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上級国民  作者: 迎ラミン
第二章 反逆者
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反逆者 2

 翌日からアズケンは、クチーナ・エッレにほど近い山中で、なんと本当に畑仕事を手伝うことになった。凛堂や「(いの)(うえ)()()()です」と名前を教えてくれたあのカメリエーラによれば、店で使う野菜のほとんどをここで自家栽培しているのだという。


「有機栽培なので手間はかかりますけど、やっぱり味がいいですからね」


 みずから軽トラックを運転してアズケンを案内してくれた凛堂は、昨晩同様の穏やかな笑みでそう語った。直後に「何よりも」と続ける。


「社会的弱者と言われる人たちに、仕事を提供できます」

「なるほど」


 アズケンは感心して何度も頷いた。学校のグラウンド半面ぶんほどもある畑では確かに、十人近い人々が散らばって地道に土を掘り返したり、空いているスペースを鍬やスコップで耕したりしているのだった。

 さらに凛堂は、提供しているのが仕事だけでないことも教えてくれた。


「店と同じく古民家を改装した、あそこの寮で寝泊まりしながら、こうして農業に従事してもらっています。畑で取れたものをそのまま使うだけですが、食事もつけて」

「へえ。素晴らしいですね」


 凛堂が指さす先、畑のすぐ向こう側には横長の平屋が見えた。トタン屋根のかなり古い建物のようだが、職のない人々にとっては、寝る場所と食事が提供されるだけでもありがたい環境だろう。


「余った野菜をネットでの通販に回せるくらいには、順調に収穫できていますしね。ただそのぶん、人手は不足しがちでして。トップアスリートだった方に野良仕事なんて申し訳ないですが、よろしければのんびり手伝ってやってください」

「とんでもありません。ありがとうございます」


 俄然やる気が湧いてきた。アズケン自身はクチーナ・エッレの屋根裏部屋を自由に使っていいと言われ、食事も引き続き店のまかないを出してくれるそうだが、なんにせよ受けた恩を得意の肉体労働で返すチャンスだ。


「じゃあさっそく、お手伝いさせていただきます」


 その後、作業員たちの班長を務める(さる)()という中年男性を紹介され、アズケンも彼らに交じって働き始めた。




 猿田がつきっきりで手順を教えてくれたことに加え、もともと向いていたのか、三日も経てばアズケンは蕪や人参、サツマイモなどを綺麗に掘り起こせるようになった。

 ただし。

 違和感もまた、早くも覚え始めてもいた。きっかけは、作業員たちの自分に対する接し方である。


「東さん。あまり根を詰めず、どうぞこちらで休んで下さい」


 農作業に取り組み始めて五日目。午前中の作業が始まってまだ一時間ほどしか経っていないのに、アズケンは隣の畝にいた猿田から折りたたみ椅子を差し出された。当たり前だが彼の方もさして疲れた様子はなく、使い込まれたキャップの下で、陽に焼けた顔がにこにこと笑っている。目尻や頬に深いしわがくっきりと現れるその笑顔は、なんとなく学校の用務員さんを思い起こさせる。


「ありがとうございます。でも始まったばかりですし、全然大丈夫です」


 微笑んで首を振ると、猿田は一瞬だけ複雑な表情を見せたものの、「そうですか」とそれ以上は勧めてこなかった。


「もし体調が悪くなったりしたら、いつでも近くの人間に声をかけてくださいね」

「はい。ありがとうございます」


 もう一度礼を述べながらも、アズケンは頭の片隅で「またか」と思っていた。


 なんでこんなに、お客さん扱いなんだ?


 自分に対して作業員たちが、必要以上に気を遣っているように感じられてならないのだ。

 他にも、


「東さん、お茶をどうぞ」

「あ、それは私が持ちますから」

「東さんはもう上がっても大丈夫ですよ」


 などと、ナナではないがまるでVIPのような態度で、ほぼ全員が接してくるのである。こちらはただの居候なのだから、むしろ彼らの方が立場は上と言ってもいいくらいなのに。また、勝手なイメージかもしれないが、農作業に従事する人々は、もっとざっくばらんで庶民的なのではないだろうか。


「体力だけは自信があるので、お構いなくどんどんこき使ってやってください」


 あまり慣れない冗談めかした口調で伝えたりもしたが、それでも彼らの対応は、まったくと言っていいほど変わらなかった。




「どう思う?」


 さらに二日後。屋根裏部屋で毛布にくるまったアズケンは、みずから起ち上げたナナ・アリーに、このことについて問いかけてみた。時刻はまだ午後九時。いつもならあと三十分ほど経つと彼女の方から勝手に起動して、どこから情報を仕入れているのかは知らないが、公安の動きや現在の安全状況について教えてくれる時間帯だ。しかし、さすがに待っていられない心境になっていた。


「なるほど。話を聞く限りだけど、確かにちょっと大事にされ過ぎてる感じね」

「ああ。意外に外から来た人間を、受け入れない人たちなのかな。それとも身体が弱い奴だとでも思われてるのか……」


 猿田らの顔を思い浮かべながら、ナナ・アリーに聞かせるともなしに、アズケンはつぶやいた。

 朝九時半から作業に加わり、昼食はいったん店に戻ってまかないをいただく。たっぷり昼休みを取ってから、午後二時頃に畑へ戻り、夕方前には早くも一日分の仕事が終了。終わったら寮でシャワーを借りて汗を流し、クチーナ・エッレに戻ったあと、またもや美味しいまかない料理で夕食。その後は完全に自由時間。

 これがアズケンの一日のスケジュールなのだった。実質的な労働時間は、多く見積もっても五時間程度だろう。道も覚えたので、移動も愛車のクロスバイクで自由にさせてもらっているし、その移動時間だって片道十分程度のものだ。

 こうした、やたらと余裕のあるスケジュールも含めて、ナナ・アリーが言う通り大事にされ過ぎている感が拭えない。


「リーダーの、ええっと――」

「猿田さんか」

「そう、その猿田さんに正直に伝えてみれば? もっと雑に扱って、こき使ってくださいって」

「一応、伝えてはいるんだけどな」

「ふーん。にもかかわらず、VIP扱いのままなんだ」

「ああ」


 ナナそっくりの彼女が「VIP扱い」などと口にするのがおかしくて、アズケンは軽く口元を緩めた。さすがに表情を見ることはできないからか、ナナ・アリーは特に反応せず、尖った顎先に手を当てて何か考えている。

 数秒後、ナナ・アリーは一つの提案をしてきた。


「ねえ、アズケン」

「うん?」

「明日、作業中に私を起ち上げっぱなしにしておいてくれる? 音でしか判断できないけど、現場の雰囲気を私にも感じさせて。バッテリーだって丸一日は保つはずだから」

「わかった。じつは俺の方でも、一度そうしてもらおうかと思ってたんだ。このAフォンは防水・防塵対応だしな。ていうか君は、ほっといても自分で起動できるだろう」

「あ、そうか。まあなんにせよ、そういうことで明日はよろしく」


 しれっと返されて、アズケンはまたもや苦笑を浮かべた。

 目も鼻もないシルエットだが、ぺろりと舌を出して笑う表情が、はっきりと見えた気がした。




 翌日。ナナ・アリーが大胆なことを言い出したのは、午前中の作業も終わろうかという頃だった。


「アズケン」


 そのときアズケンは、通称「ネコ」と呼ばれる手押しの一輪車を片づけるため、寮に併設された納屋の中にいた。


「どうした? 何かわかったか?」


 昨夜の打ち合わせ通り、今日は作業着代わりのジャージのポケットにAフォンを入れ、彼女を起ち上げっぱなしにしてある。


「ううん、まだ全然。けど、ちょっと試して欲しいことがあるの」

「なんだ?」

「私を、Aフォンを、アズケンが持ってるんじゃなくて寮のどこかに隠せないかな。できれば食堂とか、作業員の皆さんが集まって会話するところに」

「!! それって」


 アズケンにもすぐに意図はわかった。


「立派な盗聴だぞ」

「違うわよ。たまたまあなたが置き忘れていったAフォンで、たまたまアリーのアプリを閉じ忘れてたってだけの話よ」

「…………」


 堂々と言ってのけるので、アズケンは固まってしまった。彼女が本当にナナだとしたら、皇族、そして初代大統領候補らしからぬ発言だ。けれども正直、いいアイデアだとも思う。自分がいない場所でなら作業員たちも、本音や素の発言をしていることだろう。


「大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。古い建物だし、隠すとこなんていくらでもあるでしょ。あなたがシャワーを浴びるときに回収してくれればいいし」

「あ、ああ」


 頷きつつも、アズケンは妙な気恥ずかしさを覚えた。物理的に不可能なはずなのに、「シャワー」という単語が出た時点で「覗くなよ」と思わず言いそうになったほどである。


 ……やっぱり〝中の人〟がいるんじゃないのか。


 内心でつっこんでから、「わかった。よさげな場所を見つけて試してみる」と素直に提案を受け入れたアズケンは、納屋から繋がる寮内へとさり気なく足を運んでいった。




 真相、と呼ぶべきかどうかは微妙なところだが、作業員たちが卑屈なまでに振る舞う理由が判明したのは、約四時間後のことである。

 シャワーを借りる前に食堂を覗いたアズケンは、何食わぬ顔で片隅に置いてあるロッカーに近づいた。上手い具合に周囲には誰もいない。掃除用具を入れたこのロッカーこそが、日中にAフォン=ナナ・アリーを隠した場所だった。

 Aフォンを無事手に取ると、起動しっぱなしのナナ・アリーがすかさず話しかけてくる。


「アズケン、わかったわ」

「本当か!?」


 つい興奮した声が出てしまった。歩きながら慌てて声量を落とし、「悪かったな。暗くて汚いところに閉じ込めて」と謝ってもおく。


「気にしないで。さすがに視覚や嗅覚はないから、そこは全然気にならないもの」

「あ、そうだったな」


 今やすっかりナナ本人と同じ感覚で会話しているので、このあたりはどうにも調子が狂って仕方がない。苦笑を浮かべたアズケンはあらためて、「で、何がわかったんだ」と彼女が掴んだ情報について尋ねた。すでにシャワールームに辿り着いているが、こちらも人の気配はない。


「うん。じつはね……」


 いつもはきはきしているナナ・アリーにしては珍しく、歯切れの悪い反応が返ってくる。


「どうした? そんなにやばいことか?」

「やばいってわけじゃないんだけど、ちょっと嫌な気分になるかも」


 スクリーンの中で、まるで自分の落ち度であるかのように、シルエット姿が小さく俯く。それでも意を決した様子で顔を上げた彼女は、みずからの推測も交えながら、聞き及んだ内容について詳しく説明してくれた。


「結論から言うと、ここの農作業員の人たちも搾取されてるみたい」

「え? どういうことだ?」

「作業員は全員、大きな借金を抱えたり前科があったりして、職業を自由には選べないような人たちだったのよ」

「えっ!」


 穏やかでない言葉に、アズケンは目を見開いた。凛堂が語っていた「社会的弱者」というのは、このことだったのか。


「ちょっと待ってくれ」


 見えていないとわかりつつも、アズケンはスクリーンに向けて片手を差し出した。

 職業を自由に選べない社会的弱者。その人たちに寮での共同生活、さらには農業という仕事も提供する。表向きには素晴らしい活動だ。実際、自分自身も「いいですね」とコメントしたことを覚えている。

 だが。


「……共同生活と農作業を、提供してるんじゃなくて()()()()()ってことか」


 一見すると美談だが、裏を返せばそういう見方もできてしまうことに、今さらながら思い至る。そしてそれはナナ・アリーが言う通り、残念ながら事実なのだろう。


「うん。食堂での話を繋ぎ合わせると、ここの人たちは時給八百円ていうわずかな賃金で働かされてるみたい。しかも、寮での食費や光熱費も天引きされて」

「時給八百円!?」


 それでは手元に、ほんの数万円しか残らないだろう。一応は都内なので、法律で決められた最低賃金だって下回っているはずだし、苦学生も真っ青の経済状況だ。


「でも、自己破産してたり前科があったりで選べる職業は限られているから、居続けるしかない。言われるがままに、ビラ配りやデモへの参加といったレジスタンス活動も手伝うしかない。もし別の土地に逃げ出せたとしても、レジスタンスグループ同士のネットワークを使って過去の過ちや悪い噂を広めて、結局は戻ってくるしかないように仕向けてるって感じらしいわ」

「マジか」


 アズケンの脳裏に、凛堂の姿が浮かぶ。自分に向けてくれた穏やかな笑顔は、弱者を助けるどころか、逆に搾取することで生まれていたものだったのか。それを見抜けなかった自身にも腹が立ってくる。


「クチーナ・エッレのスタッフたちも、そのことを知ってるのか?」

「ええ。完全に作業員の人たちを見下して、言葉は悪いけど、収容所に集められた人足みたいな接し方をしてくるそうよ。若い女の子ですらそうみたい」

「若い女って……」


 凛堂に代わって最初に応対してくれた、にこやかなカメリエーラの顔が脳内に現れた。井上という彼女はその後も、「あ! 東さん、お疲れ様でした!」「今日のまかない、ジェラートの試作品もつけておくんで感想をくださいね」などと、店に帰るたびに笑顔で声をかけてくる。だがそれも「同じ畑仕事をしているけど、この人だけは違う」という、差別意識があればこそなのかもしれない。


「アズケンは、店に戻っても丁寧に接してもらってるよね」


 心を読んだかのようにナナ・アリーが続ける。


「ああ。けど、それはつまり――」

「うん。あなたが〝メリッサお嬢様のご学友〟だから。具体的には聞かされてないみたいだけど、作業員の人たちもなんとなく、立場について察してる雰囲気だった」

「だから、やたらと丁寧に接してくる?」

「ええ。彼らはすっかり卑屈になっていて、人生を諦めてもいる感じだったわ。自分たちはランクが下なんだ、アズケンも含めてああいう人たちに一生使われる立場なんだ、っていうふうに」

「そんな! それじゃまるで、俺まで勘違いしてる上級国民みたいじゃないか!」


 ナナ・アリーが悪いわけではないのに、つい口調がきつくなった。欠片も望んでいないというのに、自分がもっとも嫌う人々のように見られていたなんて。


「悪い。君に言っても仕方ないよな」


 自分を落ち着かせるべく、大きく息を吐いてからアズケンは静かに口にした。


「なあ」

「何?」


 語尾に被せるようにして、からりと明るい声が返ってくる。その反応で確信した。彼女も、ナナ・アリーも、わかってくれている。

 案の定、なんでもないことのように軽やかな声が言う。


「メリッサには、私から伝えておくから大丈夫よ」

「ありがとう。じゃあ今夜にでも、ここを出よう」


 スクリーンを見つめ返して、アズケンは力強く頷いた。

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