豪炎、創世の魔法使いとともに
一列並ぶ囚人の先頭を看守が歩いていく。さらに中央に2人、囚人を挟むように配置され、最後列に1人。お粗末と言えばお粗末だが、この人数では仕方ない。
最後列からは囚人の様子がよく見える。皆鬱々とした雰囲気を出してはいるが、どこか肩の力が抜けている。"検査"を終えれば家に帰れる、という安心感があるのだろうか。
じめじめとした廊下を抜け、入り組んだ道を右へ左へ。何回目かの右折をした時、ようやく目的地が見えてきた。
「中央へ並べ。」
見えてきたのは、半球状の大部屋だった。周囲は黄土色の煉瓦に囲まれ、丸い天井まで隙間なく敷き詰められている。側面には燭台がいくつも並び、赤い光がゆらゆらと揺れている。
中央には鉄の棒が2本交差されたものが突き刺さっていた。鉄棒の先には枷がつけられており、一度拘束されれば、容易に抜け出せないのは自明出会った。
「何だ…?」
正前列に並んでいたハイレーンが鋭く息を詰めた。
他の者も動揺を隠せずどよめいている。動揺はやがて恐怖をよび、一部のものたちがパニックを起こし始める。
無理もない。検査と言って連れてこられたのは、さながら処刑場だったのだから。
背後で重い音とともに扉が閉められた。もはや逃げ場はない。
「静まれ!」
恐慌状態に陥った囚人たちを、看守の怒号が抑えつけた。
「おいおい、待ってくれよあんたら!検査だよな、検査って言ったよな!?」
そう簡単にパニックは収まらない。1人の男が囚人をかき分け、リーダー格の看守の前に乗り出した。
長い爪で己の手首を引っ掻く。つけられ一筋の傷からは、真っ赤な血が流れ落ちた。
「ほら!これで分かるだろ!?俺は人間だ!だから、早く家に帰してくれ!!」
男は唾を飛ばして喚き散らす。痩せこけた頬に酷い隈。切羽詰まった状況で、四の五の言っていられなかったのだ。
そんな男の必死の叫びを、看守は嘲笑った。
「お前が人間だと?馬鹿馬鹿しいにも程がある!魔女に身を堕とした、卑しい悪魔が!」
「な、…!」
男は絶句した。
男だけではない。その場にいた全員が息をすることを忘れ、唖然としていた。
「なんだよ使い魔って…俺たちが望んで魔女病に罹ったとでも言いたいのか!?」
男はなおも看守に食い下がる。他の者も固唾を呑んで様子を見守っていた。
男の顔を見れば分かる。あれは嘘をついている顔ではない。彼が吐く言葉はどれも偽りのない本音だ。この場にいる全員に、もちろん看守にだって彼の痛々しい程の本心が伝わったはずだ。
「そうだ。お前らは人間を裏切り、魔女に味方した。魔女病に罹ったのが、何よりの証拠ではないか!」
しかし看守は、男の必死の主張を拒絶する。
「お前らの血には既に魔女の瘴気が宿っている!ここで処分しなければならんのだ!これから生まれてくる命のためにも!」
「…う、そだ。」
ここまでくれば、議論は平行線に終わる。男がいくら血を流したところで、何の証明にもならないのだから。
男は絶句し、呆然とその場に突っ立っていた。表情がみるみる絶望へと染まっていく。無理もないだろう。己の無実を証明する手段が、無惨にも引きちぎられてしまったのだ。
残念ながら、ハイレーンが言ったように上手く事は進まない。
もはやここにいる者たちに、自らの潔白を証明することは不可能であった。
「言いがかりだ…!俺たちは何もしてない!被害者だ!あんたらと同じ被害者なんだよ!あんたらだって、いつこの病にかかってもおかしくないんだぞ!?」
「違う!魔女病に罹ったのはお前ら自身の意思だ!魔女に身売りした裏切り者が!!!」
「違う…違う違う違うッ!!!俺は魔女じゃない!人間なんだよ!信じてくれ!!!」
ついに男は看守の胸ぐらに掴みかかった。歯を食いしばり、血走った瞳で看守に懇願する。
男の悲痛な叫びが部屋全体にこだました。同時に、男の恐怖と絶望が全員に伝播する。
呆然から恐怖へ。恐怖から恐慌へ。人の感情は混沌の渦となって他者をのみこむ。
「私も違う…!魔女じゃない、人間よ!」
「ぼ、ぼくだって!」
「あたしも違う!」
たった数人の看守に、彼らを止めることは不可能であった。
女も男も、年寄りも子供も関係ない。我先にと看守に飛びかかり、怒号と共に拳を振るう。
「俺らは人間なんだ!それをお前らが勝手に捻じ曲げて解釈した!お前らこそ、魔女の手下なんじゃねぇのか!?」
たった一言で、空気が一変した。
より正確に言えば、囚人たちの思考が反転したのだ。
己が魔女ではないと証明する守りから、看守を糾弾する攻撃へ。
こうなると人間はなかなかに厄介だ。自己を正当化する言い分を手に入れてしまったのだから。
「な、何を言うか貴様!」
看守共は鬼の形相で迫り来る人々を押しのけた。男の腹に拳を叩き込み、女の頬を殴りつけ、子どもを地面になぎ払う。
「やめろ…。」
傍らでハイレーンが呟く。
場は混沌を極めていた。これではどちらが看守か囚人か見分けもつかない。元々どちらも似た様なものだが、立場というのがここまで人を変えるのか。
人間は恐ろしくもあり面白くもある。恐慌状態の人々の波を縫いながらひとり思った。
「そうだ!お前らが使い魔なんだ!俺らをおとしいれる魔女の手先め!こうなったら…、」
最初に看守に飛びかかった男の腕から、刃物が"生えた"。
「あら、」
比喩ではない。男の右腕そのものが鋭い刃物に変化したのだ。
「待て!やめろッ!!」
ハイレーンが叫ぶ。しかし彼の制止も虚しく、
「死ねッ!!!」
鋼鉄の光を鈍く反射するそれで、男は躊躇いなく看守の胸を貫いた。
「ぐああぁぁぁ…。」
雄叫びとも悲鳴とも言える声を漏らし、看守は地に伏した。胸に空いた風穴から大漁の血液が流、地面に血溜まりをつくっていく。
男の右腕から、真っ赤な雫が滴っていた。
「やりやがった…あいつ、本当に魔女病、」
数人のうちの1人が殺された。無残な死体を見て、看守たちが目を剥く。
逃げる理由を与えるのに、それ以上の恐怖は必要ない。
「うわぁぁぁ!」
逃げ出す看守たち。囚人、いや、元囚人達がギラついた目で追いかける。
混沌に次ぐ混沌。狂気に呑み込まれた人間を止めるすべはない。
殺し殺される血が飛び散っていく。咲き乱れる赤の花は、美しい絵画を写し取ったかのよう。しかし悲しいかな。下に転がるのは、切り裂かれた肉の塊。生臭い鉄の匂いが噎せかえりそうなほど充満する。
やれやれ、そこらじゅうに人である証拠が飛び散っているというのに、止まる気配すらない。同族同士の殺し合いに何の意味があるのだろうか。
惨憺たる状況を流し見ながら物思いに沈む。
「やめろッ!落ち着け!お前らは魔女じゃない!まだ間に合う!」
ただ1人、ハイレーンだけは狂乱に染まらなかった。
人の波に呑まれながらも声を張り上げる。波の中で、再び看守を手にかけようとした男の手を握る。もはや手とも言えぬそれを、傷つきながらも懸命に受け止める。
「俺は医者だ!魔女病は不治の病じゃない!治せるんだ!だから、お前は人間に戻れる!」
恐怖に染った人々が硬直した。
全ての視線がハイレーンへと向けられる。追い詰められた看守でさえも、口を開けたままハイレーンを見つめていた。
「…嘘だッ!!」
叫んだ男の右腕が、ハイレーンの右手を貫いた。手のひらに真っ黒な穴が開き、縁から血が流れ落ちる。
「ぐっ…!」
ハイレーンの表情が苦痛に歪む。しかし足を踏ん張り、男の攻撃を正面から受け止めた。
「魔女病が治るだなんて話、聞いたこともない!お前ら医者も、何の役にも立たなかったじゃないか!」
「…そうだ!俺らは何もできなかった!だからこそ、ここで立ち止まるわけにはいかないんだ!」
「…!」
男の身体から力が抜けていく。
「信じてくれ!俺が必ず、魔女病を治す方法を見つける!」
だらん、と滑り落ちそうになった男の体を、ハイレーンが抱きとめた。そのままゆっくりと地面に下ろし、男の肩に手を添える。
唖然としたまま止まっていた人々が、徐々に弛緩していくのが分かった。皆が正気を取り戻したかのように瞬きを繰り返す。
「ほんとうに、治るの…?」
年若い女が、半信半疑に尋ねた。
ハイレーンは力強く答える。
「ああ。俺が必ず治してみせる!」
人々を呑み込んでいた狂気が和らいだ。
ハイレーンの腕の中で、刃物と化していた男の右腕が元に戻る。その様子を見て安心したのか、はたまた我に返ったのかは知らないが、人々は地べたに座り込んだ。近くの者と抱き合い、肩を寄せ合うように座る。
ハイレーンの一言が、現状を一転ひっくり返したのだ。言葉にこれほどの影響力があるとは、正直に言う思いもよらなかった。
状況が好転した。これ以上の犠牲は出ないだろうと、皆が安堵した瞬間。
「キャアアアア!」
悲鳴が、劈く。
悲鳴をあげたのは、さっきの年若い女だった。
糸の切れた人形のように、正面から地面に倒れた。首からおびただしい鮮血が溢れ、隣にいた子供の顔を汚す。
「は、」
ハイレーンの呼吸が止まる。信じられないものを見るように、眼球だけがぐるりと動いた。
倒れた女の背後に看守がいた。血の染まり、真っ赤になったナイフを握りしめたまま、棒立ちになって。
「お前ら…お前らが悪いんだ。ま、魔女に付き従った、悪魔が!ここで、ここで死ねッ!!」
頬は引き攣り、震えながら笑っている。大量の汗を流し、怯えながらも自分は正しいと思い込んでいる。その笑顔が、看守の全てをものがたっていた。
一度和らいだ空気が再び凍りついた。あとはもう、子供でも分かるお決まりの展開が待っている。
「う、うわアアアっ!」
「嫌、もういや、嫌よこんなの!」
「助けてくれぇ…!」
見るに堪えない、叫び逃げ惑い暴力に走る烏合の衆。
出口の扉を叩き、後ろから看守に刺し殺される。
魔女の力を開花させ、己諸共炎に焼かれる。
ある者は水に溺れ、ある者は刃に身を貫かれ、ある者は氷漬けとなって、死んだ。
一人一人、また命が散っていく。悲鳴と怒号、血と涙だけが地面を汚していくのを横目で見ていた。
ちらりと視線をやる。ハイレーンは表情も言葉も失い、顔を青くしいる。浅い息遣いが、ここまで伝わってくるようだった。
「手遅れね。」
もう巻き返しは不可能。ならば、この場に留まるだけ無意味というもの。
腕を胸の前に突き出す。掌を天井に向け、中心に意識を集中させる。
「あんた、何を…、」
ハイレーンが愕然と呟いた。戦慄とした双眸が食い入るようにこちらを見つめる。
「悪いけど、これ以上は時間の無駄よ。」
翳した手のひらに力を込める。胸の中心から肩、腕、そして手へと流れる魔力を感じ、念ず。
「《インフェルノ》」
唱えた瞬間、轟音とともに火柱が現れた。
白と橙が混じる炎は、手のひらの上に垂直にそびえ立つ。やがて、みるみるうちに大きさを増していき、部屋を覆い尽くさんばかりに広がってた。そっと手を離せば、枷を外したように炎は燃え上がる。
ごうっ!と一際大きな轟音をとどろかせ、炎は天井にまで届いた。中心で渦を巻き、竜巻の如くうねりながら、空間を呑み込んでいく。
「ぎゃああああ!!!」
最初に炎に焼かれたのは、若い女。その次に初老の男。次は子供だった。全員為す術なく炎の渦に消えていく。絶叫し、助けを求め、ありったけ手を伸ばしながら、全身を焼かれ灰となった。
「助けてッ!」
悲鳴と轟音が木霊する中、皆が地面に爪を突き立て、逃れようと必死に足掻いた。爪が剥がれ落ち血が流れてもなお、抗っていた。全て無意味とは知らずに。
「やめろ…やめろ!!!」
ハイレーンが叫んだ時、紅蓮の炎は一層強く燃え上がる。
「…。」
少女がいた。
全身を鞭で打たれ、傷つき、涙を流す小さな小さな女の子。
己が受けた仕打ちのワケも知らず、理不尽のままに地面に転がる。うつ伏せになった体はぴくりとも動かず、ガラス玉のような目だけが虚空を見つめていた。
刹那。彼女も炎の渦に呑まれ、消えていく。
「──────ママ」
悲鳴をあげる者すら、この場からいなくなった。
役目を終えた炎はゆらゆらと揺れ、萎んでいく。フッ、と息を吹きかければ、ろうそくの火が消えるように呆気なく消えた。
だだっ広い処刑場には、ハイレーンと燃えカスだけが残った。無情なまでの静寂が包む。
「あんた…まさか、」
看守も囚人も消え去った。文字通り、灰となって燃え尽きた。
「本物の、魔女。」
人差し指を扉に向け、軽く押すように宙を叩く。
たったそれだけで、扉は金属音を響かせながら簡単に開いた。
ギィ…と、耳障りな音が鼓膜を貫く。
扉の向こうに続く通路が見えた。退路があるのを目視で確認した後、灰が散らばる地面に目を凝らす。
「私はマリアンネ。───魔女じゃない。創世の魔法使いよ。」
ざらざらと砂のような感触がする灰を掻き分け、手を動かす。誰とも分からない遺灰を退かし、ときに足で振り払う。しばらくそれを繰り返せば、灰の中に鈍く光る金属が見えた。