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上級国民  作者: 迎ラミン
第一章 逃亡者
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逃亡者 2

 大統領選への立候補がスクープされてからというもの、ナナに関するニュースは、以前を遙かに凌駕するペースで連日報じられている。アズケンが昨夜パソコンで目にしたのも、そのうちの一つだった。最初のニュースに添えられていたのとよく似た、やはり移動中のナナを遠目から捉えた写真。合わせて、彼女がこれまで行ってきた社会貢献活動や、福祉に関する発言もまとめられていた。


 ていうか、いつから考えてたんだ?


 道が空いているのをいいことに、アズケンは頭の片隅で考えながらペダルを漕ぎ続ける。報道を目にして以来、折に触れて湧き上がる素朴な疑問だった。ナナならば、と納得できる部分はある。しかし唐突すぎる感も、やはり否めない。

 それに、と思う。


 ひとことくらい、相談してくれたっていいのに。


 単なる幼馴染みという立場ではあるが、ついそんな愚痴も言いたくなってしまう。しばらくコンタクトを取っていない自分ですらそうなのだから、メリッサなどはもっとだろう。ひょっとして、ダイにだけは伝えていたのだろうか。だとしたら、余計に面白くない。仮にも自分たちは、「ナナ様と私設SPトリオ」とまで呼ばれた間柄なのに。


「大体、なんで今になって――」


 小さく口も動いてしまいながら、またもやの赤信号で停車した瞬間。

 誰かに心を覗かれたようなタイミングで、《ナナ様》という単語が耳に飛び込んできた。


「えっ!?」


 びくりと顔をあげた先には、確かにナナの姿があった。


《皇籍離脱をしてまで大統領選に立候補するということは、ナナ様サイドとしては勝算ありと見ていらっしゃるのでしょうか》


 ワイドショーの司会者と思しき声をバックに、ハイヤーの車窓から微笑むナナの映像が、街頭の大型ビジョンに映し出されている。何日か前に自分が見た画像と、同じときのものかもしれない。

 気がつけばアズケンは、クロスバイクを降りてスポーツグラスも外し、ビジョンがよく見える対面の広場に移動していた。新宿駅東口から繋がるここは、待ち合わせ場所としても有名なので、他にも多くの人がナナの姿を見上げている。


《少なくともゼロではないでしょうね。単純な人気という点で言えば、大沼総理よりも圧倒的ですから。ただ、これはあくまでも大統領選挙です。政治家としての手腕が未知数の、それも若干二十七歳の女性に国家元首の座を委ねていいものかどうか。そのあたりは、私も含めて国民は意外とシビアかもしれません》


 タレント弁護士から転身して、地方の知事まで務めたコメンテーターが、厳しい顔で述べる。つまり彼は、ナナの大統領就任には反対の立場らしい。言っていることは正論だと認めつつも、アズケンは脳裏でまったく別のことを考えていた。


 もっとナナの映像はないのか。


 長いこと連絡を取っていない身としては勝手極まりないが、もう少し最近のナナの姿を見たかった。自分たちに見せる素の顔と違うのもわかっているけれど、近くからの映像だって確認したい。

 やきもきしながら画面を見上げ続けていると、今度は本当に誰かから声をかけられた。


「ちょっと、よろしいですか?」


 言葉とともに、目の前に何かがぬっと突き出される。マイクだった。三十代くらいの、眼鏡をかけたいかにも軽薄そうな男性が、こちらにマイクを突きつけている。隣には、別の男性が持ったハンディサイズのカメラ。どこかの動画チャンネルかもしれない。いずれにせよ、よろしいですかと伺いを立てておきながらすでにカメラは回っているようだし、眼鏡の男性も、アズケンが答えるものと決めてかかっている雰囲気だ。


「よくな――」


 いです、とすげなく断って立ち去ろうとしたアズケンだったが、先ほどのコメンテーターの声がまた聞こえてきた。


《まあでも、ぶっちゃけタレント候補と同じでしょう。宮内庁に繋がりのあるどっかの派閥が、お飾り大統領にちょうどいいと思って担ぎ出してるんとちゃいますか》


 タレント時代の口調に戻った彼が、くだけた関西弁で揶揄するように言うと、司会者や別のコメンテーターたちも小さく笑いを漏らした。皇室が敬われなくなってきているという空気は、こんなところにも表われている。


「……そんなわけないだろ」

「え?」


 アズケンがぼそりとつぶやいたので、マイクを手にした眼鏡男が、おや、という表情になった。そのまま再度問いかけてくる。


「ナナ様のご出馬報道に関して、どう思います?」


 たまたまなのか狙ったのか、ビジョンに流れているのとまったく同じ話題についてのインタビューだった。


「ナナ――」


 危うく「ナナ」呼ばわりしそうになったところを、慌てて言い直したアズケンの口は、いつしか勝手に動き出していた。


「ナナ様は、ちゃんと自分の意志で立候補してると思います。僕はナナ様を信じているし、応援しています。彼女なら上級とか一般とか関係なく、国民を、目の前の人を見てくれるはずですから」


 喋りながら、ナナの様々な姿が脳裏に浮かぶ。

 自分と一緒にグラウンドで練習するナナ。メリッサとダイも一緒に、学校帰りにファストフードを頬張るナナ。児童養護施設を訪れ、公務とは思えないほどの屈託のない笑顔で、子どもたちと触れ合うナナ。LGBTQ支援団体の理事として、颯爽と講演するナナ。

 すべての場面で揺れる、向日葵色のシュシュ。


 そうだよな、と思う。ナナは、あいつは、いつだって目の前の人と同じ目線で向き合う奴だ。仮に皇籍を抜けたとしても、それは絶対に変わらない。「菜々子内親王」だろうが、ただの「菜々子」だろうが、ナナはナナだ。自分たちの大切な幼馴染みだ。

 カメラをしっかりと見据えて、アズケンは堂々と述べた。


「国民が選ぶ新しい日本の代表が大統領でしょう? ナナ様なら確かに、僕らの新しい代表に相応しいです。知名度も発信力もあるし、弱者への支援にも詳しい。大学の卒業論文も、福祉政策の歴史や未来への提言がテーマでしたよね。日本語すら怪しい変な政治家がやるより、彼女の方が国の新たな代表として、よっぽど活躍してくれるんじゃないでしょうか」


 口調そのものはクールだが毅然と胸を張って喋る姿に、マイクを向けた眼鏡男やカメラマンだけでなく、周囲もあ然として聞き入っている。じつはアズケンにとって、こうしたインタビューは慣れたものだった。マイナー競技とはいえ、かつては日の丸を背負うナショナルアスリートとして、何度もインタビューに答えた身なのだ。たった一つずつのマイクとハンディカメラなど、どうということもない。


「お飾りとか御神輿とか言う時点で失礼だと思うし、ナナ様は決して誰かに踊らされる人じゃありません。少なくとも、僕はそうだと信じています」


 言葉を切った直後、どこかからパチパチと拍手が起こった。そのまま、連鎖するように広がっていく。気づけばアズケン自身が、何かの立候補者よろしく拍手と声援に囲まれていた。


「いいぞ、兄ちゃん!」

「私もナナ様を応援してます!」

「お兄ちゃん、かっこいい!」


 おじさん、女子高生、子どもと次々に声をかけられ、はっと我に返ったアズケンは慌ててスポーツグラスをかけ直した。今さら遅い気もするが、かなり恥ずかしい。


「失礼しました」


 早口で言うやいなや、急いで車道に出てクロスバイクにまたがる。幸いなことに大型ビジョン前の信号はちょうど青色だ。


「悪い、アリー。ちょっとだけ飛ばす」


 大人しく待機してくれていたアリーに断ってから、ハンドサインを出したアズケンは、逃げるように現場を離れていった。




 恥ずかしいことをしてしまったと思いつつも、連続する配達業務に追われ、アズケンはすぐにこの一件を忘れていた。

 思いだしたのは、いや、思い出させられたのは翌日のことである。


 SGI配達員はAフォンの専用アプリを通じて、リアルタイムでオーダーされている配達業務の中から、自分が受ける案件を選ぶことができる。また、アプリを閉じているときはもちろん候補の対象外となるので、アズケンは基本的に夜は八時前後まで、さらに雨や雪の日はできるだけ避ける勤務スケジュールにしている。中には逆にインセンティブのつきやすい深夜帯や、雨の日を狙って頑張る強者もいるが、それで事故を起こしたり体調を崩したりしては元も子もないし、今さらガツガツしたモチベーションも湧かないのだった。


 いつものように、そんなスケジュールで一日を過ごした、街頭インタビューの翌日。

 夜七時半を回り、今日はこれで上がろうとアズケンがSGIアプリを閉じたタイミングで、見知らぬ番号から着信が入った。

 一瞬、誰か顔馴染みの注文主が、直接連絡をしてきたのかとも思った。けれども、まったく記憶にない番号だ。

 怪しいキャッチセールスか何かの怖れもあるので、とりあえず通話拒否にしてアプリを閉じる。が、一分と経たないうちに、また同じ番号から電話がかかってくる。


「なんなんだよ、一体」


 それでも通話拒否をもう一度繰り返したアズケンだったが、三度目のコールで、さすがに出てみる気になった。考えたくはないが、身内の不幸などの緊急事態かもしれない。


「もしもし」


 慎重に応答すると、落ち着いた男性の声が返ってきた。


「こちら、東剣さんの携帯電話でよろしいですか?」

「そうですが……」

「失礼ですが、東さんご本人でしょうか」


 コンマ数秒だけ迷ったが、「ええ」と答える。男性は冷静な声音のまま、自分の所属組織を名乗った。


「こちら、警察庁警備局公安課です」

「は?」


 最後の方で聞き取れた「公安」という単語から、アズケンの頭には咄嗟に車の運転免許のことが浮かんだ。だがこれまでずっと無事故無違反だし、現役引退後はマイカーも売ってしまったので、今は車自体持っていない。公安から連絡が来るような落ち度は、何もないはずだ。

 眉根を寄せるこちらに対し、電話をかけてきた男性は淡々と告げる。


「東さんは現在、特定秘密保護法違反に関する重要参考人となっています。お手数ですが、すぐに千代田区(かすみ)(せき)の中央合同庁舎二号館に出頭してください」

「はあ!?」


 クロスバイクを停めたコンビニの駐車場で、アズケンはつい大声を出してしまった。店から出てきた人が何事かと振り向いたが、それどころではない。


「どういうことですか? 何かの間違いじゃないですか?」

「いえ。二〇四三年十月一日生まれ。修身院大学・人文学部社会福祉学科卒。現在は個人事業主として主にSGI配達員を業務とされている、東剣さんで間違いないですよね」

「!!」


 さすがは国家権力と言うべきか、自分の個人情報が完全に把握されている。


「いや、特定秘密なんとかって、一体どういうことか――」


 ますます焦ったアズケンはそれでも食い下がろうとしたが、無駄だった。


「繰り返しますが、現在のあなたは犯罪行為の重要参考人です。こちらとしても、容疑者扱いにして強制的に連行するなどということは、したくありません。ご自分で出頭なさってください。なお、勧告に従っていただかない場合は、今申し上げた通り強制連行という形にせざるを得ませんので、ご了承を」

「…………」


 ロボットのような冷たい口調で、男性は脅しをかけてくる。これではまるでインテリヤクザだし、アリーの方がよっぽど人間らしく感じる。ともあれ、犯罪の容疑者にされるわけにもいかない。


「……わかりました。自転車でこのまま向かいます」


 観念して答えた直後、「ご協力感謝します」という、やはり機械的な調子の返事とともに電話は切れた。

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