第61話 その名はサンダラー
数時間前に聞いたとおり、平坦で不愉快な声だった。
〈卓見です、市民〉
この世界というか俺が蘇った経緯というか全貌? みたいなものを、遂に黒幕たるサンダラーに問い詰め、そのまま転移で追い出されて以来、久々に聞く電子音声だった。勝手に改造された脳に、直接飛び込んでくる不愉快なメッセージ。
俺が救世主の自覚を持つことを待っていたんだろう、お前は。だから今になって返事をした。なら、もう少し歓迎の言葉を用意してくれても良いんじゃないか。そう反論しようとした俺だけれども、サンダラーが続ける言葉には、唖然とすることしか出来ない。
〈再起動までに時間がかかりますので、少々お待ちください〉
脳内に響く電子音はそう言って沈黙した。すべては気の所為だったかのようだった。どれだけ心の中で呼びかけても答えは返ってこなかった。
期待ハズレも良いところだ。
すべてがうまい具合に直ぐに解決しろよ。
もったいぶりやがって。
振り返り地平線の向こうを睨む。
ここからでは見える筈もないが、その先に星府があって、その郊外には地を這うように張り巡らされた防壁が連なっていて、中心には銀河帝国の総督府が聳えていて……、
そしてその上空には、一〇〇〇年前に滅びた文明が作り出した遺産兵器が浮かんでいる。誰も起動することが出来ないが故に、瓦落多として、骨董品として、この時代を生きる人間に認識されている、宇宙戦艦サンダラーが。
「あの糞人工知能が悪いのか、あんな欠陥品を設計した旧文明が悪いのか……」
星府がある筈の方角は、微かに光ったようにも、何も起きなかったようにも見えた。青い空と赤茶けた大地で二分された世界を、砂塵が舞っている。動くものは何もない。そうかいそうかい。救世主としての資格と決意に加えて、もうひと踏ん張りの努力を、俺は求められているらしい。
ため息をつかざるを得ない。
視線を戻す。相変わらず目の前では、水銀の騎士と雷霆Ⅱによる戦闘が続いている。そして直ぐ側には巨大で歪な戦車と弟君が――、
「…………兄さん。本当にどうした? 意味不明なことをぶつぶつ言ったかと思えば黙り込んで……」
その弟君に心配されてしまった。まあ確かにそうだよな。一人で喋り出したかと思えば、いきなり黙ったわけだから。さっきまでの俺を見たら俺だって驚く。声をかけることもしないだろう。
「演技にしては『暴虐皇子』はやり過ぎだと思っていたけれど、やはり本当に頭が……」
「あー、えーと。少し混乱していてな。忘れてくれ」
「そんな言い訳が通るかよ。折角だから事情を話してくれ。会話できるのは今日が最後と思えば、寂しい気分にもなるんだ」
「……慕ってくれて嬉しいよ」
「兄さんの親衛隊長が死んだら直ぐに放送の準備をしなくては。兄さんに何を言わせるか、まだ細かいところは決まっていのだ。だからその前に、というわけだね」
「そうか」
サンダラーは少々お待ちくださいと言った。つまり、俺のやるべきことはひとつ。この状況は大変ありがたい。敵から会話したいと言ってくれているんだ。勇気を持って口を開く。
「普段、余と貴様はどんな話をしていたかな」
「……歩み寄られるとそれはそれで気持ちが悪いよ、兄さん」
「会話をしたいと言ったのは貴様だ」
「それはそうだが……。まぁ、あまり会話はなかったかも知れない」
「しかし、貴様は余をよく知っている。余も貴様をよく知っている。そうだろうが」
俺はヴィルヘルムのことを知らない。そればかりか、ジギスムントのことも。
だから、これは推測だ。ジギスムントのような意味不明男のことを「兄さん」と呼ぶからには、それなりの関係があるのだろうと思った。ギャンブルかも知れないね。
「……会話はなかったが、色んなゲームで遊んだものだ。チェス、ポーカー、麻雀、ブラックジャック、将棋、囲碁、バックギャモン、モノポリー……」
二十一世紀少年の俺でも全部聞いたことがある。随分と古臭い遊びだぜ。
……ん? 麻雀って四人でやる遊びでは。
「そんな顔をしないでくれないか。たまに会う度に付き合わせたのは兄さんだぞ。普段も特訓を続けてきたせいで、今時の遊びに触れないまま大人になってしまった。正しい青春を返してもらいたいね」
「……その恨みで余を攻めたのか?」
「馬鹿馬鹿しい。天下国家を私怨で動かす余ではない」
「では、なんなのだ」
「……余が勝ちそうになる度に新しいゲームを持ってきた、浅ましい卑怯さへの恨みが理由だろうね」
「まったく私怨ではないか」
「ハハッ!」
なかなかいい冗談だ。弟君、結構面白いやつだったんだなぁ。
あと、ジギスムント(本物)は性格が悪い。
「……思い出したぞ。初めて余がチェスで勝ちそうになった時のことだ。手を滑らせたふりをして駒を全部落としただろう。余の高い記憶力で事なきを得たが――、」
ヴィルヘルムは記憶を遡って語り出す。ああ、そうか。ジギスムントと弟君は会話無しで遊べる仲だったのか。それは友達っていうんじゃないだろうか。それとも、単純に兄弟なのかな。まぁ、俺には兄弟も友達もいなかったから、よく分からないけれど。
「……仲が良かったんだな。余と貴様は」
「そうかも知れない」
「でも、こうなった」
「だからこそこうなった。余だからこそ、兄さんの危険性に気づくことが出来た。そして正しかった。この星の現状を思えば」
この星の現状、ね。
ヴィルヘルムは叛乱のことを言っている。
弟君の立場からすれば、あり得ないことが起きているのだろう。人類社会そのものである銀河帝国を揺るがす事態が起きていて、その中心にジギスムントがいる。彼はそうなる可能性を見抜いていた。だから、ジギスムントが今よりも力を付けることを阻止すべく動いた。
しかし、俺に言わせれば――、
弟君がこの星にやってこなければ、叛乱は起きていない。
そもそも銀河帝国という現代社会が絶対的におかしいんだ。多くの人間が、銀河帝国の支配層に虐げられている。帝位継承戦争という名の兄弟喧嘩が起きていて、罪もない民が巻き添えになって死んでいく。
命の値段が軽すぎる。本物のジギスムントも、恐らくそう思ったのではないか。
だから俺を必要としたんだ。
「さて、兄さん。会話とは言ったけれど、さっきの狂気的言動を説明して貰うつもりだったんだよ。ボードゲームの思い出は心地よいものだけど、どうでもいい」
弟君の声色が低いものに変わっている。談笑は終わりということかな。それに、そろそろ限界だ。話のネタをまったく思いつかない。俺はお喋りキャラではなかったからな。はは、これは文字通りの意味だ。
「……説明は難しい。単純に時間がかかるし、説明しては台無しだという事情もある」
「事情」
「誰にでも事情はあるものだ。貴様にもあるだろう。お互い、思い出話を楽しむ程歳を取っているわけじゃない」
「つまり、兄さんも」
「どれほど期待して良いものか、この期に及んでも半信半疑なのだが……。うん、まぁ。そうだ。そういうことだ」
「この状況で逆転できると?」
そうとも。俺は頷く。
我ながら、気恥ずかしい決意だぜ。
「貴様を倒して、世界を救おうと思っている」
「……ハハッ!」
ヴィルヘルムは笑い出した。
兄とそっくりな笑い方だった。
「ハァッハ!! ハッハハハ!!! ハァ…、本当に面白い。笑い死にさせるつもりか。ふぅ。この楽しい会話は、時間稼ぎを意図したものなのだろうが……」
バレていたか。確かに、露骨な時間稼ぎではあった。
だが、何故会話に付き合ってくれたのだろう。
「ああ、ちょうどいい頃合いだ」
ヴィルヘルムがそう言った直後、銀の甲冑が飛び込んで来る。
土煙を立てて転がり、眼の前に倒れ込んだ。ところどころ裂けた甲冑から白い肌が覗いていて、その一部からは血が流れ出ている。水銀は直ぐに欠損を覆い、彼女は辛うじて立ち上がったが――、
もう一度戦えと命じて、オルスラが遂行できるとは思えない。
「もちろん、これだけじゃあない」
遠くの空、一部が赤く染まっている。まだ夕焼けの時間ではない。だからそれは、大気を割く炎だ。宇宙戦艦の群れによる突入航跡。観艦式で見たジギスムントの艦隊とまったく同じ。こちらに向かって来る。
「時宜を得た登場とは思わないか? 射程に入り次第この星を壊すよう命じていたのだが、思いの外兄さんが粘るからね。演出を工夫してみたんだ」
驚きはしたが、同時に納得感もあった。弟君の艦隊は、どこか遠くにあるらしい転移門まで逃げてしまったジギスムントの艦隊を抑える為に動いていたらしいが……。
ジギスムントの艦隊への連絡手段は俺にはなかった。サンダラーは非協力的だったから電波は使えなかったし、光通信しようにもその設備が手元になかった。本物の艦隊は、決して来ることのない指示を待つことしか出来ない。弟君が戦力を配置転換してもおかしくない。
赤い筋に過ぎなかったヴィルヘルムの艦隊はみるみる近づいて来る。ひとつひとつのシルエットが明確になる。巨大な鮫の如き外観を持った、宇宙戦艦の群れ。あのでかい鮫がどれだけ強いのか俺は知らない。知らないが――、
銀河帝国の宇宙戦艦には当然武装が積まれているだろう。そのサイズに見合った強力な武器が数え切れないくらいに。うん、そう言えば、弟君は星核粉砕弾とかなんとか口にしていたな。文字どおり星を壊せるのだろう。そんな兵器を抱えた艦艇が沢山だ。
二十一世紀の野蛮人、対、四十世紀の未来艦隊。
戦力比を計算するのも馬鹿馬鹿しい。
「さあ、兄さんの番だよ。事情ってやつを見せておくれ」
ヴィルヘルムは勝ち誇った笑みを見せてそう言った。
俺の番、ね……。
実はね、弟君。それはもう終わっているんだ。
言っても理解できるとは思わないが、出来ることは全部やったんだ。本当だぜ。だから、よく知らない君と思い出話をして、少々の時間は稼いだのはおまけみたいなものなんだ。
敵の時間も稼いだことになるのかも知れないけれど、ともかくやれることは全部やった。弟君も同じなんじゃないかな。これからは、どっちのカードが強いか、答え合わせをする時間なんだよ。
だから、いい加減――、
〈機能回復行程が完了しました。市民、よろしいですか?〉
脳内に電子音が響いた。やっとだ。
うんざりとした気分で返事をする。
「よろしくないわけがあるか? そろそろ格好いいところを見せてくれ」
〈これから起きることは、市民。格好良くもなんともありません〉
サンダラーがそう言った直後のこと。
迫り来る艦隊の中心で、それは起きた。
青い閃光で視界が染まった。
何も見えなくなる。
次いで衝撃波。
全身で壁に打ちつけられたようだ。
いや、壁が俺にぶつかって来たのか。
鼓膜は轟音に襲われている。
全身が痛い。
揺さぶられている。
上下が分からない。
いや、俺は宙を舞っている。
気づけば俺は、大地に転がっていた。
「……はぉ?」
一体何が起きた。俺は顔を上げる。直ぐ側にオルスラが転がっている。よかった。どうやら生きているらしい。半壊していても流石は級遺産兵器水銀の騎士ということか。凄いぜ。
……じゃ、なくて。
もう少し顔を上げる。三十度。視線を空に。
そこには。ヴィルヘルムの艦隊がいた場所、その中心には――、
宙に浮かぶ巨大なそれは、船に見え過ぎた。上に伸びる艦橋、三本の砲身を突き出す四角の砲塔、水を切り裂くことに特化したような鋭利な船首。砲塔が上下左右すべてに並んでいるところにだけは違和感を覚えたけれど――、
それは、俺が生まれる百年前に活躍した。
それは、暴力と美という背反する要素を高水準で纏め上げた存在。
それは、俺が生まれるずっと前に時代遅れになっていた。
それは、すべてを貫き爆砕する砲弾を大量投射する。
海に浮かぶ最強の軍船。
その名はサンダラー。
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