スタートラインに立たないでほしい
「じゃ、次は本番想定で。スタートから全力、受け渡しまで5秒以内!」
顧問・三浦の声に、グラウンドが緊張に包まれる。
澪と西園のペアは、今日の練習のラストセットに臨んでいた。
澪は呼吸を整える。今度こそ、バトンミスは許されない。
(落ち着け、ただの練習。ただの……)
「朝倉さん、今日は走りがきれいだね」
隣で西園がにこっと笑った。
「えっ、あ、あの……そ、そう?」
「うん。さっきの走り、たぶんベスト近い。フォームもまとまってた」
「……あんた、私のこと見すぎじゃない?」
「見てなきゃペアの意味ないでしょ」
さらっと言われて、澪は視線を逸らす。
(なんなんだよ、ほんと……言い方がずるい)
笛の音が鳴った。
「位置について……よーい……」
スタートの合図とともに、西園が地を蹴った。
澪はピッチを合わせ、タイミングを計る。
(いける、受け取れる……)
「はいっ!」
バトンがぴたりと手の中に収まった。無音。完璧な受け渡し。
「っしゃあ!!」
二人ともが同時に声を上げた。
初めて、息が合った。
「バッチリだったじゃん!」
西園が、嬉しそうに澪の肩をぽんと叩いた。その手が自然で、どこかあたたかくて。
「あ、ありがと……」
(なんか、嬉しい。すっごく)
そのとき、部員の一人が叫んだ。
「なーんか最近、澪と西園くん、いい感じじゃねー?」
「おお、くっつけ~!」
「からかうなーっ!!」
澪は赤くなって叫ぶ。
隣の西園は、全く動じずに言った。
「僕は別に、悪くないと思うけどね」
「なっ……なに言ってんの!?」
「いや、“くっつけ”って、ペアの話でしょ?」
「そ、そう、そうだよね、うん、ペアの……バトンの、ペアね!」
(落ち着け私、こいつ天然なの?わざとなの?どっち!?)
⸻
練習後、澪は水分補給をしながら、グラウンドを見渡した。
西園が一人、スタート地点に立っていた。
フォームの確認だろうか。静かに、リズムを刻み、走り出す。
その姿が、妙に、まっすぐだった。
足も腕も、迷いがない。風みたいに、速いのに、無理がない。
(……あんなふうに、走れたら)
思わず見とれていた自分に気づき、慌てて視線をそらす。
(違う、違う!ライバルだよ! 負けたくないんだよ!)
(それなのに――)
「……スタートラインに、立たないでほしい」
ポツリと口をついて出た言葉に、自分が一番驚いた。
心の奥で、何かが走り始めている。
まだ認めたくない。でも、きっと――。
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