知りたい、知りたい、その気持ち
大きく目を瞬かせ、息を吸い、吐く。深呼吸の勢いそのままに、ハイレーンは両目の間、鼻の付け根あたりを揉んだ。眉間には渓谷並に深いしわが刻まれている。
「…あのさ、魔女さんよ。この鳥、あんたの使い魔なんだよな?」
「ええ。」
肯定の意を返せば、ますます表情が険しくなる。
右肩に止まる焼き鳥に至っては涙目だ。小粒の目の縁にさらに小粒の雫が光っている。なぜ泣くのか、理由が理解できない。
「俺が言うのもあれだが、使い魔ってのはあれだろ?魔女に忠誠を誓った、言わば右腕的な存在だろ?」
「世間的にはそう言われているそうね。」
「うん、まぁそうなんよ。そんでさ、その右腕的な部下に────焼き鳥ってどうなん?」
「…。」
どうなん。
たった一言に、ハイレーンの感情すべてが乗せられている気がした。たぶん、実際その通りだろう。焼鳥を見る目はもはや聖母の域だし、反対に私には棘の様に鋭い視線を突き刺す。
焼き鳥は気が気ではないようで、チラチラと私を横目で盗み見ていた。
「どうなん、と言われても困るわ。焼き鳥じゃだめなの?」
「ダメっつーか…ネタで言うことはあっても、普通はつけんだろ。ネーミングセンス云々の問題じゃねぇだろこれ…。」
横目で焼き鳥の様子を伺う。
「黙秘するっポ。」
当の本人(人ではないが)は居心地が悪いようで、翼で器用に目を塞いでいた。あくまでもハイレーンの糾弾には乗らない姿勢だ。
「あのな、焼き鳥ってのは文字通り焼かれた鳥の事だ。地方によっちゃそういう料理名もあるらしい。それをペットに名付けるイカれ野郎がどこにいる?」
「…分からないわ。」
「じゃああれだ。友達に焼き人間ってあだ名つけるようなモンだ。流石に分かるよな!?」
「分からないわ。」
「…。」
ここにきてハイレーンは絶句した。初対面の時のようにガックリと肩を落とし、人ではない化け物を恐れるように私を凝視する。
別に想定外の反応ではなかった。それは今まで、幾人もの人間達が私に向けた目だ。驚愕、嫌悪、そして恐怖。
「どういう神経してんだあんた…。」
人は己の価値基準で理解し得ないものに相対した時、必ずと言っていいほどこの言葉を吐く。
どうかしてる。狂ってる。頭がおかしい。
そうは言われても、全くもって共感ができない。理解しようと歩み寄り、学び、知識を詰め込んでも意味はなかった。人間だけが持つ風習…感情は、私には理解できても、感じることはできなかったのだ。
「落ち着くっポ、ハイレーン。説明はボクからする。」
長らく口を閉ざしていた焼き鳥が、ようやく口を開いた。静止するハイレーンを見遣り、ため息混じりに話す。
「ボクたち人間の価値尺度と魔女様───とりわけマリアンネ様のそれは大きく異なるっポ。…失礼ながら、心が無いっポ。」
「心?気遣いとか、そういうのじゃなくて?」
視線が戸惑うように泳ぐ。ハイレーンの動揺が分かるのか、焼き鳥は静かに目を伏せる。
黙っていても仕方がないので、私は口を開いた。
「違うわ。心とはすなわち、人間の感情。あなたたちが日常的に感じる喜怒哀楽、慈しみや憎しみ、妬みや羨望、愛着。薄々察してたと思うけど、私にはそういったものは一切ない。感じないの。」
「…だから、人を殺しても平気だと?」
ハイレーンの纏う食う気がガラリと変わった。目は吊り上がり、唇は固く引き結ばれる。行き場のない怒りが両手を震わせる。
「ええ。何がいけないのか、さっぱり分からない。」
「…ッ、」
激情を辛くも口の中で噛み砕き、ハイレーンはゆっくりと息を吐いた。呼吸に意識を集中させることで、怒りを抑えているようにも見えた。
拳を握り締め、言葉を絞り出す。
「あんたら魔女は、どこまでいっても魔女なんだな。」
「そうね。」
右手で顔を覆う。指の間から見える表情は、落胆という言葉がピッタリだった。血が滲むほど唇を噛み締め、爪を立てる。
「俺、心のどっかで期待してたんだ。あんたみてぇなクソ魔女でも、話せば分かり合えるかもしんねぇ…ってな。笑える話だ。」
「特に面白くはないと思うわ。分かり合えずとも、利害が一致すれば共生は可能よ。人間を傷つけない方が利益があるのであれば、私はそっちを選ぶもの。」
鋭く、空気が吸い込まれる。
「ハイレーン!!」
焼き鳥が叫んだ。
刹那、ガァン!と金属同士が衝突するような衝撃。瞳を見開けば、ハイレーンの糸と焼き鳥防御魔法がぶつかり合っていた。銀色の魔法陣が眩い光を放ち、糸を削っていく。接触面からは火花が散り、視界を白に染めた。不快な音が耳を劈く。
「クソッ!!」
呆気なく、軍配は焼き鳥に上がった。糸は繊維が解けるように散り散りになった。衝撃でハイレーンが後ずさる。
「確かに、マリアンネ様に人を想う心はない!」
わずかに膠着時間を使い、焼き鳥は声を上げる。
「だったら!」
「だがこのお方は、分かろうとしている!人間の矮小な感情を、理解しようとしてくださるのだ!そのお心遣いをなぜ否定する!!」
悲鳴にも似た叫びに、ハイレーンは息をのみ立ちすくんだ。錆びたブリキのようにぎこちないく動いた両目が、私を映す。
爪が皮膚に食い込む強さで、拳を握りしめる。彼がうちに秘める葛藤が手に取るように伝わってきた。
「あの収容所にいた人間を殺したのは、その他に選択肢がなかったからだ!魔女病の恐怖に犯された人間は、易々と立ち直ることはできない…。自らが魔女病に感染しているとなれば、なおさらに。」
一瞬脳裏によぎったのは、看守に歯向かった男の姿。
最初こそ人と同じ姿をしていたが、己の運命を知るやいなや姿が急変したのだ。右腕からは鋼鉄の刃が生え、その力を持って看守を殺した。なんの躊躇もなく、冷徹に。
共鳴した周囲の者たちも狂乱のままに看守どもに襲いかかった。
あれが焼き鳥が言う、恐怖という感情だろう。教父は恐怖を呼び、さらなる惨状が生み出される。当の本人が死ぬまで、決して悲劇が終わることはない。
「分かってくれ。ああするしか…なかったんだっポ。」
悲しげに目を伏せる焼き鳥を見て、ハイレーンは一瞬大きく目を見開き、やがて地面に崩れ落ちた。両手で苔を握りしめ、口を歪める。今にも涙がこぼれそうなのを必死に耐えるようにきつく目を閉じた。