エピローグ
「そちらのお店から仕入れたスライム、服を溶かしてくれないんだけど、どういうこと!?」
固定電話の受話器から鼓膜を突き破らんばかりの中年男性の怒声が聞こえる。
おかしいな……アスラのお手製だから間違いないはずなんだが……。
「ちょっと!? 天城さん!? 聞いてますか!?」
「そんなに怒鳴らなくても聞こえてますから、落ち着いてくださいよ。貴志さん」
「何度も何度も言いますがスライムプレイは、うちの目玉なんですから! あああああ、猫も杓子もスマホを所持してる今の時代、一人のお客様の低評価を皮切りに少しずつ客足が遠のいて、終いには私も――」
電話越しの貴志さんの声は、野獣の雄叫びから空腹の子猫のように儚く消え入りそうになった。
毎度毎度、心配性だなぁと思う。
河原町に看板を掲げてるんだから、たった一人の低評価で潰れるわけないのに。
でも、お得意様の信用を失いたくないので、早急に新しいスライムを手配しよう。
「わかりました。それでは、迅速に新しいスライムをご用意いたします。つきましては、今回のスライムはどのような不具合を起こしたのか教えていただけないでしょうか?」
「服のかわりにプラスチックとゴムを溶かしちゃうんだよ。おかげで備品一式を買い直しだよ」
「数は把握しておりますか?」
「今のところ一匹だけど、この先どうなることやら……」
どうやら今回は、記念硬貨やプレミアがついてる五百円硬貨が混入してたようだ。
横着でレジの金を使ったのが要因か。
「わかりました。新しいスライムを十匹に損傷した備品もこちらで弁償します」
「早めに頼むよ! 備品代の請求書は後日送るから」
「かしこまりました。では、ご用意できましたら、こちらからご連絡いたしますので今しばらくお待ちください」
俺は言い終えると同時に、受話器を電話機に戻した。
心なしか、右耳の聞こえが悪くなった気がする。
電話を切ったはずなのに、まだ貴志さんの声が右耳で反響してるみたいだ。
右耳にわずかな違和感を抱えつつも、店内をざっと見渡した。
「店主よ。見ての通り今日も閑古鳥が鳴いておるぞ」
置物のようにカウンターの上に居座ってるヤミーが言う。
「見落としてるかも、と思ってな」
「来客がいたら、とうの昔に我が対応しておる。もし手隙ならカフェに行くがいい」
「お前が行け。今日はのんびりしたいの」
「断る。カフェは富裕層がこないからな」
今、ヤミーはバイトとして、うちの店で働いてる。
食費を稼ぎながら、富裕層のお客様がお見えになった時に自分を売り込むため、とのこと。
先日の一件以来、真っ当な富裕層に雇用されたい、と切望するようになった。
ちなみに給金は俺が出してるので出費は檻の中に居た頃とあまり変わらないが、サミィより熱心に働くので、俺の休憩時間が少しだけ増えた。
「俺、バックに行くから少しの間、店番頼むわ、ヤミー」
「承知した」
バックヤードに入ると、すぐさまアスラに連絡を取った。
そして五百円の棒金を一つ取り出してから、売り場に戻る。
時間にして30分が経過したころ、アスラがやってきた。
手土産の大き目の紙袋から甘い香りが漂ってる。
今日は、ベージュのリボンベルト付きマーメイドワンピースを着用してる。
少し前まで黒いドレス一択なのに、急にコロコロと服を替えるようになったので理由を訊ねたら、メンヘラ扱いを避けるため、と返ってきた。
「来たぞー、雄作」
「待ってたよアスラ。早速だが――」
と、その時、店の入口から辛そうな顔をしたサミィが入ってきた。
「ス、スタブ……ううっ――」
「毎度のことなら勇者は鼻が利くのう」
アスラは紙袋をカウンターの上に置いた。
「ぐっ……し、鎮まれ! 私の中に眠る勇者の力よ! 目の前にスタブがあるのよ!」
サミィも先日の一件以来、発作に抗うようになった。
アスラはサミィの足掻く姿を訝し気に見てる。
ヤミーは小さな両手を器用に動かし、紙袋の中からマフィンを取り出した。
「おお、これこれ。飲める霜降り肉のよいが、この油と砂糖と小麦粉の三重奏もたまらん」
ふっくらと焼けたマフィンをヤミーは嬉しそうにかぶりついた。
「毎度、悪いな。アスラ」
「構わぬ。この程度で勇者が大人しくなるなら安い物よ」
「サミィだけじゃないけどな」
「店主よ。何故、我を見る」
「てめえが砂糖依存症になったからだよ!」
そう。
厄介なことに、このドラゴン、霜降り肉だけでなく、サミィ同様スイーツを食わせないと暴走する体になったのだ。
しかも、コンビニやスーパーに並ぶ大量生産品ではなく、上質な材料と高度な職人技を惜しげもなく注いだ一級品でないと治まらないのだ。
「ほれ、雄作」
アスラが紙袋から蓋付きカップを取り出し、俺に差し出す。
俺は短く「ありがとう」と言うとカップを受け取り、一口飲む。
俺が愛飲してるスタブのブラックコーヒー。
鼻をぬける鮮烈な香り、程よい酸味とフルーティな後口がたまらない。
「おい、他に言う事は無いのか?」
アスラは胸を張り、腰に手を当ててる。
「他にって……そうだな、メンヘラには見えねえよ」
「……たまには違う感想を聞いてみたいのじゃが」
そういうの苦手なんだよな。
顔立ちもスタイルもいいから、何を着ても似合う、綺麗、だの月並みな感想しか出てこない。
アスラの期待に満ちた眼差しが痛い。
思わず目をそらす。
「お前らああああああ、私のスタブを食ってんじゃねえええええええええ!」
サミィの咆哮が、むず痒い静寂を破った。
その直後、真顔で「魔王アスライド! 神のしもべたる勇者サミィがその命を貰い受ける! 覚悟!」と言い放った。
「はぁ……今日もダメじゃったか」
「今日もサミィの相手を頼むぞ、アスラ」
「仕方がないのう」
襲い掛かるサミィをアスラが迎え撃つ。
今日も平和だな。
こうして俺の日常は、慌ただしくも平和に過ぎてゆく。
俺はコーヒー片手に、二人の争いをぼんやりと眺めた。




