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上級国民  作者: 迎ラミン
第一章 逃亡者
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逃亡者 4

 ダイの思惑はともかくとして、からくも窮地を脱したアズケンだったが、ことはそれだけで終わらなかった。表面上は何もないように見えて、明らかに違和感を覚える場面が増えたのだ。

 簡単に言えば、誰かに見張られていると日に何度も感じるようになったのである。

 信号待ちの交差点で同じセダンを何度も目撃したり、配達する食事を受け取る際、明らかにどこかかからの視線を感じたり、といった具合に。


 それでも、気のせいだろうと言い聞かせて日々を過ごしていたものの、公安に呼び出されてからちょうど一週間後、やはり監視されているのだと認めざるを得ない事実が、立て続けに発覚した。

 一つ目は郵便物の盗難だった。その夜、神奈川県の実家に住む両親から「剣、こないだの手紙ちゃんと読んだ?」という電話がかかってきたが、アズケンにはなんのことだかさっぱりわからなかった。話によれば、一週間ほど前に投函したものらしい。ただ単に、元気でやっているかを尋ねる文面だったらしいが、思わず背筋が冷たくなるのを感じた。


 そして決定的だったのは、まさかと思いつつ直後に調べた、愛車のクロスバイクである。それなりにいい値段のする有名ブランドの一台なので、アズケンは帰宅後、必ず室内にバイクを保管している。タイヤやチェーン、スプロケットと呼ばれる歯車などの簡単な汚れも落としてから、専用のスタンドに立てかけているのだが、気になったので普段はチェックしない泥よけ部分を調べてみた。

 すると。


「あっ!」


 どう見てもまだ新しい、メモリーカード大の黒い板が裏側に張りつけられていた。当たり前だが、自分ではなんの覚えもない物体だ。そしてこれがGPS発信器の類いであろうことは、素人の身でもわかった。取りつけられたのは、あの呼び出しの日で間違いない。目的は言うまでもなく、公安警察による監視と尾行だろう。信じたくはなかったが、もはやスパイ映画の様相を呈している。


「……マジかよ」


 焦りと恐怖の中、ごくりと唾を飲み込んだ瞬間。視界の片隅に、Aフォンの画面が発光する様子が映った。

 電話かメッセージの着信かと思ったが違う。スクリーンには、女性のシルエットが揺れている。


「アリー?」


 思わずアズケンは、ごく自然に呼びかけてしまっていた。よく考えれば、いくら高性能AIといってもアリーが自分の意志で起動するなどあり得ないのだが、混乱のあまり冷静な判断ができていなかったのかもしれない。


「どうし――」


 た? という最後の一音が、はっと気づいて直前で飲み込まれる。

 代わりに出てきたのは、あ然としてのひとことだった。


()()()?」




 Aフォンの画面内にたたずむ、シルエット姿の美しい女性。背筋を伸ばし両手を前に重ねた姿は、誰が見ても「美人秘書」という単語が思い浮かぶだろう。しかし。


「俺のアリーじゃないよな?」


 アズケンの眼前にいるのは、明らかに自分のアリーではなかった。まず、シルエットを形作るカラーが違う。自分のアリーは輪郭や髪色がグリーンだが、このアリーはそれらの部分が鮮やかなイエローだった。

 真夏の太陽に向かって咲き誇るイエロー。よく知っている、向日葵の色。

 しかもご丁寧なことに、向日葵色のアリーはセミロングの髪を、これ見よがしにシュシュでまとめてもいる。まるで、この姿ならあなたも話を聞いてくれるでしょう、と言わんばかりに。


「どうなってんだ、一体……」


 一度にいろいろなことが起こったために、クールな性格のアズケンもさすがに混乱していた。郵便物の盗難。愛車に取りつけられた発信器。そして極めつけはアリーの乗っ取り(?)である。

 声が聞こえたのか、スクリーンのアリーがこちらの方へ顔を向ける。いまいましいことに、素早い反応とほんの少し小首を傾げる動作まで()()にそっくりだ。


「こんばんは、アズケン」

「!!」


 やはりそっくりな声に、アズケンは目を見開いた。まさか、とある可能性が思い浮かぶ。


「ナナ……なのか?」


 自分でもわかるほど掠れた声は、けれどもすぐに否定された。


「いいえ、私はアリーよ。二十ヶ国語に対応したインターフェイスと、自己学習・自己認識型AIを搭載した擬似人格プログラム。あなたの素敵な毎日をサポートする、デジタル・セクレタリー。All Life Lighthouse for Youの頭文字をこの名にいただいた、Ally Laurenceです。って、宣伝文句通りに自己紹介しちゃった。あはは」

「…………」


 どうやらこのアリーは、自分のそれと違ってかなりフランクな性格らしい。けれどもだからこそ、ますますナナに似ている。はきはきした口調と、屈託のない朗らかな笑い方。もし顔がシルエットでなければ、きっと本物と同じように大きく口を開けて笑っているはずだ。『もうちょっとプリンセスらしく笑えよ』『大丈夫。公務のときは、お上品に微笑みますから』などと、よくやり取りしたように。


「ナ――アリー。俺のアリーはどこに行った? いや、どこへやった?」


 なんとか自分を落ち着けようと、小さく深呼吸してから、アズケンは謎のアリーに尋ねた。それでもつい、ナナ」と呼びそうになってしまったのが腹立たしい。


「ごめんなさい、アズケン。あなたのアリーには、しばらくお休みしてもらったの。有給休暇みたいなものだと思ってくれればいいわ」

「ふざけるな。どういうつもりで、こんな乗っ取り行為を働いてるんだ。立派な犯罪だぞ。まさかお前も公安絡みか? だったら回りくどいことをしないで直接言え。何が目的だ。なんで俺の回りを嗅ぎ回る? そんなにこの前のインタビューが、お気に召さないってわけか」


 口を動かしているうちに冷静さが戻ってきたアズケンは、Aフォンの画面に向かって厳しい言葉を立て続けに投げつけた。

 すると謎のアリーは、「そっか。やっぱり引き続き公安が動いてるんだ」と尖った顎先に手を当てて頷いている。

 顔を上げた彼女は、「これだけは信じて」と真剣な口調で伝えてきた。


「私はアズケンの味方よ。あなたが逃げるのを手伝いたいの」

「は?」


 それこそ公安に出頭させられたときのような、変な声が出た。逃げる?


「アズケンが公安警察に呼び出されて、特定秘密保護法違反の濡れ衣を着せられかけたことは私も知ってる。今の話を聞く限り、その後もマークされてる感じね」

「ああ」


 相手がナナそっくりだからか、アズケンは素直に返事をしてしまった。一拍遅れて「ていうか、なんで君がそんなことを知ってるんだ」と慌てて問い質す。


「私は特殊なアリーだから、普通の彼女たちが使えない情報網にもアクセスできるの。一週間ほど前、菜々子内親王を熱く弁護した若者が、言いがかり同然の容疑で公安に出頭させられた、なんて情報も調べればすぐにわかるわ」

「……つまりは、アリー版上級国民ってわけか」


 そんなものが本当にあるのかどうかは知らないが、口からこぼれた自分の言葉を聞いて、まさにぴったりの呼び方だと思った。見た目に関しても「特殊なアリー」とやらの特権を利用して、わざとナナそっくりに設定したのだろう。ということは当然、自分がナナと親しい間柄というのも把握済みだと思われる。


「上級国民っていう制度自体、私も好きじゃないけど、やっぱりそんなふうに見えちゃうのは仕方ないか」


 いったん言葉を切った謎のアリーは、そうして今一度、真剣な声音で訴えかけてきた。


「このままだとあなたは危険よ。おそらく公安は、さらに強硬な手段に出るはず」

「強硬な手段って、おい――」

「ええ。また適当な濡れ衣や冤罪をでっちあげて、今度こそ最初から容疑者扱いで拘束しにくるでしょうね。つまりは逮捕ってわけ」

「なんでだよ! 大体俺は、法に触れることなんてなんにもしていない!」

「わかってる。アズケンが無実だってことも、そもそも犯罪を犯すような人じゃないってことも」


 ほんの少しだけ彼女の声が柔らかくなったのは、気のせいだろうか。だがそれも一瞬で、謎のアリーはふたたび真面目な口調に戻って諭すように言った。


「ディストピア・ジャパン」

「あっ!」

「今の日本が真っ当な民主国家じゃないってことくらい、アズケンだってよくわかってるでしょう。初代大統領になってそれを改革せんとするプリンセス。そんな重要人物をネット上で大々的に擁護した若者が、じつは彼女と幼馴染みの間柄だった。菜々子内親王の側近と思われても仕方ないし、そうじゃなくても一介のSGI配達員に濡れ衣を着せて捕まえるぐらい、今の政府には造作もないことよ」

「マジか……」

「大マジよ。そしておそらく、監視だか盗聴だかの類いも、すでにされてるんじゃないかしら。GPS発信器か何か、身の回りにつけられてない?」

「あ、ああ。ちょうど今さっき、バイクについてるのを見つけた」


 ごくりと唾を飲み込んでから答えると、謎のアリーは「まずいわね」とつぶやいた。


「アズケン、今は自宅? (ささ)(づか)駅近くのアパートだっけ」

「ああ」


 またもや素直に返事をしてしまってから、こいつにも個人情報は筒抜けなのか、と顔をしかめる。

 アズケンの苦い表情など無視して、謎のアリーはてきぱきと続けた。


「公安に出頭してから一週間よね。おそらくあなたの生活パターンは、完全に把握されている」

「てことは、まさか」

「残念ながら想像通りよ。その部屋はもう、いつ公安に踏み込まれてもおかしくないわ」

「なっ!?」


 そんな馬鹿な話があってたまるか、という考えを、だがアズケンはみずから否定するしかなかった。ここまでの事実を見ても、この自称「特殊なアリー」が言っていることは、じゅうぶんに正しいと信じられる。信じられてしまう。


「私を信じて、アズケン」


 もう一度、ナナそっくりの声が訴えかけてくる。


「とりあえず、今から伝える指示通りに動いて。まずはここを脱出しましょう」


 かけられた言葉になぜか、緊迫した状況に似つかわしくない懐かしい感覚を覚えた。「私の方が、三ヶ月だけお姉さんなんだからね」と胸を張る、まさに姉のような口調。ついつい「わかったよ」と従わされてしまう雰囲気。


 これでもナナじゃないって、言い張るのか。


 どんなからくりなのかはわからない。果たして本当にナナがアリーのふりをしているのか、違うとしても、本人と繋がりがあるのかどうかすら定かではない。

 それでも。


「わかったよ」


 かつてと同じように、アズケンは真っ直ぐに頷いていた。

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