第37話 少し裏返っている
ヴェンスの視界は一瞬で黒と赤に覆われている。
今この瞬間、星戦隊の少佐はニサを見失っていた。上下左右全周から逆流する瓦礫の群れが雷霆Ⅱに衝突するまで、コンマ何秒で数えるべき時間しか残されていない。
今日一で繰り広げられた様々な戦いが証明してきたとおり、雷霆Ⅱは強固な防御力を強みとする遺産兵器であり、その障壁はすべてを弾く。
岩盤掘削用の爆薬であろうと、機関砲であろうと、水銀の騎士が放つ光線であろうと、この防御を突破する手段はこの世に存在しないが――、
「弱点に気がついていたか」
恐るべき速度で襲い来る瓦礫の群れを不愉快そうに眺めながら、ヴェンスは義足の少女を称賛した。
西暦二七九一年に実証された次元断縮現象を軍事転用した雷霆Ⅱの防壁は、あらゆる物理的干渉を無視する。その拒絶の力でもって地上構造物を粉砕し、「着地」後はその盾でもって揚陸兵力を支援する。つまり、雷霆Ⅱの障壁は攻防一体の無敵の壁である。
だが、雷霆Ⅱに搭載された核融合炉を持ってしても、全周防御に必要なエネルギーを同時に供給することは出来ないという事実がある。遺産兵器は銀河歴に生きる人間にとっても魔法のような存在ではあるが、科学が生み出した人工物にほかならない。
この単純な形をした巨大な物体は、エネルギー効率に大きな課題を抱えているのだった。戦闘継続時間は約一時間で、一度格納したら最後、再展開にも十数分の時間を要する。
そして――、
同時展開が可能な障壁は、双四角錐が持つ八つの面のうち半分に過ぎない。
自分でも嫌になるほどの聡明さの持ち主であるニサは、その弱点に気がついている。壊れた街を飛び回り続ける中で、弾けた重機や建物の小さな破片が雷霆Ⅱにぶつかっていたことを見逃していなかった。
だからこそ、ニサは自分自身を囮にした全周飽和攻撃を選んだ。無数の爆薬を隠しているに違いない瓦礫の群れが、雷霆Ⅱに襲いかかる。防壁に守られていないこの揚陸兵器の装甲は、小銃が放つ弾丸を防ぐ程度に過ぎない。
義足の少女は爆炎と瓦礫の群れに身を隠しながら、残った左の義足の力を開放する瞬間を待っている。雷霆Ⅱの障壁が存在しない面が判明する瞬間を。
「舐めてくれたものだ」
ヴェンスは襲い来る無数の瓦礫の群れ真っ向から立ち向かう。
脅威度の高い物体から順に、瞬時に防壁を張り替えていく。雷霆Ⅱが演算した瓦礫の軌道演算に基づき、すべてを弾いた。単に遺産兵器の適合者というだけではあり得ない所業。神業と表現して良いのかも知れなかった。
彼女は、戦災孤児の出身でありながら、銀河帝国星戦隊創立以来最速で少佐に任官した天才だった。遺産兵器を扱えるというだけでそのような人事を行う程、帝国軍は構成員に優しい組織ではなかった。
「私の勝ちだ」
彼女の眼前で、ダンプトラックの荷台が虹の障壁に阻まれて明後日の方向に飛んでいく。襲いかかる瓦礫の殆どを、四方しか守れない防壁を張り替え続けることで防ぎ切ったのだった。
対処すべき瓦礫は残り僅か。雷霆Ⅱに被害を与え得るサイズのものは最早に存在しない。立っているだけでもいいくらいだった。
「ふぅっ」
やれやれお嬢さん、流石の私も焦ったよ。
ヴェンスは内心で呟く。後はてきとうに防壁を張り替えてやり過ごし、どこかに隠れているお嬢さんを見つけ出せば良い。もしかしたら逃げたのかも知れないが……。まあ、それはそれで結構だ。私にとっては、あの親衛隊長を殺す方が重要で――、
「舐めているのはあんたの方。姿を晒したのが間違いよ」
聞こえるはずのない声がした。星戦隊少佐は振り向く。雷霆Ⅱの斜面、その下方にニサがいた。少女は既に踏み出している。遺産兵器の装甲が砕け、飛び散っている。
馬鹿な。何が起きた。
緊張と恐怖で圧縮された時の中、神速で距離を縮める義足少女を眺めながらヴェンスは思考を巡らせる。雷霆Ⅱに接近することは不可能だ。防壁の内側に入り込むことなど――、
そうか。とヴェンスは気付く。
最後に弾いたダンプトラックの荷台、その影にニサは隠れていた。防壁を再展開した隙を突いて、内側に潜り込んだのだ。
この至近距離では、四面の防壁を展開することは出来ない。
義足がヴェンスの頭部にめり込むまで、瞬きの時間すら残されていな――、
「舐めるなと言った!!!」
ヴェンスは叫んだ。
たった三センチ先に存在する金属の足裏を睨みつけて。
「どうして」
ニサは顔を歪めている。少女の視線の先には虹の帯。
衝撃に耐えかね、機械の脚が内側から張り裂けている。
人工の翼は折れてしまった。ニサはもう、どこにも行けない。なにもできない。
最後の力を振り絞って敢行された決死の突撃は無意味に終わった。
雷霆Ⅱの斜面に崩れて滑って、ニサは大地に落ちていく。
「ふぅっ……」
障壁は二種類存在した。
ひとつ目は双四角錐の平面上に展開される防壁である。四つしか展開できない代わりにその面積は巨大であり、大気圏突入時は下部の金字塔を保護し、大質量攻撃を実現する。
ふたつ目は、雷霆Ⅱの中心から半径二一八m以内の任意の位置に展開可能な、四平方メートル程の小さな帯である。防御性能は雷霆Ⅱを守護するそれと変わりないが、あらゆる種類の死が飛び交う戦場ではあまりに小さ過ぎた。
だが、役に立たないその盾は、既にこの星で発動されている。ジギスムント皇子を確保するために降下した場所で、植民地人の官憲の攻撃から部下を守るために。戦場では役に立たないサイズだとしても、警察組織が持つ限定的な火力に対しては役立つし――、
「お嬢さんがどれだけ聡明でも、見たことがないものには対処できまい。念のため隠しておいて正解だったな」
義足の如き小さな直接攻撃手段から人間ひとりを守るには十分だった。ヴェンスは、雷霆Ⅱの付録に過ぎない能力を利用し、命の駆け引きに勝利したのだった。
やれやれ。ヴェンスは首を振りながら、雷霆Ⅱの重力操作でふわりと浮かび、少女を回収するために大地に降り立つ。
部下が全滅したのは大失態だが、まぁ。滅茶苦茶な目に遭ったのは私の隊だけじゃない。それに、研究院とのコネクションを作れるかも知れない。あまり分の良い賭けとは言えないが――、
この星はもうどうにもならないだろうから、次のことを考えよう。
「ふぅっ……」
部下を大量に死なせたからには明るい未来は待っていないだろうが、少なくともこの星からは生きて出られる。一応の手土産もある。喜ぶべきだろうな、うん。
不遇な生い立ちから才覚のみで成り上がったヴェンスは、心から満足できる結末というものが現実に存在しないことを理解していた。
やはりヴェンスが重力操作で受け止めたことにより、落下死を避けられた義足の少女を拾い上げようとして――、
「ちょっと待ったー!!」
若い男の叫びが響いた。
少し裏返っている。
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