無断欠勤 理由 その3……犯行者視点
ぞわっとした。
同時に、心臓が飛び跳ねた。
反射的に固唾を飲む。
恐る恐るターゲットの顔色をうかがう。
目も口元も笑ってるのに、薄ら寒い妖気めいたものを醸してる。
「いやいや、食べ過ぎを心配しただけ――」
「気づかないと思ったんですか? 強盗さん」
ターゲットの声音は、とても明るく自信に満ちている。
嘘、言い訳、誤魔化しを一切寄せ付けない厚い壁が構築されてる。
きっとターゲットの頭の中には、俺達の目論みについて確信があるのだろう。
「大体、拾い食いするときは毒消しを事前にかけておくのは常識ですよ?」
「異世界人の常識なんて知らねえよ! というか、俺のオゴリと道端に落ちてるゴミを一緒にすんな!」
「何、言ってるの? あんたみたいのを『社会のゴミ』って言うんでしょ? ゴミから頂戴するものなんだから、これもゴミみたいなものでしょ」
容疑とは言え、盗人に言われたくねえよ!
と反射的にワンセンテンス浮かぶが、口に出すことを思い止まる。
ターゲットが盗人の容疑者であることは伏せないと誘拐に支障が出るためだ。
しかし、睡眠薬が効かないとなると今日はもう引き下がるしかない。
うん、そうしよう。
ウーロン茶のおかげで尿意もあるから、トイレを口実にこの場から離れよう。
支払いは済ませてるから、子分を連れて退店するだけだ。
「ちょっとトイレに――」
「束縛!」
俺が席を立とうと腰を上げた瞬間、腰が強い力に引っ張られ、着席させられた。
さっきターゲットは、バインド、とか言ってたな。
これも魔法の一種か!
さっきの衝撃も相まって膀胱が排尿を訴えてる。
「あ……兄貴。足が、足が……動かなくなっちまった」
子分がオドオドしてる。
不測の事態に困惑してるのだろう。
勇者は魔法を使うとは聞いてたが、まさかこんなピンポイントで地味な嫌がらせする魔法があるとは想像だにしなかった。
てっきり、何かを燃やしたり、凍らせたりするくらいのものと考えてた。
嘉平様が雇った用心棒にも、攻撃魔法だけでなく搦め手を使うものもいたが、こんなセコイ魔法はなかった。
「人に一服盛っておいて逃げようなんて、そうはいかないわよ」
「へ? いや……あの……本当にトイレに行きたいんだけど」
「ん? それがどうかしたの?」
「漏れそうなんだけど」
「ふーん。漏らせば? 別に、私じゃないし」
俺は生まれて初めて、女の顔をグーで殴りたい衝動に駆られた。
体が椅子に縛られてる以上、拳は届かないけど。
それよりも内に、湧き上がる怒りによって、さらに尿意が強まり、膀胱が暴動を起こしはじめた。
身動ぎしないと漏れそうだ。
「どうしても社会的生存を望むのなら、私にスタブの全メニューを献上なさい」
「わ、わかった。全部買ってあげるから、魔法を解いてくれ」
「今日中ね。明日以降なんて無いわよ」
「お、おーけー」
「解呪!」
ターゲットは憎らしい笑顔で魔法らしき単語を口にした。
「兄貴! 足が、足が動かせるようになりやしたぜ!」
子分は、恥ずかしげもなく両足をバタつかせてる。
あの様子なら問題ないだろう。
そう思い、立ち上が……ろうとしたが微妙にうまくいかない。
腰は浮いたけど、足の脛が自由に動かせない。
正確に言えば、ズボンの裾が椅子の足にくっついてるのだ。
これでは移動ができない。
「おい! 話が違うぞ!」
「ズボンは脱げるわよ」
「お嬢さん、何をおっしゃってるの?」
「ズボンを脱げばいいじゃない」
「ここで?」
「そうよ。トイレ行くのにズボンはいらないでしょ? 私だって自宅にいる時はパンイチだし」
「ここは人目につくんだよ!」
「私がタダで悪党を野放しにするわけないでしょ」
こ、こ、ここ……この女ぁ……!
「これと連れは、こちらで預かるわ。逃げたら承知しないわよ」
ターゲットの手には、何故か俺の財布とスマホが握られてる。
すり取られた感触は一切なかった。
というか物理的に手が届かないだろう、とツッコミを入れたくなったが、マジもんの魔法が使える異世界人に言っても無駄だろう。
同時に、こんな特技があるなら、嘉平様の大事な物を盗み取ることも可能だと確信した。
こうなったら、何が何でも嘉平様に突き出してやりたくなる。
こっちは凄絶な尿意と自由を奪われて大変な目にあってるというのに、呑気な顔で本人のものと思われるスマホをいじってやがる。
「財布とスマホを返せ!」
「よし! クレジットカード情報の登録完了っと、これで課金の準備が整ったわね」
「人のクレカで課金は止めろ!」
「もたもたしてると、上限まで課金しちゃうわよー」
そのクレカで重課金したら、俺が嘉平様に殺されちまうだろうが!
クソがあああああああああああ!
「あー、でも限界まで課金したらスタブ代が無くなるか」
「そ、そうだよ。だから課金は止めて。すぐに戻ってくるから」
「上限に達したら、あんたのスマホ売って、クレカ情報をブラックマーケットに流せばいいか」
「このクソ勇者がああああああああ!」
ひとまずここは、俺の膀胱を苦しめる尿意の解放が先だ。
漏らすかパンイチになるか。
最低の二者択一。
どちらを選択しても、俺の名誉に傷がつくことは間違いない。
なら、被害がより少ない方を選ぶしかない。
俺は意を決して立ち上がると、両手をテーブルに置いた。
足先を動かして靴を脱ぐと、ズボンを膝の辺りまで下ろす。
最後に両足をズボンから抜き取った。
太ももが外気に触れ、一瞬だけ身震いする。
床の冷たさが靴下を通して、足裏に伝わる。
しかし、不思議と羞恥心はなかった。
当然だ。
尿意の方が優先順位が高いためだ。
ターゲットの下卑た笑い声を背に受けて、俺は猥褻物を辛うじて隠した格好でトイレに駆け込んだ。
無事、痛烈な尿意から解放されたが余韻に浸る間もなく羞恥心が襲い掛かる。
全身が熱いのか寒いのか、よくわからない感覚に陥る。
このまま退店は、ありえない。
格好の問題ではなく、あのクレカで重課金されたら、俺の命が危うい。
あと子分もいるしな。
俺は堂々と胸を張って、トイレを後にした。
これまた不思議な事に、上着にトランクスで靴下と変態チックな出で立ちの成人男性が店内を闊歩してるのに、店の利用客はおろか店員にいたる全ての人間が誰一人として声を上げる者がいなかった。
別に悲鳴が聞きたいわけじゃないけど、これはこれで肩透かしを食らった気分である。
俺は席に戻るなり「財布とスマホを返せ」とターゲットに言った。
「ハァ? か弱い女の子に睡眠薬を飲ませるクズに返すものは無いわよ」
「か弱い女の子は、こんな陰湿な仕返しはしねえよ」
大体、てめえは勇者だろうが!
少なくとも嘉平様が大金叩いて雇った屈強な用心棒たちは、お前の顔を見るや否やブルブル震えてたぞ!
「あーあー、私、睡眠薬を飲まされた被害者ですー」
「それとズボンも解放しろ。お前のせいで、パンツ丸出しで店ん中、練り歩くはめになったんだぞ!」
「悪党のくせに被害者面なんてみっともないわよ」
「へっ! どう考えても、お前の方が悪党だろうが!」
「大丈夫、大丈夫。この国の司法と行政は、女性の味方だから。私が被害者面するだけで、あんたは秒で豚箱行きよ!」
「なら、睡眠薬が検出されるか試してみればいいだろ? もし検出されなかったら、俺が被害者確定だ」
確かに俺は、この睡眠薬は異世界人が特別に調合したものと聞いた。
だから、この世界に存在しない薬物の可能性があると踏んだ。
それはつまり、この世界の科学では検出不可能の薬物であるとも言えるのだ。
確証はない。
しかし、この場はハッタリでもいい。
相手が怖気づけば、それでいいのだ。
だが、ターゲットは俺の考えをあざ笑うように、口元を歪ませた。
「残念ね……河原町で仕事をする科学捜査官は、私たちの世界の薬物と毒物を検出できるのよ。つまり、この空になった容器を検査すれば薬物の特定から薬の出所まで追えるの」
「科学捜査なんて滅びてしまえ!」
うう……何と言う体たらく。
睡眠薬も効かない、ズボンは椅子に縛り付けられ、嘉平様から賜った命同然のクレカを奪われた俺にはもはや、この女の言いなりになる道しかないのか!
俺は鬱憤を晴らすように奥歯を噛み締めた。
地に足がついてるはずなのに、地面の感触がない。
自分でもわかるほどに血の気が引いてる。
「ほら、これ返すから買ってこいよ。戻りが遅かったら、私のスマホで重課金するから」
ターゲットはゴミを捨てるように、クレカを俺に投げてきた。
「それと……ズボン、履いていいわよ。束縛は解除してるから」
「そうかよ」
俺は吐き捨てるように言ってから、自分のズボンをはいた。
「あ、兄貴……置いてかないでくだせぇ」
そんな事を言う子分の瞳には、大粒の涙が浮いてる。
「あんたの連れは、ズボンの代わり」
「わかってるよ! ちゃんと買ってきてやるよ!」
もうヤケだ!
こうなったら店の全メニュー買ってきてやる!
あの陰湿な女のことだ。
今頃、何かに課金してるに違いない。
それなら、少しくらい飲食費が増えても大差ないだろう。
俺はストレスを発散するように早歩きでレジに向かった。
そして、店のフードメニューを一通り購入すると、何度か受け取り口と自分達の席を往復した。
今、自分達の席には、山盛りのジャンクフードとスイーツがある。
甘ったるい匂いとジャンクフード特有の香ばしい匂いが混ざった臭いは、ちょっと嗅いだだけで胸やけがする。
そんな炭水化物と油の山をターゲットは嬉々とした表情で眺めてる。
「いやあ、まさかこんなところで夢が叶うなんて。毎日、額に汗して働く私へのご褒美ね。うーん、恐ろしい。私の日頃の行いの良さが恐ろしいわ」




