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第57話 気をつけるとも

「宴に付き合いきれず中庭に出てきたのだろう? その判断は正しい。あんな馬鹿騒ぎに意味はない。身体はガキだが精神の発達が早いようだな」


 突如現れた少年は、噴水の上でびしょびしょになりながらヴィルヘルムに声をかける。その台詞をまったくそのまま返してやりたい気分になった。背格好から察するに、大して変わらない年なのだろうが。彼は素直に反感を覚えた。


「あの馬鹿騒ぎを正しく馬鹿騒ぎと理解できるのは素晴らしい。だが、逃げると決めたら敵のテリトリーから全力で逃げねばならないのだ。貴様は仮病を使ってさっさと自分の船に帰るべきだった。最も愚かな部類の兄姉に捕まってしまうあたりはまだまだ未熟だな。大抵の人間には足がついているのだから、足で逃げたら追いつかれてしまうよ。ああ、ひとりで抜けてきたのもよくないな。貴様につけられた臣下はどうした? 大人がついていればこんな目に遭わなくて済んだろうに……。いや、無理もないか。貴様は先程目の前の光景に絶望したところなのだった。大人を信じられるわけもない。そうだな? ……おい、どうした。なにか言ったらどうだ。主張しない人間は存在しないのと同じだぞ」


 こいつ、やばすぎる。

 ヴィルヘルムは子供の頃にだけ持つことの出来る純真かつ残酷な正直な心でそう思った。自ら噴水孔の真上に立ってずぶ濡れになることを選ぶ神経はもちろん、意味不明なほどの饒舌さにも恐怖を覚えた。余に向かって話している筈なのに、まったく返事を求めていない。かと思えばいきなり問いかけてくる。


 悪い夢なのではないか。

 ヴィルヘルムは折れた指を眼の前にかざし、無事な方の手で引っ張ってみる。「ぐぅ……」滅茶苦茶痛かった。これは現実らしい。


「あー、さっきからきゃんきゃんうるさい。犬でも貴様らよりもう少しマシだ。言葉がわかる分たちが悪い」


 奇特な振る舞いを見せる少年の会話相手が変わっていた。

 理解できない存在を前にして感覚が麻痺していたが――、


 ガキとか舐めるなとか、罵詈雑言がいきなり耳に入ってきた。指の痛みで五感が拡大されたらしい。凶暴かつ野蛮な兄姉の矛先は、いつの間にかこの闖入者に向けられている。


 奇特な少年の独演会の間中、兄姉はずっと叫んでいたようだ。

 今もそれは続いていて、その顔は真っ赤だった。


「吠える犬ほど噛まないと言うが、貴様らはどうなのかな?」


 兄姉の我慢は限界に達し、年長な分大きな体を駆使して噴水に殺到する。この偉そうな少年、一体どうするつもりなのだろうか。闘争の中心にいながら、部外者の気分でヴィルヘルムはそう思う。


 噴水を見上げる。水の膜で歪んだ少年の顔は、心底つまらなそうな顔をしていた。絶体絶命のはずなのに。そして小さな口が動くのが見えた。かろうじてヴィルヘルムの耳に届く。あまりにも冷たい声だった。


「余の兄弟がこれほど馬鹿揃いとは。逃げる機会は用意してやったのだぞ」




 そして噴水上の少年は指を弾く。


 同時に鈍く空気を裂く音。瞬間、中庭の生け垣から大量の矢が飛び出てくる。そのすべてが兄姉の右足に刺さり、彼ら彼女らは襲いかかる勢いそのまま倒れ込む。そしてうめき声。


 立ち上がるものはいない。温室育ちはたいてい痛みに弱い。




「うむ。愚物には相応しい結末だ。ゆくぞ、見どころのある弟よ」


 饒舌な少年は「とぉっ!」と叫んでから大地に降り立ち、泉にへたり込んだままのヴィルヘルムを引き上げる。彼はついていくことしか出来ない。


 何が起きたのか。それを理解するべく明晰な頭脳を精一杯動かしている。誰にも傷つけられない筈の皇族達が背後で発する響くうめき声を聞きながら。考えて考えて、そして気づく。


「まさか……」


 この頭のネジが数十本飛んでいるに違いない少年が、すべてを用意していたのだと。

 兄弟姉妹の誰かが嫌気がさして宴を抜け出すこと。凶悪な性質を持つ集団が別の意味で環境に飽きて中庭に出ること。この噴水にすべてが集結すること。すべてを予測して、この少年は罠を仕込んでいた。


 思い返せば、「そろそろ頃合いかと来てみれば、思ったより多く掛かったな」と、言っていなかったか。


「ははは! よく気がついた! 姉兄の大半はまだ子供なのだから、本日の出来事は強く印象に残るはず。それは後々役に立つ。我々兄弟姉妹は競争関係にあるのだ。脅せるうちに脅しておくべきなのだ。まったく良い日だ! 貴様とも知り合えたしな!! はっはは!!!」


 …………。

 ヴィルヘルムは返事をしなかった。彼の手を引く少年は実に愉快そうだったが、ひたすら考え続けている。考えるのが得意だったし、今こそこの頭脳を全力で機能させるべきだと、本能が言っていた。


「しかしよく気づいた。仲良くしよう」

「うん」

「だが、貴様は戦う力をつけねばならないなぁ。今のままでは頼りにならんぞ」

「うん」

「余と貴様とで世界を救うのだ」

「うん」

「その大人しさ、改善したほうが良いぞ。余らは人気商売なのだから」

「うん」



 ヴィルヘルムはかろうじて返事をしながら――、


 途方もない恐怖を感じている。

 どうやら兄であるらしいこの少年が優秀であることはよく分かった。あれほど綺麗な罠を仕掛けられる人間の能力を疑えるはずもない。だが同時に、整合性が欠けているとも思った。


 兄弟姉妹を傷つけてまで脅す必要はどこにあるのだろう。

 この兄が乱暴であることは間違いないが、それ程単純な人間とは思えない。この兄がついさっき目撃した光景と、ときおり見せる冷めきった表情がその理由だ。やはり、論理的な思考ができるのだろう。


 なのに、白昼堂々と兄姉を害した。この事実は現帝の宮廷中に広がるだろう。中庭には無数の監視カメラが設置されていた。だからこそヴィルヘルムは中庭に逃げたのだった。誤算はカメラの位置を確認する用心すらしない兄姉の知性だった。


 しかし同時に、この小さな兄が作り上げた凶悪な一部始終はかならず明らかになるのだ。どう考えても敵を作るだけだ。大人になる前に絶対に潰される。兄弟姉妹は本当の意味で掃いて捨てるほど存在するのだから。


「余らはまだまだ子供だからな! 今後の成長に期待しようではないか! お互いにな!! はっはは!! ははは!!!」


 この高笑いは知性の欠如を意味するのだろうか。否。これほどの策を実現したこの兄が、考えなしとは思えない。馬鹿笑いがかえって不気味だった。なにかがある。なにか恐ろしいものを内面に抱えているに違いない。


 ただ単に周囲に暴力を振りまくだけの馬鹿な兄弟姉妹より、よほど恐ろしいことを考えているのでは――、


「笑え!! はっはは!!」

「……はっ、はは」

「貴様、笑うのが下手だな」

「はは、は」



 ヴィルヘルムはこの時、己の手を引く少年が、底知れない存在であるということを脳裏に刻んだのだった。




 この少年がジギスムントという名前を持つことを教わったのは翌日のこと。家宰が「箝口令が敷かれていますが……。昨日、皇子殿下皇女殿下複数名が巻き込まれた大きな事故があったとか。詳細は我々にも伝えられていません。ただし、ジギスムントという皇子には気をつけなさいませ。幼くして暴虐な性格とのことです」と囁いた。


 お一人で失踪なされた時には心配いたしましたが、ご無事で戻られたのですから不問といたしましょう。今後も危険に近づいてはなりませんよ。御身は陛下のご子息らの中でも一際優秀でいらっしゃるのですから。


 ヴィルヘルムは利口だったから、離宮の北東に広がる宇宙港に停泊する彼の船に案内してくれたのがそのジギスムントだとは明かさなかった。気をつけるとも、とだけ答えた。


 気をつけるとも。気をつけるともさ。

 暴虐という言葉では収まらないと、分かっているからね。




 銀河歴一〇〇〇年のこの日、あの夏から十三年が過ぎていた。

 ヴィルヘルムは成人している。皇帝陛下の名代として銀河の星々、その幾らかを総督として統治しかつ、帝国の根幹たる帝国軍の一部を統帥する元帥殿下になっている。大抵の兄弟姉妹より少しだけ多くの領土と、少しだけ大きな規模の艦隊を支配下においていた。


 幼少の砌において、己を取り巻く状況すべてを理解してのけたかつての神童ヴィルヘルムにしては控えめな未来と言えた。もちろん、彼がその気ならば現状に倍するだけの領土を手中に収めることは出来ていた。


 この十三年、ヴィルヘルムは己の力を必要以上に示すことを控えてきたのだった。


 すべては――、


 無軌道かつ凶暴な振る舞いにより『暴虐皇子』という忌み名を奉られるようになったジギスムントを、身近な位置で監視するためだった。ジギスムントは無能を嫌うが、優秀過ぎて警戒されるわけにもいかない。初めての出会い以降気に入られてしまったらしい己は、年数回食事をともにしたり盤上遊戯(ボードゲーム)を共にする仲になっていた。


 ジギスムントが油断した際に、隙をついて排除するために余は産まれたのだ。

 ヴィルヘルムはそう確信している。


 いつの間にか、不平等と圧政を体現する現体制への不満は忘れ去っている。幼少期の己に恐怖を刻み込んだ兄を排除することだけを考えるようになっていた。長じるにつれ人間社会の成り立ちを学び、帝国の存在こそがすべてだと思うようになっている。不具合は大量にあるが、それは余がいずれ修正する。それまで民には我慢してもらおう。


 何よりもまず、ジギスムントの暴挙を止めねばならない。無能な皇族を恨む気持ちを暴走させるのは結構だが、副作用で帝国を破壊されてはたまらない。



 そして、ヴィルヘルムの懸念は正しかった。

 (セント)・バーナードの今を見よ。

 人類の滅び、その序章そのものではないか。



 『暴虐皇子』が何を考えているのかは結局わからないままだった。

 だが、危険な存在であることを、あの夏の日の出来事で十分理解している。

 彼は強く決意している。



 興が乗ったら下にある☆☆☆☆☆から作品の応援をお願いします。


 面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ。正直な感想で構いません。




 ブックマークもいただけると本当に喜びます。


 作品作りの参考にしますので、何卒よろしくお願いいたします。

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