第32話 リザルト
「……これは芳しくない状況かね」
三十体はいたはずの空想妖魔が残り十体以下となり、ダ・ヴィンチは顔をしかめる。
「まぁいい。それなりに楽しませて貰ったから、今日はお暇するかね」
愉しみの態度はどこへやら。ダ・ヴィンチはつまらなそうにローブを翻すと、戦闘の場を立ち去ろうとした。
「おい待てよ! こんだけ荒らしといて逃げるのかよ!」
ここで退却させるわけにはいかないと、リクは相手の背中に向けて叫ぶ。しかしダ・ヴィンチは片眉を上げて溜息をつくと。
「目的のために状況を見極める力も、天才には備わっているのだよ。それに戦術的撤退というのも戦法の一つかね」
攻めるときは攻め、引くときは引く。それが天才のやり方とでも言うようにニヤリと口角を上げた。
「ただの負け惜しみにしか聞こえねぇけどな」
なんとか足止めするために、リクはさらに挑発を続ける。知り得る限りではここが最後の施設だ。逃がせば相手が次にどこで何をするかわからない。
「なんとでも言うがいいかね。いつの世も、天才は理解されないものなのだね」
ところが、ダ・ヴィンチはまるでそよ風が吹いた程度に挑発をあしらうと、わざとらしくゆったりと飛び始めた。
「ミカ、ユイト。あいつを止められるか?」
「こっちは手が離せない!」
「なら、私にまかせて!」
四本の手に剣を持ったスケルトンと戦っているユイトは無理。
それならばと、ゴブリンを蹴り飛ばし手の空いたミカが、心霊現象でダ・ヴィンチの真後ろへと空間を跳び。
それに気づき急ぎ離れたダ・ヴィンチは、ビルの壁に背を触れさせた。
「逃げるんじゃないわよ!」
ミカが拳を振り被り迫ると、ビルに叩きつける勢いで思いっきり振り下ろそうとした。瞬間、相手の姿が掻き消えた。
「ちょっと、どこ行ったのよ!?」
一瞬戸惑いつつも、そのままダ・ヴィンチのいた空間を殴ったが、当たった感触がなかったのかミカは慌てて周囲を警戒する。だが、相手の声はさらに上から聞こえてきた。
「やれやれ、女性が暴力に訴えるなんて非常識かね」
建物の屋上から呆れ顔で下を覗くダ・ヴィンチを見つけ、もう一つの能力にリクは悔しさを滲ませた。
「〝透明化〟とか、幽霊っぽいことしてんじゃねぇよ」
絵筆で姿を消すように描き変えた様子はなかった。つまりそれは、別の心霊現象を使ったことを示唆していた。
「これは宿主の能力。敵なら面倒だが、自分の力だとこれほど便利なものはないのだね」
勝ち誇った笑みを浮かべ、文字通り心も体も相手を見下す男に、リクはギリリと歯噛む。
〝描き変え〟で透明になっていたと考えていたが、どうやら〝透明化〟能力を持っていたようだ。
「さて、私を捕らえるのは不可能と知って貰えたところで、今日のところは失礼させていただくかね」
「待て! 逃げるな!」
ニヤリと白い歯を見せて再び姿を消したダ・ヴィンチにリクは叫ぶが、返事が戻ってくることはなかった。
「リク先輩、大丈夫ですか?」
屋上を見上げ、悔やむ男の背中にアオイの声が届く。
「わりぃ、取り逃がしちまった……」
戦闘は終わったようで、振り返ると解放者達がそれぞれの無事を確認し合っていた。
「なんなのあいつ、人をバカにしたような態度。ぶっ飛ばしてやりたかったのに」
「落ち着いてくださいミカ先輩。収穫できた情報もありますし、また次頑張りましょう」
まんまと逃げられたことにイラつき、空中からスタッと着地して愚痴るミカを、アオイはまあまあとなだめた。
「お疲れ。あの黒魂、なかなか厄介な奴だったね」
小太刀を消し、ふうと一息ついて側に来るユイトに、リクは頭を掻きながら問いかけた。
「あいつ、次はどう出てくると思う?」
「うーん、もう国の施設はないはずだけど、まだ何かしそうな口ぶりだったよね」
「もし私達の街も描き変える気なら、今度は被害者が出るかもしれません」
心配そうなアオイの顔を見て、リクはダ・ヴィンチの消えたビルを再び見上げる。
描き変え能力を使って空想妖魔を生み出した。となると、また妖怪や魔物を大量に街に放つかもしれない。
何を描き変えて空想妖魔を作ったのかは不明だったが、あれを防がないと被害は確実に拡がってしまうだろう。
「でも、あいつが次に何をするかわからないんでしょ? いつどこに現れるか、情報がなきゃ戦うことすらできないわよ」
難題は多いが現状ではお手上げ状態だと、ミカが首を振る。
23区という広大な範囲に突然出現する一人を捕捉するのは厳しい。人海戦術が使えれば可能性はあるがそんな人手も人脈もない。かといって情報の早いインターネット上を常に見張っていたとしても、現場に着く頃には消えているだろう。
「やっぱり待ち伏せるしかねぇな。まずは美術館を調べて、それから城へ行って新しい情報が入ってないか確認するか」
王なら兵や解放者から何か報告を受けているかもしれない。今はダ・ヴィンチに繋がる情報が少しでも欲しい。
リクは刀を消し、溶けた美術館を見上げた。
「あの女性はどうしますか?」
ふと尋ねたアオイの声に、リクは石像に寄り添う女性を見やる。
「他の解放者達が慰めてくれてるみてぇだから彼らに任せよう。俺達はこれ以上被害が起こらないように動くのが最優先事項だ」
冷たく聞こえるかもしれないが、ここで時間を使っていたら第二第三の犠牲者が出る。それを三人も理解しているのか静かに頷いた。
「美術館の客はどっか行っちまったからなぁ。とりあえず中を調べて」「ん? ちょっと待って。あの木ってあんな状態だったっけ?」
まずは美術館から調べようとリクが足を踏み出すと、ユイトが近くの木を指した。
「この木……さっきは青々と茂ってましたよね?」
四人で近づき見上げると、その木は寿命を終えたように葉を枯らせ、今にもすべて舞い散らせそうに寒々としていた。
「確かに。俺とアオイが見たときは、普通の木だったよな?」
アオイが付喪神が出てこないと驚いていた木のはずだ。印象的で記憶に残っている出来事だったから間違いない。
「他にも枯れてる木とそうじゃない木が混ざってるわね」
ミカの指摘通り、周囲には緑の葉をつけた木と並んで、枯れた木があちこちにあった。
「調べてみる必要があるな。アオイ、試してみたいことがあるから手伝って貰えるか?」
「はい。私にできることならいくらでも協力します」
思案顔をするリクの要望に快くアオイは応える。
「じゃあ俺達は美術館を調べるね」
「何かあったらすぐ呼ぶのよ」
ユイトとミカも手分けして調査しようと、美術館へと向かった。
「天才ダ・ヴィンチか……」
今回の黒魂を思い返し、リクが小声で呟く。
このクエスト、想像以上に厄介なことになるかもな……
枯れた木と溶けた美術館を見て、リクは漠然とした不安を感じていた。