5.空白の五年間
受け付けの列から離れ、ボビンさんと二人で椅子に腰を降ろす。木製の丸テーブルに肘を掛けつつ、語り合いが始まった。
「神託の剣が魔王を倒したのは、今から五年程前だ。魔王は強かったが、神託の剣は更に強かった。彼らは苦戦を強いられながらも、遂に魔王を討伐した」
「五年前ってことは、あの後すぐか……」
「ん、あの後って何のことだ?」
「い、いや、別に何でも。それよりボビンさん、何か食べる物持ってませんか。さっきから、お腹が減っちゃって仕方ないんです」
「そうか。オレもなんだか腹が減ってきたな。よし、豪勢な酒と料理を注文しよう。オレの奢りでな」
「そ、そんなっ、別にいいですよ。何か軽くつまめる物があれば、ボクはそれで!」
「遠慮するなっての。ギルドに来るってことは金を持ってないんだろ?オレがここにいるうちに、食えるだけ飯を食っとけ」
「すみません。何とお礼を言っていいか。本当にありがとうございます。ボビンさん!」
「いいってことよ。厳しい世の中だ。お互いに助け合って行こうぜ」
自分の暮らしだって大変なはずなのに、ボクを見かねて助けてくれる。何ていい人なんだ。
「お待たせ致しました〜」
「おっ、来た来た」
「わ〜、美味しそう!」
ここのギルドは料理店も兼ねているらしい。注文後すぐに温かい料理が運ばれてきた。
ボビンさんは塩がまぶされた熱々の手羽先を口いっぱいに頬張りながら、先程の続きを始める。
「それでな。はふっ、はもっ、魔王を討伐したまではよかったんだがよ。問題はその後だ」
「何があったんですか?もぐっ、はふ」
「さっきも言ったろ。魔物が絶滅したんだ」
「えーっと。魔王が死んだことと、魔物が絶滅したことには、何の関係があるんですか?」
「そうだな、まずは説明を聴け。大気中の魔素が少しずつ動物の体内に蓄積され、身体に影響を与える。その結果、生まれるのが魔物だ。わかるな?」
「はい、わかります」
「だが、その一方で大気中の魔素が生物に与える影響は殆ど無いんじゃねえか、とも言われていた」
「それはボクも聞いたことがあります。動物は魔物に変異することがあるけど、だからと言ってボクやボビンさんが魔物に変異することはない」
「おうよ。魔素は人間には影響を与えないが、動物には与えるっつーのが、俗説だった」
「だけど。それは間違いだった……?」
「そういうことだ。本当は魔王が動物達を、特殊な魔法で魔物に変えてやがったんだ」
「動物を魔物に変える!?できるんですか!?」
「できたんだろうよ。魔王には」
言い捨て、ボビンさんはビールのジョッキをぐいっと飲み干した。
「魔王が動物に、特殊な魔法をかける。魔法をかけられた動物は、魔物に変異する。魔物達は魔王の手先となり、人を殺し、土地や食い物を奪い、他の魔物と交配して、子孫をつくる……」
「なるほど。そうして奴らは、何百年もかけて増えていったんですね」
「そうだ。しかし魔物達の命は、その特殊な魔法を通じて、魔王の命と直結していたらしいんだ。だから魔王が死んだ後、魔物達も全部滅んじまった」
「魔物が滅んだなんて、信じられませんね……」
ボビンはまた酒を呷った。目元には涙の粒が浮かんでいる。
「誰も事態を予想できなかった……その結果、たった五年間で、ゴブリンも、オークも、コバルトも、サキュバスも、ドラゴンも、スライムも、スケルトンも、この世界で暮らしていた魔物達の殆どが、絶滅しちまったんだ!」
「それが全て絶滅したんですか。本当に!?」
「おうよ。お前にこの寂しさがわかるか!?あんなに忌々しかった奴らが、今では恋しくてたまらねぇ!」
「ちょっとボビンさん、店の中だから静かにっ!」
「おーい、スライムたあああん!何処に行っちまったんだよおおおお。沢山殺しちゃってごめんよお。会いてえよお……」
ボビンさんは、机にしがみついてワンワン泣いている。見かねた受け付けのお姉さんが駆け寄ってきた。
「もうっ、ボビンさんったら世話が焼けるんだから」
「お姉さん。受付は?」
「見てらんないんだもん。他の人に任せました」
お姉さんは酔い潰れているボビンさんに、厚手の毛布をかける。
「ああ、スカル、ジュディ、ラアス、エリザベロ、オルバド、マックス、ケスラ、アントン、ミナ……」
「寝ながら、何か言ってますね」
「昔の仲間の名前ね。彼、今は一人ぼっちだから」
魔物が絶滅したことで仕事が激減し、仲間達も次々と引退していったのだと推測できる。
「仲間達が皆んな引退して、稼ぎも出ないのに、どうしてボビンさんは、この仕事に拘るんだろう」
「う〜ん。それはボビンさんが冒険者って職業が好きだからでしょうね。好きっていうか、大好きだから」
お姉さんはボビンさんを眺め、寂しげに語る。
「五年前のあの日。魔王が死んで、魔物の殆どが絶滅した。仲間達が次々と引退して、冒険者って職業は半ば形骸化した……それでも、ボビンさんはちゃんとここにいる」
「何だか、格好いいですね。職人気質の男って感じがして、尊敬します」
「そう。あの姿を見ても?」
酔い潰れ、机を抱きしめながら眠るボビンさんを指差して、お姉さんは悪戯っぽく微笑んだ。
「言えます。ボビンさんは格好よくて、優しい人だと思います。見ず知らずのボクに、美味しいご飯を奢ってくれたし!」
「ふふっ。まあ、見てると安心はするよね。だって、皆んな変わっていっちゃうんだもん。時間の経過と共に、人も、物も、価値観も、何もかも……」
眉間に皺を寄せるお姉さん。突然ボクのおでこをぴんっとはねた。
「いった〜。何でデコピンしたんですか!?」
「気まぐれ」
「気まぐれー?」
お姉さんは痛がるボクを見て、快活に笑った。
「だからかなぁ……いつまでも変わらない人を見てると、私は安心するんだ」
ぽつりと呟いたその言葉が、お姉さんが未だにここで受付係をしている理由なのだろうと感じた。
「よし。やーめた」
「やめるって、何をですか?」
「仕事をやめるのをやめる」
「仕事をやめるんですか!」
「ううん。仕事をやめるのを、やめるってこと」
「ややこしいですね」
「そうだね」
お姉さんは爽やかに笑った。デコピンは痛かったけれど、ボクも彼女の意見に概ね賛成だ。
物事は常に進歩し、古臭い価値観は淘汰される世の中だが、時間に置いてけぼりにされたような人や場所があっても、いいじゃないか。
「……お姉さん、最後にもう一度訊いていいですか」
「さっきの続き?」
「そうです。神託の剣について、他に何か知りませんか。どんなことでもいいんです。パーティーメンバー達が今どこにいるのか、とか」
「目的は何。恨みつらみ?」
「それは言えません。だけど、大事なことです」
お姉さんは、盛大な溜め息をつく。
「私の知ってることは全部教えた。後は何もわからない。他に伝えられることといったら、その辺で聴いた怪しい噂くらいしか……」
「怪しい噂って何ですか!詳しく!」
「落ち着いて、マルコ。ただの噂だよ?」
「ただの噂でもいいんです。教えてください!」
アレキサンドル達のことなら、噂でもなんでも知っておきたい。どうせ行くあてなんかないんだ。
「ここから南東へ行ったところに、迷わせの森って場所がある。森の一角には立派な洋館が立っているらしいの。そこで太古の剣のメンバー、賢者イザベラがひっそりと暮らしているって噂が……」
「わかりました。早速行ってきます!」
「ダメ!」
がしっと腕を掴んで、お姉さんはボクをとめた。
「迷わせの森は熟練の冒険者でも、迷うことがあるんだから。マルコが入ったら一生出てこられない!」
「覚悟の上です!」
「ダメだってば!詳しい場所もわからないのに、広大な森の中から、ちっぽけな洋館を一体どうやって見つけだすつもり?」
「それはその、冒険者の勘で何とか!」
「マルコは今日冒険者になったばかりでしょ!こんな話、ビギナーを騙す為に誰かが作った、悪質なガセネタに決まってるんだから」
「び、ビギナーじゃありません。ボクだって昔は、冒険者としてブイブイ言わせてたんですもん。迷わせの森には、絶対に行きます!」
「ダメ!」
「行くったら、行く!離してください。ボクはどうしても行かなくちゃならない。これはボクにとって、命より大事なことなんです!」
「命より大事なことなんてないよ!貴方が例え五千回行くって言っても、私は五千一回ダメって言うんだからね!」
「それならボクは、五千ニ回行くって言います!」
「このわからずや!」
ボク達の言い争う声で目が覚めたらしい。ボビンさんがゆっくりと顔を上げた。
「あっ、ボビンさん。目を覚ましたんですね。お姉さんを説得するので、手伝ってください!」
「ボビンさん。一人で迷わせの森に行くなんて愚かだと思わない!?熟練冒険者として彼に的確なアドバイスをどうかお願い!」
ボビンさんは一言、呟いた。
「オレも……行く」
その表情は、憤怒やら哀愁やら後悔やらが混じり合った複雑なものだった。ボクもお姉さんも、それ以上は彼に何も言えなかった。
◇
翌日の朝、ボク達は迷わせの森へと足を踏み入れた。森の中は薄暗くて、異様なくらい不気味だ。
獣もいるし風も吹いているはずなのに、辺りからは物音が殆ど聴こえない。本当に気味が悪い場所だ。
熟練の冒険者でさえ、迷うことがあると言われている迷わせの森だが、流石はボビンさんだった。
獣が襲ってきたら簡単に倒してくれるし、森の歩き方にも慣れている。更には目的の場所へ行く方法も簡単にわかるというのだから恐れ入った。そして、
「やっと着いた……!」
「まさか本当にあるとはな」
ようやく洋館に辿り着いたときには、既に日がどっぷりと暮れていた。
「ボビンさんがいなかったら、洋館に辿り着けなかったと思います。ありがとうございました!」
「いいってことよ。オレもお前がそばにいてくれたおかげで心強かったぜ」
「いえいえ、ボクなんて全然です!ボビンさんって凄いんですね。一度も行ったことがない洋館の場所を詳しく特定できるなんて……」
「なあに。昔習ったダウジングって技術を応用しただけのことよ」
ボビンさんはボクが思っていたより、ずっと凄い人物だった。等級でいうとA級と呼ばれる一流冒険者に分類されてもおかしくはない。
プレート制度が廃止され、冒険者等級という概念が形骸化した今となっては、この表現の仕方も伝わりづらいのだろうが。
「そんじゃ、行くぜ!」
「はい!」
ボク達は互いに頷き合い、洋館に向けて一歩を踏み出した。