第49話 選択肢がないのは
立体映像に映る赤い点の数は二十七だった。
俺が乗り込んだ飛行機械を取り囲むように広がっている。敵機の群れは、マッハ三を超える速度で飛ぶ俺たちを容易く捉えた。最早猶予はない。
もう一度立体映像の地形を確認する。
事前に想定していた地点にほとんど到達していた。この時刻のこの場所でヴィルヘルムの部下に囲まれるのは織り込み済みだった。作戦は最大限準備したものではあったけれど、実際その成果を目にしてみると驚きの感情を覚えた。
まあ、少しだけタイミングが早いのは確かだ。本当ならもう一〇〇kmぐらいは先で追いつかれるはずだった。お互いマッハ三より速く飛んでいるから、ズレはだいたい一分半だ。ほら、ちゃんと計算出来るだろ?
作戦と現実のズレは、俺が調整せねばならない。
これからやることで、何人が死ぬのかな。何人が救われるのかな。俺はこの選択の責任を取れるのだろうか。もちろんわからない。
だが、既に拡声器のボタンは押してしまっていた。
指は震えていた。
「ジギスムント・ザウエル・レイルが告げる」
名乗ってから、皇族ってのは誰かから紹介されて、それから話し始めるものなのではないか、と思った。間違えたな。だが、もう始めてしまった。引き返すことは出来ない。
「この星の民は、貴官らと同じく皇帝陛下の赤子であり、天の河銀河に満ちる恒星である。民の命はすべて燃やし尽くすまで帝国に奉仕すべき宝である」
内容はすべて出たとこ勝負だった。事前に考えようと思ってはいたけれど、結局何も思いつかなかった。ともかく時間を稼がねばならない。それっぽい語り口になっていればいいけれど。
「それがどうだ、この星に降り掛かった悲劇は。貴官らは帝国の守護者であるにも拘わらず、扶けるべき民を虐げている。この事態は皇室が抱える愚かさに由来するものであり、余はその事実を否定するつもりはない。だが、責任の一端は貴官らにも存在する! 民を虐げるヴィルヘルムは皇室の義務を放棄して下郎に成り下がり、貴官らはその下郎の下僕として働いているのだから!!」
下郎。はは、なんだその単語は。
口にする日が来るとは思いもしなかった。自分で言っていておかしみを覚える。目の端に映るオルスラが僅かに頷いていた。てきとうに話しただけだが、彼女には刺さったらしい。
「自らの命がなんのために費やされているのか、考えたことがない者はいないだろう。だから告げよう。今この時任務を放棄したならば、貴官らの罪は問わない。それどころか昇進させてやる。勲章もくれてやろうではないか。除隊したいなら、年金も一〇〇%増しで払ってやろう」
視線を立体映像に向ける。数万年前の大河が作り出した渓谷は眼下の地形は、いつの間にか一層複雑なものになっている。歪なタイプライターのように凹凸が密集していた。
飛行機械の向かう先に青い印が現れている。
事前に想定していた地形がすぐそこにあった。
作戦の決行ポイントだった。
「だから、貴官らは自らの良心に従ってもらいたい。今すぐこの星から立ち去るのだ」
十分時間は稼いだ。もう話す意味はなかった。すべてが作戦どおり進行していた。敵機は俺が話している間、攻撃してくることはなかった。通信を切って、オルスラに次の行動を命じるべきタイミングだった。
でも――、
しばらく沈黙した後で、俺はこう付け加えた。
「選択肢は与えた。よく考えてくれ」
なんでこんな事を口にしたのだろう。
自分でもまったく意外だった。
数秒だけ待った。立体映像に映る赤い点の群れはまったく動きを見せず、包囲を続けている。いや、徐々に距離を詰めつつあった。
つまり、彼ら彼女らはジギスムントの話を無視したということ。ヴィルへルムへの忠義故か。職業意識か。それとも単に残虐なだけか。
選択肢。
こんなことを口にするつもりはなかった。何故こんなことを。
ああ、そうか。
そんなに難しい問いじゃないな、これは。
「殿下、これは結局一体何だったのです?」
オルスラは俺を非難した。相変わらず無表情のままだったけれど、なんとなく感情が分かるようになってきた。
その問の答えはね。
俺の人生に選択肢がなかったから、他人にはそれがあって欲しいと願ったってだけさ。
ああ、他の解釈もある。敵に選択肢を与えることで、これから起こること、その罪悪感を少しでも減らそうとしたのかもしれない。奴らは逃げればよかったんだ。俺は悪くないぜ。
もちろん言葉にはしない。
俺は日本で生まれた重病人ではなくて、未来の皇帝を自称するジギスムント・ザウエル・レイルだからだ。俺の発言は常に果断であるべきだった。皇子らしく。
「そこの狭い谷に入れ。マーカーに飛び込むように」
オルスラの質問を無視して俺は言う。
「上を完全に取られ――」
「オルスラ、これは命令だ」
俺は彼女の顔を――少しだけ口の端が引き締まっているように思えたけれど、その裏には焦燥があると思った――横目で見ながら意見を遮った。
オルスラは操縦桿を押し込んだ。
視界はすべて赤茶けた大地に染まった。飛行機械は急降下している。迷路のような地形が急速に迫る。まったくスムーズな方向転換だった。重力操作技術の賜物だろう、視界が一変したのに上下の感覚が変わらない。返って気持ちが悪かった。
「谷底を這うように飛べ」
立体映像を確認する。二十七の赤い点は迷う様子もなく追ってくる。地面と並行になっていた。翼端は岸壁ぎりぎりを掠めるようだった。うねる谷間に逃げ込んだせいで、速度はマッハを下回っている。
敵機は背後と上空を占位していた。大半は渓谷の上を掠めるように飛んでいる。空中戦の要諦は、位置エネルギーと運動エネルギーを交換しつつ有利な位置を占めることにある。何かでそう読んだ記憶があった。
今この瞬間、俺たちは圧倒的不利な状況にある。
赤い点は距離を狭めつつある。
斜め後ろを振り返ると、エイめいた回収挺の姿が明確に視認できた。
「殿下!!!」
オルスラが器用にも無表情のまま叫んだ。
落ち着けよ。策はある。そう言ったろ?
俺はポケットに仕舞っていた通信機のボタンを押す。
瞬間、爆炎と轟音がすべてを支配した。
数kmに渡り埋め込まれた爆薬がその効果を存分に発揮し、渓谷が破壊されたのだった。
谷間の底を這うように飛ぶ俺たちの視界は一気に暗くなる。
暗闇の正体は、襲いくる無数の岩礫と粉塵だ。
暗い視界の中で後方から轟音と赤い光が届いた。
敵機が崩落に巻き込まれたのだ。
センサーが捉えて出来た立体映像上の赤い点が次々と消えていった。
「殿下」
オルスラは飛行機械を巧みに操り、降り注ぐ岩礫の隙間を飛び抜けていく。俺を呼ぶ声は冷静さを取り戻している。視線はちらちらと立体映像に注がれていた。敵を示す赤い点はたったの三つに減っている。
俺たちは爆発と崩落の影響はまったく受けていない。谷底を這うように飛んでいたおかげで無事だった。すべては背後に置き去りにされて、爆発も崩落もその音を届けることはなかった。
いつの間にか速度計はマッハ2を示している。
長い直線がなければこれほどの速度は出せない。無数の複雑な曲線を描いていた谷底は、不思議なほど綺麗な直線へと変じている。大地は舗装されてすらいた。これは鉱山施設への輸送路に合流したことを意味している。
何が起きたか。
敵を誘い込み、用意した罠にはめたのだった。ヴィルヘルムの部下たちはジギスムントの演説を聞いていたせいで一〇〇kmを無駄に飛び、その挙げ句に罠にかかってほとんどが死んだというわけだった。
「殿下、説明願います」
オルスラが冷たく言った。
説明不足はよくないことだ。俺は目覚めてから常に説明不足を呪っていた気がする。
「……余があの病院から消えてセーフハウスに現れるまで、二時間程時間があった」
「何故消えたのですか?」
その質問に答えるつもりはなかった。
サンダラーとの会話の中身については、時間がかかるし説明が難しい。
理解してもらえるとは思えなかった。
「その二時間で、ある人々にちょっとした命令をした。先程の爆薬を仕掛けてもらったのだ。ヴィルヘルムが余の出頭を素直に信じるとは思えなかったのでね」
「ある人々? こんな罠を仕掛けられる勢力がこの星に残っている筈が」
「聖・バーナードは余に救われている。そう言ったのは貴様だ。見返りを期待してもよかろう」
「……つまり」
「民に協力を命じた。敵を一網打尽に出来る地形の紹介と、爆薬の仕込みをな」
不愉快な人工知能とあれこれ会話した後で俺が一番に転移した先は、あのセーフハウスの小部屋ではない。久々の食事を提供してくれた、強面で義足の店主が営む食堂だった。
ヴィルヘルムの部下に敗北を重ねていた親衛隊に期待するべきではないと考えた。親衛隊が無能だからではない。親衛隊の能力がヴィルヘルム勢にとって意外性のないものになっていたからだ。
弟君の裏をかこうとしているのに、身動きすら取れずにいる戦力を当てにすることは出来ない。ジギスムントが組織した女だらけの親衛隊は、既に限界を迎えている。
意外性を重視するならば、民を頼る以外に選択肢は他になかった。
だから俺は再び食堂を訪れ、フードをめくって素顔を晒し、店主に頼んだのだった。
この星の未来のために力を貸せ。
店主はつい数時間前に金貨で飯代を払った俺とジギスムント殿下を繋げることはできなかったようだけれど、フードの奥から現れた尊き血筋の男の命令に応えてくれた。彼はジギスムントが総督になっていなければ死んでいた筈の男で、食堂の常連客はジギスムントのおかげで職を得た哀れな男たちで、この星の主要産業はダイオライト鉱石の採掘で――、
ニサとヴェンスが暴れ回ったあの鉱山施設で、どれだけの爆発が起きたか思い出せ。
軍人でもないのに、この星の労働者たちは火薬を大量に用意できた。何故?
厚い岩盤を砕くのが彼らの仕事で、それには爆薬が必要だからだ。
こんな未来でも鉱山労働者を取り巻く環境は変わらないらしい。
店主が呼び集めた常連客の前で、俺はあの鉱山施設で戦った男たちの最期を語った。常連客達は怒りの感情を示した。死んだ男たちは同じ街で育った友や親戚であるらしかった。
そして、敵を誘い込む最適なポイントを教えてくれた。どこかの倉庫から運び出した爆薬を抱え、彼らは自家用飛行機械を使ってこの渓谷に飛んで――、
「あの病院で姿を消してから二時間を要したのは、この罠のためだった。この星の人間があの爆薬を埋めたのだ。うまくいって良かったよ」
「すべては殿下の掌中と」
「よせ」
手を振って会話を終了させる。
俺の掌中? もちろんぜんぜん違う。そんなわけはない。
すべてはいきあたりばったりだ。
だが、まあ――、
あらかじめ分かっていたことはある。
俺は選択肢について考える。
ヴィルヘルムの部下としてたまたま配属されただけの軍人たちに、何の選択が出来ただろうか。彼ら彼女らはかつての俺より肉体の自由を持っている。それは確かだ。
しかし、この時代は封建制度に支配されている。どれだけ強い武器を操っていたとしても、彼ら彼女らは弱者だ。虐げられる一般市民と虐げる軍人は、同じルールのもとで生きている。
俺は、敵が逃げないことをなんとなくわかっていた。
総督府の発着場で逃げた者はいなかった。そして、オルスラは常に戦った。親衛隊もそうだ。星戦隊も、ヴェンスも、この星の官憲も、現地人も、ニサも。あの可愛らしい幼女、アレッタですら俺と戦う姿勢を見せた。全員が戦いを受け入れていた。
今更、新たに現れたヴィルヘルム麾下の軍人だけが逃げる筈があるか? 選択肢を与えたつもりになっていたのは、自分で自分を騙しているようなものだ。この時代に生きる人間たちは戦う以外の選択肢を持たない。かつての俺より自由だけれど、同時に不自由だ。
それなのに、「選択肢は与えた」と俺は言ったんだ。実に滑稽だ。そんなものは誰も持っていないのに。俺は暴虐皇子に負けないほど冷酷なのかもしれない。
でも、まあ。
出来ることをやるだけだ。
俺はこの星の人々を助けると決めていて、既に行動していた。
今更引き返すことは出来ない。
結局のところ、選択肢がないのは俺も同じだった。
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