第二章:間違いだらけの刺客
侯爵への復讐を胸に秘めるミレイアは、まずは侯爵の側近たちの不安を煽り、彼らの忠誠を揺さぶることを計画していた。彼女はその役割をアシュトンに任せ、彼に侯爵の館へ忍び込むよう指示を出す。アシュトンはかつてエルディア家に仕えていた頃の経験から、貴族の館での作法や礼儀作法にある程度の心得があったが、長い放浪生活でそのスキルがどれほど衰えているかは、ミレイアも不安を隠しきれなかった。
その夜、アシュトンは侯爵の館へと忍び込み、指定された部屋に潜入しようとした。ミレイアの指示は「侯爵の信頼する側近の寝室で、微妙に脅かすような小細工をし、彼らに不安を感じさせること」というものだった。だが、アシュトンはすぐに間違った部屋に入ってしまったことに気付かず、部屋の中央にそびえ立つ豪華なベッドに目を奪われていた。
「ふむ、これが…侯爵の側近の部屋ってやつか。さすがに派手な寝室だな…」と呟き、彼はベッドに近づいた。その時、寝室の奥から小さな物音が聞こえ、アシュトンは一瞬身構えたが、遅かった。そこには侯爵の老いた伯母、フランセス伯母が眠りから目を覚まし、驚いた顔で彼を見つめていた。
「おやまあ、あなたはどなた?」フランセス伯母は無邪気に問いかけた。彼女は老齢にもかかわらず、どこか元気で愛嬌のある顔をしており、アシュトンを怪しむどころか、微笑を浮かべて興味津々と彼を見つめていた。
アシュトンは冷や汗をかきつつ、「え、ええと…私は…そう、通りすがりの者でして…」と慌てて言い訳をした。しかし、フランセス伯母は彼の話に少しも驚かず、「まあまあ、そんな言い訳をしなくてもいいわよ。誰にでも秘密の訪問者がいるものよね」と、彼の手を優しく握った。
「…秘密の訪問者?」アシュトンは困惑しながら伯母を見つめた。彼の想像を超えた展開に、状況がますます混乱していくのを感じていた。
フランセス伯母は彼に親しげに話しかけ始め、彼を謎の訪問者と誤解したまま、「ねえ、せっかくだから、私の恋愛相談に乗ってもらえないかしら?」と尋ねた。彼女の瞳はキラキラと輝き、まるで若い乙女のような期待感に満ちていた。
「恋愛…相談、ですか?」アシュトンは驚きながら聞き返した。まさか侯爵の館で、しかも復讐の計画中に恋愛相談を持ちかけられるとは思ってもみなかった。
「ええ、そうよ。ほら、私はもう年だけど、まだまだ乙女心は捨てられないの。それでね、このところ侯爵様の友人の一人がよく私に話しかけてくれるんだけど…あの方も私に気があるんじゃないかしらって思って…」フランセス伯母は頬を赤らめ、照れくさそうに言った。
アシュトンは内心ため息をつきつつも、どうにか話を合わせようと努力した。「ええと、それは確かに…気があるかもしれませんね。あの、何かその…アプローチしてみるのもいいかもしれません」
「本当に?まあ、あなたって優しいのね!」フランセス伯母はすっかりアシュトンを信頼し、彼に対して乙女のように微笑んで見せた。
その間も、アシュトンの頭の片隅には、ミレイアからの指示が響いていた。「まずは侯爵の側近たちを脅かすこと」と。しかし、彼が今いるのは全く違う部屋であり、さらに侯爵の側近どころか、彼の親戚の老婦人と恋愛相談の話に巻き込まれてしまっているという、まさに計画とは真逆の状況だった。
それでも、アシュトンはどうにかしてこの場から逃げ出さなければならないと思いつつ、適当なタイミングを探していたが、フランセス伯母はまるで彼を手放したくないかのように、彼に次々と恋愛指南を求めてきた。
「では、例えばですね…その方と食事に誘うとき、どのような言葉が効果的だと思います?」と、フランセス伯母は目を輝かせてアシュトンに尋ねる。
アシュトンは内心、「ここまで来たらもう徹底的に付き合うしかないか…」と諦めの境地に達し、なんとか答えた。「ええと、やはり…『貴方と過ごす時間は、私にとって何よりの楽しみです』とか、そんな感じで…どうでしょうか?」
「まあ素敵!さすが通りすがりの恋愛達人さんね!」フランセス伯母は満足そうに微笑んだ。
結局、アシュトンはフランセス伯母と2時間ほどにわたって恋愛相談に付き合わされ、その後、やっとの思いでその場から抜け出した。彼はそっと扉を閉め、廊下を静かに歩きながら、内心で呟いた。「…これで、俺がやってるのが復讐の一環だなんて誰も思わないだろうな」
翌日、ミレイアはアシュトンから報告を受けたが、その内容を聞いて思わず頭を抱えた。「…つまり、あなたは侯爵の側近に何の影響も与えられなかったどころか、老婦人の恋愛相談に乗って帰ってきただけ…ということね?」
アシュトンは照れくさそうに頭を掻き、「ええ、まあ…彼女には疑念を持たせられたんじゃないかと思うんですけどね」と言い訳をする。
ミレイアはあきれ顔でため息をつきつつも、どこかおかしさを感じずにはいられなかった。「仕方ないわ。次はちゃんと側近の部屋に行くのよ。間違えないように」
「もちろんですとも!次こそ完璧に遂行してみせます!」アシュトンは胸を張って自信満々に答えたが、その姿にミレイアは微かな不安を抱きつつも、どこか憎めない彼の性格に、思わずくすりと笑ってしまうのだった。
こうして、復讐の計画は初っ端から微妙にズレながらも、確実に進み始めていた…のかもしれない。