こんなにやけた顔を見られるわけにはいかない。隣に並んで座る姉は私の様子に気づいたようで軽く引いていた。少しぐらいいいじゃない、長年の夢が叶う日なのだから。
「番契約は追って沙汰を出す……今は婚約を認めるための証書にサインをしてもらおう」
(お父様ったら気が利くじゃない)
王城で王に認められるということは、反対する貴族を黙らすことが出来る最大の理由になる。これが無くとも反対しそうな貴族の弱みは握っているから問題ないのだけれども。
彼のサインが入った証書を持った従者が目の前に来る。
書かれた文字が緊張していたのか揺れる線すら愛おしい。
こちらを見つめる視線に気づき見つめ返す。どうしてそんな不安そうな顔をしているのかしら。
勿体ぶるようにゆっくりとした動作で自身の名を書くと満足そうに従者が父のもとへ帰っていった。
最後に父が証人の欄へサインを書くのだが、心なしか肩が震えている。
嫁いだからって会えなくなるわけではないのにもう感極まっているのだろうか。
「……ここに二人が夫婦となったことを認めよう……コーデリア、前へ」
「……はい」
声が振るえないようにするために返事が小さくなってしまったが、御淑やかさアピールには丁度よかったのかもしれない。いつもなら平静が保てる表情管理も今ばかりは緩んでしまうためひたすらに床を見つめることに徹底した。
彼の隣に並ぶとまた父からのサプライズがあった。
「褒賞と降嫁に伴いハルト・アッシュフォードを一代限りの侯爵へと陞爵させる。其方の次の代からはまた伯爵へと戻るが異論はないな」
「……謹んでお受けいたします」
これでもう誰も文句が言えないだろう。
陞爵に伴い使える賃金が増え、私が嫁いだところで何不自由ない暮らしが出来ることも親馬鹿な父からの大きな贈り物だ。
彼の礼に習い私も同じく頭を下げて私たちはその場を去った。
…………
広間を出た後は教会へと案内され、礼拝堂まで辿り着く。
先程言っていた番契約というものをするのだろうか。
降嫁の話は事前に知っていたが番契約というのは初耳だった。
待っている間彼から説明があるのかと思ったが、私を座らせた後は前と同じ護衛としての位置に立っている。私たちは先程婚約して夫婦となったのではなかろうか。だというのに何故姫と騎士の立場のままなのだろうか。
彼から見えないのをいいことに思いっきり口を尖らせる。
意図的に好意を伝えていないのでこういう時にもどかしい。
目の前の厳かな空間を目を閉じて遮りながら彼と初めて会った日を思い返していた。
ハルト・アッシュフォード。
アッシュフォード伯爵家次男、スペアとしての役割も彼の兄に後継者が出来たことでほぼお役御免となり騎士としての道を目指したそうだ。
彼と初めて会ったのは私が十二歳の時だった。
偶然だった。庭の片隅で花冠を作る練習をしていた時に、離れたところにいた彼と一瞬だけ目が合った。
あれはきっと一目惚れだったのだろう。
誤魔化すようにまた花を摘むふりをしたが顔の熱さは誤魔化せなかった。
(なんて……なんて可愛らしいの……!)
背格好からみても恐らく年上の男性にこんな感情を抱く日が来るとは思わず、自分自身も初めてのことに驚きを隠せない。
私の顔が赤くなったのを侍女が気づき、その後部屋に連れ戻され医者まで手配される羽目となってしまった。
後日私の全ての伝手を使い、彼がハルト・アッシュフォードという青年だと知った。
そしてその彼が護衛騎士を目指すための勉強をしていると聞いて喜びと不安が半々に湧く。
現在護衛騎士が足りないのは私の他に三男のミリアム兄様、次女のステラ姉様がいる。
流石に彼が誰の護衛騎士を目指しているかまでは分からなかったのだが、そんなことは私に関係ない。
彼が護衛騎士になった暁には私のところへ配属になるよう任命すればいいだけの話だ。
(護衛騎士になるまでの試験に不正は不可能……というか最低限その資質は必要だからこればかりは頑張ってもらうしかないわね)
そうなれば今から周りに働きかけていかなければならない。
彼は私のものなのだと周知させなければ。
(先ずはお父様とお母さまに報告しなくちゃ!その後にお兄様とお姉様たちね!)
報告書を握りしめ、私は部屋を飛び出した。
そうして四年前、漸く彼は試験に合格し私の護衛騎士に任命された。
この四年の間に私は用意周到に周りに根回しをしていった。
護衛騎士の所属先を決める騎士団長をはじめ、すでに私の護衛騎士であるダリウス、身の回りの世話をする侍女に、家庭教師、従者、エトセトラ。
最早この城の中で私の想いを知らないのは当の本人だけではなかろうかという段階まで来ていた。
私の想いを知っているとはいえ、護衛騎士としての実力に問題があってはならないためダリウスも最初の内は彼との距離を測りあぐねていたらしい。けれども殿方は拳を合わせれば仲良くなれるらしく、すぐに打ち解け合っていたが。
私?私は緊張のあまり目も合わすことすら難しく、護衛で短い間でも二人きりになった時はまともな会話すら出来ませんでしたけれども?
彼も彼で私に対しての距離感が分からないのか気まずそうにしているのは分かっていたのだが、どういう態度をとればいいのか分からずそのままにしてしまっていた。
しかしそんな私に転機が訪れた。
どうにも気分が乗らず教師を丸め込んで授業を抜け出していた時のこと。
廊下の先で令嬢たちがはしゃいでいるのが見えて暇つぶしに観察していると、一人の騎士が囲われていることに気づく。それが誰なのかは確認するまでもなかった。
私のものに手を出している。それだけの理由で頭に血が上り気づいた時には淑女らしからぬ動きで彼のもとに辿り着いていた。
「ハルト」
今まで聞いたこともない声が私の口から発せられ、その響きに少し冷静さを取り戻す。
私に気づいた令嬢たちが蜘蛛の子を散らすように離れていった。
その程度の身分と覚悟で私のものに手を出そうとしていたとは。
(……落ち着け、このことは城にいる者しか知らない事実……この子たちに非は無い)
開けた道の先で彼は呆然とこちらを見ていた。
連れ戻しに来たのにその呆気にとられた表情はどういう意味なのだろうか。
まさか困っているわけではなかったのか。この中から相手を探そうとしていたのだろうか。
私という存在がいるというのに。
彼の気持ちが分からないということがこんなにも苛立ちと不安を抱かせるものだとは。
動かずにいる彼が呟くように私を呼んだのでもう一度彼の名前を呼ぶ。
「ハルト」
先程よりも努めて柔らかく、けれども周りに牽制できるような含みも込めて。
二度名前を呼べば彼の頬が微かに染まっている気がして凝視する。
そこから感じられるのは照れくささだろうか。不思議に思っているとふと、名前を呼ぶのが初めてだったことに気づいた。
心の中では何度も呼んでいたのだが、いざ本人を目の前にすると緊張で言葉が出てこずこれまで一度も呼んだことが無かったのだ。
頭に血が上っていて気づかなかったが、今になって私も恥ずかしさが込み上げてくる。
早くこの場を離れようと彼に向かって手を差し伸べた。
ダリウスにエスコートを頼む時のやり方と同じ、無言のまま伸ばされた手に彼も気づいたのか駆け寄ってその手を取った。触れ合う手に一気に心臓が早くなる。
「皆様、申し訳ありません……この後予定がありますのでわたくしの騎士を返してもらいますわね」
どうにか淑女の顔をかぶり彼女たちに微笑んで見せる。けれどもきっとその目は笑えていなかっただろう。二度と手を出せないようにという釘を刺すための言葉に数人手が震えていることに気づいたから。
エスコートを頼んだのは良いものの、どこか上の空な彼に代わり私が先導するように歩いていく。着いたのは王族関係者しか入れない庭園だった。ここなら他の令嬢は入ってこれない。
一度深呼吸をし気持ちを落ち着かせる。いつもの調子の私に戻らなければ。
「……ふぅ、ここまでくれば大丈夫ね」
「……」
「……?どうしたの?」
「はっ、いえ、助けていただきありがとうございました!!」
反応のない彼にもう一度声をかけると慌てたように手を離し私から離れていく。
エスコートの立ち位置から護衛の立ち位置へと戻ると隣に居ないさみしさに後ろで手を組んだ。
頭を下げてお礼を言われるのは、姫と護衛という関係上正しいことなのに。
顔が見えないままの彼に頭を上げさせると先程の状況について聞いていく。
もしあれが彼の望んだ形ならもっと対策を練っていかなかければならない。
「ああいったことはよくあるの?」
「そう、ですね……ここ最近は顕著に……あっ、しかし、任務に支障が無いように今後も気を付けます」
初耳なことに少し驚く。
いくら私でも休憩中まで彼の行動を監視や制限するつもりは無かったのだが、そうなってくると話が変わってくる。戻ったら選りすぐりの影を付けなければ。
「人気者なのねぇ」
先程の状況を思い出し、皮肉も込めてそういえば困ったように眉を下げた。
「そういうわけでは、ないかと……あの方たちは私を求めているわけではありませんから……丁度良い結婚相手として見定められてるだけですよ」
予想外の返答におや、と小首をかしげる。
どうやらたくさんの令嬢に言い寄られるのはあまりよく思っていないようだ。
その上、彼は誰かに求められたいと思っている。
その誰か、というのはもう決まった相手がいるのだろうか。
それとも彼を求める者なら誰でもいいのか。
「……もしかして、貴方って意外とロマンチスト?」
「えっ?……あっ、その、別に両想いじゃないととか、私自身を見て欲しいとか、そういったあれでは……なんだか墓穴掘ってますね……」
「ふふっ、なんか意外だったわ」
彼が求めているのは恋愛結婚なのか。
想い想われ慈しむ、そういう関係性が成り立った上での結婚を望んでいる。
(私では、彼の望む幸せを与えられないかもしれない)
けれどももう、私は貴方を手放すことなど考えられない。
(……だったら、私のことを好きになってもらえばいいのよ)
そうすれば、全てが丸く収まるではないか。
私は彼が好き、彼も私を好きになればこんなに素敵なことはない。
逃げられないように外堀を埋めてきたが、少しこれからの振る舞いを変えていこう。
恥ずかしさなど、そんなものは投げ捨てて。
「それより、姫様……どうしてお一人なんですか?ダリウスはどうしたんです?」
私がこれからの計画を考えているうちに彼がもっともな疑問を投げかけてくる。
急に引き戻された現実に私はただ笑うことしかできなかった。
この日をきっかけに私は彼に甘えるようになった。
ダリウスにはいつも通りか、少し厳しめに接してもらい、彼を緩衝材として間に挟む関係へと変えていった。些細なことでも頼って、褒めて、こちらが少し弱った姿を見せれば一所懸命寄り添ってくれた。
それでも決して私は彼に好意を見せなかった。
主従関係としての信頼や好意は伝えていたし隠すこともしなかったが、恋愛という意味での好意は徹底的に隠していた。
いつか彼の方から私を求めてくるようになるまでは、と。
そうして過ごした日々の中、ある時から彼の目に敬愛以上の感情が含まれていることに気づいた。
隠すように、悟られないように、押し込めて小さくなっているその感情に気づいた時、私は歓喜に震えた。
(ついにハルトが墜ちてきた……!)
あまりの嬉しさにダリウスに報告をするも、彼はそんな気配は感じないときっぱり言い切ったので軽く喧嘩をしたことを覚えている。喧嘩の理由を知らされないまま仲介に入ったハルトが困惑しているのを見て不憫に思っていたが貴方のことだとは言えなかった。
私は私の直感を信じ、今だ隠されたままのその感情を決定付けてやろうとダリウスを巻き込み一芝居討つことにした。
「なぁ、これバレバレじゃないか?」
「だまらっしゃい、声で貴方とバレたらどうするの」
とある公爵家での夜会に私はダリウスとともに出席していた。
ハルトの休暇日に合わせてこの夜会を設定してもらい、公爵に頼んで招待状を出してもらった。出席するかどうかは駆けであったが、私が出ることをそれとなく耳に入るようにすれば出席の返事が届いたと連絡が入った。
夜会も中盤に差し掛かり、ハルトの友人の協力もあって中庭に誘導してもらう。
そこでは変装したダリウスと私が密会している風を装っていた。
体格や声でバレる為、なるべく見えにくい位置に立ってもらい普段着ないような服装を着せ動かないように指示をする。
しかし無理矢理変装させたこともあり、乗り気ではないダリウスを宥めつつ他愛のない会話を続けていると視界の端にハルトの姿を見つけ小声で計画の実行を促した。
「ダリウス!!今よ!!今!!」
「声と顔が全く合ってなくて気持ち悪ぃ……」
「……臨時褒賞差し上げるわ」
「お任せください」
動きそうにないダリウスを褒美で釣ると、当初の計画通り私の頬に触れるように手を動かす。
その手が触れる前にハルトは踵を返して立ち去ってしまった。
「……間に合ったかしら」
「もういいか?」
「えぇ、協力ありがとう」
相当嫌だったのかとんでもない速さで変装を解くと見慣れた姿に戻ったダリウスがそれにしても、と呟く。
「ハルトのやつ、本気でお前のこと好きになったみたいだな」
「えっ、貴方から見てもそう思う?!」
「あぁ……でも、ちょっと拗らせている気がするんだが……」
「拗らせていようが何だろうが、私のことが好きという事実が大事なの!それにハルトの想いならどんなものでも受け止められるわ!」
「……なんかハルトが可哀想に思えてきたなぁ……」
心外だわ、と呟くものの第三者の目から見てもそう思うことに嬉しさが募っていく。
その後ハルトに付けていた影からの報告により、私たちの両想いが確定したのだった。
しかし喜んだのも束の間、ハルトが予想外の行動に出る。
「……今、何て言ったの?」
「……私の護衛騎士としての資格を一度外していただきたいのです」
夜会の日から数日後、話があると改まった格好で伝えられた私は浮かれていてハルトの様子がおかしいことに気づいていなかった。ダリウスも含め三人で人払いをした部屋に集まると、青天の霹靂のような発言が彼の口から飛び出したのだ。あまりのショックに何も言えない私に代わってダリウスがその意図を聞く。
「護衛騎士が嫌になったのか?」
「いいえ、ただ、これから暫く城を空けるので護衛騎士としての任務がこなせず……それなのに護衛騎士を名乗るのは如何なものかと思いまして」
「城を空ける……?」
「……各地へ赴き、国の抱えている諸問題を解決するために動こうかと」
「それは……」
ダリウスが心配そうに私を窺う。国の抱えている諸問題の中には隣国との諍いもあり、それには命にかかわるようなものもあった。そんな危険を侵さなくてもいいと、私が一言父に頼めば護衛騎士との結婚などどうとでも理由を付けてすることが出来ると言いたいのに、お互いの想いは公になっておらず、そしてこの行動の根底に私がいるという事実が否定の言葉を紡ぐことを許さない。
「……護衛騎士の資格はそのままにするわ」
「コーデリア……」
「姫様、しかし」
「……ここに戻ってくるのでしょう?」
声が震えそうになるのを必死で抑えて言葉を紡ぐ。流石の私もここで是と言われなければ崩れ落ちてしまうだろう。
「……勿論です」
真っすぐに私を見つめる目は意志の強い光を宿しており、私はその光に賭けることにした。
「絶対に、帰ってきなさい」
「私の我儘を寛大な処置とともに叶えてくださりありがとうございます……必ずや姫様のもとに帰ってまいります」
深く一礼したハルトはそのまま部屋を出た。足音が聞こえなくなるのを待って私はその場に座り込む。ダリウスが傍にしゃがみ込み大丈夫かと顔を覗き込んだ。
「ったく、どんどんこじれてるじゃねぇか……さっさと伝えちまった方がいいんじゃないか?」
「……ダメよ、今伝えてもきっとハルトは信じてくれない」
「……コーデリア、このまま行かせていいのか?お前だって諸問題が何を指すかは知ってるだろう?」
座り込んで広がったドレスの裾をきつく握りしめる。護衛騎士として城に居なくなるだけではなく、この世からもハルトが居なくなる可能性が出てきたことに動悸が収まらない。けれども先程の様子では何を言っても無駄だろう。ならば、絶対に彼が生きて帰れるように手を回すだけ。
「……影を付けるわ」
「お前……影ってそもそも王族を守るためのものだって知ってる?」
「知ってるわよそんなこと!でもあのくらい腕の立つものじゃないと万が一の時にハルトを守れないじゃない!」
「……どうしても付けるのか?」
「付けるわ……王族の伴侶になる人よ、それでも反対されるなら他の理由でもなんでも付けられる」
「……まぁ、俺もせっかく出来た友人に死んで欲しくはないし……今回だけはお前に協力してやるよ」
立ち上がった彼が私に向かって手を差し出す。意外な返答に驚いていると反対側の手で頬をかいた。
「甘えるだけだったお前が誰かのために勉強し、情報を集め、王族らしくなっていってるんだ……例え動機が不純だったとしても、その努力をしたことは間違えようのない事実。そのきっかけを与えてくれた人が居なくなるなんてことはあってはならないだろう」
「……ダリウス」
「それにハルトが居なくなった後のお前を俺一人で収めることは絶対に無理、今のうちに少しでも恩を売っとかないと」
「……せっかく見直したというのに」
差し出された手を取り立ち上がる。ドレスを軽く叩き整えると、私は次にすべき行動を見据え顔を上げた。
「……お待たせいたしました」
静かな空間に響いた声に振り返れば、礼拝堂の入り口に三人の神官が立っている。
物思いにふけっていた頭を現実へと戻し彼らを見つめた。三人がこちらへと進み壇上へ上がると、ハルトが私の手を取り立ち上がらせる。
並び立ち壇上に立つ神官を見上げていると一気に神聖な空気が流れ、普段はあまり信心深くない私でも何かを感じるものがあった。
「……ここに神に誓いを告げる者あり。二人を別つものは死のみなり、その命の明かりが消えるまで、互いのみを求めることをここに誓う」
真ん中の神官が言祝ぎを告げると両脇の神官が私たちの前に進み出た。
二人とも何故か不安そうに私たちの方を見ている。
「誓いの証として互いに噛み痕を付けるのですが……」
可能でしょうか、という言葉にその不安の原因が分かり内心頷いた。
表向きは一方的にハルトが私を望んだ形になっている。付けるにしろ付けられるにしろ、私が素直にやるわけがないとでも思っているようだ。神官たちの不安はさておき、隣の彼からも不安げな様子が伺えるので少し私の方から動いてみることにしよう。小さな声で声をかければいち早くハルトが反応する。それを可愛らしいと思いつつ真っすぐに神官を見つめた。
「それはどこでも構わないのかしら?」
「は、はい……ただ私たちが確認しなければならないので見られても困らない箇所の方がよろしいかと……」
「そう……貴方、どこを噛むつもりだったの?」
「………え」
番契約に関しては何の情報も持っていなかったが、互いを縛り付けるのに嚙むだなんて、これを考えた人は余程独占欲が強かったのだろうか。気持ちは分からないでもないなと考えつつハルトに質問すれば呆気にとられたかのように固まっており不思議に思う。まさかここにきて怖気着いたとでもいうのだろうか。
(そんなことは許さない)
一歩進むと彼が一歩下がる。
そのことにまた無意味な苛立ちが募りつい語尾が強くなってしまった。
「まさかどこにするか決めてないの?」
「いや、その、うなじに……」
「うなじ?分かった、はいどうぞ」
ちゃんと考えていたことに安堵して彼に背を向け髪をずらす。今からここに彼のものだという証が刻まれると思うと歓喜で身が震えそうになったがどうにか自分を律した。しかしいくら待っても何もしてこない彼を疑問に思っていると後ろで慌てているハルトの声が聞こえてくる。
「だ、ダメですよ姫様!!そんな簡単に曝け出しては……!!」
「貴方が嚙むって言ったからでしょう?ほら、早くしなさい」
「ちょっとまだ心の準備が……!!ご、ごめんなさいうなじは辞めます!!手!!手の甲にします!!」
「……意気地がないのは変わらないのねぇ」
「……なんで、姫様そんなに普通なんですか?!私の身勝手な我儘で貴女の一生が決まってしまったんですよ……!?」
「……私を誰だと思っているの?この国の王女として生まれた以上わたくしには選択肢などないのよ……今回だってどこの誰か分からない人との政略結婚ではなかっただけで、王命が下ればそれがわたくしの意志となるもの」
「……」
(ここにきて何を言っているのは私は!!!)
王女なのも王命なのも今は関係ないのに、これでは私に何の気持ちも無いと言っているようなものではないか。恥ずかしさと長年想い続けた弊害がまさかこんな形で出てくるとは思いもよらず、自分で自分の首を絞めたくなってくる。私はこれでも、夫婦になった暁には自分の想いを伝えるつもりでいたのだ。それなのに今の一言で全てが台無しになってしまったではないか。
ショックを受けているというのに身体は何事も無かったように動き出す。向かい合って今度は手を彼に差し出した。目を瞑って反省していると掌に来るはずの感触が腕への痛みに変わりすぐさま目を見開く。
「なっ?!いっ……!!」
引っ張られ彼のがっしりとした身体に抱き留められる。それを恥じる間もなく首筋に鋭い痛みが走った。あまりの痛さに思わず彼の服を握りしめるがそれを気にも留めず噛み続ける彼に生理的な涙が溢れ流れていった。口が一度離れた後、生暖かいものが肌を這う感覚に舐められているのだと理解する。この光景を客観的に見れないのが本当に残念だ。
「……まるで犬ね」
「……犬、ですか……悪くはありませんね、貴女の護衛騎士になった時から忠犬のように仕えていましたから」
「そうかしら」
彼の瞳が暗く怪しく光っている。先程の私の発言で何かが吹っ切れたようだ。
明るく素直なハルトも好きだったが、こういった影がある彼の姿もまた愛すべきものだ。
神官の一人がその痕を確認すると今度は私に噛むことを促す。
噛むために近づけば躾けられた犬のように彼は膝を折り、私が噛みやすいように首元の装飾を緩めた。その姿に思わず頭を撫でたい気分になるが微笑むだけで我慢した。
「どこを噛まれたいの?」
「……どこでも構いませんよ」
噛む場所はまだ決まっていなかった。彼がどこか希望があるならそこにしようと思ったが、どこでもいいと言われると少々困ってしまう。視線を動かして場所を探していると先程彼が緩めた首元が目に入った。
「そう、じゃあ顔を上げなさい」
言われるがまま顔を上げる彼に近づき肩に手を置く。
私が噛んだのは喉元、所謂急所と言われる場所だ。そんな場所をこんなに簡単に私に見せてしまう彼が益々愛おしい。
私が離れた気配に目を開けた彼はその場所を丁寧になぞる。
恍惚とした表情でお礼を言う彼は本当に幸せそうだった。
今私は一体どんな顔をしているのだろうか。
とてもじゃないが人に見せられる顔をしていないだろう。
私のような人に見初められたがために、こんなことまでするようになってしまうなんて。
(あぁ、なんて可哀想なハルト)
神官が契約の完了を告げる祝詞を読み上げる。
それが終わるときまで目の前の彼から目が離せなかった。
END
お読みいただきありがとうございました。




