魔女の弟子
窓の外から照らす朝日が、外にある湖を宝石のように輝かせている。
この世界の小さな煌めきをぼんやりと眺めていた。ちらりと視線を下に落とせば、端正な寝顔が目に入る。
一夜が明けても一向に目を覚まさないハイレーン。私のベットが占領されているのに気が食わないのか、同居人(正確には人ではないが)の機嫌は最底だった。
「クルッポッポッー!」
とうとう業を煮やしたのか。
朝日に照らされた黄色の羽毛。キラキラと湖の水面のように輝くそれが、助走の勢いを伴ってハイレーンの顔に直撃。
「ふべしっ!」
「とっとと起きるっポ!延長料金とるぞネボスケ!」
何度か瞬きをした後、ゆっくりと眼が開かれる。
透明の瞳が宙を彷徨い、目の前に居座る黄色の毛玉を映した。ぱちくりと瞬きを1つ。
次の瞬間、ギョッとしたように目を丸くし、絶叫をあげ勢いよく布団を跳ね飛ばす。
「なんじゃこりゃあああ!!!」
「ポギャッ!!」
宙を舞った布団の上を、黄色の塊がコロコロ転がった。
見事に空中で1回転を決め、壁にバウンドし床に落下。小さな羽をバタつかせて痛みに悶える。
「何すんだっポ、この薄汚坊主!ボクの羽に傷がついたら訴訟案件だっポ!!」
尖ったくちばしから鋭い言葉が吐き出される。両翼を手足のように使って頭を抑え、ハイレーンに噛み付いた。当の本人、ハイレーンは魂を失ったように固まっている。
「イ、インコが喋った…。」
「インコじゃなぁああい!マリアンネ様の使い魔だっポ!」
「つ、使い魔ァ!?」
そこでようやく、傍らに座っていた私に気づいたようだった。透明の瞳が溢れんばかりに見開かれ、全身から殺気が噴き出す。
ベットから勢いよく転げ落ち、すぐさま臨戦態勢を取った。
「魔女…!」
剥き出しの憎悪が容赦なくぶつけられる。
「どうも。元気そうで何よりだわ。」
「どの口がッ!」
左手が足につけられたポーチの中を探る。が、もちろん武器は取り上げてある。整った顔立ちが歪み、舌打ちが響く。
武器による攻撃はあきらめたのか、体を低く屈ませ、突進の体勢をとった。左の拳が後方に大きく引かれる。
「覚悟しろ!」
猛然とこちらに疾走しようとした時、またも毛玉が顔面に突撃した。
「クルッポーッ!2度もマリアンネ様に楯突くか!成敗だっポ!」
「へぶしっ!」
ベシッ!と物体同士がぶつかる音がした。
今度はハイレーンが空中に吹き飛ばされ一回転した。
勢いそのまま壁に背中から激突。重力に従い滑り落ちる。
「まったく、失礼な奴だっポ!お忙しい中、マリアンネ様が介抱してやったというのに。」
「元凶はそいつだろ…。」
「人間がそう思い込んでるだけだっポ。」
ぷいっ、と小さな首を精一杯背け、黄色の小鳥は羽ばたいた。小振り透明羽を懸命に動かし、私の右肩にちょこんと止まる。
「この御方は創世の魔法使いにして、ボク主様であるマリアンネ様。そしてここはボクたちの隠れ家だ。マリアンネ様は、お前たちが言う魔女とはひと味もふた味も違うんだっポ!」
ふふん!と得意げに胸を張る小鳥。頭に生える冠羽が風もないのにフリフリと動いている。
対照的に、ハイレーンは憎々しげに唇を噛んでいた。
「魔女は魔女だ!俺らに病を広めた悪魔の化身…お前らさえいなければ、どれだけの人が救われていたか!」
「それはオマエら勝手な言い分だっポ。」
「なッ…責任転換すんじゃねぇ!」
激情に満ちた瞳を、小鳥は羽繕いをしながら受け流す。
「事実だっポ。ならお前たちは、魔女病の元凶を知っているのか?魔女病を蔓延させたのは魔女であるという、確固たる証拠を持っているのか?」
「それは…。」
ハイレーンは口ごもる。じっと下を向いたまま動かない。
「魔女病を恐れ、罹患者を迫害し、犠牲を増やしたのはお前たち人間だっポ。病を治そうともせず、切り捨てるだけの人間に初めから未来などない。」
「…ッ、」
「ですよね!マリアンネ様!」
厳しい言葉と裏腹に、小柄な体を頬に擦り寄せて甘えてくる。柔らかい羽毛が肌に当たってくすぐったい。
「否定はしないけど…今更ハイレーンを責めたところでどうにもならないわ。どうせなら、建設的な話をしましょう。」
下を向いたまま動かないハイレーンの前に立つ。虚ろな彼の目にしっかりと映るよう、人差し指を立てた。
「あなた、私の弟子にならない?」
ひとつ、間が空いて。
「な、」
「はァ!?」
素っ頓狂な叫び声が重なった。ハイレーンは口を開けたまま固まって、小鳥は雷に撃たれたように肩から転げ落ちた。床に激突して、くちばしから白い煙をあげる。
いち早く我を取り戻したのは小鳥の方だ。
「な、なななな何を仰いますかマリアンネ様!お供は、この使い魔たるボクがいるではありませんか!!なぜ何処の馬の骨とも分からぬこいつを…。」
「別に理由はないわ。…強いて言うなら、暇つぶしかしら。」
途端、ハイレーンの体が飛び跳ねた。
視認する間もなく首に何かが巻き付く。それが糸であることは、確認するまでもない。
視線を上にやれば、天井から糸が垂らされていた。これで私の首を拘束したのか、推測する。
宙ぶらりんとなった体は地面と支えを失い、振り子のように左右に揺れる。
「ポ!?!」
一コマ開けて、小鳥が悲鳴をあげた。あまりに一瞬のできごとに理解が追いつかなかったのだろう。目を白黒させ、慌てふためいた。
「ッざけんな!暇つぶしだァ?俺の人生滅茶苦茶にしといて、あんたの暇つぶしに付き合えってのかよ!冗談じゃねェ!!」
「別にただで着いてこいとは言ってない。それ相応の対価は用意するし、一応助けてあげた恩もあるはずよ。これでチャラじゃない?」
「んなことできるかァ!!」
透明な瞳が薄く発光している。なるほど、魔女の力を使うと瞳に影響がでるらしい。薄く透明な瞳が冷たい鋼鉄の光を放つ。
「あんたが焼き殺した人の命が、こんなもんで釣り合うと思うな!どんだけの人が今まで犠牲になってきたか知ってんのか!」
だから、その犠牲の大半は人間が生み出したものだろう。
と言いたい気持ちをぐっと堪え、私は思考を巡らせた。この場合、ハイレーンの性格に合った返答パターンは───。
「───だったら、これまで死んだ人間の数だけ、これから人を救えばいい。」
「!」
瞳の色が和らぐ。目に宿る光は徐々に薄くなり、やがて消えていった。
同時に首を括っていた糸が切れ、体が解放される。
どうやら当たりを引けたらしい。つま先からゆっくりと着地し、脱力するハイレーンを見下ろした。小鳥がバタバタと飛び寄ってくる。
「あなた医者でしょ?医者の仕事は病を治すことと聞いているわ。ならば、魔女病をあなた自身で治せばいい。違う?」
「違わない…けど、」
口を開けたり閉じたりしながら、ハイレーンは声を絞り出す。まだ理解が追いついていない様子だ。
「だからって、あんたについていく必要はないだろ。」
「いいえ。魔女と似た私の体の構造、習性、生活習慣…その全ては魔女病を治す手がかり足りうる、貴重な情報でしょう?あなた自身で調べる必要があるとは思わない?」
「…。」
正確には魔女ではない、とはあえて伏せておいた。ここで話を拗らせてもこちらが不利になる。
ハイレーンは唇を引き締めて押し黙る。僅かながらだが、動揺しているが見て取れる。もう一押しと言ったところだろうか。
「がむしゃらに調べるより、目の前に検体があった方がよっぽど楽よ。それに、私ならあなたの糸を制御する方法だって、教えてあげられる。」
一転して、表情が変わった。
「制御、できるのか俺に…?」
「ええ。」
長い、とても長い沈黙が流れた。
手を組んだまま俯き、じっとしたまま動かない。そのくせして肩が小刻みに揺れている。きっとハイレーンの中では様々な感情が蠢き、ぶつかり合い、葛藤していることだろう。私には想像もつかない神秘の領域だが、これが人間の長所であり短所というものだ。急かす必要もないので、答えが出るまで待つ。
唯一、私の肩に乗った小鳥は不安げに羽を揺らしていた。そわそわと落ち着かない様子で羽を繕ったり、くちばしを鳴らしたりする。
やがてハイレーンは大きく息を吸い、吐いた。熟考の末に、決意を固めているようだった。
「いいぜ。あんたの弟子に───魔女の弟子になってやる。」
色のない瞳が、真っ直ぐに私を見つめた。もうその目に揺らぎはない。魔女病を治す、その心意気だけが伝わってくる。
「決まりね。」
「ポォ…。」
肩の上で小鳥ががっくりと肩を落とした。しかし文句を言わないあたり、どこまでも私の言うことには従順なのである。
暖かな朝日が、私たちを照らす。この瞬間を待ちわびていたように。
「改めまして、私はマリアンネ。よろしくね。」
「ハイレーン、医者だ。弟子にはなるが、馴れ合うつもりはねぇ。」
そう言ってそっぽをむく。生意気な態度に小鳥はケッ!と唾でも吐きかける勢いだったが、別に気にはしない。これはこれで面白いし、いい暇つぶしになる。
肩を揺らして小鳥にも合図をする。最初は嫌がっていたものの、小指で小突くと渋々くちばしを開いた。
「ボクはマリアンネ様の使い魔だ。お前とよろしくするつもりはないっポ。」
「誰がお前ぇなんかとよろしくするかよ。インコ野郎が。」
「クルッポー!!!やっぱオマエムカつくっポォ!!!」
「んだとクソ鳥ゴラァ!!!」
間髪入れずに頭突き合いが始まった。一方はくちばしで的確に目を狙い、一方は拳で応戦。やんややんやと続くバカ騒ぎに、やはりこいつを誘ったのは間違いだったかと考える。
───まぁ、面白そうだしいいか。
1羽と1人の喧嘩は過熱の一途を辿り、ついに壁に穴が空いた。相性は最悪だろうが、見飽きることはなさそうだ。
これからまだ見ぬ旅路は、きっと予想のつかないものになる。破天荒な旅になればなるほど、いい暇つぶしになるだろう。そんな予感がするのだ。
私は胸に手を当て、ゆっくりと目を閉じた。いつも、無機質にそこにあるだけの心臓モドキが、妙に脈打つのを感じる。
もしかしたら、前にも似たようなことがあったのかもしれない。トクントクンと鳴る胸の鼓動に耳をすませながら、私は1歩踏み出した。