街だったもの
イグナルス。
私たちがいる場所から北西へ、国土全体から見るとやや北側に位置する、辺境の町であると言う。
1度訪れたことがあるハイレーン曰く、穏やかで優しい達が多く、気持ちの良い町だったそうだ。緩やかな山の麓にある小規模な町故に争い事も少なく、地形の恩恵を優に受けた穏やかな気候。まさに平和という言葉を体現したような町。
豊富な自然の元育てられた野菜が大層美味しく、また行きたいと思っていた、とハイレーンは言っていた。特に町の中心部にあるブロッスワーという名の料理店が美味いらしい。ついでに看板娘の女の子がかわいかった、といらぬ情報まで教えてくれた。
敵意丸出しのハイレーンがここまで口を滑らせるのだ。余程いい町だったのであろうと、ない胸を踊らせていたのだが。
「嘘だろ…。」
私たちを出迎えたのは、寂れた廃墟と枯れ木の山だった。
「ここが本当に町なのか?人っ子一人いないっポ。」
右肩で焼き鳥がぽつりとこぼした。
それもそのはず。私たちの視界一面に広がるとは、町とも言えぬ廃墟のかたまりだった。
例えるなら、貧民街とでも言うのだろうか。どの道、ハイレーンが言っていた穏やかで平和な町とは似ても似つかない。くたびれた木造の建物は今にも崩れそうだし、石造りの街道は砲弾を受けたかのように崩壊していた。新たな命など芽吹くはずもなく、枯れ草だけが虚しく風に揺れている。
「違う、本当に町だったんだ…。みんな穏やかで、優し人たちばかりで…。」
ショックを受けたのか、ハイレーンはうわ言のように言葉を漏らすだけだった。整った顔立ちは今にも泣きそうき歪められている。
「場所間違えたとか?」
「いや、合ってる。間違えるはずがない。」
「ボクたちもハイレーンの案内通りに来ました。道順も間違えはいないでしょう。」
「じゃあ、変わってしまったということね。」
私にとっては慣れ親しんだ景色でも、ハイレーンや焼き鳥にとっては心が痛むようだ。ハイレーン拳を握りしめ俯き、焼き鳥は目を背けた。
自然は不滅だとかはよく聞く話だ。だが人間の手によって生まれたものなんて、瞬きの合間に滅んでしまうもの。家屋も人間も、気づいたら消えてしまう。そういう世界で、私たちは生きている。
「とりあえず、誰か探しましょう。人がいれば、多少の物資も補充できるはずよ。」
「了解ですっポ。」
足を踏み入れれば、途端に活気のある町並みが出迎える…なんてことはなかった。現実はどこまでも非常に続いており、ガラクタとなった風景が山脈のように連なっている。
1歩進む度に枯葉が靴底で潰れ、妙に肌寒い風が吹く。足場も悪い中、私たちは歩いた。私の前をゆくハイレーンの足取りは覚束無い。今にも崩れそうな足を引きづって歩く姿は、さながら廃人のようだ。
「ハイレーンは前に来たことがあるんでしょう?」
「…ああ。一度、流行り病の時に。」
「そう。」
流行り病、ということは、おそらく魔女病ではない。魔女病が蔓延したとなれば医者にできることなんぞないし、ハイレーンが訪れた当時に町は壊滅していたはずだ。
となれば、ハイレーンが訪れた後に、町は惨状に包まれたということ。そして、その要因として考えられるのは─────1つしかない。
ハイレーンも焼き鳥も薄々気づいてはいるのだろう。顔から血の気が引き、真っ青を超えて真っ白になる。
「まさか…そんな…。」
「ありえないわけじゃない。むしろ、この惨状を見れば妥当よ。」
「みんな優しくていい人たちばかりだったんだ!そんなはずが、」
「魔女病に罹るのに、人柄が関係あるの?」
目を見開いて、ハイレーンは黙り込んでしまった。
しばらく町を散策していれば、いやでも争いの痕跡が目につく。
外壁には銃弾の痕が痛々しいほど残っていたし、赤黒く変色した血痕もあった。人同士が殺しあった形跡を目の当たりにしても、ハイレーンは現実を拒否するように震えるだけだ。実際、受け入れたくないのだろう。
魔女病に感染した人間を迫害する流れは、つい最近できたものではない。太古の昔から、魔女病が認知されると同時期に生まれた、悪しき風潮だ。
彼らが真に疎むべきは、病ではなく魔女そのものだというのに。
魔女の特徴と魔女病の症状は、魔女の力が発現する、という1点においては共通している。しかしながら、その症状は多岐に渡る。体の一部を刃物に変形させる、炎を生み出す、突風を吹かせる、ハイレーンのように特殊な例もいくつ存在するらしい。
このような不可思議な力を、恐れるなという方が無理のある話かもしれない。恐怖に塗りつぶされた人の心は、もはや正義を失っていた。
住処を追われるならまだ優しい。最悪の場合は暴徒化した人々に惨殺されるのがオチ。最初は踏みとどまっていたものの、感染が拡大するにつれて女子供にも容赦がなくなっていったという。
このイグナルスの町も、魔女病の影響から逃れられなかったようだ。
「あまりにも惨いっポ…。」
全てを察したらしい焼き鳥が悲しそうに鳴いた。
「魔女病の脅威はその症状だけじゃない。症状が発現したことによって生まれる、迫害や差別が何よりも酷いの。普通の流行り病よりも、よっぽどね。」
「…。」
前を行くハイレーンの足取りはおそく、さも死体が歩いているようだ。
「この町も同じでしょう。魔女病に罹った人間を迫害し…結果として内乱になる。同族同士で殺し合うなんて何の利益も生まれないでしょうに。人間はつくづく不思議だわ。」
「まだ、そうと決まったわけじゃない。」
「あら?他の可能性があるというの?」
問いかければ、乾いた声が絞り出される。
「中央の奴らが絡んできた可能性もある。あいつら、《魔女狩り》しか能のない為政の奴隷だ。魔女病の感染が確認された町を片っ端から焼き払ってる。」
「…なるほど。確かに、前も似たようなこと言ってたわね。」
魔女狩り。
その名の通り、魔女を撲滅せんとする活動のことを指す。だが方法はかなり過激と聞き及んでいる。
魔女病の感染者を殺害し死体ごと消し炭する、住処を焼き払う、感染者の親族諸共抹殺する、など黒い噂が絶えない。中には町ごと消滅するなんて物騒な話も聞く。
主に活動を主導しているのは中央政府で、魔女病の撲滅に躍起になっているらしい。何とも憐れな話である。
「銃火器が使用された形跡も多くあるし…一般の人がこれだけ武器を蓄えているのも、考えてみればおかしな話だわ。」
「となると、ここも《魔女狩り》の被害に遭ったってことっポ?」
「そういうことになる。」
「どの道、胸糞悪い話だっポ…。」
すりすりと顔を寄せる焼き鳥を撫で、改めて周囲を見渡した。見れば見るほど悲惨な状況ではあるが、今まで見てきた中ではまだマシな部類だ。
乾ききった風。雲間から差し込む僅かな明かり。荒れ果てた町と廃墟の調和。胸が空くような感覚を味わいながらも、仄かに安堵を覚えるのは私だけか。
不意に、カサっ、と落ち葉を踏む音。わずかに遅れて、
「やべっ、」
と言う人の声。声色的にまだ子供だ。それも声変わり前の子供。おそらくは、少年だ。
声はちょうど私たちの真後ろから聞こえた。さがしてくださいと言わんばかりに、枯れ草が生い茂っている。
「誰だ!…誰かいるのか!?」
途端、ハイレーンが叫ぶ。警戒心よりも、生存者がいるかもしれない、という希望が勝っているよう。音の発生源へと迷いなく進み、草むらをかき分ける。
顕になった声のヌシは、やはりというか、年端もいかない少年だった。
パサついたブラウンの髪。同じくブラウンの瞳に線の細い体躯。身に纏う衣服は服というより布切れに近く、やせ細った体が痛々しいくらい目についた。
少年の目が、怯えるように見開かれる。そして一瞬のうち、驚きに固まりながらも口を開いた。
「もしかして…ハイレーン?」
「お、俺のこと知ってんのか!?」
ハイレーンも驚愕したようで、目を丸くして少年を見つめ返していた。
少年は確信を得たのか、ハイレーンの腕勢いよくしがみついた。
「やった!本当にハイレーン先生だ!その目…絶対にほんものだよね!」
キラキラ輝くブラウンに、ハイレーンはやや狼狽えた。しかし数秒後、嬉しそうに少年の手を握り返す。
「お前…もしかして、フォルか!?」
「そうだよ先生!覚えていてくれたんだ…!」
「よかった、生きてたんだな…!」
目尻からじんわり涙が滲む。それを手で拭いながら、ハイレーンは小さな少年を抱きしめた。
どうやら2人は知り合いらしい。以前ハイレーンがここを訪れた時に会ったのだろう。いずれにせよ生存者がいるならラッキーだ。この子供が生きていける環境があるなら、多少の物資は補給できるはず。
声をかけようとした時、少年は、はっ!と顔を強ばらせた。
「ハイレーン先生お願い!お母さんを助けて!」
「えっ、あっ、フォル!?」
感動の再会もそこそこに、少年はハイレーンの手をぐいぐいと引っ張り、どこぞへ行ってしまった。なすがまま少年に着いていくハイレーン。透明な瞳が、ちらりと横目で私を見つめている。
「どうされます?」
「着いていきましょう。もしかしたら、他の住民もいるかもしれないわ。」
「了解ですっポ。」
はやくはやく、と急かす少年の後続く。
行く先にもめぼしい建物は見えない。相変わらず廃れた大地がどこまでも続いている。生気の欠けらも無い風が頬を撫でた。物悲しい、死んだ空気が肌を刺していく。痛覚はないはずなのに、チクチクと不快な感覚がいつまでも残っていた。