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三角形のアイだから  作者: 島津 光樹
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6章~10章

     6章 九月


 あの後、千歳さんに会えないまま九月になった。

『クッキー、御馳走様でした。サクサクしててとても美味しかったです』ってお礼のメッセージはあった。他愛の無い挨拶の言葉は交わしたけど、それだけだった。

 お盆は実家に帰省したんだろうなって勝手に思ってた。二十日過ぎにもう帰ってきてるかと思ってじぃちゃんちに行ったら「千歳君は発掘に出掛けて、当分帰ってこない」って言われた。そうなんだ…。まぁ、土器が好きって言ってたもんね…。


 そんな訳で始業式。久し振りの学校はかったるいけど、久し振りに会う友達との会話は楽しくもある。でも、話題は進路関係ばっかりだけどね…。

「アイちゃ~ん、勉強どー?」

「数学がダメ―!」

「数学だけならい~じゃん!あたしなんか英語からしても~全部ダメッ!だから最近はもういっそ、専門に行こうかな…って…」

「それもありか…」

「うん。でもさ、その話をしたらピがさ~」

「何なに?何の話~?」

 女子はどんな時でもコイバナが好きだ。自分も人のコイバナを聞くのは嫌いじゃない。

「こら~!お前達、予鈴はもう鳴ってるんだぞ!席につけ~!」

 担任が来た。休み明けの課題の提出。大量に配られるプリント。あぁ、新学期だなぁ…。


 その日の帰り。

「アイちゃ~ん!良かったら、どっか寄って帰んない?」と誘われた。

「い~よ。」

 自転車を押して、学校からそんなに遠くないカフェに入る。各々注文品を受け取ってから、テーブル席の一角を確保。朝のコイバナの続きだ。なんでも、去年から付き合ってる近くの男子校に通う彼氏が専門に行くなら別れると言い出したとか…。

「バカな女は嫌いなんだって!あたしだって頑張ってるのに、ひどくない?」

「色々考えると不安になるんだから、そこは励ましてくんないとね~!」

「だよね~。」

「はー。ミユキんとこのは駄目だね~。その点、うちのはさ~。」

 そう言って、早希ちゃんは鞄からバインダーを取り出した。

「それ何?」

「彼による教科毎の完全対策。」

「うをー!」

「すごっ!」

 綺麗に要点がまとまったルーズリーフをめくって、感嘆の息がこぼれた。これはすごい。

「どうせなら、一緒のトコ受かろうって…。」

「くぅ~!これが愛か!クッソうらやましい!!」

「流石…。中学から付き合ってるだけある。」

「そうなの?」

「そうだよ~。あ、アイちゃんは高校からこっちにきたから知らないのか。中学の時から既に周りから“夫婦”と呼ばれてたんだよ。」

「ちょ…!香、やめてよ!」

「い~じゃん!事実だし~。」

「い~なぁ…。ねぇ、好きってどんな感じ?」

「え?」

「はっ!?」

「アイちゃん、誰かを好きになった事無いの!?」

「ん~…。昔からかわいいモノは大好きなんだけど、特に「この人が好き!」ってのはなくて…。最近、「好きかも?」と思った人がいたんだけど、ちょっとしたアクシデントの後だったから、「吊り橋効果による勘違い」って言われてさ~。」

「何それ…」

「でも、分かる~!肝試しとかでこっちがビックリして悲鳴上げてるのに、動じない姿を見るとときめいたりするよね!」

「ちなみに、どんな人?」

「三十歳。」

「「「ないわ~!!!」」」

 三人の声が綺麗にハモった。

「芸能人ならまだしも、三十?一回り違うじゃん!歳の差えっぐ!」

「まぁまぁ…。好意的に考えましょ。「女は若い方がいい」と言って、付き合ってる彼女を二十五歳になったら必ずリリースするハリウッドスターに比べたら、勘違いだって言ってくれる良識ある大人だって。」

「一理ある。」

「それな!」

 ずごーっと氷の穴にぴったり入り込んだタピオカをすすりながら、香ちゃんが言った。

「うちらはまだピチピチの十七歳なんだよ。もっといい人いるって!」

「私はもう十八だけどね。」

「そうだった!早希もう成人じゃん!」

「おっとな~!」

「そんな事言われても、まだ高校生だし…。二十歳にならなきゃ、お酒もタバコも解禁にならないし。何の為の成人?って感じよね。受験あるから、成人式とか言われても困るし…。」

「それな!」

 香ちゃんのツッコミが入る。ほんと、何の為に成人が十八歳になったんだか…。

「待って!ゲーノー人じゃなくても、顔がいいならワンチャンある!」

 ミユキちゃんが意気込んだ。

「顔がいいは正義!で…?顔はいい?」

「…ううん…。なんかもさっとしてる…。」

「ないわ~!」

 香ちゃんは盛大に言って突っ伏した。

「でも…。優しい人だよ。自転車使えなかった時、車で送ってくれたし。」

「車種は?」

「白の…軽。」

「ないわ~!」

 香ちゃんのツッコミが炸裂した。

「いい歳して軽でお迎えって…。あたしだったら、恥ずかしくて死ぬっ!」

「そこまでっ!?」

「そ~だよっ!漫画みたいなイケメン王子と恋に落ちるのは無理だって分かってるけど、うちらはまだ恋に夢を持っていたいの!変にしょぼい現実をつきつけられたくはないわ。」

「そうね。」

「うんうん…。二十代まではブイブイ言わせたい。」

「そ、そうか~…。」

「そうそう!アイちゃんは可愛いんだからさ、もっと上を狙えるよ!」

「そうだよ!もうすぐ文化祭だし、素敵な恋が芽生えるかもよ?」

「そうかなぁ…。」

「まぁ、でも…。恋にうつつを抜かすより、今は受験に専念すべきだと思うけどね。」

 早希ちゃんが微笑んだ。口元の黒子が色っぽい。これが彼氏持ちの余裕かと思った。


 とりあえず、その場にいた三人の共通見解で「余程の金持ちでない限り、そんな年上と付き合うメリット無い」って言われて解散した。世の中ってシビアなんだね。


     *****


 始業式からお休みしてた水野さんが久し振りに登校してきた。

「ひさしぶり。なんか痩せた?」

「おはよう…。久し振り。夏バテしたのか、ここのところ体調が悪くて…」

 そんな話をしてたら、「いいんちょ~、勉強しすぎ!」ってツッコミが入った。

「そういう訳じゃ…」

 水野さんは目を伏せた。なんか…、やつれた気がして心配だよ。とりあえず、少しでも気分がアガるといいなと思って、ヘアアレンジをしてあげた。

「ありがとう、アイちゃん。」

「どういたしまして♪」


 その日の昼休み、隣のクラスの五代に呼び止められた。

「おい!今日の放課後は部活に顔を出してくれ。文化祭の当番決めとかあるから。」

「りょーかい。」

「頼んだぞ!」

「ん。」

 こんな時、自分が化学部在籍だった事を思い出す。ま、籍だけ置いてる幽霊部員なんだけどね。


 放課後。化学室に行ったらもう部員全員揃ってた。全員って言っても全部で五人しかいないけど…。そう、部であり続けるための最低人数ギリギリ…。

「お、来たな。じゃ、来週ある文化祭についての説明を行う。残念ながら、今年度も五人しかいないうちの部では、大々的なイベントは無理だ。例年通り、各々の展示発表がメイン。客寄せイベントの一環として、今年も牛乳パックによる再生紙ハガキ作りを行う。うちは人数が少ないから、クラスの当番以外は基本こっちに詰めて欲しい。」

「了解です!」

「「はい!」」

 部員達が頷く。

「あ~。お前には無理言って部に入ってもらってるから、両日午前中だけでいい。頼む。」

「りょ。」

 それから文化祭に向けての下準備として、水槽に漬け込まれていた大量の牛乳パックの皮むき作業(両面にあるポリエチレン剥がし)を行った。帰る頃には、手がしわ皺だった。

「よ~し、今日はこれまで!続きは明日以降やるか!」

「うっす!」

「はーい。」

 剥がし終えた牛乳パックをしまい、部員は帰り支度をする。無駄口は叩かない。

「じゃ、お先です!」

「御疲れっした!」

「塾、間に合うかな?」

 三人共そそくさと帰って行く。後輩はガリ勉タイプばかりだ。あっという間に部長の五代と二人だけになった。早く帰ろうと鞄を持ったら、窓の鍵を閉めながら五代が言った。

「お前には…感謝してる。入部してくれてありがとな。」

「あっそ。感謝してるなら、約束はちゃんと守ってよね!」

「あぁ。」

 まだ何かを言いたそうにしてる五代に、さっさと背を向けた。

「じゃあね。」

 そう言って、足早に化学室を後にした。


 感謝してる?そりゃそうだろうよ。入学してから一か月後、「一人足りなくて同好会に降格しそうな化学部に入ってくれ」と頼みに来たのが五代だった。最初は勿論断った。家事の都合もあるし、どの部にも入る予定はなかったからだ。そんな自分に五代は言った。

「いいのか?お前の昔の話を皆にするぞ?」

 ビックリした。五代の顔をマジマジと見て、小二の時のクラスメイトだと思い当たった。高校入学に合わせて、県を跨いだ引っ越しをしたから、ここでは昔の知り合いに会う事は無いと思っていたのに!とんだ誤算だった。

「それは…やめて欲しいな…。」

「なら、入部してくれ!頼む!この通りだ!廃部の危機を逃れられるなら、他言はしない。」

 深く頭を下げられた。

「分かった…。でも、本当に困った時しか、顔は出さないよ?」

「それでいい。ありがとう!助かる!」

 そんな風に半ば脅迫に近い形での入部だったが、他に知る人はいない。学校の皆も自分達は化学部繋がりだと思っているであろう。


 その帰り、ムカムカしながらスーパーに寄ったら、アジが安かった。まとめて買って、じぃちゃんちに行った。

「おう、アイ!何持ってるんだ?」

「アジ!安かったから、買って来た。今日はこれでなめろう作るよ!」

「そりゃあ、いい!なら、あともう少し頑張るか。」

 そう言って自室に引っ込んだじぃちゃんを見送ってから、辺りを見回す。千歳さんはまだ帰ってないみたいだ。

 エプロンをしてアジをさばく。木のまな板の上でダンダンと怒りを込めて叩いてたら「すごい音がするから、何かと思いました」と声がした。振り返るとスーツの千歳さんがいた。

「あ…、おかえりなさい。」

「ただいま。お久しぶりです。一体、何を作ってらっしゃるのですか?」

「なめろー。」

「へぇ…、飲み屋で頼んだことあります。家でも作れるんですね?アイさんはすごいなぁ…。」

「別に…。叩いて混ぜるだけだし。」

「御謙遜を。魚をさばけるだけでも、十分大したものですよ。」

「そうかな?」

「そうですよ。では…」

 そう言うと、何事もなかったように自室に行ってしまった。こっちは久しぶりに見たスーツの千歳さんにちょっとトキメいたっていうのにさ!なんだよ!

 ご飯にシソをのせてから、上になめろうをのせる。厚揚げを焼いてポン酢をかけたのに、アサリの味噌汁。かぼちゃの煮つけ。

「ご飯出来たよ~!」

 その声でじぃちゃんと千歳さんが台所にやってくる。

「おおぅ!こりゃ、酒が飲みたくなるな。」

「先生、飲むのは明日締め切りの原稿をあげてからにして下さい。」

「分かっとる!それにしても、アイの作るご飯は美味いな!千歳君もそう思うだろう?」

「はい…。生きてて良かったと思いますよ。」

「何それ!大げさ!」

 思わず笑っちゃったけど、じぃちゃんは神妙な顔をして「そうだろう、そうだろう」と頷いてた。何?今日のなめろう、そんなに美味しいの?


 帰りがけ、「送りましょうか?」と玄関で千歳さんが聞いてきた。

「今日はまだ早いし、自転車だから…」

「夏が終わると陽が落ちるのが早くなりますからね。暗い中帰るのは気を付けた方がいい。」

「あ~…。じゃあ、オネガイシマス…。」

 千歳さんさぁ…、こっちの気持ちを勘違いって片付けといて、「暗いと危ないから送ります」とかさぁ…!ちょっとモヤる。千歳さんは軽自動車は買ったけど、自転車は持ってないから歩きのままだ。自転車を押しながら「そういえばさ」と口を開いた。

「クラスメイトがもう十八になって成人したんだけど、まだお酒もタバコもダメだし、なんの為に十八歳を成人にしたのかな?って言ってた。」

「選挙の為ですね」と千歳さんが間髪入れずに返してきた。

「そうなの?」

「えぇ。今は少子高齢化が進んでいますからね。若い世代の意見がもっと政治に反映されるようにですよ。選挙権については授業で真っ先に取り上げられる項目だと思ってましたが、違うんですか?」

「えぇ~っと…。どうだったかな?」

 目が泳ぐ。正直、公民の授業は半分寝てた記憶しかない…。

「アイさんはまだですか?」

「うん…。早生まれだから、来年…。」

「そうですか。でしたら、成人した暁には是非投票に行って下さい。現代人は選挙権があるのが当たり前だと思ってるでしょうが、それは割と最近の権利なんですよ。」

「そうなの?」

「えぇ。明治時代は、「日本臣民の男子にして年齢満二十五歳以上」で税金を十五円以上を納めてる人しか投票出来なかったんですよ。」

「十五円って…」

「あ、今の十五円とは価値が違いますよ!当時は一か月の給料が八円とかの時代ですから。」

「きゅ、給料二ヶ月分!」

 それは重い…。なんだっけ?結婚指輪が給料三か月分とか言うのを聞いた事あるから、それに近いものを感じるな…。

「納税条件は大正になってから撤廃されましたが、この時点ではまだ女性には選挙権がなかったんですよ。」

「でたー!男女不平等!」

「えぇ。女性に選挙権が与えられたのは戦後です。昭和ですね。」

「マジかー!」

「えぇ。参政権を得るまでの長い歴史を知っていたら、選挙で投票しない、なんて事出来ませんよ。下々の者が政治に口出ししてくる訳ですからね。権力者からしたら、さっさとそんな権利取り上げて、好き勝手にしたいでしょうね。」

「確かに…。独裁政権の国もあるもんね…。」

「えぇ。あんな風になりたくなければ、与えられた一票を有効に使わなくては!って思いますよ。」

「うん。でもさ~、投票したい人がいなかったら、投票しなくても良くない?」

「いいえ。その場合は、白票を投票すべきです。」

「え?」

「白票は現政治への明確な「NO!」という意思表示になりますからね。」

「な、なるほどぉ…。」

 そんな色気の欠片も無い事を話してたら、もうマンション前に着いていた。

「では、私はこれで。」

「うん。ありがと。勉強になった。」

「それは良かった。」

 そうにこりとするといつも通り、エレベーターが閉まるまで見送ってくれた。


 その夜。ふと思いついて、千歳さんにメッセージを入れてみた。

『来週の日曜日、うちの学校の文化祭があるんだけど来ない?』

『いいおっさんが高校生の集団に入っていくのは気後れ致しますので、遠慮します』

『ダイジョーブだよ!二日目は一般開放で保護者も来るし!化学部で再生ハガキが作れるんだよ!お昼ちょっと前に来たら、ハガキ作った後に一緒にご飯食べて回れるよ!一緒なら平気でしょ?』

『…篠宮先生に聞いてみます』

 しばらく間があってから、返信が来た。

『すみません。篠宮先生はその日、市民セミナーの講義が入ってるそうです』

『あ~もうっ!うちのじぃちゃんも母も仕事ばっかで、ここ六年、学校イベント誰も来てくれた事無いっ!コーコー最後のイベントなんだから、誰か来てよ~!』

『(ごねるウサギスタンプ連打)』

『……そこまでおっしゃるなら…』

『ほんと?(きら~んとするウサギスタンプ)』

『やった~!(万歳するウサギスタンプ)』

『アイさんの大事な高校生活イベントですから、家族代理として不肖私めが謹んで参加させて頂きます!』

 何やら使命感に燃えてるようだ。「不肖私め」って武士かよ?笑った。こういうとこ、かわいい人だなぁって思う。


 翌日、じぃちゃんちに寄った。文化祭のチケットを渡す為だ。千歳さんはまだ帰ってなかったから、台所のテーブルの上にフセンでお手紙を書いて置いといた。

 夜、『チケット受け取りました。今って招待制なんですね』ってメッセージが来た。

『不審者対策らしいよ。チケットは校門の所で回収されて、右手首に紙バングル巻かれるシステムになってるから、ヨロシク~』

『成程。了解しました。その…なにか部の方に差し入れした方がよろしいでしょうか?』

『え~いらないよ!化学部五人しかいないもん!笑』

『少数精鋭ですね』

 成程…、同好会降格間近の弱小部だけど、そんな言い方も出来るのか…。小学校の時の担任の言葉を思い出した。

「お友達を嫌な気持ちにさせたり、悲しくさせる言葉じゃなく、相手の心をふわっとあったかくしてあげる言葉を使うようにしましょうね。」

 チクチク言葉とふわふわ言葉だっけ…。それと同時に嫌な事も思い出した。

「あ~ぁ!」

 ボスン!とベッドにダイブした。ベッドには大きさの異なるクマのぬいぐるみが三体いる。一つは、生まれた時の体重と同じ重さで作られた“くー”。一つは有名メーカーの“くま”。そして、もう一つは一メートル越えの大きさの“くまた”だ。昔、家族旅行に行った際、とある店先の椅子に座ってるその熊を見て「欲しい!」と大泣きして父に買ってもらったものらしい。二歳の時だったそうで、その時の記憶は自分には無い。でも、“くまた”を抱えて満面の笑みで父と映る写真があるから事実なんだろう。その後、父は亡くなったから、ある意味、形見みたいなものだ。モフモフの毛並みで、抱っこするとすんごく落ち着く。ライナスの毛布みたいなものだ。毎晩抱き枕として一緒に眠ってる。

「ふわふわは…落ち着く。」

 ぎゅっと“くまた”を抱きしめる。千歳さんの言葉も、このぬいぐるみみたいだ。


     *****


 文化祭一日目は慌ただしく終わった。スパンコールや押し葉を一緒にすきこめるのが人気で、再生紙ハガキ作りは大盛況だった。化学室に置かれた網戸の上には、乾くのを待ってる大量のハガキ達。校内の生徒分はこのまま乾かして明後日以降の引き渡しになる。明日二日目は一般客が来るので、ハガキ作り体験は午前中で終了。そこで一旦閉めてアイロン掛け作業をして、乾かした完成品を二時から引き渡す手筈になっている。

「よっし!じゃあ、明日も頑張ろうな!」

 午前中だけでいい筈が、今日は結局一日中化学室に詰める事になってしまった。

「はぁ~、疲れた…。」

部Tならぬ部白衣を脱いで椅子に置く。大量に減った四つ葉のクローバーや、もみじの押し葉を電話帳から補充しながら五代が言った。

「皆、御疲れさん。」

「部長、スパンコールも追加しますか?」

「そうだな…。女子受けしてたから、帰りに百均に寄って買っとくわ。」

「よろしくお願いしまーす。」

「また明日~。」

 バラバラとはけていく。

「はーっ。」

 大きく伸びをしてから宣言しといた。

「今日は一日手伝えたけど、明日の午後は無理だかんね!」

「そうなのか?」

「一緒に回る約束があるから!じゃあね~。」

 ひらひらと手を振って、化学室を出る。校内はまだ熱気が溢れてる。壊れた展示の補修をしてる人。カップルでいちゃついてる人。様々だ。早く帰ろうと騒々しい中を小走りで通り過ぎる。その時、声が掛かった。

「あ、アイちゃん!いたっ!ちょっと時間ある?」

「何?急いでるんだけど…」

 違うクラスの男子だった。同じクラスになった事はない。

「あ、あのさ…。良かったら、明日の文化祭、一緒に回らない?」

「先約があるから無理。じゃっ!」

「あっ!ま、待って…!あ、明日は無理でも、明後日以降一緒にメシ食ったり、帰ったりしない?」

「なんで?」

「なんで…って…。好きだから…なんだけど…」

「…悪いけど、キミの事良く知らないし、知るつもりもない。ごめんね、他をあたって。」

 そう言い残して階段を駆け下りた時、声が降って来た。

「…なんだよ、ブース!ちょっと顔がいいからってチョーシのってんじゃねーよ!」

 ……。例えそれが断られた事による腹いせだとしても、曲がりなりにも今さっき告白した相手に掛ける言葉か?ムッとした。だから、振り返って思いっきり、あっかんべーしてやった。

「そんなんだから、モテないんだよー!ばーか!」

 はー、ムカツク!そもそも「ブス」と「顔がいい」って相反する言葉じゃないか!同時に使うって何?国語力0かよ!全力で自転車をこいだ。今日は昨日作り置きしたコロッケがあるからそれを食べるつもりで、帰りもいつもより遅いからじぃちゃんちには寄らないつもりだったんだけど、そんな事があったから愚痴りたくてじぃちゃんちに寄った。自転車を軒先に停めてたら、背後から声がした。

「あれっ?アイさん?どうしました?今日は来ないって言ってませんでしたっけ?明日も文化祭ですよね?」

 千歳さんだった。

「うん…。でもさっ!今日、ちょっとムカつく事があったから、話聞いて欲しくてさ!」

「成程…。「飲みたい夜もある」って気分なんですね。なら、丁度良かった。一緒に食べましょう!」

「何を?」と言った時、鼻先を香ばしい匂いがくすぐった。千歳さんが持ってた紙袋の口を開けたんだ。

「焼き鳥です。先生と飲むつまみとして買いに行ったら、どれも美味しそうで…。目移りしていっぱい買ってしまいました。アイさんはサイダーでいいですか?」

「あ、うん…。」

「なら、その角の自販機で買ってくるので、先にこれ持って入ってて下さい。」

「あ、うん。」

 手渡されたずしりとした紙袋には、これでもか!って位の焼き鳥が入ってた。

「どんだけ買っとんねん…」

 思わず、苦笑した。でも、ラッキーって思った。

「じぃちゃ~ん、来たよ~!」

 玄関を開けて大きな声で言った。

「おう!アイ!お前、いい所に来たな!」

一升瓶を持って笑ってるじぃちゃんが出迎えてくれた。

「あれ?千歳君は?」

「サイダー買いに行った。」

「そうか。そんじゃ、その焼き鳥を皿に出して、準備しとくか!」

「うん!」


 炭火焼の焼き鳥は美味しかった。特に鳥皮の塩とつくねのたれ!食べながら、「ちょっと聞いてよ~!」と今日の鬱憤を晴らした。スッキリした。じぃちゃんは日本酒を大きな湯呑茶碗でガブガブ飲みながら「うんうん…。うちのアイの可愛さが分からんとは失礼な奴だ!」と憤慨してた。身内贔屓だとしても嬉しい。千歳さんは、不思議な形のとっくりでチビチビ飲んでた。

「それ、良く見るぐい吞みと違うね。」

「これですか?馬上杯と言われるものです。上杉謙信が愛用した事で有名ですね。馬に乗りながらでも飲めるよう、こう、しっかり握れる高台がついているのです。」

「へー…」

「謙信の愛用した馬上杯には花柄もあります。そんな事も上杉謙信女性説が絶えない理由の一つなのかもしれませんね。」

「えっ?上杉謙信ってあれでしょ?武田信玄と戦った人!女の人だったの!?」

「俗説ですがね。謙信の死因が「大虫」である事、生涯不犯の誓いを立てていた事などを積み重ねていくと女性であったとしても不思議ではない、という説です。源義経チンギス・ハン説よりはアリですね。」

「へぇぇ~。そうなんだ…。いろんな説があるんだねぇ…。」

「えぇ。史料を元に事実を探る人もいれば、仮説を立ててその物証を探す人もいる。歴史に対するアプローチ法は様々です。だからこそ、面白い。」

「あぁ、そうだ。大事なのは、本質を間違えちゃならんという事だ。」

 じぃちゃんが力強く言い切った。

「儂は…長年歴史を研究してきた。好きでやってきた事だが、色んな人に助けてもらった。正直、運が良かっただけだと思っているが、大学教授にもなった。そして気付けば、「日本史の大家」などと呼ばれるようになっている。だが…、それが気に入らない奴もいる。そういう奴が…歴史の本質を歪めるんだ…!」

 ダンッと湯呑茶碗を卓上に叩きつけた。

「儂はあいつを許さない…!皆が積み上げて来た長年の研究結果を己の虚栄心の為だけに滅茶苦茶にしたあいつをな!」

「先生…。」

「……。すまん…。飲み過ぎた。明日があるから、儂はもう寝る…。」

「「おやすみなさい。」」

「おう…!アイも気を付けて帰れよ!」

「うん。」

 襖は閉められた。

「ねぇ…。あいつって誰?じぃちゃんはなんであんなに怒ってるの?」

「…篠宮先生は…、ありのままの結果を受け入れてきた方ですからね。目ぼしい成果が出なかった調査プロジェクトで色んな所から文句を言われた事も多々あります。ですから…、自身の見栄や名声の為に捏造を行った方を許せないのですよ。」

「捏造?」

「はい、簡単に言うと嘘ですね。アイさんが生まれる少し前、私が小学生の時にあった事件です。事前に自分が埋めておいた石器を掘り出して発見した、と言っていた研究者がいました。「神の手」と呼ばれて持てはやされましたが、後に彼が関わった数々の現場で捏造が行われた事がスクープされ、大騒ぎになりました。」

「へぇー。小学生だったのに、よくそんな事覚えてるね!」

「地元の事件だったので、当時は大騒ぎだったんですよ。」

「へぇ…。千歳さんの地元ってどこだっけ?」

「宮城です。」

「そうなんだ。」

「えぇ…。話を戻しますが、捏造を行ったその方のせいで、彼の関わった遺跡研究は一気にゼロ、いえ…、マイナスまで戻ってしまった。何故なら、出土した他の石器も全てを疑ってかからなくてはならなくなってしまいましたからね…。炭素十四法の弱点が露呈した時でもあります…。おかげで…。それまで積み上げた研究結果がパァだ…。」

「うわぁ…。大変だ…。」

「えぇ、その分真実が遠のいた…。古人の暮らしを知る手掛かりが土足で踏みにじられた訳です。…嘘は、良くない。」

 そう言って、残ってた日本酒を飲み干すと言った。

「さ。お開きにしましょう、もう遅い。アイさん、明日も学校でしょう?送ります。」

 時計を見る。九時だ。

「あ、うん…。」

 下げ物をしようと席を立つ。

「あ、皿はそのままで。私が後で片付けます。」

「ありがと。」

 自転車を押しながら、千歳さんと歩いて帰った。

「そういえば…、前から気になっていたんですが、アイさんの制服はズボンなんですね。」

「うん。自転車通学だからね!うちの学校はさ、色んな組み合わせを選べるのが売りだから、スラックス履いてる女子もいるよ。自転車通学の子はみんなスラックスにすればいいのにさ~。風の強い日、スカート押さえながらこいでる姿を見るとなんだかなぁ…って思うよ。」

「あはは…。アイさんのラッキースケベは起こらないんですね。」

「何それ?」

「パンチラですね」と言った後、「おっと失礼…。これはセクハラにあたりますね…。前言撤回致します。…すみません…。ちょっと酔っているようです…」と頭を下げた。

 ちょっと心配になったから、念を押した。

「明日、ちゃんと来てね。約束だよ。」

「はい。アイさんのお母様にも行く旨伝えてありますので。」

「え!?そうなの?なんか言ってた?」

「楽しみにしてる、っておっしゃってました。」

「は?」

 なんじゃそりゃ、と思った謎が解けたのは翌日だった。


     *****


「はい!再生紙ハガキが作れる化学部はこちら!」

「はい、この型枠でそのドロドロをすくって…。お好みでこちらにある押し葉やスパンコールを入れられます。」

 一般開放の今日も再生紙ハガキ作りは大盛況だ。チラリと時計を見る。もう十一時半だ。早くしないと午前中が終わっちゃう…。昨日、千歳さん酔っぱらってたみたいだし、本当に来てくれるかな…。心配してたら、向こうから来る人混みの中で頭一つぽかりと出てる人を見付けた。千歳さんだ!

 再生紙ハガキ作りの受付終了ギリギリに、スマホで話しながら化学室に入ってきた。

「千歳さん!こっち!」

 声を掛ける。

「誰?知り合い?」

 五代が訊く。

「あ、もしもし…。はい、合流しました。」

 そう言って、千歳さんがスマホを差し出して来た。

『はぁ~い♪アイ、見えてる~?』

「は、母っ!?何してんの!?」

『何って~?アイが高校生してるとこが見たくて、千歳さんにお願いしたのよ。再生紙でハガキ作ったりするんでしょ?私今休憩中だから、ライブ配信してもらおうと思って!』

「……。」

 楽しみにしてるって、この事だったのか!知らなかった。

「保護者の方?」

 五代が訊く。千歳さんが紙のバングルを見せて言った。

「はい。アイさんのお母様から頼まれてきました。アイさんが作業してる姿をビデオ通話させていただいても構いませんか?」

「そういう事なら…。他の参加者が映らないようにしてもらえれば…」

「あっ!ならさ、スマホここに置いて、千歳さんがハガキ作りなよ。教えてあげるからさ!この角度なら、二人以外は映らないし、大丈夫っしょ!」

 千歳さんの腕を引っ張り。窓側にあるロッカーの上にスマホをセットする。

「じゃ、今から再生紙ハガキ作るね!」

 画面の向こうの母に声を掛けて、型枠を手に取る。

「はい、これ持って、そこのパルプを均等にすくって~。」

「はい。…ととっ!こ、こんな感じですかね?」

「そーそー。そしたら、そこにお好みでトッピングを加えるの。」

「おい、もうおしまいだから良かったらこれも使え!押し葉も最後だからあるだけ使ってもいいからな。」

 五代が型枠を投げて寄越したから、自分のも作ることにした。もう少なくなったドロドロを型枠ですくう。千歳さんは残ってた四つ葉のクローバーの押し葉三つをそっと乗せた。

「そしたら、ズレないように今度は垂直に上澄みをすくってね。」

「はい…。」

 おそるおそる…といった感じで大きな水槽に型枠を持った手をつっこむ千歳さんは臆病なカンガルーみたいだ。

「…出来ました!」

「お~!上手い上手い!」

 自分も続けてやった。小さくて自分じゃ出来ない子の手伝いをしてたからお手の物だ。ピンクのハートのスパンコールで四つ葉の形を作った。

「で~きたっと♪」

 型枠から外して、網の上に載せ、カードに番号を書く。

「はい、これ引換券。二時過ぎたら、引き換えられるから無くさないでね!」

 それから、スマホに話しかける。

「見てた?こんな感じで昨日一日過ぎたんだよ。作ったのも見て!」

 そう言って、スマホを持って移動。まだ濡れたままのハガキを見せる。

「出来たら、母にあげるね♪」

『あら、ありがとう。』

「今から、ご飯食べに行く!それも見るの?」

『見たい~!って言いたいんだけど、ごめん…。取引先からの問い合わせが入っちゃって…。あとは写真かなんかで送っといてくれる?』

「りょ。」

 そこで通話が切れたから、スマホを千歳さんに返した。

「相変わらず、お忙しそうでしたね…。でも、少しでもアイさんの高校生活をお見せ出来て良かったです。」

「そだね。じゃ、ご飯食べにいこ!」

 今日はちょっと肌寒いから白衣のまま行く事にした。

「じゃ!お疲れ~!」

「おう。」

「御疲れっした!」

『ただいま、絶賛作業中!ハガキが完成するまで少々お待ちください。引き換えは午後二時からになります。』と書いた模造紙を貼った段ボールをでんっ!と化学室の前に置いた。これで自由だ。昨日食べられなかった3組のたこ焼きと家庭科部が中庭で出してるバザーで売ってるお菓子を買いたい。

「お腹空いた~!お昼たこ焼きでいい?3組で作ってるのが美味しいんだって!」

「いいですね。アイさん頑張ったんでしょうから、今日は私が奢りますね。」

「ええっ!?いいよ!来てくれただけでジューブンだよ!」

「こんな時位はおっさんに見栄を張らせて下さいよ」って言うから、お言葉に甘えた。背の高い千歳さんは目立つ。

「アイちゃ~ん、その人誰?」って聞かれる度に「ヒミツー!」って笑って答えといた。一緒にたこ焼きを食べてから、家庭科部のバザーに行ったら、もう殆どのお菓子が売り切れてた。

「うそっ…!ショックぅ~…」

 しょんぼりしてたら、「アイちゃん」って声がした。水野さんだった。

「部活の方、忙しいんだろうなって思って買っておいたのだけど、余計な事だったかしら?」

 そういって、一番欲しかったマカロンをくれた。

「うわ~!これ、食べたかったの!ありがとう!」

「どういたしまして。夏期講習の時のお返しよ。気にしないで。えぇと…そちらは?」

「千歳さんだよ!」

「はじめまして。千歳と申します。アイさんの祖父の家でお世話になっている者です。」

「まぁ!書生さんなの?まだ存在してたのね!」

「いえ、そんな大したものでは…。ただの居候兼助手です。」

「そうなんですか。ところで、アイちゃん。お爺様って何をなさっている方なの?」

「歴史研究…。」

 ぼそっと答える。身内の事をいうのは恥ずかしい。

「すごいじゃないの!あ、申し遅れました。あたし、水野と申します。アイちゃんにはいつもお世話になってます。今日のこの編み込みのヘアアレンジも朝、アイちゃんがやってくれたんですよ。」

「へぇ…。アイさん、器用なんですね。」

「えぇ。アイちゃんはいつも元気で明るくて、あたしの憧れなんですよ。」

 にっこり笑って言われて、恥ずかしくなった。

「なんだよ~。照れるじゃん…。あ、そうだ!千歳さん、写真撮って!」

「いいですよ。はい、ウイスキー!」

 千歳さんに水野さんとの二人の写真を撮ってもらってたら、「水野さん」と声がした。

「あ!先生っ!来てくれたんですね!」

 水野さんが嬉しそうに駆け寄った。千歳さんと同い年位の男の人だった。

「先生?」

「あ…。アイちゃん、千歳さん。こちら内山先生。中学の時に行ってた塾の先生なの。」

「内山です、宜しく。」

「あ、どうも…。コンニチワ。」

「千歳です。」

 お互い、ぎこちない挨拶を交わす。そこに「お待たせしました~!クレープ生地の追加が出来ましたので、ただいまからクレープ販売再開いたします!」と声がした。見れば、家庭科部のテントの前に列が出来始めている。

「食べたいっ!水野さん、行こっ!」

「え、ええっ!?先生…」

「いいよ、行ってらっしゃい。僕はここで千歳さんと待ってます。」

「あ、アイさん!これで二人分買って下さい。」

「ありがとっ!」

 右手で渡された千円札を握りしめ、左手で水野さんの手を掴んで急いで並んだ。九番目だ。これなら、売り切れる心配はないだろう。

「何にしよ~?やっぱ、チョコバナナ?」

 そう聞いたら、水野さんが言った。

「千歳さんっていい人ね。」

「あ、うん…。今日は奢ってくれるって!」

 ピースサインで答えたら、耳元でそっと聞かれた。

「ねぇ。もしかして、アイちゃんの好きな人?付き合ってるの?」

「へっ!?」

 変な声が出た。水野さんには、千歳さんを好きだなぁって思った事も、勘違いだって言われた事も言ってないのに、なんで?女の勘?

「違うの…?」

 そう言うと、水野さんはまた内緒話をするようにそっと顔を近づけた。

「内山さんはね、あたしの彼氏なの。内緒よ。」

「へっ!?」

 ビックリした。木陰で何やら話している千歳さんと内山さんを見る。ぼさっとした髪の毛で黒いパーカーに黒いデニムのひょろっとした千歳さんに比べると、白いシャツ、綿パンに紺のジャケットからポケットチーフを出してる内山さんは爽やかさMAXだ。陰キャと陽キャ。違う人種だ。一緒に並べちゃいけない気がする…。

「そ、そうなんだ…。」

 あれが以前、言ってた人なのか。

「なんか…。すごい大人な気がするね。」

「そうね。こう見ると、あの二人周囲から浮いてるわね。早く戻ってあげましょ。」

 注文したクレープを受け取って、二人の所へ戻る。

「では、これで。」

 水野さんが戻って来たのを見た内山さんは頭を下げるとさっさと歩き出した。

「待って、先生!」

慌てて後を追う水野さんを見送った。

「何あれー。もう少し、ゆっくり歩いてあげればいいのにさ~。感じワル―!」

「あ…。すみません…。私の発言に気を悪くされたようで…」

 何それ?普段、ふわふわ言葉しか使わない千歳さんの発言で気を悪くしたってこと?

「千歳さん、一体何言ったの?」

「すみません。言えません。」

 スマホの応答みたいな解答が返ってきた。

「なんでさ?」

「私的な事ですから。」

「あっそ!」

 お前には関係ない、って言われた気がして、パクリと生クリームたっぷりのクレープにかじりついた。甘くて美味しい。午前中頑張った体とちょっとささくれだった心に沁みわたる。

「ん~。うま~♡」

 甘さを噛みしめてたら、千歳さんが笑った。

「アイさん、ここ(と自分のほっぺを指差して)ついてますよ。」

「ホント?」

「はい。これ使って下さい。」

 鞄から出したウェットシートを渡された。

「ありがと…。」

 ………。受け取って拭きながら、コレジャナイ感を感じた。少女漫画とかなら、指で拭ったのを相手がペロッと舐めたり、舌で舐めとってもらうシーンじゃないのか?ウェットシートを渡されるって…、完全子供扱いだよね…。


 ちょっと気落ちしたけど、その後、グラウンドで野球部がやってるストラックアウトをやりに行った。千歳さんは一球もかすらないどころか的まで届かず、がっくりと肩を落とした。

「寄る年波が憎い…。」

「まぁまぁ…。かたき討ちしてくるよ!」

 そう言って、ボールを受け取る。持ち球は十二、的は九枚。三球までは外しても大丈夫。ボールをぎゅっと握って感触を確かめる。

「よしっ!」

 振りかぶって投げた。スパン、と真ん中の板が抜けた。

「おおー!」「すげー!ど真ん中!」と場が沸いた。

「もういっちょ!」

 続けて投げた。ガコン、ガコン、と板が落ちていく。九球目、最後の右下、9の板に命中したけど、どこかがひっかかったのか、ずれただけで落下しない。

「あれ…?すみません。ちょっと待って」と言う野球部員を引き止めた。

「い~よ。次で落とすから!」

 右肩をグルグル回して気合を入れる。

「おりゃっ!」

 フルスイングで投げた。バコーン!といい音がして板が落ちた。

「よっしゃ!パーフェクト!」

 思わずガッツポーズをした。周りから拍手が送られた。

「すげー!」「細っこいのにやるなぁ!」「さっすが~!」とか聞こえてくる。

「お、おめでとうございます!本日七人目のパーフェクトです!これ、景品です!」

 そう言われて、ハンドタオルをもらった。千歳さんは…と見るとスマホで撮影してた。

「何撮ってんの?」

「お母様に見せてさしあげようと思って!すごいです、アイさん!パーフェクトです!流石ですね!」

「まぁね~♪」

 褒められたからVサインをした。

「いいですよ、バッチリです。」

 そう言うと、録画をやめた。

「とても良いお土産映像が撮れました。」

 保護者かな?それから、時計を見た。

「あ、アイさん。もうすぐ二時ですよ。ハガキを取りにいきますか?」

「そうだね。」

 向かった先は、大混雑してた。

「十二番!」

「二十五番!」

「引換券はございますか?」

「ちょっとー、割り込まないでよ!」

「あちゃー…。」

「あ!先輩!いい所に!」

 後輩に縋るような目で見られた。うっ…。こっちを見るな。今日の午後は手伝わないって言ったじゃん!

「アイちゃん先輩~っ!助けて下さい~!」

 ううう――っ。葛藤してたら、千歳さんが言った。

「アイさん、手伝ってあげましょうよ。私も手伝います。」

 そう言うと、「すみませ~ん。順番にお渡しいたしますので、ここから一列に並んでいただけますか?」と列を正し始めた。

「ちょっとずるい!」「こっちが先に並んでたのに!」ともめてる人達には、「すみません」と言いながら「うらみっこなしのじゃんけんで決めましょう」と提案して、どんどん整列させていく。その間に、こっちはさっきまでに手渡された引換券のハガキを取りに裏にいった。

「あ…っ!手伝いに来てくれたのか?良かった…。思ったより、アイロンに時間がかかって…。マヂ助かる!」

 五代に拝まれた。

「乗りかかった船だし、仕方ない。完成したのは、こっち?まだなのは?」

「あと十五枚ってとこだ。」

「そしたら、その番号以降の引き渡しは二時半になります、って一言書いて入口の目立つところに貼っとこ!」

「はい!先輩。これ!」

 マジックと画用紙を渡されたので、急いで書いて入口に貼った。千歳さんが整列させてくれたおかげで、秩序は保たれている。自分を入れた三人で引換券の番号を確認し、その番号のハガキを手渡す。

「はい、どうぞ。」

「わ!いい感じに出来てる♪」

「良かったら、化学部に入部して下さーい。」

 勧誘も忘れずに。三時までにほぼさばき終わった。

「はー。引き換え開始時はどうなる事かと思いました…。」

「アイちゃん先輩と、そっちの方もありがとうございました。」

「いえいえ。自分も高校生に戻ったみたいで、楽しかったですよ。」

 のほほん、と千歳さんが答えた。案山子みたいだ。

「これ、貴方が作ったやつです。」

 五代が千歳さんにハガキを手渡す。

「ありがとうございます。へぇ、乾くとこんな感じなんですね。風情があって良いですね。」

「これ、お前の。」

「サンキュー。…って、あ!」

 ピンクのハートのスパンコールがずれてた。四つ葉のクローバーじゃなくて、三つ葉と少し離れた所にあるハートになってた。

「も~っ。なんでぇ…。上手く出来たと思ってたのにな~…。」

 ちょっとがっくり。

「では、これで…」と千歳さんが言った。

「え?もう帰っちゃうの?」

「えぇ。お母様に見せる良いお土産映像が撮れましたから。あ!そうだ、最後に化学部の皆さんで記念撮影しませんか?」

「いいですよ」と五代が言って、「はい、集合!」と声を掛けた。椅子に座った三年の後ろに後輩三人が立つ。

「はい、チーズ!」

 古い掛け声と共にスマホのフラッシュが光った。

「撮れました。ありがとうございます。あとで、アイさんのスマホにも送りますね。では、私はこれで。」

「あ、待ってよ!校門の所まで送ってく!おっさん一人で校内を歩くのはきついでしょ?」

「…お心遣い痛み入ります。」


 千歳さんを校門まで送ってから、クラスに顔を出した。うちのクラスは陽キャが中心になってミニ縁日をやっている。

「あ!アイちゃん!いーとこに!部活終わった?店番変わって~。」

「い~よ。」

 そこから、輪投げの手伝いをして文化祭二日目が終わった。クラスの大半は後夜祭に出るって言ってたけど、さっさと帰る事にして教室を出た。昇降口の所で五代に会った。

「よっ、御疲れ。お前も後夜祭出ないのか?」

「そ。誰かさんのせいで今日も疲れたからさ~。」

「そうか…。すまなかったな…。ところで…、昼間のおっさんと仲いいんだな。お前の母ちゃんの再婚相手か何か?」

「は?んな訳ないじゃん!」

「そうなのか?」

「そーだよ!母から再婚するなんて話、聞いた事ないし。」

「それは受験を控えたお前を気遣ってるんじゃないか?徐々に慣らしてって、来年受験が終わってお前が大学生になってから籍入れるやつじゃねーの?」

「そんなこと…無いと思う…。」

 そんな事考えた事も無かった。母の性格なら、再婚する気なら最初にちゃんとその旨を言ってくる筈だ。じぃちゃんからもそんな話聞いた事無い。だから、そんなの嘘だ。母より、自分の方が絶対千歳さんと仲いいもん!

「悪い事言わねーから、あのおっさんはやめとけよ。趣味わりー…。」

「うるさいな~!五代には関係ないだろっ!」

 そう叫んで、駐輪場まで走った。


 七時に家に着いたら、スマホが鳴いた。千歳さんから今日撮ってもらった写真といくつかに分割された動画が送られてきた。

『今日はお疲れ様でした。ゆっくり休んで下さいね』

『こちらこそ、今日は色々ありがとう!』

 着替えてから、水野さんにもらったマカロンを食べた。甘さより酸味が強いレモン味だった。

 その後帰宅した母に「動画見たわよ!百発百中だったわね!」って褒められて嬉しかった。「ちょっと失敗しちゃったけど…」って作ったハガキをあげたら喜ばれた。それなりに楽しかった文化祭が終わった。来週末には模擬試験が控えてる。後は受験に備えて勉強に専念しなくちゃいけないな…。


     7章 十月


 出願指導とかで担任と話す機会が多くなる。進学先については、実はまだ悩んでる…。というのも、千歳さんと話すうちに歴史に興味が湧いてきたからだ。これまではただ起こった出来事を暗記するだけの退屈な科目だと思っていた。でも、千歳さんの話を聞いてると、そこを掘り下げていくと上杉謙信女性説とかあって面白い。あとビックリしたのは、川中島の戦いと呼ばれるものが五回もあった事!加えて、天下分け目の戦いと言われる関ヶ原の戦いがたった六時間で終わっていた事だ。歴史が好きな人にとっては当たり前の事なのかもしれないけれど、全然知らなかったから「へぇ~!」ってなった。こないだじぃちゃんちでご飯を食べながらテレビを見てたら、真っ白なお城が映った。「あ、ここ知ってる。姫路城!」って言ったら「正解。白鷺城とも言うんですよ」って返されて、お城に別名がある事も知った。知らない事ばかりだ。そういう知らない事を知りたいな、って思ったの。そしたら、担任に言われた。

「気になる大学があるなら、学祭に行ってみたらどうだ?高校受験の時も学校見学に行ったりしたろ?実際行ってみたら、より具体的なイメージが湧くんじゃないか?」

「そうかも…。」

「なら、行ってみたい大学のHPをチェックしてみるといい。先生のいた大学も十月だったし、今月来月が学祭の大学が多いからさ。高校の文化祭より大規模で楽しいぞ。」

「へー…」


 そんな訳で、こっそり千歳さんが非常勤をしてる大学の学祭を調べた。二週目の土日だったから、勝手に遊びに行く事にした。電車に乗って、最寄り駅で降りる。後はスマホの地図アプリに表示されるルートを辿っていく。近づくにつれ、喧騒と音楽が聞こえた。

 どうやらここらしい。大きなアーチを潜って、中に入ると「いらっしゃ~い!」とピンクのウサギのきぐるみがチラシをくれた。イベント一覧と学内の地図がのってた。「ありがとう」とお礼を言って、立ち並ぶ屋台を覗く。チョコバナナ、おでんに焼き鳥、焼きそばと様々だ。一角に古本コーナーもあった。じぃちゃんの本を大量に見付けた。奥のステージからは軽音楽部の演奏も聞こえてくる。学校の敷地自体も大きいし、出てる屋台とかも大掛かりで高校とは全然違うなぁ…と思いながら歩いてたら、二人組に声を掛けられた。

「ねぇ、キミ一人なの?案内してあげるからさ、良かったら一緒に回らない?」

「結構です」と断ったのに、「オススメスポットがあるんだよ」としつこい。だから、ムッとして言ってやった。

「ここに勤めてる千歳先生に用があって来ただけなので!」

「千歳?お前、知ってる?」

 男がもう一人に話しかける。

「ん~…。史学科の奴から聞いたことあるな。あ、ちょっと待って!」

 そう言うと、向こうにいた通行人を呼び止めた。

「お~い!お前、千歳先生知ってるよな?」

「チトセん?知ってるけど、何?」

「この子、千歳先生に用があって来たんだって。」

「マジ?君、かわいいね!チトセんのカノジョか何か?」

「違います。」

「ま、い~や!俺、丁度今からチトセんとこ行く用があるから連れってってやんよ!いやぁ~、俺ってラッキー♪」

「んじゃ、頼んだ。じゃあね~♪」

 二人組は手を振って人混みに消えた。

「んじゃ、行こっか。」

 千歳さんに用があるというこの男を信じて着いていっていいものか…と悩んだか、これだけ人がいれば大丈夫だろう。いざとなったら、これがあるしな…とポケットに入れてる防犯ブザーを握りしめた。

「先生達はさ~、基本はあっちの研究棟に詰めてるんだよね~。学部によって階が違うの。史学科は二階ね。あぁ、ここ、ここ。」

 そう言って、連れて来てもらった部屋のプレートには『史学B』とあった。壁にある教員プレートの「千歳」が「在室」表示になっている。

「いるいる。」

 ドアを叩いてから、「すみませ~ん!江上です」と言ってドアを開けた。

「チトセん!これ、レジュメ。」

「提出日を三日過ぎていますよ」と部屋の奥から声が聞こえた。

「そんな固い事言わないでよ!チトセんのお客さんを連れてきてあげたんだからさ~!ホラっ!」

 その声と共に、グイっと前に押し出される。

「え?アイさんっ!?」

 千歳さんが素っ頓狂な声を上げる。

「チトセんも隅に置けないな~。こんなカワイコちゃんと知り合いだなんてさ!一体どこで知り合ったんです~?」

 からかうように言った男を呆れた目で見て、千歳さんは言った。

「あのなぁ…。アイさんは、篠宮先生のお孫さんだぞ。」

「えっ!?ウソッ!?マヂでっ!?」

 今度は案内してくれた男が目を丸くした。

「シノミーにこんなかわいいお孫さんがいたなんて…。キミ、本当?」

「…はい。」

「マジか~っ!他の奴等にも教えてやろ…。きっとビックリするな…。ま。そんな訳でこれヨロシクぅ!」

そう言った男に手にしたレポート用紙の束をいきなり押し付けられた。ビックリした。

「え?これ…?」

「じゃあな~!チトセん、確かに提出したからな~!後はよろしく~!」

 江上と名乗った男は走って逃げた。千歳さんが「提出期限を過ぎているというのに、全く…」と言いながらレポート用紙の束を手に取った。

「はー…。今回だけは、アイさんに免じて大目に見てあげる事にしましょう。それにしても…。何故、アイさんがここにいるのですか?」

「え~っとね…」

 大学見学も兼ねて学祭に来た事を話す。しつこいナンパみたいなのにあって、つい名前を出したらここに案内された、と。

「成程…。学祭は盛り上がりますし、中には飲酒をしてる人達もいますしね。変なのに絡まれなくて良かったです。見たい催しはもう御覧になったのですか?」

「出店は一通り見たよ。」

「そうですか。高校の文化祭のように文化系サークルは展示をしたり、同人誌を売ってたりもするんですけど、そちらも御覧になります?」

「ん~ん。別にいいかな…。人が多くて、疲れちゃった…。」

「そうですか。なら、こちらで一休みしていかれますか?」

 そう言って、中に入れてくれた。中は本、本、本で溢れていた。奥にあるデスクの上にさっきの男の人に渡されたみたいなレポート用紙の束があった。

「すごいね…」

「あぁ、これですか?学生のレジュメです。下読みして、改善点等をピックアップします。そうでないとゼミで発表出来ませんから。」

「そうなんだ。」

 大学で見る千歳さんは、じぃちゃんちにいる時より、ピシッとして見える。スーツマジック?

「ティーパックしかありませんが、紅茶でいいですか?」

「うん。あ、自分でやるよ。」

「では。これを使って下さい。」

 おにぎりが鎧を着たキャラのマグカップを渡される。どこかで見た事あるような…?

「ん?気になりますか?宮城のご当地キャラですよ。」

「へぇ…。」

 なかなかにかわいい。それに紅茶をいれて飲んだ。温まる。千歳さんはレポート用紙の束を読みながら、黄色くて四角いフセンに何やら書き込んでは貼ってゆく。その作業をしばらくじっと眺めていた。さっき受け取ったレポート用紙の束まで見終えて、千歳さんはふーっと息を吐いた。首を左右に揺らした時に、ゴキっと大きな音がした。

「ふふっ。すごい音。」

「あ…、すみません!アイさんがいるのを忘れていました。退屈だったでしょう?」

「ん~ん。千歳さん見てるの面白かったよ。」

「面白い…ですか?」

 不思議そうな顔をする千歳さんに言った。

「御疲れ様でした。肩こってそうだから、ちょっと揉んであげるよ!」

「え!?いいですよ…」

「遠慮しないで!こう見えてなかなか上手いよ!」

 そう言って、肩先と首の付け根の中間辺りをぐいっと押してやった。

「痛っ!」

「ふふふ…。千歳さん、こってますね~。ここは肩井けんせいっていうツボだよ。」

「ツボ…」

「そう。うちの母が家にいる時にたまにやってあげてるから、いくつか知ってるんだ~。母もずっとパソコンに向かう仕事してるから、バッキバキに固いんだよ。母に比べたら、千歳さんはまだ柔らかいから大丈夫。」

 そう言いながら、肩全体を揉み解す。千歳さんは「「ひでぶっ!」って言いたくなる気持ちが分かりました」とか意味不明な事を言ってた。「ひでぶ」って何?一通り肩を揉んでから「手、出して」って言った。

「え?手、ですか?」

 良く分からない、と言った顔をしながら千歳さんが出した右手の親指と人差し指の間を親指と人差し指ではさんで、思いっきり押した。

「いたーっ!」

「ここは合谷ごうこくって言うの。ほら、痛いだけじゃなくて気持ち良くない?」

 ちょっと力を緩めて押す。

「あぁ…。言われてみれば、確かに痛気持ちいいかも…?」

「でしょでしょ。はい、左手も出して。」

「あ、ハイ…。」

 言われるままに差し出した左手の合谷も押した。相変わらず、小指の爪だけ長い。

「あ~…。こっちは気持ちいいです~。」

 ふにゃんと目を細めた千歳さんが猫みたいでかわいかった。

「それは良かった。はい、おしまい。」

 ぱっと手を離す。千歳さんは椅子から立ち上がると「んー!!」と大きく伸びをした。バキバキっと音がした。

「いや~、お陰様で体がかなり軽くなった気がします!アイさん、どうもありがとうございました。」

ひょろっと背の高い千歳さんが、放物線を描くようにお辞儀した。

「どういたしまして。」

「さぁ~て。今日の仕事も無事終わった事ですし。アイさん、学内で見たい所があれば案内致しますよ。」

「え?いいの?」

「はい。」

 学務課に顔を出してタイムカードを押した後、食堂(残念ながら今日は営業してなかった)や図書館に案内してもらった。図書館に行く途中、立ち止まって千歳さんが言った。

「この木は私のお気に入りのハクモクレンです。春になると、白い鳥が沢山とまってるように見えて、とても可愛いんですよ。」

「へー。」

 そうなんだ。千歳さんのお気に入りを教えてもらえてちょっと嬉しかった。春にその光景を見られるといいな。

「そうだ。アイさん、お腹は空いていませんか?向こうの屋台で何か買いますか?」

「ううん。そんなにお腹空いてないからいいや。」

「そうですか…。では、まだ他に見たい所とかあります?」

「ううん。もう無い。」

 学祭の喧騒とかけ離れたこっちの棟にいる方が落ち着く。

「そうですか…。でしたら、もう帰ります?アイさん、今日は何で来ました?」

「電車。」

「では、アイさんさえ宜しければ、お送りしますよ。どうせ、帰り道は同じですし。私、今日は車で来てるので。」

「そうなの?」

「えぇ。欲しいという学生がいたので、今日は更に出て来た篠宮先生の献本分を運んだので。」

「あ!それで!」

「?」

「さっき、古本コーナーでじぃちゃんの本見た!」

「…あいつら、ちゃっかりしてんなぁ!」

 千歳さんが笑ったから、こっちも笑った。

「まぁ…、でも。廊下に積まれたままより、誰かに読んでもらえる方がずっといいですからね!でも、篠宮先生には内緒にしておきましょうか。」

「だね!」

 二人で顔を見合わせて笑った。


 それから、自販機でペットボトルのお茶を買ってもらって、千歳さんの軽自動車の助手席に乗って帰った。千歳さんの話し方は穏やかで落ち着く。ちょっと低めの声も好きだ。ううん、違うな。千歳さんを好きだから、話し方も好きなんだ、きっと。千歳さんの隣にずっといたいな。だって、居心地良いんだもん。

 だから…、進路決めたよ!今から志望学部を変更するのはきついけど、やるっきゃないよね!


     *****


 その日の夜。母に進路変更したい旨を伝えた。「今更?」とか反対されるかと思いきや、あっさりしてた。

「そう。分かったわ。」

「え…?いいの?」

「いいもなにも、アイの人生だもの。これまでのアイは特に目標もなくふわふわしてたから、どうせ学ぶなら生きて行くのに必要なお金の知識を得て欲しいと思って経済学部を勧めてただけだし。やりたい事が見つかったなら、前進あるのみよ!」

「あ、ありがと…。」

「でも、大変なのはこれからよ。学部を変更するとなると受験科目が違うでしょ?」

「うん…。」

 そう、これまでは、国英数メインにやってきた。学部を変更すると、受験科目は数学から地歴に代わる。

「やれるとこまでやってみる!」

「そう…。あまり時間が無いから、学校の先生にも相談してみたら?」

「うん。」


 母のアドバイスは有益だった。担任に相談したら、数学の先生も呼んで話し合いをしてくれた。特例として、数学の授業時間に数学準備室で地歴の勉強をしてもいい事になった。めちゃ助かる!

暫くは受験勉強に専念する為、じぃちゃんには電話で「当分ご飯作ってあげられない」って伝えた。

「分かった。受験頑張れよ!終わったら、寿司ご馳走してやるからな!ま、行き詰ったら遊びに来るがいいさ!」

「うん。分かった。」

 目標は定まった。やる!と決めたら、やるっきゃない!!


     8章 十一月


 小学生の頃の十一月ってもっと寒かったような気がしたけど、最近の十一月ってあったかいよね。これが温暖化ってやつ?今日は小春日和だ。あったかくて眠くなる。急遽自習になった教室は騒がしい。受験に向けて大半が真面目に勉強してる中、騒いでる連中もいる。

「何あれー!マジムカツク!チョー迷惑。」

 香ちゃんが睨みつける。

「推薦組でしょ。相手にしないの。」

 早希ちゃんはスルーした。

「そっか…。推薦組はもう合格貰えたんだ…。い~なぁ…。あたしももっと早くに先を見据えて真面目にやっとけば良かったぁ~。」

 口を尖らせてミユキちゃんが言った。だね…。もっと早く進路を真面目に考えていたら良かった…と自分でも思う。そういう点で、推薦組は要領のいいメンツだ。

教室内はザワザワしてる。いつもなら、こんな時はクラス委員長の水野さんが「そこ!うるさい!」と言ってしめてくれるのに、今日は休みだ。昨日も休みだった。風邪でもひいちゃったのかな?今日帰ったら、電話してみよう。

 そう思ってたお昼休みの終了間際。技術室とかがある特別棟のトイレから教室に戻る時に、進路指導室から水野さんが出てくるのを見付けたから駆け寄った。

「水野さん!来てたんだ!良かった~♪風邪ひいたのかも…って心配してたよ。」

「アイちゃん…!」

 水野さんがビックリしてこっちを見た。普通に声を掛けただけなのに、何で?

「一緒に教室行こっ♪髪の毛かわいくしてあげるよ。」

 きゅっと握った右手は握り返されなかった。代わりに「ごめんね」って言われた。何が?

「アイちゃん、今って時間ある?」

 予鈴が鳴る。時間は無い。でも…、ここは「無い」って言っちゃいけない気がした。握った右手を離せない。

「…あるよ。」

「そう…。じゃ、ちょっとお話しない?」

 そう言うと水野さんは特別棟の方へと歩き出した。握った右手は振り払われた感じになった。水野さんの背中を追いかけて、今来た特別棟へと引き返す。二人、無言のまま階段を上った。本鈴が鳴る。午後の授業が始まった。このままサボる事になりそうだ。最上階まで登った水野さんはドアノブに手を掛けた。ガチンと固い音がした。屋上へと続くドアは施錠されていた。

「仕方ないわね。ここでいっか。」

 そう言って、水野さんは最上階の狭い踊り場に腰を下ろした。窓から差し込む光で水野さんの茶色い髪がキラキラ光って見える。自分も倣って隣に座った。水野さんが口を開いた。

「あのね…、アイちゃん。あたし…、学校辞めるの。」

「えっ!?」

 ビックリした。なんで?ビックリし過ぎて、二の句が継げなかった。バカみたいに口が開きっ放しになってたと思う。水野さんの茶色みががった瞳をただただ見てた。

「ふふ…。そんな鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔しないでよ。」

 水野さんは面白そうに笑った。柔らかい表情だった。日差しのせいかと思ってたけど、違う。夏休み明けのちょっとげっそりしていた頃と違って、ちょっとふっくらしてるんだ。

「あのね。アイちゃんにだけ言うんだけど、あたし、赤ちゃんが出来たんだ。」

「えっ!?」

 更にビックリしてるこっちの右手を掴むと自身のお腹に当てた。

「ここに、新しい命があるの。あたし、お母さんになるのよ。」

 右手からは暖かさだけが伝わる。水野さんは笑った。

「分かりやすい愛のカタチを求めたら、こうなった。」

「お、おめでとう…?ぶ、文化祭で会った人だよね?」

「そう。内山先生。」

「が、学校辞めてどうするの?」

「結婚して主婦になるわ。で、しばらくはこの子を育てるのに専念する。」

「だ、大学は?」

「行けないわね。」

 一緒に夏期講習に行った仲なのに、そんなにあっさり言われてショックを受けた。

「そ、そんな…」

「あぁ、誤解しないで。アイちゃんと同じタイミングでは行けなくなったってだけで、高卒認定を受けて、いつかは行くつもりよ。」

「そ、そうなの…?」

「えぇ。まずは、この子を育ててからね。排卵とか受精って本当にあるのね。保体の教科書のTみたいな図を見てた時は分からなかったけど。」

 水野さんが笑って言った。あぁ、確かに保体の教科書で見た事のある図はTみたいだった。

「ねぇ、教科書に書かれてたこと覚えてる?一度の射精に含まれる精子は四千万個以上あるのに、卵子にまで辿りつけるのはせいぜい千個程度で、更にその中の一つだけが、卵子に入り込んで新しい命になれるって。あたし達、受験戦争より前の生まれる前に、そんな熾烈な競争に勝ち抜いてきたのよ。すごいと思わない?だから…あたし、この命を大事にしたいの。」

 ふふっと笑う。水野さんから聞くコイバナ(?)はどうして、他の皆みたいなキャッキャウフフしたものじゃないんだろう…。

「そ、そっかぁ…。元気に育つんだよ。」

 水野さんの少し丸みを帯びたお腹をそっと一撫でしてから、手を離した。

「呆れてる?」

「ううん…。」

「あたしに幻滅した?」

「ううん…」

「先生みたいに「委員長なのになってない」って言わないの?」

「…い、言わないよ!」

「…そう…。アイちゃんは優しいね。」

「え?」

「あたし…、生理がしばらく来なくなって…。不安になって内山先生に相談したの。そしたら先生が妊娠検査薬を買ってきてくれたから、試したの。…知ってる?体温計みたいなのに尿をかけて、妊娠してると線が出るのよ。」

「…し、知らない…。」

「そう。あたしも今回初めて知ったわ。で、線が出たの。その時、震えたけど、安心もした。」

「なんで?」

「だって、赤ちゃんって愛の証でしょ?これで、内山先生はあたしから逃げられない。」

 水野さんはおかしそうに笑った。

「内山先生は、優しいの。家族仲の悪いあたしを昔からいつも気遣ってくれた。でも、優しい人だから、他の子達もきっと先生が好き。あたしは先生の特別になりたかった。だから、十八になった時にあたしをあげたの。あの日の先生は、特に優しかったわ。」

 フフッと笑う水野さんが、何だか急に知らない人みたいに見えた。

「アイちゃん。あの日、あたしを可愛くしてくれてありがとう。」

 きゅっと手を握って言われて思い出す。いつもは一つ結びに戻して帰る水野さんがヘアアレンジをしたまま帰った日の事を。

「あの日が…誕生日だったの?」

「えぇ。あたしがオトナになった日。十八歳が成人になったから、あたしはもうあたしの意志で生きていける。選挙も行けるし、自分名義のカードも作れるようになるのよ。だから、あんな家とはバイバイするんだ!」

 スッキリした顔で言った。

「水野さんは…、自分の家が嫌いなの?」

「えぇ。大っ嫌い!小さい頃から「勉強しろ」「あんな子とは遊んじゃダメ」って、あたしの人生に口出しばっかり!友チョコ交換すらさせてもらえなかったのよ!これ以上あの家にいると窒息しそう…!だから、あたしはあたしの人生を生きるの!」

「それは…」

 高校を卒業してからじゃダメだったの?そんな心を見透かしたように水野さんが言った。

「この選択が、世間からは「間違ってる」って言われる事は分かってるわ。でも、子供を産むなら早い方がいいとあたしは思ったの。高齢出産はリスクが高いって知ったから。母体が若い時に産んで、体力のある時に子育てしたいのよ、あたしは。」

 そして続けた。

「あたしのいとこのお姉さんはね、カッコ良かったの。憧れてたわ。ファッション雑誌に載ってる流行りの服を着て、ブランドのバッグを持って大手企業に勤めてて…。昔から海外旅行のお土産を良くくれたわ。「すごい!」って親戚の皆も言ってたし、あたしもそう思ってた。でも、一昨年結婚して四十で出産したらダウン症の子が生まれたの。あたしも一度だけ見せてもらったんだけど、なんかこう…、普通の赤ちゃんと違うのよね…。顔が平たい、とでもいうのかしら?お姉さんも前みたいにお化粧してないし、髪の毛はぼさぼさだし…。なんか、疲れ切ってるおばさん感がすごかった…。正直、幻滅したわ。その時は「かわいいね」って皆で言って帰ったけど、帰ってきてからが酷かったわ。うちの両親は「不妊治療に五百万かけてあれか!」とか「お一人様気取ってたツケが回ってきた」とか散々言ってた…。それを見て思ったのよね。子供は若いうちに産むに限る!って。」

「だからって…。」

「考え方、生き方は人それぞれよ。あたしはあたし、人は人。アイちゃんになら、分かるでしょう?」

「それは…」

「あたし、アイちゃんに憧れてるの。いっつも明るく元気なアイちゃんが好き。なれるなら…、あたしはアイちゃんの恋人になりたかったわ。」

「え!?えぇ~っと…」

 返す言葉が浮かばない。

「ふふっ。そんな風に固まらなくていいのよ。あたしじゃアイちゃんの恋愛対象になれないって分かってるから。アイちゃんはアイちゃんのままでいて。貴方の生き方が、あたしは好きなの。だから…、学校は辞めちゃうけど、友達は辞めないでくれると嬉しいわ。」

「それは…勿論。」

「ありがと。アイちゃん、大好きよ。」

 そう言って、笑った水野さんはもう知らない女の人だった。ゆっくり立ちあがると言った。

「ねぇ。あたし学校は辞めるけど、このカーディガンはもらったままでいい?」

「あ…、うん。それは勿論。」

「ありがとう。これ、お気に入りなの。代わりにアイちゃんには違う物をあげるね。」

 それから「あ!」と言った。

「スマホ、両親に解約させられたから、今度知らない番号からかけると思うからよろしくね。非通知にはしないから、出てくれると嬉しいわ。」

「あ、うん…。」

「じゃあ、あたしもう行くわね。他の人達と顔を合せたくないから、授業中に帰りたいの。バイバイ、またね。」

 そう言って、水野さんは階段を一段一段ゆっくりと下りて行った。


一人になった。今から五限の授業を受けに行くのもなんだし、次のチャイムが鳴るまでは、ここで時間を潰そうと思った。ポカポカ差し込む日差しがあったかくて、ひなたぼっこをしてる気分だ。

「水野さん…、学校辞めちゃうんだ…。」

 水野さんは完璧で、正三角形だと思っていたから驚いた。でも…。あの内山さんとか言う人と夫婦になって四角形になれるなら、それがいいのかな?三角形の内角の和は180度だ。それが四角形になると360度に増える。二倍だ。増えた内角分が水野さんの心の安定に繋がるのなら、きっとそれが正解なんだろう。


     *****


 一週間後、知らない番号から電話があった。水野さんだった。

「こんばんは。あのね、アイちゃんに渡したい物があるから、明日の放課後にでも、少し時間作れない?」

「いいよ。場所どうする?」

「学校から近くない場所だと嬉しいわ。」

「じゃあさ、予備校の隣にあったコンビニで六時でどう?」

「了解。じゃ、明日ね。」

 用件だけで電話は終わった。水野さんのこういうところ、嫌いじゃない。それから、急いでネットを立ち上げる。もう会えないかもしれないから、ちょっとした出産祝いをあげたいと思ったんだ。スタイにガラガラetc…。金額的にも気持ち的にもここらへんかな?ショップを検索してみたら、近くのモールに入ってた。明日、学校帰りに寄って買ってから、待ち合わせ場所に行けばちょうどいい。

「よし!」

 お気に入りにいれといた。


 翌日。早々に下校して、モールに行った。お目当てのショップはほわほわのかわいいモノで溢れてた。

「か、かわいい…♡」

 赤ちゃん用だからか、手触りもめちゃくちゃいい。自分用にも欲しくなったタオル地で出来てるウサギのガラガラとスタイをラッピングしてもらった。

 それから約束のコンビニに向かう。この季節、この時間はもう真っ暗だ。コンビニの灯りがまっすぐ人を惹き寄せる。自転車を停めて、店内を物色しながら待とうかな…と思ったら声がした。

「アイちゃん。」

 駐車場に停まってた車から、水野さんが出て来た。

「久しぶりね。はい、これ。」

手にした紙袋を渡される。その左手の薬指には銀色のリングが光ってた。

「え…?これって…。」

「あたしが着てた制服。アイちゃんはセーラーだから、こっちのブレザー持ってないでしょ?あたしもう着ないから、アイちゃんに一式あげる。あ、勿論クリーニング済みよ。それで…。もし良かったら、これを卒業式に着てくれたら嬉しい。あたし自身は卒業出来なかったけど、あたしの制服だけでも卒業式に出られたら…嬉しいから。」

「そっか…。ありがと…。」

「ううん…。あたしのエゴを押し付けてごめんなさいね。でも…。これから、何かと入りようで…気の利いたもの用意できなくて…。」

「そんなの、気にしないでよ!そ、そうだ…!これ!」

 自分も慌ててプレゼントを出す。

「なぁに?」

「今度生まれてくる赤ちゃんへのプレゼント。良かったら、使って。」

「ふふっ。ありがと。アイちゃんが選んでくれた物なら、きっと可愛いんでしょうね。」

「なんで分かるの?」

「だって、『可愛いは正義』なんでしょ?」

「…そう!」

「だから。ありがと、アイちゃん。受験が終わった頃にまた連絡するわ。じゃあね!」

「うん。またね、水野さん!」

 そう言ったら、水野さんが振り向いた。

「言い忘れてた。アイちゃん、あたし、もう内山なの。だから、今度からは内山か、下の名前の奈緒って呼んでくれると嬉しいわ。」

「!!…分かった。奈緒ちゃん、またね!」

「えぇ。またね、アイちゃん!」

 にっこり笑った奈緒ちゃんが乗り込むと車は動き出した。運転席にいた男の人が頭を下げる。文化祭で見た人だ。こっちもお辞儀をしてから、手を振って見送った。

「内山奈緒さんになったんだー…」

 なんだか衝撃だった。ちょっと誰かに吐き出したくて、久し振りにじぃちゃんちに寄った。


「おう、アイ!久しぶりだな。元気にしてたか?丁度良かった。知り合いが送ってきたおやきがあるから、一緒に食べよう。」

「やったー!」

 レンジであっためて食べる。肉まんのようで肉まんに非ず。なかには野沢菜が入ってた。

「不思議な食べ物だ…」

「長野の郷土料理だから、こっちではあまり見かけんな…。だが、たまに食べる分には悪くないだろう?」

「うん。」

 もぐもぐしてたら、チャイムが鳴った。「お届け物で~す」という声もする。すぐに立つのはしんどそうなじぃちゃんの代わりに玄関まで受け取りに行った。受け取った荷物は千歳さん宛てだった。じぃちゃんに聞いたら、千歳さんの部屋にいれといてくれ、って言われたから置きに行った。一番奥の六畳の和室だ。ばぁちゃんが生きてた頃は客室として使ってた。小さい頃の夏休みはこの部屋で過ごしたけど、今は千歳さんが使ってるんだ…。

「失礼しまーす。」

 部屋の主は不在だと知っているが、一応一声かけてから戸を開けた。隅に畳まれた布団。PCがのった座卓。脇に置かれたプリンタ。充電器などのコード類。後は壁一面の本だった。畳の上にも整然と積み上げられている。片方開いた押し入れをクローゼットとして使っているらしく、ジャケットやYシャツがかかってるのが見えた。全体的に几帳面な部屋だった。そんな真面目で几帳面な部屋で、一つだけ異彩を放っている物があった。本棚の上に置かれた小さな手提げの紙袋。有名なジュエリー専門店のものだ。それにタグが付いているのが見えた。自慢じゃないが視力はいい。両目1・2だ。だから読めた。『For AI』って書いてあった!

 胸の鼓動が速くなる。もしかして、サプライズプレゼント!?クリスマスにくれたりするのかな?ドキドキした。でも、見た事を知られたくなかった。届いた荷物を入口にそっと置いて戸を閉めた。それから、急いでじぃちゃんの所に戻った。

「荷物、入ってすぐの所に置いといた。今日来た事、千歳さんには言わないでね。」

「おう…。なんか良く分からんが、分かった。気を付けて帰れよ。」

「うん。」

 玄関で靴を履いてたら、更にじぃちゃんの声がした。

「そうだ。アイ、これ。」

「なぁに?」

「先日、原稿代が入ったんで、頑張っとるアイに小遣いじゃ。」

 振り向いたら、目の前に一万円札があった。

「わぁ!いいの?」

「おう。アイがご飯を作ってくれてたありがたみを先日、しみじみと噛みしめたんでな。受験が終わったら、また何か作ってもらおうと思っての袖の下だ!受け取れ。」

「袖の下?」

「賄賂って事だ!」

 ワッハッハと笑うじぃちゃんに見送られて、じぃちゃんちを後にした。なんだかふわふわした気持ちのまま、帰宅した。自分の部屋に戻ってから、スマホにつけてるキーホルダーをじっと見る。フェルト製の埴輪の馬。千歳さんのメッセージアイコンと同じもの。


 そう言えば、学祭の時のお礼のメッセージをして以降、バタバタしてて千歳さんにメッセージを送ってなかった。そう気付いて、アプリを立ち上がる。

 でも、なんて打つ?気になり過ぎて、うっかり本棚の上にあった紙袋について聞いてしまいそう…。そこで、思い出した。紙袋に気を取られて、水野さんが内山さんになった話をじぃちゃんにする前に帰ってきてしまった事を。

これだ!千歳さんは文化祭で内山さんに会っている。学校の友達には話せないけど、内山さんと話した事ある千歳さんなら聞いてくれるハズ。早速メッセを打つ。

『こんばんは。聞いて欲しい事があるんだけど、今時間いいですか?』

 珍しくすぐに既読がついた。

『お久しぶりです、こんばんは。私で良ければ。』

『ありがとー(手を合わせるウサギスタンプ)』

『文化祭の時に会った水野さんって覚えてる?』

『バザーの所でお会いした方ですよね?』

『そう!』

 そう打ってから、いきなりめんどくさくなった。いちいち打つより、直接話した方が早い。

『打つのめんどいから、通話していい?』

 既読がついたと思ったら、スマホが鳴いた。千歳さんからかかって来た。すぐにフリックしてでた。

「もしもし!」

「こんばんは。お元気そうで何よりです。」

 穏やかに、少し微笑んでるような感じの声がした。あぁ、好きだなぁ…って思った。

「あ、あのね!今日、久し振りに水野さんに会ったんだけど、ビックリしちゃった!」

「しばらくお休みされてたんですか?」

 そう聞かれて気付く。水野さんが学校を辞めた事も話してなかった。だから、そこから話した。文化祭で会った内山さんとの間に子供が出来て、学校を辞めた事。今日会ったら籍を入れたらしく、水野さんが内山さんになってた事を。

「ね!ビックリでしょ!」

「へぇ!それはすごいですね」とか返ってくるかと思ったのに、耳元で響いたのは、千歳さんの溜め息だった。

「はぁ~…。そうですか…。」

「え?あれ…?驚かないの?」

「えぇ…。こんな事をアイさんに言うのは気がひけますが、あの二人が一線を越えた事は知っていました。」

「ええっ!?いつの間に?」

「文化祭でアイさんが…水野さんと並びに行った時、私達二人で残りましたよね。その時、向こうが私を同類だと思って話し掛けてきたんです。」

「なんて?」

「「君、あの子の彼氏?若い子は世間知らずでいいよね。で、どうなの?もうヤッた?」って。」

「え…?」

「あ。勿論、「違います」って否定しておきましたから、ご安心下さい。そしたら、向こうは悪びれもせずに言ったんです。「へー、そうなんだ。なら、俺がもらおうかな」って。」

「えっ!?」

「「冗談はやめて下さい」と伝えました。向こうは笑って言いました。「冗談じゃないよ。俺、初物好きなんだよね。塾講師なんてやってるのも、好みの子とヤリたいから。あの子も最高だった」って。私も教員の端くれですから、頭にきて言ってやりました。「先生という、生徒から見たら絶対的優位な立場を利用して、そんな行為を働く奴は最低だ」と。」

 ……あぁ、そうか…。クレープを買って戻って来た時、内山さんがさっさと背を向けて行ってしまったのは、そんなやりとりがあったからだったんだ…。

「せめて…。避妊位はしっかりしてると思っていたのですが…。そうですか、身ごもってしまったのですね…。」

 意気消沈ぶりが伝わってくる。千歳さんの話を聞くと、内山さんはクズって事か?でも…、きっと水野さんはそれも含めて分かっていたと思う。だから、笑ってたんだ。「これで、内山先生はあたしから逃げられない」って。あれは勝利の微笑みだった。

「あ、あのさ…。多分だけど、そういうクズな所も、水野さん、きっと分かってたと思う。むしろ、分かった上であの人を利用して自分の家を出たんだと思う。」

「何故、そう思うのですか?」

「だって…、水野さん言ってたもん。「これで先生はあたしから逃げられない」って。「他の子達も先生の事を好きだから、自分が特別になりたかった」って。それに…、水野さんは全国一位を取った事もある才女だもん!内山さんがそういう人だって分かってても、それを逆に利用出来る頭を持ってる筈だもん!」

 言い切ったら、スマホの向こうがフハッと笑った。

「…なら、あの二人はお似合いという事ですか?」

「そう!ぴたりと合わさる三角形だったんだよ!」

「?」

「あ、こっちの話…。」

 人間三角形理論はまた今度、時間のある時にでも話せばいいや、とスルーした。

「そうですか…。では、この話はこれまでに致しましょう。ときに、アイさん。受験勉強は順調ですか?」

「う…っ!」

 痛い所を突いてくる。

「だ、大丈夫…。頑張る…」

「そうですか。だんだん受験が近付いてくると焦って落ち着かないと思いますが、適度に自分を褒めるといいですよ。」

「自分を褒める…?」

「えぇ。どんなに頑張っても誰にも褒めてもらえないとモチベーションがさがるでしょう?そんな時は、使ってるペンのインクの使い始めと終わりに印をつけて、今日はこれだけ頑張った!と視覚に訴えるのも有りです。」

「えぇ~…。何それぇ…。こっちはSNS慣れしてるから、他人からの評価が無いと頑張れないよ…。」

「そうですか…」

 しょんぼりした声が聞こえた。そこで、ぽん!と思い付いた。

「あっ!ならさ!千歳さんが褒めてよ!」

「え?」

「毎日、今日やった分をメッセで送るから、それ見て褒めて!スタンプ押してくれるだけでいいから、何か返してよ。そしたら、頑張れる!」

「…私なんかの励ましでいいなら、いいですけど…。」

「ホントッ!?約束だよ!じゃあ、頑張るね!」

「ハハッ…。大した事は出来ませんが、頑張って下さいね。」

「うん!じゃあね!」

 通話を終えて、ガッツポーズした。だって、これで毎日好きな人にメッセを送る口実が出来た!しかも、確実に返信を貰える!好きな人と同じ大学に行きたくて頑張る自分に、これ以上のご褒美があろうか?(反語)


 そっから、十一時まで黙々と勉強した。それから、やった問題集の頁数を書いて送信した。既読がついた。

『お疲れ様です。遅くまで頑張ってますね。この調子で頑張りましょう。』

 一言じゃなくて、三言あった。嬉しくなった。

『ありがと♡』

 ピンクのハートマークを添えて返信した。「好き」って言ったら、「勘違い」って言われたけど、やっぱり好きだから…。別に今すぐ付き合いたいとかそう言うんじゃないけど、語尾にハートをつける位は許されるよね?


 その日から毎晩、千歳さんに今日の学習内容を送った。すぐ既読がつく時とつかない時があるけど、必ず一言返してくれるから嬉しかった。(もしかしたら、千歳さんはスタンプを持ってないのかもしれない。でも、スタンプより一言の方がずっと嬉しいから、無料スタンプがある事は黙っておこう。)おかげで、勉強に対するモチベーションがかなり上がった。学校の休み時間にも山川の一問一答をやってたら、早希ちゃんに言われた。

「アイちゃん、最近すごく頑張ってるわね。」

「うん!ギリギリで学部変更したから、相当頑張らないといけなくて…。」

「そう。じゃあ、頑張るアイちゃんにこれあげる。」

 ポーチから何か出して、くれた。

「ラムネだ…。」

「えぇ。ブドウ糖90%よ。別名グルコースのC 6 H 12 O 6ね。」

「はぁ…。」

「ふふっ。難しく言っちゃったけど、一言でいえば、脳のエネルギー源よ。ラムネが一番効率よく摂取出来るみたいだから、疲れた時に食べるといいわよ。」

「そうなんだ。ありがと♪」

「どういたしまして。お互い、第一志望に行けるように頑張りましょ。」

「うん!」

 苦しいのは自分一人じゃない。皆、ある意味ライバルで、お互い不安を抱えながらもゴール目指して頑張ってる。そして、ときにこうして励ましてくれる友達がいる。ありがたいな…。頑張ろう。


     9章 十二月


 世間はクリスマス一色だけど、今年はそんなの関係ない!玄関の靴箱の上に、小さなガラス製のツリーを出しただけだ。あとはひたすら、過去問を解く。間違った所をルーズリーフにまとめて、自分専用の弱点強化ブックを作ってる。

 先日の模試の結果はB判定だった。あともう少しが足りない…。挫けそうになる心に「やれば出来る!」と言い聞かせる。冬期講習も申し込んだ。今度は一人だけど、あがけるだけあがいておきたい。やれる時にやらないで、「ダメだった…」っていうのは嫌だ。努力あるのみ!


     *****


 予備校から一歩出たらクリスマスソングが聞こえて、コンビニ前でサンタの格好をした店員がチキンやケーキを売る為に声を張り上げてた。今日はクリスマスイブだ。そのまま吸い込まれるように店内に入った。ケーキを買おうか悩んだけど、遅い時間にスイーツは太るかな…と思って、サンドイッチとチキンだけ買った。母は今日も遅いから、ご飯は一人で食べてと言われてる。この時期に騒いで体調を崩すのは嫌だし、冬期講習もあったから、友達に誘われたクリスマス会は断った。一人分のご飯を作るのはめんどくさい。たまにはこんな日があってもいいだろう。

 世間の“社畜”と呼ばれるサラリーマンは、毎日こんな生活なのかな…。そう思いながら、自転車をこいで帰った。エレベーターを五階で降りたら、自宅のドアノブに何やら紙袋がかかっているのが見えた。

 置き配か?何か頼んだっけ?そう思って近づいたら、『アイさんへ 千歳より』とタグがついてた。ビックリして覗いた茶色い紙袋の中には、綺麗にラッピングされた包みが入ってた。心臓が跳ねた。急いで玄関の中に入った。手洗い嗽をして、震える手で包みを取り出す。カサリと音がして、白い封筒が落ちた。もしかして…ラブレター!?ドキドキしながら、封を開けた。

 中には青い台紙のキラキラ光る白いクリスマスツリーのカードが入ってた。

『アイさんへ

 MERRY CHRISTMAS

受験勉強お疲れ様です。毎日メッセージで送られてくる頁数を見て「自分はこんなにやったっけ…?」と驚いてます。私には応援位しか出来ませんので、頑張ってるアイさんにささやかなプレゼントを用意しました。良かったら、使って下さい。  千歳』

包みを開けた。中には真っ白な大判ストールが入ってた。マフラーにも膝掛にもなるタイプだ。手触りがすごく良い。

「うわあああ~!!」

 嬉しくって、しばらくさすさす触ってた。それから、首に巻いてみた。肌触りもすごく良くて、あったかい。

「うん!い~感じ♪」

 ストールを羽織って鏡の前でくるりと一回転。

「うん。かわいい!」

 好きな人から予期せぬプレゼントが貰えて有頂天だった。嬉しくって、電話を掛けた。しばらくのコールの後に繋がった。

「もしもし…」

 電話の向こうはざわざわしてる。外出中かな?

「もしもし?…アイさんですか?」

「うんっ!あのね、今帰ってきてプレゼント受け取った!どうもありがとう!」

「あぁ…。大したものじゃありませんが、良かったら使って下さい。」

「ううん、すっごく嬉しい!」

 その時、電話の向こうで千歳さんを呼ぶ声がした。

「千歳せんせー!何してるの~?」

 女の人の声だった…。

「あ、すみません…。今電話中で…。あ、お金なら先に幹事に渡してあります。移動先が分かったら、また教えて下さい。」

 スマホを口元から話したのか、小さくそう聞こえた。それから「…あ、すみません」と近い声がした。

「今日は、勤務先の同僚と飲み会なんです。」

「クリスマスなのに?」

「そうですね…。クリスマスだから、っていうのもあります。」

 ちょっと笑って言われた。

「意味分かんない。」

「ははっ。独り身で肩身の狭い連中が、カップルに対抗して集まって飲んでるだけですよ。」

「なるほど…?」

「アイさんは?」

「え?」

「折角のクリスマス、お友達とクリスマス会をやったりはしないのですか?」

「今回は断ったー。予備校もあるし。」

「そうですか…。受験生ですもんね。では、お母様とパーティですね。」

「ん~ん…。あの人、今日も遅いって…。下手したら明日も帰って来ない。」

「そうなんですか…?」

「ん。でも、さっき予備校帰りにコンビニでチキン買って来たから、いちおークリスマスかな?千歳さんからプレゼントももらえたしね。」

「そうですか…。それはちょっと淋しいですね。」

「うん…。遅い時間に食べると太るかと思って買うのやめたけど、今、やっぱりケーキも買えば良かった~!って後悔してる…。今日じゃなくて、明日食べればいいだけだったのに…。クリスマスにケーキがあるのとないのとじゃ、大違いだよ~!でも、もう疲れたからコンビニ行くのもめんどい…」

「そうですよ。もう遅い。こんな時間に出歩くのはオススメしません。」

「ですよね~。」

 また向こうで、千歳さんを呼ぶ声が聞こえた。

「あ、すみません…。呼ばれてるので、もう行きます。」

「…ん。」

 もっと話していたかったけど…。

「バイバイ。」

 そう言って、電話を切った。


 通話を終えてから、ソファーに転がる。

「あ~あ!」

 世間はクリスマス。受験生だけど、カップルはデートやプレゼント交換はしたのかな?次に早希ちゃんに会ったら、聞いてみよう。そこで、ハッとした。千歳さんの部屋で見たジュエリー専門店の袋!あれ、自分宛てじゃなかったんだ…。

 そう思ったら、さっきまでストールをもらえてすっごく嬉しかった筈なのに、一気にガッカリした。自分はストールしかもらえないのに、千歳さんからアクセを貰えた「アイ」さんがどこかにいるんだ…。それはもしかしたら、さっき電話の向こうで千歳さんを呼んでた女の人なのかもしれない…。同僚と飲み会なんて嘘で、ホントはデート中だったのかもしれない…。

「あ~あ…!」

 大きな溜め息がでた。自分はまだ未成年の高校生で、「好き」って言っても相手にしてもらえないのに…。そう思ったら、ちょっと涙が出た。いっそ水野さんみたいに、既成事実に持ち込める度胸があったら、恋人になれたりしたのかな?でも…。千歳さんはそういうトコ、オカタイ人だから無理だろうなぁ…。

あ~ぁ…。自分が世界一かわいい女の子だったら、良かったのにな…。そしたら、千歳さんに好きになってもらえたかもしれないのに…。


 そんな事を考えてたら、ストールを羽織ったままソファーで寝落ちしてたらしい。スマホの着信音で目が覚めた。条件反射でフリックして出た。

「もしもしっ!」

 半分寝てたせいで、思ったより大きな声が出てしまった。

「千歳です。…あぁ、良かった…。なかなか出なかったので、もうお休みになってしまったかと思ってました。」

 千歳さんだった!

「(…さっきまで寝落ちしてたけど)起きてるっ!どうしたの?」

「あの…。余計なお世話だと思ったんですけど、さっきの電話でアイさんが「ケーキ無いの淋しい」みたいな事をおっしゃってたんで、帰りがけに買って来たんですけど…。」

「えっ!?千歳さん、今どこにいるの?」

「下です。マンション前の駐車場の街灯の所。」

「ちょ…ちょっと待って!」

 ソファーから飛び起きて、ベランダに出る。視線を下ろしたその先に、黒いコートを着た千歳さんが、白いビニール袋を持って立っていた。こっちに気付いて、手を振って来る。

「見えてる?」

 こっちも手を振った。

「見えてますよ。それで…。良かったら、玄関先までお持ちしますので、受け取って下さい。」

「取りに行くよ!」

「もう遅い時間ですから、家で待ってて下さい。」

「は~い…。」

「では。」

 そう言って電話が切れた。スマホをコートのポケットに入れた千歳さんがマンションのエントランスに向かって歩いてくのを上から見切れるまで見てた。さっきまでドン底だったテンションが一気に急上昇した。慌てて、電気ケトルをONにした。それから、待ちきれないから玄関まで走って行って鍵を開けて、そっと外を覗いて待った。

 しばらくしてから、エレベーターから千歳さんが降りて来た。ドアから身を乗り出したこっちに気付いて、笑顔になった。ゆっくり歩いてきて、「メリークリスマス」とビニール袋に入ったケーキをくれた。コンビニの。一人用サイズで、上にイチゴとサンタがのってるやつ。

「あ、ありがと。」

「いえ、こちらこそ。早速使っていただいてありがとうございます。」

「あ…」

 そうだった。貰ったストール羽織ったままだった。とりあえず、もらったケーキを下駄箱の上にのせた。

「よ、良かったら、コーヒー位飲んでってよ。」

「ありがとうございます。でも、もう遅いんで帰ります。」

 そう言って、千歳さんはくるりと背を向けた。

帰っちゃう…!

「ダメ―!コーヒー飲んでからじゃなきゃ帰さないっ!」

 急いで、後ろから千歳さんに抱き着いた。千歳さんがビックリしてた。

「あ、アイさん…。もう遅いので、そんな大声出すとご近所迷惑になりますよ…。」

「コーヒー飲んでく?」

「いえ、それは…」

「なら、もう一回叫ぶ…。」

 すーっと大きく息を吸い込んだら、千歳さんが両手を上げて言った。

「はぁ…、分かりました。高三の態度に降参です。」

 ちょっと考えて、ダジャレだと分かったから「分かれば良し!」と言って、身体を離した。

「はい、上がって。」

「お邪魔します…。」

 靴を揃えて上がって、洗面所で手洗い嗽を済ませた千歳さんをリビングに通す。沸いてたお湯でドリップパックのコーヒーを二つ淹れた。

「はい、どうぞ。ミルクいる?」

「どうも…。なくて大丈夫です。いただきます。」

 ぴたりと対称に手を合わせて言ってから、ふーっと息を吹きかけて一口飲んだ。

「あぁ、あったかい…。生き返りますね…。」

 それを見てから自分のには牛乳をちょっこっと入れて、もらったケーキをお皿に載せた。

「わ~い♪やっぱ、クリスマスはチキンだけじゃなくて、ケーキが無いと!だよね~♪」

 クリスマスソングを歌ったら、千歳さんが笑った。

「そんなに喜んでいただけるなら、買ってきて正解でしたね。」

「うん!ありがと♪千歳さん、自分のは買わなかったの?」

「それが最後の一個だったんですよ。ラッキーでしたね。」

「そーなんだ…。」

 コンビニ的には売れ残らなくて良かったのかな?そう思いながら、フォークで端っこから食べた。

「甘くて、おいし~♪」

「ハハッ。アイさんは、本当に美味しそうに食べますね。」

「え?そう?」

「はい。見てるこっちも嬉しくなります。」

「あ、ありがと…。」

 ここでお礼を言うのも変かな?と思ったけど、上手い返しが思いつかなかった。甘い物のカロリーをパワーに変えて、気になってた事を聞いてみようと思った。だって…、ウジウジ悩むの性に合わない!気になってる事をこのまま放置したら、受験勉強が手に着かなくなってしまう…。なら…、今ここではっきり聞いて、ダメならダメでスッキリしたい!

「千歳さんはさ~、今日デートだったの?」

「違いますよ。さっきも言った通り、同僚との飲み会です。」

「だって、女の人いたじゃん…。」

「あれは学務課の坂巻さんです。」

「プレゼントにアクセあげたりした?」

「しませんよ。私にそんな物をプレゼントする相手はいませんが?」

「…嘘。」

「嘘なんてついてませんが…。アイさんどうなさいました?」

「…だって…、見たもん。千歳さんの部屋にジュエリーショップの紙袋あるの。」

「え…??」

 本気で分からない、と顔をしかめた千歳さんが、たっぷり二分後に「あぁ!」と手を打った。

「あれか!…すっかり忘れてました!」

「え…?」

「あれ、妹にあげようと買ったやつです!」

「妹…?」

「えぇ。アイさんと同じ「アイ」という名前なんです。」

「そ、そーなんだ…。」

 早合点…。彼女じゃ…なかったんだ。ほっとした。安心したら、饒舌になった。

「妹さんに随分いいプレゼントあげるんだね。」

「えぇ。ちゃっかりしてる奴でね。自分はそこら辺のスーパーで買った五百円のチョコをバレンタインに送り付けて来て、「お返しにこれ買って」って指定してきたんです。とんでもない奴ですよ…。「フリマで売られてる誰かのお下がりは嫌だから、ちゃんとお店で買って。今なら、メッセージタグをつけてもらえる筈だから、それが無かったら中古で買ったとみなす」って、脅迫ですよね…。あれ買いに行くの、すっごく恥ずかしかったなぁ…。」

「わ~ぉ!倍返しどころの話じゃないね!」

「そうですよ…、全く…!アイツは兄をなんだと思って…」

「いいお兄ちゃんだと思ってるんでしょ。」

「え?」

「そんな我が儘言っても、許してくれる優しいお兄ちゃんサイコーじゃん♪」

 ケーキの上のイチゴをパクリといった。ちょっと酸っぱいのが、また美味しい。

「…そうでしょうか?」

「そーだよ!ま、自分は一人っ子だから、知らんけど。」

「ははっ、最後に突き放しましたね。」

「だって、兄妹いないから分かんないもん…。でも、妹さん喜んだでしょ?」

「…まだ渡せていないので…。」

「そーなの!?直接が無理なら、送ってあげればいーのに!あ、でもあれか~。そんだけお高いプレゼントだと、やっぱり手渡しの方がいいか~。喜ぶ顔見たいもんね!妹さん、きっとすっごく喜ぶと思うよ!」

「…そうですね…。」

 ふわりと綻んだ笑いをすると、千歳さんは残ってたコーヒーを一気に飲み干した。

「ご馳走様でした。コーヒーいただいたので、もう帰ります。アイさん、ありがとうございました。」

「あ、うん…。こっちこそ、ストールありがとう!肌触りもいいし、あったかいしですっごく気に入った!今バタバタしてるから、受験終わったら、お返しするね!」

「いりませんよ。」

「でも…」

「もうもらいましたから。」

「え?何を?」

「では。戸締りしっかりして下さいね。」

 そう言うと、千歳さんは帰って行った。その後姿をベランダから見えなくなるまで見送った。


 バタン。

 サッシを閉めて、あったかいリビングに戻る。テーブルの上に飲み終わったカップがある。下げてしまおうと持ってから、そっとそれに口付けた。

「………。」

 自分のしてる事が恥ずかしくなって、勢いよく水を出してカップを洗った。ストールが濡れた。慌てて、シミにならないように、丁寧に拭いた。

 それから。その夜はストールを羽織って、ベッドで眠った。

夢の中で、千歳さんと手を繋いでデートしてた。「あのね」って言ったら、「なんですか?」って聞くから、「好き!」って言ったら「私もです」って微笑んだ。嬉しくなって、抱き着いた。千歳さん、細く見えて、結構がっしりしてたなぁ…。


 アラームで起きた。欠伸をしながら、部屋から出たら「メリークリスマス!」の声と共にクラッカーが鳴った。ビックリして目が覚めた。こっちを見て、母が笑ってた。

「グッモーニン!昨日頑張って、今日の休みをぶんどって来た!チキンとケーキを一緒に食べましょ!」

「うん!」

「プレゼントもあるからね!」

「やった~!何?」

「ふっふっふー。それは開けてのお楽しみ~♪」

 久し振りに母と二人、ゆっくり過ごした。今年のクリスマスは、二日続けて最高だった。

神様から頑張ってる自分へのご褒美かな?


     10章 一月

 

 お正月はお年玉を貰っただけで終わった。出願手続きが済んだ。もう後戻りは出来ない。模試の結果はB判定のまま伸び悩んでて、不安で吐きそうになる。不安を掻き消すように、ひたすら問題集を解いた。間違った英単語を青いペンで書いてると、たまにゲシュタルト崩壊が起こる。自分が一体、何を書いてるのか分からなくなるんだよね…。


「わっかる~!」

 ミユキちゃんが言った。

「これは何?私は何?ってなるよね…」

「「私は誰?」だろ!」と香ちゃんがツッコむ。

「もう!そういうのぜ~んぶ含めて、わっかんなくなるの!」とミユキちゃんが突っ伏した。

「はい、はい。皆、脳に糖分が足りてな~い。」

 そう言って、早希ちゃんが皆にラムネを配る。

「まぁ、気持ちは分かるわ。ここまでくると、もう何をしていいかも分からなくなるのよね。あんまり思いつめるとノイローゼになるから、たまには気分転換が必要ね。」

「だね~!あ~、どっか遊びに行きたい!」

 香ちゃんが言ったから、言ってみた。

「あ、ならさ!母がくれたスケートリンクの招待券があるんだけど、一緒に行かない?」

「え…?」

「……それは…、ちょっと…。」

 香ちゃんとミユキちゃんが言葉を濁す。

「アイちゃん…。受験生にそのスポーツはちょっと…」と早希ちゃんに言われて、気付いた。

「あぁ!滑ると良くないか!」

 ギロリと向こうの席の男子に睨まれた。

「万が一にでも、転んで怪我したら大変だもんね!」

「…コホン!」と早希ちゃんが咳をして、こっちをじっと見る。

「アイちゃん…。」

 目が怖い。またNGワードを口にしてた。

「ご、ごめんなさい…。」

「悪いけど、私、共通テストを受けるから、その話はまた今度でお願いするわ。」

「…ハイ。」

 しょんぼり。反省。


 NGワードを気にする同級生といるのもなんだか疲れたので、ダメもとで千歳さんをスケートに誘ってみた。いつぞやのストラックアウトは散々だったし、断られる前提だったけど、返って来たのは意外にも『22日の日曜日なら行けますよ』だった。

「えぇぇーー!!?」

 ビックリしたし、喜んだ!ウッキウキで『じゃ、22日の9時に駅集合ね!』って入れたら、『良ければ車を出しますよ』と来たので、お願いしといた。『手袋必須ですからね!』と念を押すメッセージがきたから『了解!』って返した。楽しみだ!


     *****


 約束の22日。

 今日は珍しく母が休みだ。「疲れ切ってるから一日中寝かせて…」と昨晩言ってたので、起こさないようにそっと家を出た。

 スケートリンクは寒いだろうから、裏起毛のスパッツにハーフパンツ。上はヒートテックにもこもこセーターを着てから水色のポンチョを着た。くるっと回ると広がるやつ。それから、クリスマスにもらったストールをリボンの形にして首に巻く。

「うん、かわいい♪」

 かわいいモノは気分をアゲる。手袋はミニリュックに入れた。エレベーターを降りて、マンションのエントランスを出たら、丁度向こうから千歳さんの軽自動車が来るところだった。

「おはよ~!」

 手を振って、駆け寄った。

「おはようございます。今日も寒いですね。」

 助手席に乗り込む。

「今日、付き合ってくれてどうもありがとう。友達には皆、断られちゃってさ~。」

「そりゃそうでしょう…」と千歳さんが苦笑した。

「でも、いいんだ!千歳さんが一緒に行ってくれるもん♪千歳さん、滑れる?」

「まぁそこそこ…。地元が宮城なので。」

「あっ、そうか!」

「有名選手が練習してたスケートリンクで滑った事もありますよ。」

「えぇ~!すごい!」

「別にすごくないです。普通に一般開放されてる時ですので…」

「そ~なんだ。」

 そんな事を話しながら、スケートリンクまでドライブした。


 ちゃんと手袋を持ってるか確認された後に、スケート靴を借りる。

「すみません。ヘルメットとプロテクターもお願いします。」

「え?いらないよ、ダサいし。」

「ダメです。これらを装着しない限り、リンクには出しません。」

「うう…っ!」

 千歳さんの圧に押し切られて、ヘルメットとプロテクターを装備した。防御力は確かに上がった気がするけど、チャームは確実に下がったと思う。

「……。」

 折角かわいい服を着て来たのにな~…。そう思いながら、しっかり靴ひもを締めて、手袋をはめる。千歳さんはもう準備が終わってた。

「立てますか?」

 そう言って、右手をだしてくれたから「うん」と掴んで立ち上がった。スケートリンクに入る。空気が冷たい。冬!って感じ。

「アイさんはどれ位滑れるんです?」

「フツーに滑れる。」

「では、先ずはウォーミングアップに壁沿いをゆっくり滑ってみましょうか?」

「うん。」

 スッと氷の上にスケート靴の歯を滑らせる。シャリッと微かに聞こえる音。人にぶつからないように、ゆっくり滑った。後ろから千歳さんがついてくる。入り口の人混みを抜けたら、千歳さんが隣に来た。

「アイさん、お上手ですね。」

「ありがと!運動神経には自信あるんだ♪」

 褒められたら、悪い気はしない。

「ねぇ、鬼ごっこしようよ!」

「いいですけど、あまりスピードを出すのは無しですよ!」

「分かってる!じゃ、最初は千歳さんが鬼ね!」

「分かりました。十数えてから、追いかけます。」

「うん!」

 滑って、振り向く。千歳さんはリンクの真ん中で止まってた。色とりどりの服を着た人達の中、黒一色で背の高い千歳さんは真っ白なリンクに迷い込んだカラスみたいだ。そのカラスがこっちを向いた。まっすぐこっちに向かって滑って来る。思ってたより、ずっと速かった。

「ほらっ!アイ、捕まえたぞ!」

 左手を右手で捕まれて、笑顔でそう言われた。呼び捨てされた事にビックリして心臓が跳ねた。

「あ…!すみません…。昔、妹と良くやってたもので、つい…」

「い~よ、い~よ!同じ名前だもんね!じゃ、次、千歳さんが逃げる番ね!い~ち、にー…」

 そう言いながらも、ずっとドキドキしてた。呼び捨て…、悪くない!

 千歳さんはなかなか捕まらなかった。身をかわすのが上手い!よしっと思って手を伸ばしても、サッとかわされてしまう。

「うう~!くやし~!!」

 一旦止まって、どうにかして先回りをしてやろうと思った時だった。

「危ないっ!」

 そう声がしていきなり後ろから強く抱き寄せられた。で、そのまま大きく右に方向転換された。

「わ!わわっ!」

 声を上げた左側すれすれを太ったおじさんがすごい勢いで転がって行き、勢いよくリンクの壁に激突した。現場は騒然とした。

「キャー!」

「だ、大丈夫ですか!?」

「…いででで…」

 おじさんが体を起こすが、どうやら、足をひねったようで立ち上がれないらしい。係員が呼ばれてなんだか大騒ぎになった。ぼーっと見てたら 頭上から声が降って来た。

「…帰りましょうか?」

「あ…、うん。」

 そこで、抱きしめたままだった事に気付いた千歳さんがパッと手を離した。

「あ…っ!すっ、すみません!あの方が転んだのが見えて…。あのままではアイさんにぶつかってしまうと思って慌ててたので、つい…!決して!セクハラではありませんので!」

「うん。分かってるから、ダイジョーブ。怪我するとこだった…。守ってくれてありがと。」

「どういたしまして。」

 小さくお辞儀すると、「さ、行きましょう」と出口に向かって滑って行った。後を追う。氷上の空気は冷たくて、さっき背中に感じた温もりは離れた瞬間にあっと言う間に消えてしまったけど、心はあったかかった。自分は千歳さんに大事にされてるんだ、って思えたから。恋人にはなれないかもしれないけど、好きなままでいようと思った。


 スケートリンクを後にして、千歳さんの軽に乗り込む。もう少し遊んでいたかったけど仕方ない。だって、こんなところで怪我したら、元も子もないからね。

「アイさん、お腹すいてませんか?」

 エンジンをかけながら千歳さんが聞いた。

「ちょっとすいた。」

「では。宜しければ、お昼を食べてから帰りませんか?」

「食べる~!」

二つ返事で頷いた。だって、まだ帰りたくない。好きな人と一緒にいたい。

「では、行きましょう。」

 車が走り出す。

「何食べようか?」

「すみません。行きたい店があるので、今日はそこでお願いします。」

「えっ!?そうなの?」

「はい。前々から気になっていて…、一度行ってみたいと思ってた店なんです。」

「へー。何屋さん?」

「シーフードレストランです。アイさんきっとビックリしますよ。」

「なんで?」

「それは…ついてからのお楽しみです。」

 千歳さんが楽しそうに笑った。


 お店に入って、確かにビックリした。だって、店内にフラミンゴがいたんだもん!

「何ここっ!?」

「シーフードレストランですよ。アイさん何食べます?イチオシはピラフみたいですよ。」

「へぇ…」

 メニューを見る。なかなかにアッパーだ。

「あ、言い忘れてましたが、私の奢りなので好きな物を頼んで下さい。」

「え?いいの?」

「はい。スケートのチケットはアイさん持ちだったじゃないですか。」

「あれは、母からもらったヤツだから、実質ただじゃん。」

「まぁ、いいじゃないですか…。私、これでも社会人ですから、未成年にご飯を奢る位は出来るんで、ここは素直にご馳走されて下さい。」

「じゃあ、お言葉に甘えて…」

 メニューをじっくり見る。あんまり外食しないから新鮮だ。イチオシの名物ピラフの上には、カニがどーん!と乗っている。豪勢だ…。でも…、こっちのカニのほぐし身がたっぷり乗ったグラタンも捨てがたい…。だって、秋冬はホワイトソースが美味しい季節だから…!う~ん、悩む…。

「アイさん、お悩みですか?」

「うん…。イチオシも食べてみたいけど、グラタンも捨てがたくて…。」

「分かります。でしたら…、アイさんさえ宜しければ、その二品を頼んでシェアしませんか?」

「いいの!?」

「はい。そうすれば、私も一度に二つのメニューが味わえて、お得です。」

「じゃ、それで!」

「はい。飲み物は何にしますか?」

「えーとね、ホットのミルクティー。」

「分かりました。では…、すみませーん!」

 千歳さんが注文をしてる間、こっちはフラミンゴに釘付けだった。動物園なんて長らく行ってないし、こんなに近くでフラミンゴを見る機会なんて、そうそうない。

「アイさん知ってますか?フラミンゴは元は灰色の鳥らしいですよ。」

「えっ!?そうなの?あんなに赤いのに?」

「えぇ。食べ物によってだんだん赤くなるんだそうです。より赤い方がモテるらしいですよ。」

「へー。そうなんだ?」

「孔雀なんかもそうじゃないですか。派手な羽根の方がモテる。オスはメスの気をひこうと必死なんです。人間と違って、動物はメスよりオスの方が派手なイメージがありますね。」

「そう?」

「えぇ。そうだ、ちょっと前に有職装束の本が出たんですが、これがとても良かったんですよ。カラーの写真が沢山載ってましてね。身分によって着られるものや身に着けられる色が違って――」

 千歳さんの歴史話が始まった。つまんない人にはつまんないんだろうけど、好きな人が好きな事を楽しそうに話してるのを見てるとこっちが幸せになる。千歳さんの話を聞いてると、自分もそれについて知りたいと思う。今は聞いてばかりだけど、もっと知識を身に着けて、いつか対等に話せるようになれたらいいな。

「お待たせいたしました。」

 料理が運ばれてきた。ちょっと恋人っぽいと思いながらシェアして食べた。料理は確かに美味しかった。結構量があったので、満腹になった。

「ご馳走様でした。美味しかったぁ~♪」

「それは良かった。一人だと来づらかったので、アイさんがご一緒してくれて助かりました。」

「そうなの?」

「えぇ…。だって、グールプばかりじゃないですか?ぼっちにはハードルが高過ぎます…。」

 ぐるりと見渡すと確かにそうだった。小さい子がいる家族連れ、映えを狙ってキャーキャー騒いでる学生達に向こうはカップルかな?確かにこの中にお一人様で入って行くのは勇気がいるな…。


 店の外に出た。空気は冷たいが、晴れてて気持ちいい。

「ん~!い~気分!あ~、まだ帰りたくないな~。」

 大きく伸びをして言ったら、千歳さんが言った。

「じゃあ、もう少し遊んで帰りますか?」

「いいの!?」

「えぇ。アイさん、毎日勉強頑張ってるので、たまには息抜きが必要でしょう?」

「やったー!」

 嬉しくって、ジャンプしちゃった。

「どうします?外は寒いんで、ゲーセンにでも行きますか?」

「いいね~!行く行くっ!」

「じゃ、ちょっと待って下さい。検索します…」

 そう言って、軽に乗り込んだ千歳さんがスマホを操作するのを一緒に見た。

「あ、ここから少し行ったショッピングモールの中にあるみたいですけど、そこでいいですか?」

「うんっ。い~よ!」

 ゲーセンに向かう途中、好きなゲームの話をした。

「『アイム愛ドル』ってカードゲーム知ってる?アイドルを目指す女の子の着せ替えゲームなんだけど…」

「あぁ、知ってます。うちの妹もやってました。「ゲーセンで配られる限定カードが欲しいから、お兄もらってきて」と朝早くから並ばされましたね。」

「何それ、扱い酷っ!(笑)うちは母が忙しいから、そういうの行けなかったんだよね~。ほら、小学校の時って、子供だけでゲーセン行くの禁止だったじゃん?限定カード欲しかったな~。」

「あぁ…、小学生はそうですよね。」

「うん。そのゲームで、オシャレを学んだよね~。レア度が高いカードはさ、ゲーム内でのスコアは高いんだけど、普通に着るのはどうなの?ってのが多くて…。ノーマルの服を組み合わせて作ったお気に入りのコーデと似た服を買ってもらって着るのが好きだったな~。」

「あぁ…。今日のアイさんの服装も雪の妖精みたいで可愛らしいですもんね。」

「え?そぉ…?水色好きだから、もらったストールに合わせてみたんだ。」

 可愛らしいって言ってもらえて嬉しかった。ドキドキした。

「何色にするか悩んだんですが、何にでも合わせられる無難な白を選んで正解でしたね。」

「うん、ありがと。気に入ってる。」

 これは…、ちょっといい雰囲気なのでは?千歳さんは息抜きに連れ出してくれてるだけって分かってても、デートみたいって思っちゃうよ…。


 ゲーセンではメダルゲームをやった。最初は買ってもらったメダルを一枚ずつベッドしてたんだけど、「アイさん、どうせならパアッとやりましょう。折角息抜きに来たのに、そんなにちまちま遊んでたら、逆にストレスがたまるでしょう?どっちのコインが先に無くなるか、勝負ですよ」って言われたから、それぞれカップいっぱいのメダルを持って、ハンドルを回してコインを飛ばすのをやった。ものすごい勢いでメダルは減っていくのに、全然敵が倒せない。「もう駄目だー!」って言った時に、急所に当たって敵が倒れた。その瞬間、派手な音楽が鳴って、今まで突っ込んだ以上のメダルが排出口からジャラジャラ出て来た。

「すごーい!!見て!こんなにたくさん!」

 ウッキウキで二つのカップに山盛り入れて、違うゲームに移った。こっちでも、手持ちが無くなりそうな時に積み上げられてたメダルタワーが倒れて、一気に枚数が増えた。

「よっしゃー!!!」

 スカッとした。ガッツポーズ!

「アイさんは土壇場に強いですね。」

 ジャカジャカ排出されるメダルをカップに入れながら千歳さんが言った。

「え?」

「もう駄目だ、って思っても逆転出来たじゃないですか。」

「確かに~。」

「受験も同じです。頑張ってるアイさんなら、きっと大丈夫ですよ。」

 力強く言われた。それが、何よりも力になった。

「うんっ!あともう少し頑張るよ!」

 ぎゅっと力を込めて言ったら、千歳さんが頷いた。

「では、今日はここまでに致しましょう。」

「えーっ!まだ、こんなにメダルあるのに?」

「預かってもらえるから大丈夫ですよ。もう五時過ぎてますし、そろそろ帰る準備をしませんと…」

「え?ウソっ!?もうそんなに時間たった?」

 楽しい時間はあっという間に過ぎる。手を見たら指先が真っ黒になってた。こんなになるまでメダルゲームに興じてたのか…。ショッピングとかして千歳さんともっとお話しすれば良かったな…と項垂れた。

「はい、おしぼりどうぞ。メダルで汚れてますので、これでしっかり拭いて下さい。後でトイレで手を洗った方がいいですよ。」

「はぁい…。」

 文化祭の時もこんな事があった。やっぱり、子供扱いされてるんだな…。

「あ~ぁ…。まだ帰りたくないのに~…」

溜め息をついたら「仕方ないですね」と返ってきた。

「え?」

「小腹が空いたでしょうし、最後におやつのケーキを食べて帰りましょう。それで今日は解散です。甘い物はエネルギーになるので、帰宅したらその分勉強を頑張るんですよ?約束出来ますか?」

「うんっ!」

 大きく頷いて、モール内にあったチェーンのカフェでレモンタルトを食べた。最後にトイレを済ませて戻ったら、「はい」と手提げ袋を渡された。

「なにこれ?」

「お土産のマカロンです。アイさん、お好きでしょう?そこで売ってたので買いました。試験勉強の合間にお母様と食べて下さい。」

「あ、ありがと…。」

 前に好きって言ったのを覚えててくれたんだ。じんわりと心があったかくなる。

「千歳さん。」

「なんですか?」

「好き。」

「……。さ、今度こそ帰りますよ。」

 聞き流されたけど、今日は否定されなかった。くるりと背を向けて前を歩く千歳さんの耳が少し赤く見えるのは、モール内の暖房がききすぎてるせい?違うといいな。

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