25.親と息子
「さあ、お主よ。選ぶがよい。儂と共に世界を魔物で埋め尽くすか。世界の滅亡を黙って見守るか……」
魔王は不敵に笑いながら、そう言った。
ずっと、人間側につくか、魔物側につくかで決めあぐね、遂には自身の人格を分離させるまでに至ったボクだったが、この返答に迷うことはなかった。
「魔王。答えが決まったぞ」
「ほおう、そうか。思ったより決断が早かったのう」
「そりゃそうだろう。選択肢なんて、いくらこのボクだって、世界の滅亡なんて望んじゃいない」
「なるほど。ということは、お主は儂の作戦に加担するということでいいんじゃな?」
「ああ。そうだ。魔王よ。ボクと共に、世界を魔物で埋め尽くしましょう」
「おう、よく言ったぞ!」
魔王は手を叩いて喜んだ。ボクとしては不本意なところなのだが、仕方がないだろう。
世界を魔物で埋め尽くすなどという、いけ好かない行為に労力を費やしたくはないが、これも人類の滅亡を防ぐ為だ。
「流石は儂の息子じゃ。どんなに性格が変わっても心は通じ合えると、儂は信じておったぞ〜!」
まただ。
『流石は、儂の息子じゃ』
魔王は、自分が一番偉いと信じてる。
だから、自分の息子であるボクも偉いと信じて疑わない。
だが、ボクはボクだ。
魔王の息子だとか、そんなの関係ない。
ボクは魔王の付随品じゃないんだ。
「遂に計画が動き始めたのじゃ。オヴロがいれば百人力じゃわい。クックックッ、一時はどうなることかと思ったが。儂の夢は、着実に歩みを進めておる」
魔王は黒く染まった夢を想起し、ほくそ笑む。
「人間共よ。あのときは、よくもやってくれたな。これは儂の復讐でもあるんじゃ。今に見ておれ。地上を魔物で埋め尽くしてやるぞ。殺す、殺す、全て殺してやる。人間共の領土を真っ赤に染め上げてや……」
ボクは徐に魔王の肩を叩く。魔王は突然に肩を叩かれて驚いたのか、全身にビクッと震えを走らせた。
「な、何じゃ。オヴロよ!?」
「人間を殺すことが目的なのか」
「え?」
「魔王は、やはり人間の敵か」
「そ、それは!そのう。あう、うっ、こほん」
狼狽の末、小さな咳払いを一つ。魔王は慌てて、先程ぽろっと呟いた独り言の弁明へと移る。
「さっきも言ったじゃろうが。世界の均衡を保つ為には、昔のように魔物達を創り出し、各地に広めるしかないのじゃ。全ては、食物連鎖の崩壊を防ぐ為に必要なことなのじゃ」
「では、人間を殺すことが目的ではないのだな」
「も、勿論じゃ!儂達がこれから行おうとしているのは、世界平和の活動じゃ。しかしまあ、創り出された魔物達によって、人間共が殺害されるということもあるじゃろうが……」
額から脂汗を滴らせながら、魔王は欲望を必死に隠蔽し、ボクに動揺を悟られまいと苦心する。
「しかし、それは必要な犠牲なのじゃ!世界が滅亡することに比べたら、人間の命の一つや二つ、安いものじゃろうて!」
「そうか」
嘘だ。魔王は嘘を言っている。魔王が世界平和など企てるはずがない。恐らくは、人間達を大量に虐殺することしか頭にないんだ。
自然界の崩壊諸々の話は本当だろうが、それはあくまで大義名分。本心では、女子供問わず一人でも多くの人間を、殺したいと願っているに違いない。
ならば、ボクはどうするのが正解だろうか?刹那思考した後、ボクは成すべきことを定めた。
このまま魔王を野放しにしておけば、必ず想定以上の犠牲者が出る。だから、とめなければならない。
「どうした。オヴロ?」
「魔王よ。ボクは決めたぞ」
「オヴロ、これは何の真似じゃ……どうして儂の首に両手で触れる?妙な冗談はよすのじゃ」
「魔王よ――死んでくれ!」
困惑する魔王を尻目に、その柔く小さな首を、ボクは自らの両手で、力強く締め上げた。
「ぐ、ぐうううっ!な、何をっ……お、お主っ!自分が何をやっとるか、わかっておるのか!」
「わかっている」
「だったら!今すぐっ、この手を離せ!」
「断る」
「くっ、ぐうううっ、三度も、言わせるなよ!魔物を創り出し、広めなければ!この世界は、崩壊するのじゃぞ!儂の話をちゃんと聞いておらんかったのか!」
「ちゃんと聞いていた。要は、魔物達を創り出し、この世界の各地に再び広めればいいんだろう?」
ボクはニヤリと笑って、こう言った。
「ならば、その役目。ボクが引き受けよう」
「なっ、何ぃ……っ!」
ボクの発言により、魔王の目は驚愕に開かれる。
「ボクが新たな魔王となり、その仕事を引き受けることにする。だから貴方は安心して、くたばってくれて構わない」
「ふんっ、何を馬鹿なことを!お主が、魔物を創造する魔法が、使えないことくらいっ、よ〜く知っておるわ!お主に儂の後釜は務まらん!」
「ククッ、ククククク」
「おいっ、聞いておるのか。わかったら、笑ってないでっ、さっさと、その手を緩めるのじゃ!今なら、血の繋がりに免じて、特別に許してやる、からっ!」
「確かにアナタは、特殊な魔法を使う。ボクはアナタに憧れて修練を繰り返したが、結局、使いこなせない魔法が何個かあった。魔物を創造する魔法も、その内の一つだった」
「そうじゃろう!だったら、早く、手を!」
「詠唱、術式、発生法、声音、その全てをアナタそっくりに真似たが、それでもできなかった。だからボクはこう考えたんだ」
一呼吸置き、ボクは思いついた仮説を提唱する。
「魔王の発する特殊魔法は、上記以外の要素。つまり魔力の根源か、肉体か、魂。そのいずれかに起因すると。どうだろう、ボクの推理は正解か?」
「ち、違うのじゃあ!お主の考えは、絶対に、間違っておる。断じて、不正解、なんじゃあ!」
「ほおう。釈然としない返答だな。だったら、いっそのこと試してみるか」
「お主、何をするつもりじゃ!?」
「アナタの身体を、ボクが食べる。そうすれば、ボクの肉体に貴方の力が取り込まれ、ボクにも魔王の特殊な魔法が使えるようになるだろう」
「ふんっ、無駄じゃ。そんなことをしたって、意味はないぞ。逆に内側から、お主の身体を乗っ取ってやるわ!あの治癒師の女のようにな!」
「ボクとマイアを一緒にするなよ。彼女とボクとではレベルが違う。それに、全盛期の貴方にならまだしも、力の衰えた今の貴方に負ける道理はない」
ボクが挑戦的に笑ってそう言った。魔王は目に涙を浮かべ、啖呵をきる。
「くっ、息子が親に勝てるものか!」
「そう思うのなら、早くボクの手を振りほどいたらどうだ。急がないと、首が締まり切ってしまうぞ?」
「くそう。こんなもの今すぐに、ほどいてやるわ!」
魔王はボクの手を掴んで、じたばたと暴れる。だが、ボクの両手が振りほどかれる瞬間は、一向に訪れない。
力の差は歴然だった。今の魔王は、十歳の少女に毛が生えた程度の腕力しかない。
例え魔法で勝負したとしても、単純な魔力総量の差で、ボクが勝ってしまうだろう。
「やめるのじゃ、お主の理論は間違っておる……」
「いいや。ボクの理論は恐らく正しい。ボクが間違えるはずがないんだ。何故なら、ボクは」
憎悪の眼差しで睨み、吐き捨てるように言った。
「魔王の息子なのだから」
「オヴロ、お主……」
魔王の目に、真珠のような涙が浮かんだ。
「アナタによる、血の束縛をここで断つ。ボクは魔王を殺してやっと自由になれるんだ」
「ああ……すまなかった!オヴロよ、儂が間違っておったようじゃ。だからっ、どうか、お願いじゃ。この手を離しておくれ!」
「断る」
言い捨て、ボクは魔王の肩口に喰らい付く。歯を食いしばり、肩の肉を噛み千切った。途端に群青色の血が乱舞し、少女の慟哭が辺りに響き渡る。
「があああああっ!」
「その名前で、ボクを呼ぶな!」
「嫌じゃ。オヴロ。ああオヴロ。あああああっ!」
「何もかも終わりだ。ボクはアナタを否定して、アナタから生まれた自分をも否定する。そうして」
「ああ、オヴロ。どうか、やめておくれ!」
「オヴロでも、ジャックでもない。紛い物でない本当の自分にボクはなるんだ!」
左側の肩にも食らいつき、青々とした鮮血を辺りに撒き散らす。唇に付着した血を、ペッと吐き飛ばす。
「魔王、これで終わりだ」
「オヴロ、聞いておくれ……お主はな、儂の大切な息子なんじゃ。それだけは確かなことじゃ。暗い洞窟の中で、お主が産まれた日のことを、儂はかたときも忘れたことがない」
「まだ言うか!」
誰のせいでこうなったと思っているのか。思い違いも甚だしい。人間でも魔物でもない中途半端な存在にボクを作ったのは、他ならぬアナタじゃないか。
「堕ちたな、魔王。アナタ程の方が虚言を並べ立ててまで、現世に執着するつもりか」
「違う。違う。オヴロ、そうじゃないんじゃ……」
「うるさい。ボクのことをオヴロと呼ぶな!息子と呼ぶな!」
「ううっ、がああああああっ!」
内臓を突き破っても、まだ魔王は生きていた。力はかなり衰えているはずなのに、この生命力だ。魔王の
ポテンシャルには驚かされる。
「……すまない。今まで、本当にすまなかった。お詫びに儂のことは、いくら憎んだっていい。お主になら殺されたって構わないのじゃ。だから、血の繋がりを否定するのだけはやめておくれ!」
「急に何を言っているんだ」
「……儂にはわかったよ。もう、いいのじゃ」
複雑な気持ちになった。あれだけの野心家だった魔王が、自分から殺されてもいいと言い出した。魔王の心境に一体、どんな変化があったというのか。
「殺されてもいいというのなら、望み通りそうしてやろう。死ね、魔王!」
「がああああああ」
がつがつ。もぐっ、もぐっ、もぐ。
「ぬうう、ぐっ。うううっ、ぐあああああああ!」
しゃくしゃくっ、ばりっ、ぼりばりぼり。
「らあああああ、ごおおおお、いい、あああ、ぎゃあああああっ!」
柔らかな肉を喰らい、骨を砕き、薄い内臓を強引に突き破り、しゃぶる。
首だけを残して、魔王の身体は殆ど失われた。だが恐るべきことに、首だけになってもまだ魔王は、意識を微かにして生きていた。
「驚いた。流石の生存能力だな。魔王よ」
「不思議な、ものじゃのう……お主の中に、少しずつ儂の魂が、入っていく」
「今回はマイアのようにはいかないぞ。今度こそアナタは確実に死ぬ」
「そうかい。ああ、愛しの息子よ。今は何故か、気分がいい……」
ボクの方を垣間見て、魔王は邪気のない眼差しを見せた。口元を綻ばせながら、最期にこう言った。
「すまなかった。儂はずっとお主を愛しておる」
「そうか」
ボクは近づき、魔王の生首を持ち上げた。徐にその小さな額に噛み付く。音を立てながら、ゆっくりと咀嚼して、少しずつ腹の中に収めていった……。
魔王はボクが平らげた。最後に残ったのは僅かなカスだけで、魔王は今度こそ、完璧に死んだ。
「今更、謝られたって……遅いだろう」
口元を濡らす青い血を手の甲で拭いながら、ボクは誰に言うでもなく、静かに呟く。
「アナタはもう死んだ。だからこの話はこれで終わりだ。過ぎた時間は、取り戻せないものだから。どうしようもなかったと開き直って、明日の方向に進むしかない」
切ない語りとは裏腹に、ボクの身体は未だかつてないほど活性化していた。未知の魔力がむくむくと溢れてくる。やはりボクの仮説は的中していた。
「これが魔王の感覚。ボクの考えは当たっていた。やはり、そうだったのだな」
ボクは手をかざし、
「どおれ、試してみるか」
ずっと昔覚えた詠唱を発しながら、直近に生えている雑草に魔法を掛けてみる。
途端、雑草はゆらゆらと動いた。老人のようなうめき声を発しながら、身体を揺らす。
葉脈から眼球が発露し、茎から人間の腕に似たものが、ニョキニョキと生えてきた。
「ふふっ、成功だ」
魔物を創り出す能力を手に入れた。これから成すことも決まっている。自然界の崩壊を防ぐ為、この能力を使って、魔物達を世界に広めるのだ。