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上級国民  作者: 迎ラミン
第二章 反逆者
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反逆者 1

 取り急ぎ数日分の着替えと貴重品、さらに念のためパスポートもスゴバッグに詰め込んで、アズケンはふたたびクロスバイクで夜の街へと漕ぎ出した。取り外したGPS発信器はアパートの部屋に置いてきたので、少しでも時間が稼げればと願う。


「今からナビする場所に向かって。タダで食事させてくれるし、おそらくは寝床も用意してもらえると思うから」

「あ、ああ」


 答えるや否や、またもや勝手にAフォンの画面が切り替わって、地図アプリが表示される。片隅でアリーがたたずんでいるのはいつも通りだが、それは見慣れたグリーンのシルエットではなく、やたらと馴れ馴れしい向日葵色のアリーなのだ。彼女にAフォンを丸ごと乗っ取られたみたいで、どうにも複雑な気分がアズケンは拭えなかった。

 ともあれナビに従い、西へ向かってクロスバイクを走らせる。「遠くてごめんね」という声とともに、何度か休憩を挟みながら二時間ほどペダルを回して辿り着いたのは、(はち)(おう)()市の外れにある小さなレストランだった。


「ここか?」

「ええ」


 ナナ・アリー(便宜上、アズケンはそう呼ぶことにした)に確認して、あらためてレストランの外観を眺める。

 明らかに木造建築とわかる素朴な建物は、民家を改装したものだろうか。隣接する駐車場もわずか五台ぶんの枠しかなかったが、ありがたいことに自転車用のスタンドが片隅に設置されていたので、そこに愛車をワイヤー固定して店の入口に回る。


「クシナ・アール?」


《Cucina R》と彫られた小さな木の看板を読み上げると、依然として起動したままのナナ・アリーに訂正された。


「イタリアンのお店だから『クチーナ・エッレ』って読むの。先に連絡がいってるはずだし、心配しなくても大丈夫。さっきも言ったけど、隠れ家になってくれるお店よ」

「わかった。ありがとう」


 素直に礼を言って、アズケンは幅広の木製ドアを押し開けた。カラン、とドアベルが鳴り、「いらっしゃいませ!」と複数の元気な声が迎えてくれる。時刻は夜十時を過ぎているが、まだ営業時間内のようだ。店内はテーブル席が合わせて八卓だけという、外見通りにこぢんまりとしたレストランだった。


「こんばんは。いらっしゃいませ」


 平日の遅い時間にもかかわらず、席のほぼすべてが埋まった活気ある様をぼけっと観察していると、パンツルックのウェイトレスが笑顔のまま近寄ってきた。アルバイトだろうか。自分より年下っぽい感じだが、イタリアンレストランらしいリボンタイと黒ベストがよく似合っている。


 あ、ウェイトレスじゃなくてカメリエーラ、だっけ。


 メリッサのお陰で覚えた単語が頭に浮かんだところで、まさにその名がカメリエーラの口から飛び出した。


「東様ですね。メリッサお嬢様のご学友の。お話は伺っております」

「え」


 イタリアンレストランという時点でそんな気はしていたが、案の定メリッサに繋がりのある店らしい。


《オーナーシェフの(りん)(どう)さんて方が若い頃、メリッサの伯父さんがやってるお店で、修行してたんですって。だから彼女とも知り合いなの》


 手にしたままのAフォンが震えたので目をやると、ナナ・アリーからのそんなチャットが表示されていた。「特殊なアリー」だからか、あまり人前に出てくる気はないらしい。

 いずれにせよナナ・アリーはメリッサを通じてか、もしくは彼女から名前を使う許可を得て、この店にアズケンをかくまうよう話をつけてくれたのだろう。


 そういえばあいつ、夏休みとか春休みにちょくちょくイタリアに帰省してたもんな。


 学生時代のメリッサを思い出すとともに、やはりナナ・アリーはナナ本人が操っているのではないかという考えが、ふたたびアズケンの胸に湧き上がった。見た目や喋り方だけでなく、呼び捨てにするくらいメリッサと近しい様子まで、本当にそっくりそのままだ。おそらくはダイにも直接、同じような距離感で連絡を取れるのではないか。だが追求したところで、またはぐらかされることは目に見えているので、踏み込んで訊くのはとりあえず止めておいた。


「東様、どうぞこちらへ」

「あ、はい。どうも」


 愛想のいいカメリエーラの声で意識を戻したアズケンは、予約客よろしく、奥に一つだけある個室へと案内された。


「やあ、東さんですね。ようこそ、クチーナ・エッレへ」


 個室にはコック服を着た紳士が待っていた。「オーナーの凛堂良介です」と自己紹介しながら立ち上がり、握手を求めてくる。


「東剣です。すみません、まだ自分でも状況がよくわかっていないんですが、とりあえずお世話になります」

「いえいえ、どうぞお気になさらず。いきなり公安に濡れ衣を着せられて、監視される羽目になったんでしょう? 混乱するのも無理ないですよ。さあ、どうぞおかけになって楽にしてください」

「ありがとうございます」


 お言葉に甘えて、アズケンは対面の席に腰かけた。凛堂の年齢は、四十代なかばといったところだろうか。少しだけ白いものが混ざった豊かな髪と、彫りの深い顔立ちは、彼もまたイタリアの血が入っているようにも見える。


「本当にすみません、お忙しいのに」


 もう一度アズケンが恐縮すると、「全然大丈夫です。ぶっちゃけ、店は私がいなくても回るようになってますから。私の仕事は偉そうな顔をして、常連さんのテーブルへ挨拶に行くことくらいです」と凛堂は肩をすくめ、いたずらっぽくウインクしてきた。大袈裟なボディランゲージも、ますます外国人ぽい。


「メリッサお嬢様とはパルマでの修業時代に何度もお会いして、以来ずっとお世話になっているんです。店のスタッフでただ一人の日本人ていうのもあったかもしれませんが、どこの馬の骨ともわからない若造に、いつも優しく話しかけてくださいましてね。しかも会うたびに美しく成長されていくものだから、なんだか本当にプリンチペッサを見ているようでした」

「へえ」


 プリンチなんとか、というのは「プリンセス」のイタリア語だろうと見当がついた。ともすればナナ以上に気さくな性格のメリッサは、きっと伯父さんの店でも、大人気の身内客だったのだろう。


「僕の件もメリッサから連絡が?」


 さり気なさを装って、アズケンは尋ねてみた。ナナ・アリーは「連絡がいってるはず」と言っていた。彼女自身による直接のコンタクトはさすがにできないからだろうし、もし本当にナナ本人が化けているとしても、内親王が市井の一レストランに、いきなり電話やメールをするなどという行為も難しいはずだ。ということは、話を通してくれたのはメリッサしか考えられない。ちなみにそのナナ・アリーは、またしても勝手にAフォンを操って、いつの間にか端末全体をスリープ状態にしている。

 凛堂は、にっこりと質問を肯定した。


「ええ。パルマからわざわざ、お電話をくださったんです。変わらずお元気そうでしたし、私も久しぶりにお話しできて嬉しかったです」

「そうですか」


 笑みを返しながらアズケンは内心で、やっぱりな、とつぶやいた。

 凛堂が嘘をついていないのならば、やはりメリッサもナナ・アリーと繋がっており、しかも「知り合いの店に頼んで、アズケンを保護して欲しい」などという無茶な頼みを聞き届けるくらい、信頼し合っているということだ。ますますもってナナ・アリーは、ナナ自身か、もしくは彼女の意志が多分に反映されている存在の可能性が高い。


「メリッサお嬢様から、東さんのプロファイルを伺って驚きました。()()東剣さんだったんですね」

「はあ」


 凛堂は、アズケンの経歴についても知っているようだった。マイナー競技だし引退時の扱いもひっそりとしたものだったので、こういう反応は久しぶりである。


「国を代表する元アスリートさんをお迎えできるなんて、とても光栄です。どうぞお気兼ねなく、何日でもゆっくりしていってください」

「ありがとうございます」


 とはいえ、単なる居候というわけにもいかない。アズケンは思い切って申し出てみた。


「あの、落ち着いたら是非、僕にもお店の雑用とかを手伝わせてください。デリバリーをされてるなら、今はまさにそれが本業ですし。もちろん給料とかは結構なので」

「ははは、東さんは本当に真面目ですね。お嬢様から伺った通りだ。ではお言葉に甘えて、明日以降ちょっと手伝いをお願いしてもよろしいですか」

「はい、なんなりと仰ってください」


 すんなり了承してもらえたことに、ほっとしたアズケンだが、笑顔の凛堂から告げられた「手伝い」の内容は意外なものだった。


「店の業務ではなく、()()の活動を助けて欲しいのです」




 その後、凛堂の指示で、ずっと傍らに控えていたカメリエーラの女の子が食事を二人ぶん運んできてくれた。「まかない料理で申し訳ない」などと恐縮されたが、あさりの入ったボンゴレパスタと豚肉のソテー、トマトたっぷりのサラダはどれも絶品で、こういう状況でなければ、純粋に客として訪れたくなるほどの美味しさだった。


「凄く美味しいです」

「それはよかった」


 笑みを深くした凛堂は、自身も同じものを口に運びながら、あらためて先ほどの言葉の意味を教えてくれた。


「私やカメリエーラの彼女も含めて、クチーナ・エッレの関係者は皆、レジステンツァなんです」

「レジステンツァ?」


 おうむ返しにつぶやいたものの、そのイタリア語もアズケンはすぐに理解できた。国家権力に追われる自分をかくまってくれる「組織」。漫画や小説に出てくる、よく似た英単語。つまり――。


「ええ。反政府レジスタンスというやつです」


 食事を終え、手元のナプキンで上品に口をぬぐった凛堂が頷く。


「大沼政権による独裁まがいの国家簒奪。弱者を虐げ続けるディストピア・ジャポーネ。我々はこれを終わりにするため、同様の志を持つ全国各地の仲間とともに、地道な活動を行っています」

「なるほど」


 英語の部分がなんでもイタリア語なんだな、とどうでもいい感想を抱きつつ、アズケンも頷いた。確かに反政府活動家でもなければ、いくら師匠の姪っ子からの頼みとはいえ、それこそ「どこの馬の骨かもわからない」男を、これほどまでに簡単には受け入れてくれないだろう。

 ただ、どうしても気になる点があった。


「差し支えなければどんな活動をされているか、それと僕に何をして欲しいのか、具体的に教えていただけませんか」


 アスリート時代同様に、相手を真っ直ぐ見つめて毅然と口にする。いくら身をかくまってもらうとはいえ、破壊や暴力といった過激な活動の片棒を担がされるのだけは、ごめんだった。そんな真似をすれば本当に犯罪者になってしまうし、元の木阿弥だ。

 だが凛堂は、アズケンの杞憂を見抜いているようだった。ふたたび「ははは」とおかしそうに笑う。


「安心して下さい。東さんにお手伝いいただきたいのは、畑仕事です」

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