プロローグ
数十年後の日本を舞台にした、冒険活劇です。
©Lamine Mukae
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向日葵色、というのが実際にある色だと知ったのは、彼女がきっかけだった。
JIS規格では「あざやかな黄」とされているのだとか。
鮮やかで、真っ直ぐで、元気溌剌。
真夏の太陽に向かって咲き誇るあの花は、とかくそうしたポジティブな要素の象徴としても語られる。
まあ、そうだよなと思う。鮮やか。真っ直ぐ。元気溌剌。
けど、自分にとっての向日葵はそれだけじゃない。
艶やかな黒。光を反射するところは逆に、きらきらの白。鮮やかな黄色自体は、そこでアクセントのように揺れるイメージ。
夏でもさらっとしていて、冬には毛糸の感触がする手のひら。意志の強さを感じさせる瞳。イメージより少しだけ低い、でもよく通る声。
「アズケン!」
向けられる笑顔。
そのすべてが、向日葵と聞いて東剣が連想するものだ。
「アズケン、帰ろ!」
部活が終わると、ナナが昇降口で待っていた。彼女だけでなく、いつも通りダイとメリッサも一緒にいる。
「あーあ、私も陸上やればよかったなあ」
頭の後ろで手を組みながら、メリッサが言う。無造作に反った胸が揺れるのがわかり、「アズケン」こと東はさり気なく目を逸らした。
「何? また私のおっぱい見てんの? ヘンタイ」
「見てなんかない!」
自然と視界に入ってきたとはいえ、しっかりばれていたようで、にやりとつっこまれてしまった。堂々と逆セクハラしてくるメリッサのこういうところが、アズケンは昔から苦手だ。中学に入った頃から頻度が増した気がするうえ、来年以降も、エスカレーター式に上がれる一緒の高校だというから参ってしまう。
「お前、外部を受験しないのかよ」
「するわけないじゃん」
「でも高校からは、イタリア語も本格的に始めるんでしょ」
メリッサとのやり取りに、興味津々の顔でダイも加わってきた。自分たちの目線より頭一つぶん低い位置で、眼鏡のレンズが夕日を反射して輝いている。
なぜダイがそんな確認をしたのかは、メリッサの体型や顔立ちを見れば、関係ない人でもすぐにわかるだろう。グラマラスで目鼻立ちもはっきりしている彼女は、そのルックス通り、母親がイタリア人なのである。
「まあね。やっぱり将来は向こうで仕事したいし、日本はますます暮らしにくい国になってるから。あっ、ごめんね、ナナ」
「ううん、気にしないで。それでメリッサは伯父さんのお店で、ええっと……」
今度はナナが何かを尋ねようとする。記憶を探る様子にメリッサは、にっこりと笑って答えた。
「カメリエーラ。英語で言うところのウェイトレスだけど、決して安っぽいもんじゃなくて、スマートで格好よくお客さんにサービスするの」
「ああ、そうそう。ごめんね、そのカメリエーラさんになりたいんだよね」
まるで人名のように言う口調がおかしかったのか、メリッサは頷きながら肩を揺すっている。
「うん。憧れのカメリエーラの人が、パルマにある伯父さんのリストランテにいるから」
「いいなあ。夢がはっきりしてるのって、羨ましいな」
尊敬の念が込もった目で見つめられ、ナナのことが好きだと公言しているメリッサはとても嬉しそうだ。相変わらずのわかりやすいリアクションに、アズケンは小さく苦笑を浮かべた。
今世紀に入ってすぐくらいの頃から、メリッサのような性的マイノリティに対する偏見がかなり薄らいだのだと、社会の授業で教わった。世界的な疫病の中、強引に東京でオリンピックを開催した四十年ほど前にはもう、多くの著名人やスポーツ選手が、堂々とカミングアウトしていたとも聞く。
だからといって「私はバイだからナナとつきあいたいの。というわけで、私と恋しちゃおう! うん、そうしよう!」などと、本人に向かって言い放つのもどうかとは思うが。
「ダイは、お父さんの会社に入るの?」
ナナが首を反対側に向けると、訊かれたダイがこれまたわかりやすく頬を赤くした。学年トップの秀才なうえ、さり気なくナナの隣に立つちゃっかりした面も持ち合わせている彼だが、恋愛に関しては初心そのものだ。小柄で童顔という見た目もまた、そんな性格を表しているようにも思える。
なんとか気を取り直した様子のダイは、鼻の下を軽く指でこすってから、「うん」と答えた。
「一応、そのつもり。といってもコネでは入れてくれないから、ちゃんといい大学に行って就職試験も受けなきゃいけないけど」
「どうせ建前だろ、そんなの。広告業界とかマスコミなんて、コネばっかって噂じゃん」
「アズケン!」
何も考えず返したアズケンは、すかさずナナに注意されてしまった。自分に対してしばしば見せる姉のような振る舞いは、「私の方が、三ヶ月だけお姉さんなんだからね」と幼稚園のときに宣言されて以来、ずっと変わっていない。まあそうでなくとも、彼女には威張っていいだけのじゅうぶんな理由があるわけだが、逆に親しくない相手には、一歩間違えば慇懃無礼なほどの丁寧さで接することもよく知っている。
『ほんと、上手く外面と使い分けるよな』
『失礼ね。これもたしなみってやつよ』
などという会話も、なかばお約束みたいなものである。
四人で歩き始めたところで、ダイが「あれ?」とつぶやいた。視線の先を確かめるように、眼鏡のテンプルを持ち上げて確認している。
「今日は女の人なんだ?」
「ああ、うん。でも、いつもの安藤さんもいるよ。またどっかに隠れてるはず」
「みんなにプレッシャーかけたくないから、って言ってくれてるんだよね」
さらりと答えるナナに、メリッサが笑いかける。安藤さんというのはスーツが似合う、ややいかつい見た目をした男性のことだ。
「アズケンも、そういうとこ見習えばいいのに」
こちらに視線を移したメリッサが、またしてもからかってきたので、アズケンはじろりと睨んでやった。
「そういうとこって、どういうとこだよ」
「とっつきにくそうに見えるキャラだって、少なくとも自覚するとこに決まってるでしょ。ていうかあんたの場合、実際とっつきにくいわけだし。こないだナナん家で一緒にテスト勉強してたら、玉木さんまで『ありゃ、アズケンじゃなくてアサシンだね』って言ってたわよ」
「ほっとけ」
憮然とする姿を見て、残る二人がおかしそうな笑みを浮かべている。ナナの乳母をずっと務めている「玉木さん」はアズケンたちとも親しく、「アズケン」「メリッサ」「ダイ」と、親戚のおばさんよろしくあだ名で呼んでくるほどだ。
「ごめんね。玉木さんてば、みんなのことも、すっかり我が子みたいに思ってるから」
笑顔のままナナが謝ると、フォローするようにダイがあとを引き取った。
「なかでも特に、アズケンがお気に入りっぽいけどね」
「どこが」
言われたアズケン本人は、ますます渋い顔をするしかない。むしろ玉木には、それこそ「もっと笑顔で挨拶しなさい」「アズケンはもうちょっと愛想よくしなきゃ」などと、子どもの頃から自分だけ注意されてきた記憶がある。最近はあまりナナの家にお邪魔していないが、メリッサの言葉を聞く限り、今顔を合わせても同じだろう。
「まあ、でも」
相変わらずおかしそうな笑顔で、ナナが皆を見回した。向日葵色のシュシュが揺れて、うなじのあたりに見え隠れする。
「私と一緒にいると、どこで誰に見られてるかわかんないから」
「そうそう。〝殺し屋みたいな御学友〟なんて見出しを、つけられないようにしてよね。私たちまでそう思われちゃ困るもん」
メリッサまで調子に乗っている。
「関係ないだろ」
鼻にしわを寄せて、アズケンは続けた。
「そもそも俺たちは、ナナの側近でもなんでもないんだから」