第60話 脳内から響くようだった
水銀の騎士は戦い続けている。神速で駆け回りながら剣を振るい、背後の重火器を唸らせ、兜から突き出る角から虹の光線を放っている。総督府の発着場で見た時と同じように。
対するは雷霆Ⅱ。
ピラミッドを底面で貼り付けたようなシンプルなその立体は虹に輝いていて、その巨体からあらゆる攻撃を繰り出している。銃弾、ミサイル、光線。
そして、騎士の猛攻を一切受け付けない障壁。
近距離戦闘において最強と思えたオルスラの遺産兵器は、星戦隊が誇る揚陸兵器を前に何の成果も挙げていない。
敗北、その後の死。何秒後か何十秒後か、何分後かは俺には分からないが――。ジギスムントに忠誠を誓う親衛隊長の戦いは、近い将来妥当な結末にたどり着くと思われた。
すまない、オルスラ。
サンダラーとの不愉快な会話を思い出して、改めて絶望を感じている。謝罪の思いを抱いている。もう俺には何も残っていない。あの病院から転移してからここまでなんとかやれたのはすべて奇跡みたいなものであって、今この時、策はひとつもない。
君の戦いは意味のないものだ。
君は偽の主のために戦っていて、忠誠はまったく空振りなんだ。
それに――、
俺は、結局死なないだろう。弟君は怖いことを言ったけれど、ジギスムントが生き残った方が、都合が良いはずだ。星ひとつ滅ぼすのは大事の筈で、その罪を回避するためには俺が生きていたほうが良い。
事実として、ジギスムントは植民地人に随分慕われている。多分、この星以外でも同じだろう。帝国全土でどう思われているかは知らないが、少なくともあとみっつは奴が統治する惑星がある。
聖・バーナードが消滅した後で、すべてギスムントの責任だったと発表しても民は信じないだろう。これまで民は奴のお陰で平和と幸福を感じていた。それが、過去との比較において幾分かマシという程度であったとしても。いや、それを理解していてなお、受け入れていたのだろう。
で、あれば。
ジギスムント本人の口から語らせた方がいい。頭に銃を突きつけられたら、指示されるがままを俺は口にするだろう。惑星一つを破壊した責任はすべて余にある。恨むならこのジギスムントを恨め、と。それでも疑う者は多いだろうが、その説得力は変わるに違いない。頭が良いらしい弟君は、その差をうまく利用する筈だ。
不快な轟音が頭上で鳴り響く。
俺は顔を上げた。
オルスラが雷霆Ⅱの障壁に跳ね返されていた。凶悪な甲冑が宙を舞っている。瞬間、虹の光線が奔る。オルスラに直撃する。甲冑は光学兵器を弾き、花火のように光が散った。騎士は無事。だが、一瞬の硬直がある。
そして、無数のミサイルが彼女に殺到する。閃光。
爆煙が宙に広がる。
ひとつの影が落ちてくるのを俺は視界に捉える。まさかオルスラ……、いや、小さすぎる。その影は盾だった。彼女の遺産兵器は流体金属で出来ている。甲冑の一部が流体のごとく姿を変え、盾を形成したのか。俺の理解が追いついた時――、
騎士が爆煙を切り裂いた。
巨大な虹の塊に向けて突進する。
ジギスムントの親衛隊長は、決して諦めない。
それを見て俺は、美しいと思った。
直後――、
水銀の騎士は敗北した。オルスラの敵たる二人の軍人は、戦闘の何たるかを理解していた。親衛隊長に最前の攻撃が通じていないことを確信し、爆煙を抜け出てくるだろう位置に、あらゆる攻撃を集中していたのだった。
重力に引かれ、オルスラは力なく落下した。
ぐしゃっと鈍い音を立てた。
それでも、ジギスムントの騎士は立ち上がろうとしている。
彼女の遺産兵器はまだ動く。しかし、中身はもう持たない。
まだ死んでいないが、直ぐに死ぬだろう。
俺はもう何も出来ない。何の力もない。何も残っていない。どうしようもない。ただぼんやりと、壮絶でありながら無意味な戦闘を眺めることしか。立ち尽くすことしか。俺は、俺は――、
「兄さん、一体何を……」
ふと、弟君の声が耳に飛び込んできた。戦場だった瓦礫の山、その上は今、風が吹き抜ける音だけが支配していた。だから、彼の言葉が聞こえたのだった。いつの間にか、雷霆Ⅱによる噴火のような攻撃は止んでいる。
「殿下……? 何を、されているのですか……」
オルスラが弱々しく尋ねた。
その声色には絶望が乗っている。
「何故、お逃げくださらないのです……」
気づけば俺は、倒れた彼女のもとに駆け寄って、手を大きく広げて立っている。
もう諦めたはずなのに。もうどうにもならないのに。何故俺はこんなことを。
本当に何をしているんだろう。
「恐ろしいよ兄さん。何故部下を助けた。皇族は部下に助けられるものであって、その逆では決してない。一体、何の裏があるんだい?」
「裏だと?」
なんだその勘ぐりは。咄嗟に言い返してしまう。
「この期に及んで、俺に……」
ああ、そうか。と思う。
訳の分からないことを言われたせいで、自分の行動に説明がついた。そうだ。本心でオルスラを助けたのだ。間違った忠誠心で満ち溢れたこの少女軍人を、助けなければならないと思ったのだ。
そして俺はここにいる。
オルスラの盾になるために立っている。
俺はただ、助けたいという思いのままに、飛び出した。目覚めてから出会った人々に言われたように、愚かで、考えなしで、無謀と形容されるべき行動をしただけで――、
「あれ……?」
ふと、思う。違和感がある。
俺は、ジギスムント(本物)とサンダラーによって蘇った存在であって、すべては作為に彩られた物語を踊っているだけであることを思えば――、
ジギスムントが部下を助けるというこのありえない状況も、仕組まれたものだったのでは? 目覚めてから、ひたすら弄ばれてきたように。
おいおい、まさかだぜ。
だが、この違和感に気づいてしまったならば。
「殿下……、お逃げください…………。お願いします。逃げて、ください……」
あれほど勇ましかった親衛隊長の弱々しい言葉に、俺は我に返る。背後に倒れ伏すオルスラを見る。水銀の騎士は無事だが中身は力尽きている。
大地に突き立てた腕は震えている。立ち上がろうとしている。彼女は戦おうとしている。彼女の主君のために。ジギスムントのために。
本当に、君は凄いな。
俺も頑張ろうと思えるよ。
だからもう少しだけ、力を貸してくれ。
君の忠誠にも応えられると思う。
これから無理を言うけれど、助けて欲しい。
「逃げることはできない」
俺は言った。
もちろん、逃げる術など残っていないが。
そういうことじゃない。
「少し考えたいことができたのだ。必要ならば余が盾になる。あらゆるものを用いて時間を稼げ。もう一分でいい」
「小官は、限界です……。もうひと当たりで終わり、です」
「面白いことを言うではないか、オルスラよ。貴様は何だ。思い出せ。余に向かってなんと言った」
「小官はただ……」
「剣は振るわれ、盾は掲げられるものだ。その持ち主に戦意がある限り最後まで。違うか? 貴様の武器は砕けていない。貴様の肉体も壊れていない」
「殿下、それはつまり。つまり……」
オルスラの声に力が戻っている。鎧を変化させ、両手に長大な剣を出現させる。その反作用で、凶暴で歪な甲冑が立ち上がっている。
オルスラは再び戦意を漲らせていた。
許してくれとは思わないと決めた。
詐欺と言えばそうなの知れない。
しかし他に手段がないんだよ。
俺はやるって決めたんだ。その気持ちを思い出した。
策は残っていないが、どうすれば良いのか、思いつけそうなんだ。
「貴様がいる限り敗北ではない! 余は勝利を望んでいる!!」
だから、戦ってくれ。
「貴様は何だ! 余の親衛隊長たる貴様は!!!」
水銀の兜の下で、美しい顔が凶暴に歪んだ気がした。
剣にして盾です。そう言った気がした。
オルスラの姿が掻き消える。彼女は再び絶望的な戦いに身を投じた。先程までとの違いは、戦闘の中心に俺がいることだった。弟君は俺を殺せない。それを利用して時間を稼いで貰う。
この物語がどういう話だったのか。
それを理解するための時間を。
すべての元凶は、結局サンダラーにある。
■□■□■
何故、サンダラーは俺を無視したか。
二〇〇〇年の時を越えて、ジギスムントに仕立て上げられた俺は考える。
サンダラーという遺産兵器を使う資格はある。法的にはそうなっている。俺は地球連邦市民とやらに該当していて、だから俺は蘇ったんだ。そこに間違いはないだろう。奴らが、古代人の慌てふためく様を見たかったからではない。多くの人々が不平等に苦しむ、この世界を修正する為の筈。
だが、奴は命令に応じない。わざわざ蘇らせて、動機を与えて、救うのは俺だと煽ったくせに、肝心なところで突き放した。まったくおかしな脚本としか言いようがなかった。
つまり、何かを間違えている。
理解できない何かかがある。
しっかりと考えてみよう。
例えば、だ。
俺には常識がない。一般的な暮らしをしてこなかったから、西暦二〇〇〇年のことも三〇〇〇年のこと四〇〇〇年のこともよくわからない。価値観の断絶がある。価値観、価値観だ。価値観が違うから、俺はオルスラを助けるために飛び込んだし、ニサを助けるために動いたし、最初のセーフハウスから逃げたしたんだ。
本物のジギスムントならしなかったであろうことを、し続けた。
それがサンダラーと本物の狙いだったとしたら、完全に成功している。
だから、常識がないことは間違いじゃない。
もっと初歩的で、単純で、些細で、下らない何かが――、
ああ、そうか。
そういうことか。
「はぁ……」
ため息をついた。
もっと早く気づくべきだったな。
「ひとつ聞かせてくれ!」
一応、確認しておこう。
巨大で歪な戦車の車体上に立つ弟君に向けて叫ぶ。
「やっと会話してくれるのか。頭がおかしくなったのかと思ったよ」
「お前が皇帝になるとして、民はどうなる」
「…………は?」
「……民はどうなると聞いた」
「馬鹿な兄弟姉妹のほとんどは排除するつもりだ。だから、今よりまともな生活を送れるだろう。叛乱は面倒だしな」
「民を気遣う気持ちはあるのか。これから星ひとつを破壊するつもりなのに」
「何千万人が死んでも、残りの一〇〇〇億が生きるならそれでいい」
……それが、支配者たるの資格というやつか。
ヴィルヘルムは、本気でどうでもいいという顔をしている。
やはり、駄目だな。このままじゃ駄目だ。しかも、こいつですら皇族ではマシな方らしい。酷い冗談だぜ。お前はこの星の住民に何をした。兄弟喧嘩に巻き込んで何人が死んだ? 本当に多くの人間が苦しみ続ける。人類を救う為に作り出された銀河帝国が、多くの人類を虐げている。このままでは、この星だけでなく、もっと多くの――、
「……俺はね。人生で初めて他人を助けたいと思ったんだ。思えるようになったんだよ。お前らに踊らされていただけなんだろうが……、人助けできるだけの力を、資格を、手に入れたらしいから。頑張ってみようとね」
それなりの成果が得られたと思う。途中まではうまく行っていたしね。今こうして追い詰められているとしても、大したものだろ? 満足すべきだ。精一杯頑張ったから、諦めてもいい頃合いだ。そうだろう。そうだろうが。
だが――、
「親族達にはどうやらゴミしかいないらしい。ヴィルヘルムのような利口で恵まれた男ですら、たまたま生まれついた不自由な暮らしに苦しんでいる人々を、どうでもいいと切り捨てる」
くそっ。俺しかいないんだ。
それが必要で、その意志が俺にあるのならば。
俺はやるって決めたんだ。
「兄さん本当に何? 本当に頭がおかしくなった?」
サンダラーと本物のジギスムントは、『救世主』という言葉に拘っていた。
それが答えだ。救世主ってのは――、
「わかった! わかったよ!!! 人類すべてを救う!!! 俺がやるよ!!!!」
誰かひとりとか、星ひとつとかじゃなくて、人類を、世界を救うことをサンダラーは求めていたのだ。滅茶苦茶分かりづらかったが、俺にそう明言させたかった。そうなんだろう?
サンダラーの設計思想を思えば、一惑星という少数の人類のために動かないのも当然だった。彼女は、人類初の統一政体である銀河連邦が存在した時代の兵器であり、その頂点を自負している。
銀河連邦は全人類に奉仕する存在であり、その兵器もまた同じ。
であるからして、サンダラーはたったひとつの星のためだけには動けない。
彼女は無限の嫌味を駆使して、そう俺に伝えていたのだった。
「これがお前たちの望んだ結末なんだろう!!? サンダラー!!!」
〈卓見です、市民〉
苛立ちを覚えるほどの間があって、不愉快な機械音声が応えた。
脳内から響くようだった。
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