第43話 納得行くまで
今、清潔で静かで白い場所に俺はいた。まっすぐな廊下と、等間隔で立ち並ぶ扉。俺が育った場所もこうだった。音を立てず、それでいて素早く動く白衣の男女。静寂と慌ただしさが両立する空間。
「二〇〇〇年経っても変わらないもんだな」
つまり、俺は病院にいる。
まあ、見慣れない機械が目につくが、それは俺の時代の病院でも同じことだった。外の世界にはない不思議なものが当たり前のように存在しているのが、病院という場所の個性でもある。
ニサが気絶した後、俺は彼女を引きずって小一時間さまよい、この病院に辿り着いた。門には「ヌーベル・サマルカンド星立病院」と書いてあった。忙しそうに歩き回る看護師達のひとりにニサの治療を任せた。また外套を起動していたので、俺の正体はバレなかった。
ああ、もちろん地面を引きずったわけではない。転がっていた家の扉をソリにしてそこに載せ、くくりつけた伸びる袖で曳いたというわけだ。
なお、ヴェンスはその辺の家の物置に押し込んだ。物置にあったロープでぐるぐる巻にして、猿ぐつわもして、柱にくくりつけた。これでもう何も出来まい。
ちなみに、ヴェンスが着込んでいた機甲服は簡単に脱がすことが出来た。機甲服の首筋に「EMERGENCY ESCAPE」と書かれたパネルがあって、硬くなる袖で叩き割って――意外と便利なのかこのガラクタ――隠されたボタンを押したらヴェンスが排出されたという次第。
帝国軍に街が襲われて多くの人間が死んだにも関わらず、この病院にはそれ程人気はなかった。少しだけ不思議に思ったが、なんのことはない。あの施設を守っていた作業員たちは全員死んだし――、
俺がこの街の市民でも、健康なら戒戒厳令下で病院に近づきたくはない。病院は重要施設だし、戦時に狙われるのは常識だぜ。この街の皆さんは、どこか遠くに逃げたのだろう。こんな状況でも勤務に精励する医療従事者たちには敬意を。
まぁ。なんにせよ、久しぶりに冷静な気分になれたかもしれない。目覚めてからこっち、荒唐無稽な出来事ばかりだったけれど、病院には慣れ親しんでいる。しばらくぶりに故郷に返ってきた人間はこういう思いを抱くのかな。俺が詳しいのは病院じゃなくて病室だけれど、懐かしいことには代わりはない。
ともかく、ニサは助かった。これで俺の役割は一段落だ。今度こそ逃げよう。また都合よく乗り物があれば良いんだけれどと考えながら、ぼうっと病院の廊下に立ち尽くしていると――、
「あなた、もういいじゃない。帝国人のために命を張る必要なんてないでしょう」
ひとつの病室から話し声が聞こえた。泣く寸前としか思えない声色だった。こっそりと病室内を伺うと、制服を着た男が三角巾で腕を吊って、ベッドに横たわっている。ベッド脇には女がひとり座っていた。悲痛な声の主は彼女らしい。
「……そりゃそうだがね。これはおまえのためでもあるんだよ。ジギスムント殿下がいなけりゃ、おまえだって今頃は」
「それはそうだけれど……」
「あの人はこの星に必要なんだ。わかるだろう」
「あなたの同僚、何人が亡くなったの」
「うん、まぁ。そうなんだがね……」
「あなたが死んだら……」
「これが俺の仕事なんだ。そして、大事な仕事だと思っている。やっと生活に希望が見えてきたんだ。その理由があの皇子であることは間違いない。生まれてくる子供のためにも、出来ることはしなくてはならないと思うんだよ」
仕事に戻るよ、この街の治安を守るのが俺の仕事だ。そう言って、男はベッドから身を起こし部屋を出ていった。病室の外に立つ俺のことなど眼中になかった。彼の目は使命感でいっぱいだった。
しばらくして、女は泣き崩れる。彼女のお腹は膨らんでいる。つまり、夫は責務を全うするために再び戦いに赴き、妻はそれを静かに見送ったというわけだった。
「…………」
今のはなんだ。何を見たんだ。わけが分からない。咀嚼できない情報を前にして思考が麻痺している。逃げることも忘れて俺は病院をうろつき回る。
そして、似たような光景を見続けた。男女の区別なく、植民地人は自らの星の未来のために動いた。病室を抜け、いるべき場所へ戻ろうとする。例えそれが無意味な抵抗だとしても。
鉱山施設で死んでいった作業員達や、発着場で倒れた衛兵や侍女たちのことを思った。あの不憫な連中も、こんな風に不条理を飲み込んで、それでも戦いに赴いたのか。理解できない。不治の病に侵された、経験不足の若造にすぎないから。
何故だ。何故君たちはそんなことが出来るんだ。
人生経験不足の俺に、その思いは理解できない。
だが、大切な人の為に働く人の思いだけは、尊重されるべきだ。そう思う。そうじゃないか? それだけは否定できない。それだけは否定してはならない。俺の命がないことを悟りながらも、優しく接してくれた俺の両親のことを思い出せ。
思いの否定は、俺の存在を否定することとイコールだ。生きて欲しいと願ってくれた、あの優し過ぎる両親を否定することとイコールだ。それだけは、受け入れられない。
思い出す。
俺の眼の前で酔っ払い、明るい未来を切望した男たちを。その男たちを受け入れていた優しい店主を。そして、妹と星のすべてを背負って戦った義足の少女のことを。あのような人々の思いは、両親の思いと同質なのではないか。俺に関係がないと切って捨てることが出来るのだろうか――、
「戻りましょう、殿下」
不意に、背後から声がした。覚えのある声だった。振り返る。白い廊下の向こうには、ジギスムント殿下の親衛隊長、オルスラが立っていた。
「ま、そうだよな」
生きていたのかとも、どうして追ってこれたとも、思わなかった。
オルスラを見て、俺は少し楽しい気分になった。やはり来たな、そう思った。予想が当たるのは悪くない気分だった。
オルスラが包帯でぐるぐる巻きだったのは少しだけ心配だったけれど、悲惨でありつつも滑稽な姿をしていても、包帯の隙間から整った顔と綺麗な金髪が覗いていて、相変わらず美少女だった。
そう言えば――、
彼女がなんのために戦うのか知らなかった。
俺は思いを馳せる。実体として目の前に存在する彼女ではなく、あの広場で、俺に理解できない理由でジギスムント殿下のために戦っていた彼女のことを思う。オルスラは命を懸けている。それだけは間違いない。
「驚かれないのですね」
「ヒントは色々あったからな」
オルスラが俺の居場所を知らないはずがないのだ。
発振器が着いていたとしても、俺にはその形がわからないしね。
思い返せば、オルスラがヴェンス隊を襲撃した時点で気づくべきだった。電波妨害が行われているらしいこの星で、誰かが逃げる時間を稼ぐにために的確な行動をとるのはひどく難しい筈。
「大分苦労しましたが」
でもそれが出来た。何故?
答え。追跡用の遺産兵器を使用している。常識で測れない出来事が起きたときはだいたい遺産兵器のせいさ。俺はこの数十時間でそれを学んだぜ。
「防備を再構築するまで、殿下には身を隠していただく必要がございます」
オルスラは、今朝初めて会った時とまったく同じ無表情で言った。そう、本日のスケジュールはこれこれこのようになっていまして、という具合だ。俺が自分の意志で逃げ出したことなど理解しているだろうに、責めもしない。
「余の行動はどう評価する?」
「殿下の行動には常に意味があります。非才の身たる小官には伺い知ることすらできません」
相変わらず盲目に従うんだな。
まあいい。聞きたいことがある。何故この星の住民は、『暴虐皇子』を慕うのだろうか。俺の知らない何かがあるのではないか。食堂の男達はジギスムントに感謝していた。仕事が出来たことと――、治療を受けられたことに。オルスラならば知っているのではないか。
「……質問がある」
「は、殿下」
「この病院は綺麗だ。最近できたのかな?」
「一体何をおっしゃいます」
ああ、やはりか。
「余がこの星の総督になってから、幾つの病院ができた? 何人がそれで生き延びた?」
「五十二であります。従来医療が継続したケースとの比較予想では、死者数差は先々月末時点で約十万。お忘れですか、この統計調査は殿下が命じたのです」
ちなみに、失業率は三十%から三%に下がりました。歴史上、失業率五%以下は偉業とみなされます。オルスラはそう続けた。
そうか、そうか……。彼らの生活は、人生は、将来は、貧しさの中にある明るい輝きは、ジギスムントがやったことなのか。
「この星が他の兄弟達に渡ればどうなる?」
「恐れながら、殿下のご兄弟は下々にお優しくございません」
「……そうか」
確かに、弟君を見れば納得できる。帝位にしか興味はなさそうだし、部下を使い捨てにしている。星戦隊は精鋭なのではないか? ニサに負けたにも関わらず、増援が送り込まれる気配もない。
「なぁ、俺しかいないのか。他にまともなやつは? 余が民に優しいのは、裏があるからなんだろう。経済を優先するとか、税収を最大化するとか。これでマシな方なのか?」
「恐れながら」
「遠慮するな、オルスラ。率直な意見を聞きたい」
「銀河帝国とはそういうものです。遺産兵器を扱える帝国貴族がいなければ、世界が再び繋がることはありませんでした。人類は滅んでいたのです。よって、大抵のことは見逃されます」
帝国貴族しか遺産兵器を使えないのか。それは初めて聞いたな。まぁ、それもそうか。帝国貴族の権化みたいな皇族のジギスムントに、たくさんの遺産兵器が与えられていたからな。ガラクタだらけだったのは違和感があるが……、まあ、戦闘以外には役立ちそうなのは確かだ。
「余が、数少ない例外というワケか」
「間違いなく、殿下の領民二十億は救われています」
二十億人を救っている。
大したもんだよ。ジギスムントは。
「既にご存知のこととは思いますが、ヴィルヘルムから最後通告がありました。殿下が出頭されないならば無差別攻撃をするという趣旨です」
「既にそれは始まっている。対抗できないのか」
「殿下の艦隊は星海の彼方に逃げ去り、この惑星に存在する殿下の戦力は我々だけです。どうにもなりません。民は可哀想ですが、天秤の片方に殿下の失脚が載っているのでは仕方がありません。身を隠さねば」
「それが多くの死を意味するとしても? 余の敗北を意味するとしても?」
オルスラは何も言わなかった。
既に覚悟を決めている、そういうわけだ。
ある陣営の主が身を隠すということは――、
イコールで敗北だ。危機に陥って逃げ出す主君は指導力を失う。誰もついてこなくなる。それはひとつの集団の崩壊を意味する。ジギスムントの支配下にある民は、帝国という巨大組織への抵抗力を失ってしまう。多くの人間の未来が閉ざされる。
「なるほど、なるほど」
俺は両親のことを思い出す。
ふたりは優しかった。とても尊敬していた。父親は県庁の総務課長で、母親は銀行の経営企画室長だった。自らを取り巻く世界を少しでも良くしようと、一生懸命働いていた。立派な人物だった。
なのに、その子供の俺は何もできない存在だった。両親の脚を引っ張るばかりだった。治る見込みのない治療のために金を使わせたし、仕事の邪魔をした。
「悪いことなんてない」
「生きていてくれるだけで嬉しいんだ」
両親はそう言ってくれたが、俺は罪悪感でいっぱいだった。俺がいなければ、両親はもっと活躍できただろうに。多くの人の役に立つ仕事をもっと出来ただろうに。
はは! ジギスムントは幸運だ!! 多くの人々を助け、それを感謝されている。
俺はこれを望んでいたんじゃないか? 生きていた証みたいな何か? を残したかったんじゃないのか? 俺はあのベッドの上で、そう思いながら死につつあったのではないのか?
そして今や、俺はジギスムント殿下なのだった。何かをしたいと思えば、それを実現できる力が、俺にはある。この星の人々を助けることができる。
絶望が、諦めが、決意が、信念が、復讐が、正義が、優しさが、悲しみが、忠義が、目の前を通り過ぎていった。数日前なら想像もつかない物事を体験したんだ。そんな俺は今、何を感じているだろうか。何を思っているだろうか。俺は、俺は――、
この星の人々を助けたい。
間違いなく、そう思っている。
そう、決意している。
なるほどなるほど。
そうですかそうですか。
「ははっ」
思わず乾いた笑いをこぼしてしまう。我ながら滑稽だと思ったから。二〇〇〇年前に重病を患った俺が時を越えてジギスムント皇子として蘇り、あれこれ体験した結果として、星ひとつを救おうと決意しているだと?
まるで漫画かアニメの主人公だ。
現実でそんなことがあり得るか。
この物語を用意した奴は、最悪の性格をしているぜ。
「殿下?」
「小用を済ませたい。まさか着いては来ないだろうな」
オルスラは一礼した。
少し歩いて男子トイレに入る。扉を締める。実際に小便器に向けて溜まったものを放つ。朝起きてから緊張で忘れていたが、一度も膀胱の中身を開放していなかった。生理現象には勝てないし、これから忙しくなりそうだった。
洗面台の蛇口をひねって手を洗う。右尻のポケットに入っていたハンカチで水滴を拭う。鏡に映る威厳に満ちたイケメンの顔を睨み、小さく息を吐く。
さあ、種明かしの時間だ。
まさか無視なんてしないだろうな。
「思い通りに人が動くのを見るのは楽しかったか? 俺は決意した。そろそろ次の章に移る頃合いなんじゃないか」
しばらくの静寂があって――、
突如、俺は青い光で包まれる。
手足の先が薄くなり消えていく。
同時に、全身を包む光は輝きを増していく。
驚きはなかった。予想していたから。
消えゆく身体を眺めながら、すべての元凶の名を口にする。
「納得行くまで説明してもらうぞ、サンダラー!!」
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