憎憎憎憎憎憎しい
「魔法、使い?」
「ああ、あなたたちの言葉だと魔女っていう言うんだっけ。ややこしくって、私もよく分かっていないのだけれど。」
紅蓮の炎に耐えた金属は、やはりと言うか融解しかけていた。指先で摘むと皮膚が焼けてしまったので、仕方なく水魔法を使って冷却する。
ぽぅ、と淡い青色が指先に灯った。
「そのペンダント、」
ハイレーンが目を見開いた。
「あなたなら知ってるわよね。検問を通るために必要な、人間の証明書。」
指先で小さな金属を摘んで、顔の前で掲げた。十字架の周囲に天使の羽根が描かれた、悪趣味なデザイン。十字架には魔を払う効果があるとされており、天使は魔女と対をなす存在。
数百年前から人間が使い始めた、人を証明する象徴だ。
「一般の人間はほとんど持っていないの。一部の衛兵とか看守、上流階級の人間しか与えられていない。だから、そこら辺の衛兵から取ろうと思ってたんだけど…。」
この小さな鉛の塊を、人間は喉から手が出るほど欲しがっている。なんとも間抜けな話だ、と内心独り言ちる。
なくしたら面倒なので、胸元のポケットにしっかりとしまう。
「うろついてたら捕まっちゃって。仕方ないから、ここにいた看守さんたちの拝借させてもらうわ。」
虚ろな目をするハイレーンに背を向け、扉へと向かう。床を踏みしめる度にざらざらと砂のような感触がして歩きずらい。
「さようなら。」
踵を返し、処刑場に背を向けた。人々は灰と化し、灰しか残らない場所に用はない。
薄暗い通路を抜ける。黄土色のレンガが消え、血なまぐさい牢を抜け、淡々と歩を進める。
一際巨大な扉を押し開ければ、眩い青空が見えた。
どこまでも広がる一面の青と、水平線の彼方まで広がる砂利道。青と黄土色の対比がアンバランスながらも、奇妙な美しさを醸し出す。
ふと下に目をやれば、道端には申し訳程度に緑が生えていた。こんな退廃的な世界に生まれてもなお、生物は必死に生きようとしている。
その小さな息吹の力強さを、私は外に出て初めて知った。
容赦なく照りつける太陽の光に思わず顔を顰めてしまった。胸元を探り、ペンダントがあることを確認。
振り返る必要などないので、そのまま立ち去る。
その時、背後から声がかけられた。
「おい!!」
ハイレーンがいた。右手にどこからか持ってきたメスを握りしめ、私を憎しみの籠った目で見る。
わざわざ後を追いかけてきたのか、足は汚れ傷もついていたし、血も流れている。人間は血が流れると、痛みを感じるのではなかったか。
「どうかした?」
平然と問えば、激情に燃えた、煮え湯のような言葉を浴びせられる。
「は?どうかしたもクソもねぇよ。魔女だろあんた。魔女なんだろ!?」
メスの切っ先が私の心臓へと向けられていた。
「あんたらが広めた魔女病のせいで…俺らの人生めちゃくちゃだよ!大勢の罪のない人が死んだ!死んだんだ!」
「…。」
「人を平気で燃やして、殺して、あんたは何も思わないのか!?罪の意識が、奪った命の尊さが、あんたには分からないのかよ!?」
分からない。と応えたところで、ハイレーン納得しないだろう。
人間の思考パターンは、今まで何通りか学習した。が、実際に目にすると言いようもない複雑さが内包されているように見える。私の知識では、彼を言いくるめるのは不可能だ。
いっその事、殺した方が早いか。
さっきと同じように、背後の監獄ごと焼き払ってしまえばいい。その方が楽だし、面倒事も早々起きまい。
もう一度手のひらに魔力を集中させ、照準をハイレーンに定めた。
彼は人間。脆弱な体は、魔力の塊を浴びれば簡単に吹き飛ぶだろう。もちろん、ハイレーンもだって分かってる。
透明な瞳が、私を見ていた。怒り、憎しみ、その他諸々。筆舌に尽くし難い全ての思いが、剥き出しとなってぶつけられている。
「分からない。命の尊さも罪も、あなたたち人間が決めたことだから。」
「…は、」
口をあんぐりと開けたまま、凍りついたように固まった。
「分からないって、んなふざけたことが…。」
あるわけがない。言葉がつぐまれる前に私は言った。
「だいたい、人間を1番殺しているのは同じ人間じゃない。魔女病がなんだって理由をつけてこんな処刑場まで建ててるのだから、今更魔女のせいにしないで欲しいわ。私、何もしていないもの。」
「は?処刑場?何言ってんだあんた、」
ただでさえ青かった表情がさらに白くなっていく。
「要は口減らしでしょう?民を抱えきれなくなった国が、人口削減のために作った施設。ここ以外にも似た様な建物をいくつも見かけたわ。どれも人気のない場所に作られてたし、間違いないはずよ。」
「ホラ吹いてんじゃねぇよ。んなことないあるわけが、」
「あったわ。私はこの目で見た。あなたも、本当は分かってるんでしょ。」
ハイレーンの瞳が揺れた。目尻が痙攣し、呼吸がどんどん速くなる。
「この施設、ただの収容所にしては規模が大きすぎるもの。それにあの半球状の部屋、隅の方にかなり灰が溜まってた。ってことは、随分前から人間が焼却処分されてたのよ。私が来る以前にね。」
「嘘だ。」
「嘘じゃないわ。現にあの看守たち、最初から"検査"する気がなかった。あの女の子を鞭でいたぶっていたのも、あなたたちに真実を悟られないため。魔女病はあくまでも建前で、本当は最初からあなたたちを処分するつもりだっ、」
ヒュ、と息が吸い込まれる。
「やめろッ!!!」
声が聞こえると同時に、視界が反転した。
後頭部に衝撃。砂利の感触がして、地面に打ち付けられたのだと分かった。瞬きをすれば、視界いっぱいにハイレーンの姿が映る。
今にも泣き出しそうな表情で、私の首に手をかけていた。力一杯締められているせいで、発音が上手くいかない。
私の首を縛り付ける、尋常ならざる力。そして私でも視認できなかった瞬足の跳躍。不安定ながらも感じた、微かな魔力。
どれもこれも、普通の人間には不可能な芸当。彼の全てが物語っていた。目の前の青年、ハイレーンは人間などではなく。
「なんだ、あなたも魔女病、」
「そうだよッ!生まれた時からずっと、俺は魔女だった!!」
よく目を凝らしてみれば、ハイレーンの周囲に光を反射する糸があった。
それも1本や2本ではない。蜘蛛の糸のように絡み合い、複雑に縫われた無数の糸が私の四肢を拘束している。
道理で手も足も動かないわけだ。
私の胴に馬乗りになった彼の目から、雫が落ちる。
「身体中から変な糸が出てきて、自分でもコントロールが効かない!放っておけば勝手に誰かを傷つける!この糸が…母さんを殺した!」
母…ハイレーンを産んだ女のことか。彼の様子を見るに、大切な人だったのだろう。
大粒の涙が落ちては、私の頬を勝手に濡らしていく。それでもハイレーンが力を緩めることはない。
「《魔女狩り》が始まったのもその頃だ!だから俺は…治したいと思ったんだ!俺と同じ孤独を味わう人たちを、少しでも助けるために!」
ぐぐっ、とさらに首にかけられる圧力が強くなった。おそらく無意識だろうが、首にも無数の糸が巻かれている。細いが鋼鉄の硬さをもつ糸が、ジリジリと皮膚が削いでいくが肌で分かる。
「ようやく医者になれたんだ!なのに、なのにあんたが、あんたら魔女が全部壊したッ!」
「…そう。」
私が呟いた瞬間、ほんの一瞬だけ力が弱まった。
「…。」
見開かれた両目が泳いぐ。現実から目を背ける子供のように、その態度は酷く幼い。
私が本気で抵抗すれば、彼を消し去ることは造作もない。しかし、ただでさえ死にそうな虫を潰すことはいささか本望ではない。暴力を伴う解決は、後に大きな遺恨を残すことは経験上知っている。
ならば、言葉でトドメを指す方が理にかなってるというものだ。
「ごめんね。」
「…!」
呼吸が止まる。透明の眼が宙を泳いで、最後は私の目をじっと見つめていた。無意味に口が閉じたり開いたりして、声にならない声が溢れては消えていく。
「違う…。俺は…俺はッ、」
たった一言で、ハイレーンはその場に崩れ落ちた。
鋼糸の拘束が緩んだ。私が起き上がっても、ハイレーンはぴくりとも動かない。荒い呼吸を繰り返し、黄土色の砂利を握りしめ、項垂れていた。
「ねぇ、」
返事がない。風の音が耳をきる。
放っておくのも面倒だ、と腕を引っ張り立ち上がらせようとした。しかし思い通りに動かない。グイッと顔をあげれば、ハイレーンは両目をきつく閉じて魘されている。
仕方ない。ため息をひとつつき、細い腕を両の手で掴む。
「重…。」
持ち上げることはできなかったので、そのまま引っ張って持っていくことにした。ハイレーンの体が砂にまみれていくのを片目に、私は地平線の向こうへと足を動かした。