どうぞ『真実の愛』を貫き通しくださいませ。
王太子ランバルドから、突然の呼び出しを受けたリゼリットは、王宮内に敷かれた赤い絨毯を急ぎ足で歩く。
「急な呼び出しにも関わらず、よく来てくれた」
リゼリットは見慣れた部屋へと入ると、室内には婚約者であるランバルドと、その傍らに寄り添うように立つ子爵家令嬢マリアンヌ――二人きりであった。
「いえ、殿下のお召しであればなんなりと。それで、いかがなされましたか?」
礼を執ったリゼリットが顔を上げる。問いかけはしたものの、二人の親密そうな様子から、不穏な気配を感じ取る。
ランバルドは言いづらそうにしながら、マリアンヌに視線を移し、決意を固めたかのように、リゼリットへと向き直った。
「君との婚約を解消させてもらいたい」
思いもよらぬ申し出に、リゼリットは顔の強張りを隠せなかった。
「私に何か不都合がありましたでしょうか?」
リゼリットは努めて平静に、ランバルドに尋ねた。
「君はよくやってくれている。だが、私は真実の愛を見つけたのだ」
言いながら、マリアンヌの腰に手を添えると、彼女は頬を染めて恥じらった。
「恐れながら申し上げます。私は幼少より、公私にわたって殿下をお支えするため学んでまいりました。それを無にされるおつもりでしょうか?」
王太子妃は王子の成長に伴い、国内の高位貴族より選定される。国政や外交の場で地位に耐えうる教養と知性を身に付けるのだ。
「いや、そのつもりはない」
「では、どうされるおつもりでしょうか?」
「マリアンヌは王妃としての教育を受けてはいない。君には教導役として導いてもらいたいのだ」
「それでリゼリット様の努力も無駄になりませんわね!」
名案と言わんばかりにマリアンヌが声を弾ませた。
(確かに、春先に見初められたというマリアンヌ嬢には荷が重過ぎるでしょう。けれど……)
「恐れながら、その役目、お断りいたします」
「なぜだ!」
提案を断られたランバルドが声を荒げる。
「私は懸命に励んでまいりました。ご期待にそぐわぬところもあったかもしれませぬが、それらは全て王妃としての重責を果たすためのもの。マリアンヌ嬢に仕えるためでも、殿下の私情にお応えするためでもありません」
「マリアンヌへの愛が私情と言うのか!?」
その言葉には応じず、リゼリットはマリアンヌへと視線を移す。
「マリアンヌ、貴女は子爵家の令嬢ですわね?」
「ええ、そうですわ。ですが、愛に身分は関係ありませんわ」
マリアンヌが誇らしげに胸を張る。事態の重さを理解していないと解したリゼリットが淡々と問いかける。
「では、お尋ねいたします。隣国エルトリアとの国交記念日はいつでしょうか?」
「え……?」
「国賓をお迎えする際、外交晩餐会での席次はどのように決められますか?」
浮かれていたマリアンヌの表情が一転して、不安げなものになる。
「で、でも、それぐらい誰かに教えてもらえば……」
「ええ、学べばよろしいかと存じます」
リゼリットが生真面目に頷いた。
「ただし、私がそれらを学ぶのに費やした時間は十年余り。毎日欠かさず、励んでまいりました。貴女はそれらをいつまでに修められるおつもりで?」
「……っ!」
「殿下」
リゼリットはランバルドへ向き直る。
「真実の愛を見つけられたとのこと、心よりお祝い申し上げます。ですが、その愛を貫かれるのでしたら、覚悟もお持ちになるべきかと」
「覚悟……だと?」
「私との婚約を破棄し、子爵家から正妃をお迎えになれば、今まで殿下を支持していた高位貴族家は、こぞって撤回いたしましょう」
もちろん、我が家も、と告げられ、ランバルドの顔色が変わる。
「だが、私はマリアンヌを正妃として迎えたいのだ!」
「殿下、愛しているからと、何もかもが許されるわけではありません」
「私は王太子だ。いずれは王になるものができぬはずがない」
「ゆえに、お立場には責任が伴うのです」
ランバルドが口ごもるのを見て、リゼリットはマリアンヌへと視線を移す。
「マリアンヌ様、あなたは殿下を心から愛していらっしゃいますか?」
「当然ですわ!」
自信を滲ませるマリアンヌに、リゼリットは即座に問いかける。
「では、殿下が王太子の地位を追われても、同じように愛し続けられますか?」
「そんなことあるわけっ」
「可能性は十分にあります。慣習を歪め、高位貴族の支持を失えば、陛下のご信頼を損ねることになりましょうから」
マリアンヌの顔から血の気が引いていくが、リゼリットは容赦なく続けた。
「それでも貴女は殿下を愛せますか? 出来ないなら、貴女が求めているのは王太子という地位かもしれませんわね」
「なんて酷い……!」
「酷いのはどちらでしょう?」
マリアンヌの糾弾に、リゼリットの氷のように冷たい声で応じた。
「王妃となるべく励んできた努力を『教導役として役立てろ』と仰る方が、よほど酷い仕打ちだと思いますけれど?」
二人が言いようもなく沈黙する。
やがて、ランバルドが場を取り持つように言った。
「では、君を正妃として迎えるが白い結婚とする。それならば今まで通りだろう?」
「ランバルド様!?」
「それもお断りいたします」
マリアンヌの悲鳴のような声など意にも介さず、リゼリットは淡々と告げる。
「いいのか? 婚約破棄された君を新たに迎えようとする家など……」
「ご心配には及びません。ほどなく他家から打診が参りましょう。いえ、王妃となるべく育てられた私を、どの家でも喜んで迎えるものかと」
「ですが、殿下。今はご自分のお立場を気にされたほうがよろしいかと。殿下の『真実の愛』が、どれほど多くのものを失わせるか。それを思い知られるのは、これからでございます」
「リゼリット……!!」
「最後に私からご忠告を。マリアンヌ嬢を正妃となされるのでしたら、せめて高位貴族家の養女とした上で、お迎えなされませ。でなければ、貴族達の反発は想像を絶するものとなりましょう」
「……考えておく」
「では、失礼いたします」
リゼリットが扉に向かおうとした時、マリアンヌが叫んだ。
「待ってください! 貴女だってだって殿下を愛していたんでしょう!? それなのに、こんな冷たい真似を……!」
「愛していましたよ。十年間、ずっと。だからこそ殿下には幸せになってほしいと願っています」
「だったら……!」
「ですが」
それまで毅然としていたリゼリットはうつむいた。
「その想いは一方的に踏みにじられました。それなのに、まだ捧げ続けろとおっしゃるのですか?
それこそ、残酷というものでしょう」
再びマリアンヌは言葉を失った。リゼリットは涙を拭い、最後にランバルドへ向き直る。
「殿下、どうかお幸せに。そして、その選択の重さに、いつか気づかれますように」
そう言い残し、リゼリットは部屋を後にした。廊下に出ると、待機していた侍女が駆け寄ってくる。
「リゼリット様……」
「大丈夫よ。あとは成り行きを見守るわ」
リゼリットは気丈に、けれど優しく微笑んだ。
数日たって、リゼリットの予見通り、王宮は揺れた。
ランバルドが婚約を破棄し、マリアンヌを正妃として迎えることを公表したためだ。また、マリアンヌが嫌がったために、リゼリットの忠告を実行しなかったことも拍車を掛けた。
高位貴族らは、成り上がりを許したランバルドとマリアンヌへと不満の矛先を向け、明言を避けながらも、ランバルドは王太子として不適格であるとささやいていた。
だが、何よりも痛手だったのは父王からの叱責である。
呼び出されたランバルドは、ひたすらマリアンヌとの真剣な愛を訴えるが、返ってくるのは諦観と溜め息ばかりであった。
「お前には失望したぞ」
「しかし、父上!」
「そなたが三男、四男であるなら愛を選ぼうが構わぬ。それを太子の地位にある者が感情に任せて突き進むとは。その軽挙妄動、王の資質に欠けると言わざるをえまい」
「父上、まさか私を廃嫡なされるおつもりで……?」
搾り出すようなランバルドの言葉に、父王は緩やかに首を振る。
「まだ、そうだとは言うまい。お前には機会を与える」
「機会ですか……?」
「猶予を与えるゆえ、あの娘を正妃に相応しいと諸侯らを納得させよ」
過程はどうあれ、事態を収拾させろという父王の命に、ランバルドは再び食い下がる。
「お待ちください! マリアンヌにはリゼリットのような時間を与えられてはおりませぬ!」
ランバルドの異議に、父王が冷ややかに投げかける。
「そのリゼリット嬢を切り捨てたのはお前ではないか?」
今度こそ口を閉ざしたランバルドに、父王が告げる。
「下がるがよい。もし、できなければ、私の後はそなたの弟らに継がせるとしよう」
父王が退室するのを見届けて、ランバルドは足早に王宮内の客間へと向かった。
現在、マリアンヌは子爵邸ではなく、空いていた客間をあてがわれ、そこで王妃教育を受けていたからだ。
「ランバルド様!」
マリアンヌはランバルドと顔を合わせるなり、花を咲き誇らせたような笑顔で胸に飛び込んだ。
ランバルドはその反応を可愛らしく思うが、講義の途中であったらしく、教師役である老齢の文官がわかりやすく咳払いする。
「教育の進捗具合は?」
ランバルドは、文官に遠慮しながら尋ねる。
「まだまだお時間はかかるものかと」
「そうか……」
ランバルドは眉間に皺を寄せた。父王に与えられた猶予は長くない。思案しながら、再び尋ねる。
「では、公の場に出せる程度に引き上げられないか? 残りは王妃になってからでも学べるはずだ」
「お言葉ですが……取り繕うような真似はかえってお為にならぬかと」
言いよどみながら文官が答えていると、マリアンヌがランバルドの袖を引いた。
「ランバルド様……もう、お勉強は十分ではありませんこと?」
「マリアンヌ?」
「毎日、朝から晩まで難しいことばかりで、もっとランバルド様とお茶を飲んだり、お庭を歩いたりしたいです」
マリアンヌは潤んだ瞳でランバルドを見上げる。この顔にランバルドは弱かった。しかし、この時ばかりは廃嫡の危機感が勝った。
「俺だって、君とそうしていたい。だが、先ほど父上から、君に皆を納得させるような教養を身につけさせろと。そうでなければ……」
さすがに廃嫡されるとは言えず、言葉を濁す。
「そうでなければ……何ですの?」
マリアンヌが不安げに聞き返すが、ランバルドは答えなかった。
「いや、なんでもない。とにかくもう少し辛抱してほしい。リゼリットほどとは言わないから」
「私、頑張っていますわ。リゼリット様のようにはいかないけれど……でも、愛があればいいじゃないですか?」
不機嫌さを滲ませたマリアンヌに、ランバルドは講義への悪影響を恐れて、これ以上の努力を要求できなかった。
そんな二人を文官は黙って見つめている。けれど、その視線には諦めと憐れみが含まれていた。
数ヵ月後――
王の差配により、マリアンヌ嬢を主催にすえた社交会が開かれた。
それは定例的なものであったが、誰の目にも王太子妃を披露する場であることは明らかだ。その証拠に王や国内有数の貴族関係者が招かれ、マリアンヌが未来の王妃として相応しいか見定める。
さすがに緊張した面持ちのマリアンヌに、ランバルドが声をかけた。
「大丈夫だ。君ならやりおおせるはずだ」
「でも、失敗したら私たちどうなるのでしょう? 別れさせられでもしたら……」
「大丈夫だ。そんなことにはならない」
マリアンヌを安心させようと強く言ってみせた。 だが、その声にはどこか自分に言い聞かせるような響きが感じられた。
「ランバルド様……」
マリアンヌは彼の腕にすがりつく。普段であれば愛らしいその仕草も、今はどこか重石のよう。
二人は意を決して、広間へと向かった。
楽団が優雅に奏でる中、二人の入場に空気がざわつき、すぐにかき消される。
リゼリットもそうであったが、煌びやかな装いに身を包むマリアンヌもまた美しかった。
会場にいた何人かの貴族がその美貌に目を奪われる一方で、刺々しい視線を向ける者もいた。
次第に、貴族らが二人の下へ向かいだす。
「お初にお目にかかります。ランバルド殿下、マリアンヌ様」
合間を縫うように、次々と挨拶に訪れるが、ランバルドの助けもあって、挨拶をやり過ごす。
しかし、中には細かな質問を問いかける者もいる。あえてなのか、世間話の一興なのか。
「そろそろエルトリアとの国交記念日となりますが、次の式典はどちらになりましょうや? 我が国ですかな? それともエルトリア側で?」
詳細には答えられないマリアンヌが、ランバルドに助けを求める。
「その件はまだ決定していない。だが、こちら側になる予定だ」
「これは失礼致しました。どうやら私が答えを急いでしまったようです」
年配の貴族が頭を下げて謝罪し、二人から離れていく。
続けて、若い貴族が率直な物言いで話しかける。
「かねてより王国北部では、他領と境界をめぐって小競り合いが絶えませぬ。どうかお二人のご助力を賜りたく」
「ええ、それはもちろん……」
「して、どのように?」
ここでも言葉を詰まらせてしまい、若い貴族は失望を隠そうともせずに頭を下げる。
そうして、何度も政治的な話題に窮したマリアンヌはランバルドに退席を求める。
「もう……疲れてしまいましたわ。少し休んでもよろしいでしょうか……?」
「まだ始まったばかりだ。こらえてくれ」
ランバルドはたしなめようとしたが、先にマリアンヌの感情が決壊する。
「でも、もう無理ですの!」
吐き出すような声が周囲に届いてしまった。音を上げたマリアンヌに、周囲は冷たい眼差しを送る。
誰かが「リゼリット様ならば……」と洩らすと、それに耐え切れなかったのか、とうとうマリアンヌは
駆けるように退席してしまう。
あわてて追いかけようとするランバルドを駆け寄ってきた衛兵が呼び止める。
「ランバルド殿下、陛下がお呼びです」
父王の前に引きずりだされたランバルドを待っていたのは、冷徹な宣告であった。
「お前たちには十分な時間を与えた。だが、それも無駄になったようだ。覚悟はできておろうの?」
社交界での弁解の余地すらない失態。しかし、ランバルドは必死に食い下がる。
「恐れながら、リゼリットに与えられた時間とは違い、マリアンヌへの数ヶ月という猶予は余りにも……」
「それでは国が成り立たん! あまつさえ自身で切り捨てた者の名を、今さら口にするとは何事か!!」
父王の激しい叱責にランバルドの弁解もかき消されてしまう。
「では、リ、リゼリットを正妃として呼び戻します」
「愚かな。あれほどの仕打ちをしておいて、お前の元に戻るはずもあるまい」
「父上は申されました! 貴族たちを納得させよと! マリアンヌを側室として、リゼリットは無理だとしても、他の高家から正妃を迎えれば!!」
ランバルドも必死である。廃嫡を免れようとなりふり構わず申し立てた。
「それが……お前のいう真実の愛とやらか」
父王は疲れた表情で深く溜息をついた。
「私に数日の時間をお与えください! 必ずや父上の納得される結果を!」
「…………好きにするがよい」
退出していくランバルドの姿が見えなくなると、父王は近臣を呼び寄せる。
「あやつに王が務まろうはずもない。エトワールを――第二王子を呼んで参れ」
謁見の間から退ったランバルドは執務室に側近たちを呼び集めた。
「貴族たちを納得させられる家柄の娘を選定せよ!」
彼らは顔を見合わせ、ランバルドの意に短く答えた。
しかしながら、そこには以前のような忠誠心はない。それどころか、自身に飛び火しないよう婚約の話を持っていくことはなかった。
当然のように難航する求婚に、ランバルドは業を煮やして、側近らに問いかける。
「お前たちの妹や姉でもよい。私と年が釣り合う者がいないか?」
「殿下に添えるような気性では……」
「すでに相手が決まっております」
「反って殿下のご不興を買うかと」
側近らも、高位貴族に繋がる家柄だが、それぞれが体よく断る。結局、ランバルドは新たな求婚先すら見つけることはできなかった。
後日、ランバルドから叱責を受けた側近が愚痴のようにつぶやく。
「俺の将来にも関わるのだから、これ以上の抵抗は止めてほしいものだ。第一、マリアンヌ嬢が知ったらどうなるか」
社交会での失態から、いくらか落ち着きを取り戻したマリアンヌはランバルドに会いに行く途中、
名前が聞こえてきたことで、ドア越しに耳をそば立てる。
「マリアンヌ嬢を側室に据える話なら、殿下が直々に話をつけると言っていたぞ」
「あの気性からして、納得されるはずもあるまいが」
自分が側室になるのだと聞いて、思わずマリアンヌは後ずさる。その場で問いただす勇気はなく、彼女はそそくさと離れた。
(私が側室……? 正妃だと思っていたのに……)
胸のわだかまりを解こうとランバルドの居室へと急いだ。
部屋にはやつれた様子のランバルドがいる。椅子に座り、あらぬ方向を見つめていた。
「ランバルド様」
「マリアンヌか。丁度いいところにきてくれた」
「私を側室にされるというのは本当ですか?」
軽い驚きを見せたランバルドは、組んだ両手に頭を乗せて言い募る。
「父上は皆を納得させなければ廃嫡すると申された。あの社交会がその為の場だったんだ」
言外に「君がしっかりしていれば」と滲ませながら、マリアンヌとは目を合わせようともしない。
「私のこれまでの努力はどうなるのですか!? それに、あんなに愛し合ってきたのに……!」
「数ヶ月のことだろう。私が王になれなくなってもいいのか……?」
マリアンヌが言葉を詰まらせる。けれど、感情が受け入れようとはしない。
「ランバルド様は仰いました。真実の愛に目覚めたと! それを側室だなんて、そんなことなら愛して欲しくなかった!」
「こうなったのは誰のせいだ!? 君なら務めを果たせると信じたのに、何だあの醜態は! もういい、今すぐ出て行け!」
売り言葉に買い言葉。激しく怒鳴りつけ、ランバルドは部屋からマリアンヌを追い出してしまう。
「どうして誰も認めてくれないの……? 私だって一生懸命頑張ってるのに……」
マリアンヌは潤んだ瞳で、疑問を投げかける。だが、それを聞く者や答える者は、もうどこにもいない。
一人になったランバルドは後悔に苛まれていた。
(いまさら復縁してくれなどと。それにマリアンヌはどうする?)
ランバルドにも情はある。マリアンヌを愛する気持ちに変わりはない。けれど、当然手に入るはずの王位を失うことは許容できなかった。
「リゼリットに頭を下げるしかないか……」
重い腰を上げて、ランバルドは側近を呼んだ。
「公爵家への訪問を取り付けよ。リゼリット嬢にぜひともの話があると」
「かしこまりました……」
「どうした?」
言いづらそうにしている側近に問いかける。
「リゼリット嬢がエトワール殿下の婚約者候補として名が挙がっているとか」
聞いた瞬間、ランバルドは血が逆流するような怒りと共に、拳を机に叩きつけていた。
「もはや一刻の猶予もない。すぐに公爵家へ向かうぞ!」
先触れを出し、ランバルドを乗せた馬車が公爵家の門前に到着する。
急な訪問ということもあり、門衛らは戸惑いの色を隠せないでいる。だが、王族相手に無碍もできず、急ぎ屋敷へと走った。
「これは……ランバルド殿下。急なご訪問いかがなされましたか」
現れた老執事は場慣れしているのか、丁寧に一礼する。
「リゼリット嬢に会いたい。至急、取り次いでもらえないか」
「恐れながら、お嬢様は体調が優れぬご様子。また、日を改めまして」
「王太子としての命である。今すぐに通せ」
廃嫡はまだ公布されておらず、切迫した様子のランバルドに老執事は抗う術を持たなかった。
「……少々お待ちください。お嬢様にお伺いを立てて参ります」
老執事が邸内に消えると、間もなくランバルドは応接室へと通された。そこには以前とは変わらぬ家具や調度品が置かれている。
変わったのは、ランバルドの立場だけだった。
かつては婚約者として、彼女とお茶を飲みながら、他愛のない話をした。しかし、今は赤の他人なのだ。
ランバルドは椅子に腰を下ろしながら、リゼリットが入ってくるであろう扉を見つめた。
(なんと言って、復縁を請うべきだろうか?)
彼自身、一度は断られている自覚がある。そのまま受け入れてもらえる根拠はなかった。
(だが、やるしかない。頭を下げて、リゼリットが望むのであればマリアンヌとの関係も清算する……)
待つ間のわずかな時間が、ランバルドには永遠のように感じられた。
やがて、開いた扉からリゼリットとお付きの者たちが入ってくる。久しぶりに見る顔は、変わらぬ気品に溢れていた。
「いかがなされましたか? 緊急のご用件とのことですが」
二人の距離は以前よりずっと遠く、従者までもがいる。ランバルドはそのことに不満を覚えたが、さすがに口には出さない。
「単刀直入に言う。私の正妃として戻ってきて欲しい」
「そのことなら、以前に返事をいたしました」
「あの時とは状況が変わったのだ」
ランバルドは焦ったように身を乗り出す。
「私は廃嫡されようとしている。君が正妃となってくれれば異論を唱えるものなど……」
「では、マリアンヌ嬢をどうなさるおつもりで?」
ランバルドは一瞬、躊躇したが、背に腹は代えられなかった。
「君が望むなら……関係を清算する」
その言葉に、リゼリットは笑みも怒りも見せない。
「では、『真実の愛』とやらは、私の意向次第で消えるものでしたのね」
その言葉が、ランバルドの胸を刺す。
「そういうわけでは……」
その言葉に取り合わず、リゼリットは見透かすように見つめる。
「正直にお答えください。マリアンヌ嬢へ心を移された理由はなんですか?」
ランバルドは口ごもりながら答える。
「……マリアンヌといると心が安らいだ。彼女の自由さと奔放さに触れると、王太子ではなく、ただのランバルドに戻れる。それが掛け替えのないもののように思えたのだ」
「心安らぐ、ですか」
リゼリットが静かに繰り返す。
「そのような理由で十年を共に過ごした私を切り捨て、今度はその、心安らぐ方との関係も、私が望めば清算なさるとおっしゃる」
リゼリットが立ち上がり、窓の向こうを見やった。
「殿下は愛ではなく、王位に就くための道具をお求めなのですね」
ランバルドが拳を握りしめる。何も答えられず、何も言い返せない。自分でも分かっているからだ。
今、リゼリットに求めているのは――愛ではないと。
「お帰りください。これ以上、私から申し上げることは何もありません」
「待ってくれ! 私は……私は本当に君を……」
立ち上がろうとするランバルドを、リゼリットは手を上げて制した。
「どうぞ『真実の愛』を貫き通しくださいませ」
リゼリットは従者たちを伴って、静かに部屋を出ていき、ドアが閉められる。
その瞬間、ランバルドは糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
(王位、リゼリット、マリアンヌ、何もかも、失った……)
失ったものの大きさに耐えかねて、ランバルドの嗚咽が、誰もいない応接室に響いた。
しばらくして、公爵家に王宮からの貴人が訪れる。
「第二王子が、リゼリット様にお会いしたいとのことです」
(エトワール殿下が?)
「こちらへお通しして」
リゼリットは半ば警戒しながら、自分より三歳年下の青年を迎える。
誠実そうな瞳にランバルドより柔らかな物腰。だが、その中に確かな芯の強さを感じさせた。
「お久しぶりです。リゼリット嬢。この度は兄が多大なご迷惑をお掛けして、誠に申し訳ありませんでした」
「いえ、エトワール殿下に謝られる筋合いはございません。それで本日はどういったご用件で?」
柔和な笑みを浮かべていたエトワールが顔を引き締める。
「父上より、貴女を王妃候補として迎えるよう、お言葉を頂きました」
リゼリットが白けたような思いを抱く。
「ですが、父上の命だから、ここに来たわけではありません」
「と、申しますと?」
「兄がしたことは、聞き及んでおります」
エトワールは痛ましそうに目を伏せる。
「貴女がどれほど想いを傷つけられ、踏みにじられたのか。また、どれほどの無念で受け入れたのか」
リゼリットは、息を呑む。王子の推測は正鵠を得ていた。
「ゆえに、今日ここに参りましたのは謝罪のためです」
エトワールは、深く頭を下げた。
「弟として、貴女が受けた仕打ちに、心よりお詫び申し上げます」
リゼリットは戸惑いながらも言った。
「顔をお上げください、殿下。そのお気持ちだけで十分です」
「ありがとうございます」
エトワールはそれ以上何も言わず、深く一礼して立ち去った。
その後、エトワールは近況を尋ねたり、贈り物を持ってきたりと、公爵家を訪れるようになった
それに絆されたのか、リゼリットも彼と会話を重ねるようになっていく。
強引でもなければ、打算でもない。心の底から、リゼリットを気遣う姿に、彼女も好感を覚えていたからだ。
それから、少しの時が流れる。
王国では、二つの結婚式の話題で持ちきりだった。
一つは自ら王位を捨て、真実の愛を選んだランバルドとマリアンヌの挙式。もう一つは、才覚に溢れたエトワールとリゼリットとの挙式である。
奇しくも、両者は同じ日に式が執り行われることになった。
ランバルドの式に、招待客の姿はまばらである。高位貴族たちは、こぞってエトワールの式に参加していたからだ。簡素な教会に、数人の側近、貧乏くじを引かされた神父が進行を務める。
マリアンヌは美しい花嫁衣装に身を包んでいたが、その表情には、かつての輝きはない。
ランバルドは、マリアンヌの手を取った。以前は温かく感じられたその手は、冷たく冷え込んでいる。
(これが、俺の選んだ『真実の愛』か……)
ランバルドは教会の天窓を見上げる。その方向には、王都の大聖堂があった。
(あそこでは、エトワールとリゼリットが……)
一方、王宮の大聖堂は祝福に満ちていた。
王や王妃、国内有数の貴族たち、そして多くの市民が、新しい王太子夫妻の門出を祝っている。
神父の厳かな言葉を受け、純白のドレスを着たリゼリットがエトワールへと向き直った。
誓いの口づけが果たされ、歓声が聞こえる中で、リゼリットは誰にも聞こえないようにそっと告げる。
「待っていてくれてありがとう」
エトワールは優しく微笑み、観衆の寿ぎを受けた二人は手を取り合って歩き出す。
リゼリットは愛した相手と結ばれる喜びをかみ締めながら、大聖堂の重々しい扉が開かれると、陽光が二人を爽やかに染め上げる。それはまるで二人の前途を祝福しているようだった。
面白かったなら評価して頂けると、とても嬉しく思います。




