24_演劇みたいな小説を書きたい。
演劇みたいな小説を書きたいと思っているんです。
といっても、それをうまく言語化するのはとても難しいのですが。
私が言っている演劇というのは、大舞台で行われるミュージカルのようなものではなくて、小さな劇場の中で、数十人とかの観客に対して演じられるような小規模な演劇です。
私は小さな地方市町村出身でしたから、大学で東京に行くまで『演劇』というものに触れたことがありませんでした。自分の学校に劇団が劇をやりに来てくれる、みたいなことが小学生のとき一度だけあったように思いますが、小学生でしたからね。良さを感じることができていませんでした。
大学生になってから演劇というものをはじめて体感して、とても感銘を受けたのを覚えています。最初の観劇は、たしか大学で教授から「行ってくるように」と言われたものだったはずです。内容はナチスドイツに生活を脅かされるユダヤ人たちを主人公にした数時間ほどの劇だったと記憶しています。
無機質な壁に囲まれて、最低限の座席に肩を寄せ合うように座って、舞台上にはほんのわずかな大道具や小道具がある……。ストーリーは必ずしもわかりやすくはないけれど、生の人間がその場で放つ言葉はセリフであることを超えた切実さがあって。自分の感覚とか時間の流れとかすら「劇」に飲み込まれていく……。
そこでは、何もかもが虚構の上で渾然一体と混じり合っていました。
劇を見ている私たちと俳優にとって、その空間はもはや劇場ではなく、無機質な壁は第二次大戦下のコンクリート塀であり、そこで流れる時間はとても重苦しいものでした。
演劇、それも小さな舞台で行われる演劇は、はっきりと虚構です。
作り手も観客も、意識的に物語に入ろうとしなければ入ることができません。
だって実際には、そこには何もないわけですから。
大劇場で使われるような派手な光や音の演出も、映画で使われるようなカット割や特殊効果もありません。背景だって、書き割りの背景があればいい方です。
それでも、物語に入ろうとする人間にとっては、そこに一つの世界があると感じられる。
私は、そこに強く惹かれました。
翻ってみると、小説は映像よりもむしろ演劇に似ています。
文章というのは映像と違って、それを読み解こうとしてくれた人にしか届かない。ただのインクのしみ、あるいは画面上のドットのパターンから、世界を描き出すのは読者の想像力に他ならない。風景描写だって、見方によっては書き割みたいなものです。
観客の協力がなければ演劇が物語とならないのと同じように、小説も読み手の協力なしには世界を描けない。
それは弱点であり、同時に強みにもなると思っています。




