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上級国民  作者: 迎ラミン
第二章 反逆者
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反逆者 4

 きゃあっ! という井上の悲鳴混じりの声は一瞬で遠ざかっていった。ルックス同様に声もキュートなので、正体を知らない相手にはもてるんだろうな、などとどうでもいいことを考えながら、アズケンは脚を動かし続けた。引退したとはいえ自分の能力なら、しばらくはじゅうぶんなスピードを維持できるはずだ。


 夕方の時間だが、山に近い街外れということもあって、幅の広い歩道に人はまったくいない。トップスピードを維持しつつ、念のため三回ほど適当に角を曲がる。素早く振り返って、誰も追ってこないことを確認したアズケンは、そこでようやく速度を落とした。スプリント、ジョグ、そしてウォーキングと減速していく様は、本人にはもはや自覚はないが、高級車がギアを落とすような滑らかさだ。


「さすがのスピードね」


 スゴバッグのポケットから、くぐもった声が聞こえてきた。またしてもナナ・アリーが勝手に起動していたらしい。

 立ち止まったアズケンは、Aフォンを取り出してスクリーンに向かって問いかけた。


「どこから聞いてたんだ」

「井上さんの、最初の『駄目ですよ』あたり。とりあえずバイクは諦めて走って逃げちゃえばいいのにって思ったら、案の定そうしてくれたから安心した。以心伝心って感じね」

「ていうか、他に思いつかなかったからな」


 AIと「以心伝心」ていうのはどうなんだ、とまたもやどうでもいいことを考えてしまいそうになって、アズケンはさり気なく顔をしかめた。相変わらず、この怪しいアリーには調子を狂わされて仕方がない。


「取り急ぎ、メリッサにメッセージは送っておいたわ。クチーナ・エッレと凛堂さん、おかしなことになってるわよって」

「ありがとう、助かる」


 誰の名前で、どうやってメリッサにコンタクトを取っているのかなど、今さら追求する気はなかった。とにもかくにも、自分たちの置かれている現状をメリッサにも把握してもらうことが最優先だ。


「バイクはすべてが解決したら、あらためて引き取りにきましょう。万が一捨てられちゃってた場合は、もちろん弁償もさせる方向で」

「そうだな」


 SGI配達員になる遙か以前、高校時代から愛用していたクロスバイクだけに、無事を祈りたかった。自分の脚同様に大切な相棒と、こんな形で別れるなどはしたくない。


「それにしても」


 一つ息をついたアズケンは、ナナ・アリーに向けて肩をすくめてみせた。見えていないことはわかっているが、どうしてもこうした自然なコミュニケーションになってしまう。


「今の日本て、本当にディストピアなんだな」


 たった一週間だけだし、クチーナ・エッレのような場所や人は、まだ少ないのかもしれない。けれども実際にそれを目の当たりにしたことは、やはり大きな衝撃だった。文字通り「まだ」少ないだけで、凛堂や井上のような歪んだ考えを持つ上級国民は、今後もどんどん増えていくように思えてならない。


「俺は、俺たちは、普通に暮らしたいだけだ。一億円稼ぎたいとか、外国に別荘を持ちたいとか、そんな大それた願いはこれっぽっちも持ってない。三食きちんと飯にありつけて、暑さ寒さをしのげる家があって、年に何回か旅行する程度のささやかな贅沢ができればそれでいい。多くの人が同じように思ってるはずだ。なのに、その程度の〝普通〟すら許されないなんて。いつの間に、ここまでおかしくなっちまったんだ」


 言葉が自然にあふれるとともに、今までその歪みに、衰退に、真っ直ぐ目を向けてこなかった自分が恥ずかしくなってくる。

 ナナやダイ、メリッサのように将来をきちんと見据えてこなかった自分。人よりちょっと脚が速いことだけをたのみに、部活感覚でプロアスリートという道を選んだ自分。似たような大多数の無関心が結局、大沼総理のような人物を元首に据え、日本を腐らせてしまったということなのか。


「だから取り返すの」


 言葉にしなかった想いまで汲み取った口調で、ナナ・アリーが言ってくれた。


「それでも日本は民主国家だから取り返せる。リカバリーできる。大統領制への移行は、この国が立ち直る大きなチャンスよ。上級国民とか一般国民なんていうくだらない区分を取っ払って、甘い汁を吸い続けるあくどい政治家や公共団体に、メスを入れる人がリーダーになるための。日本人が〝普通〟の暮らしを取り戻すための」

「ナナ……」


 そのリーダーにお前がなるんだろ、と言うべきかどうか迷ったタイミングで、ナナ・アリーは緩やかに首を振ってみせた。


「違うわ。私はナナじゃない。私はアリーよ」




 数分後、無事八王子駅に辿り着いたアズケンは、ナナ・アリーの指示に従ってまずはJRで東京駅に向かった。建設以来、何度か大きな改修工事を繰り返してきたという東京駅だが、赤煉瓦の外壁に彩られた駅舎だけは、ずっと昔から変わっていないらしい。レトロモダンなあのたたずまいがアズケンは好きで、丸の内界隈への配達があったときなどは、わざわざ近くを通って眺めたりしたものである。だが、今回は別路線に乗り換えるだけなので、残念ながら瀟洒な外観を拝むことはできないようだ。


《次の場所は特急で二時間ちょっとよ。今ならまだ電車もあるはず》


 八王子駅を出発したところで、ナナ・アリーがチャット機能で話しかけてくる。

 東京を離れる、としか聞かされていなかったアズケンの目に、続けて具体的な地名が飛び込んできた。


《福島県いわき市に向かいましょう》

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