第30話 皇子の一面
俺の金貨を元手に数十の客たちは次々と杯を煽る。店主は「一杯」と言っていたはずなんだが、とつっこむ余裕はまったくなかった。彼らはあまりにも勢いよく酒を飲んだ。現実逃避の一環としての酒、なのかも知れない。
「あんたら、帝国が嫌いなんじゃないのか。この星を植民地にした糞野郎どもだろ?」
たまたま隣の席に座っていた男に俺は尋ねる。彼は短時間で酩酊まで至り、それでもなおジギスムント万歳ジギスムント万歳と呟いている。返事は期待していなかったが、彼はガバと身を起こして語る。
「帝国は糞ら!! らが、ジギス――、」
言いかけて、すぐに突っ伏した。アルコールというものは恐ろしい。気絶するような飲料、俺は大人になっても絶対に飲まないぞ……。と、思ったところで、男達は応じるように叫びだす。
「そうだ! ジギスムントが総督になってから仕事が増えた!」
「病院もできた。帝国水準の医療が受けられるようになった! 妹が生きてるのは殿下のおかげだ!!」
「俺達はジギスムントに救われた!!」
「大げさだぞおっさん!」
「うるせぇアブール! お前が結婚を許してもらえたのは仕事に就いたからだろ! 仕事があるのは誰のおかげだこの屑!!」
「これまでの総督が最悪だっただけだ! ジギスムントがマシなだけだ!!」
「だが良くなった! 俺らみたいな下々はそれだけで満足すべきだろうが!」
「保険制度ができた! 官憲が賄賂を取らなくなった!!」
「政府を批判しても捕まらなくなった!」
「テロが減った。電気も水道も止まらなくなった」
「四年連続経済成長率二十%超え!! 帝国領内一位だ!! 我ら聖・バーナードが本気を出せばこうだ!!」
「すべてジギスムントのおかげだ! あいつは俺達のことを分かっている!!」
「暴虐皇子万歳!! あいつは下々にお優しくていらっしゃる! あいつが虐めるのは帝国人だけだ! いいぞもっとやれ!」
「殿下のご無事を祈ってもう一度乾杯だ!!」
なんだ、これは。彼らは心からジギスムントに万歳を叫んでいる。これじゃあまるで、ジギスムントが実は良い奴だったみたいじゃないか――。
「……俺達はジギスムントに感謝しているんだ。兄ちゃんの正体がなんであれ、悪口を大っぴらに言うもんじゃないぞ」
厳つい顔の店主が言った。
「……批判の声もあるみたいですけど」
「この星は植民地で、俺たちは銀河帝国では二等臣民扱いだぜ……。ただな、ここの客はみんなジギスムントが作った工場で働いてんだ。すこし前まで半分は無職だった。この店だけじゃないぞ。この街、いやこの星のほとんど全員が、あのイケメンのお陰で飯を食えるようになったのさ。すべてはダイオライト鉱石の採掘から輸出までの利益を、地元に落とすようにしてくれたおかげだ」
「それってつまり……」
「ジギスムントは、この星の救世主なんだよ」
ああ、そうかよ。
店主がまったく真摯な表情で断言するのを見て、俺は返すべき言葉を思いつけない。完全に混乱している。救世主と暴虐皇子というふたつの単語が、どちらもジギスムントを指しているってことか。取り合わせの悪い言葉だ。
くそっ、ジギスムント。あんたのことがわからなくなった。
寂れているように思えた街並みは、俺の勘違いってわけか。これでもマシになったというわけかよ。あいつは周囲の人間に暴力を振るいながら、支配する民の暮らしに心を配っていたってのか。
「ひとつだけ質問していいですか」
「なんだい」
「義足の子供がいたら、どう思います?」
ふと、ニサのことを思い出した。その妹も。彼女たちは観光客相手の盗みで生計を立てている。ああいう子供たちが存在してしまうのは、街づくりに失敗していることの証明のように思えた。なのに、眼の前の男たちはジギスムントを評価している。その理由を聞いてみたくなった。
「いきなりなんだよ……。不幸だが、同時に幸運だとも思うね」
「不幸で幸運? どう言うことです」
「ジギスムントが来る前なら、死んでいたに決まっているからさ。脚が潰れたらまともな治療がないから死ぬ。仮に生き延びても仕事がなくて野垂れ死にだ。かくいう俺もだな――、」
店主は右脚を持ち上げてカウンターに載せる。
義足だった。
「つまり、兄ちゃんが俺の美味い飯を食えているのも、あの皇子のおかげってわけだ!……まあ、事情はそれぞれ異なるが、この店にいる全員がジギスムントに恩がある。まだまだ俺たちは貧しいが、間違いなく豊かになっている。俺の孫が大人になる頃には、もっと良くなるさ」
孫はまだ娘の腹の中だがね。来月生まれるんだ。楽しみだぜ。
そう続ける店主の顔は、希望と不安に彩られた複雑な表情をしていた。未来への期待と、最悪の時代に逆戻りすることへの恐怖が、人生経験に乏しい俺にも伝わってきた。ジギスムントを希望の象徴として捉えているって、よーくわかったぜ。
まぁ、だとしても……、
俺に何ができる? 答え。何もありません。
この時代が俺の手に余るという確信がより強まっただけだ。二十一世紀の頃は指の一本も動かせず、二〇〇〇経っていきなり銀河帝国の皇子に仕立て上げられた俺には、自分のことだけで精一杯だ。他人の行動に、生活に、何かを思ったとしても、何かをする余裕はない。
「総督府発表」
繰り返し流れていた炎上する星府の映像が途切れ、テレビは再び銀河帝国の国章を映していた。アナウンサーらしき人の単調な声が流れ出す。
「ヴィルヘルム殿下のお言葉を代読する。『テロ活動に対抗すべく惑星規模での治安活動を実施する。悲劇を防ぎたいならば速やかに出頭するように』繰り返します。ヴィルヘルム殿下のお言葉を代読します。『テロ活動への報復として惑星規模での治安活動を実施する。悲劇を防ぎたいならば速やかに――、」
店内は再び静まり返っている。同じフレーズが四、五回続いた後、誰かがぽつりと呟いた。
「惑星規模での治安活動……? 出頭ってなんだ。解放戦線に言ってんのか?」
答えるものはいなかった。誰もが理解できていないのだった。
だが、俺にだけはわかる。帝位継承戦争の競争相手であるジギスムントが捕まらないから、あの弟君は痺れを切らし、星全体を人質に取ったということだ。銀河帝国の皇子ともなれば、脅しのスケールも極大というわけか。
そういえば、昨日目覚めてから俺だけはわかるって事態は初めてだ。
新鮮な気分だぜ。はっ、ウケる。
「おいみんな! 今回は様子が違うらしい。真面目に戒厳令に従ったほうが良さそうだぞ。隣町で戦闘があったらしいしな。帰る支度をしろ。寝てるやつは起こせ。おいアシド! いい加減起きろ!!」
店主が手を叩きながら怒鳴った。客たちはよろよろと自分の荷物を拾い集め始めている。鼻を鳴らしながらそれを見て、厳つい男は俺に小声で語りかけた。
「どうせ別の星から来たんだろ。さっさと宿に帰りな。あ、鉱山施設には近づくなよ。真面目な連中がテロ対策で集まってるからな。何されても文句は言えねぇぞ」
「……優しいんですね」
「兄ちゃん、純朴すぎて心配になるな……。マジの戒厳令下で余所者に居座られちゃ困るってだけさ。次はもう少しのんびりした時にまた来てくれや。ああ、ちゃんとクレジットで払ってくれよな。金貨の換金は手間だからな」
しっしと手を振る店主に追い出され、俺は外に出た。
自分でも混乱しているのがよくわかる。ジギスムントのことも、この星の現状も、理解を超えていた。混乱したままよろよろとバイクまで歩いたところで――、
すっかり馴染んでしまった音が、遠くから耳に飛び込んでくる。爆発、建物の倒壊、人々の悲鳴。不自由な暮らしを余儀なくされた人々が、最後に残された生活と命をすらも奪われる音。
義足の店主が営む食堂から出てきた男たちが、青ざめた顔でほうぼうに走っていくのが視界の端に映る。俺の脳内はやはりうまく働かない。
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