2.牢獄
牢獄での暮らしは、地獄そのものだ。夏は極度に蒸し暑く、冬は極度に寒い。
おまけに、ボクがいるのは重罪人のみが投獄される地下牢獄最下層の一角だ。ここには一筋の日の光さえ届くことはない。
娯楽や休日などあるはずもなく、話相手といえば決まった時間に見回りに来る、衛兵くらいのものだ。
「ああ……ううっ……いいい」
辺りは常に暗くて、配給された囚人服は、酷く擦り切れていた。折檻で受けた背中の傷が、今もズキズキと痛みを訴えかけてくる。
「おい、何を寝転がっている」
「……んう」
「しっかりしろよ。さっさと起き上がれ!」
「はっ、はい。す、すみません!何しろ身体中の傷が痛むものですから。本当にすみません!」
慌てて姿勢を正す。見ると、檻の前に一人の男が立っていた。歳は二十代半ばくらいだろうか。
「お前が、ジャックだな」
「…………貴方は?」
「今日から、ここの世話係になった者だ」
「ああ。新しい衛兵さんですか」
一見すると品のよさそうな男だ。けれど、彼の目付きや佇まいからは、どことなくこちらを嘲弄しているような雰囲気を感じる。
「ジャックです。今日からよろしく」
「よろしく、だぁ?」
衛兵は豹変。檻を勢いよく蹴飛ばした。
「よろしくお願い致します、だろうがっ!」
「す、すみません。よろしくお願い致します!」
「ふんっ、それでいい。言っとくが、俺達はお友達じゃねえんだ。衛兵と罪人の間には、明確な上下関係がある。言葉遣いには注意しろよ。頭のイカれた大量殺人犯が」
「……はあ、わかりました」
「小さい返事だな。そんなに折檻を受けたいか?」
「い、嫌です。折檻はやめてっ!わ、わかりました。はいっ、はいっ!」
「ひひっ、それでいい。明日からは注意される前に気をつけておくように!」
「はいっ!」
衛兵達は基本的にボクらのことを見下している。こんなやりとりは日常茶飯事だ。
「で、でもボク、本当は無実なんです。衛兵さんどうか信じてくださいませんか?」
「黙れ。誰がそんな言葉に騙されるか。罪状の軽い重いに限らず、罪人は全員そう言うんだよ」
「本当なんです!本当の本当にボクは無実なんです!詳しく調べてもらえばわかります!」
「詳しく調べてもらえば、ねぇ。実はだな、俺達衛兵には罪人の情報を集めたデータが前もって渡されるんだが。それによるとお前は……どれどれ」
衛兵は手に持った紙束をぺらぺらと捲った。
「ジャック。現在二十歳前後、出生地不明。金髪碧眼で細めの体型で、兵役経験等は無し」
「その通りです」
「幼い頃から料理人として、方々の厨房で働いていた一方、頻繁に殺人行為を行なっていた。被害者数は生存者も合わせて約百人以上。ある被害者を殺害後に朝食を取っていたところを捕まった、とある」
「ほらそこ、変じゃないですか!」
「どこがだ?」
何とかして釈放を申請するべく、ボクは新人の衛兵さんに身の潔白を主張した。
「ボクは本当に無能な人間なんです。剣も魔法も使えないんだ!それなのに幼い頃から殺人をしていたなんて、百人以上も殺害しただなんて、どう考えても不自然でしょう!」
「う〜む、しかしだな」
衛兵はボクの言葉に一切動じることなく、自らの考えを展開する。
「一見すると大人しそうに見える奴が、実は裏で凶悪な犯罪行為に手を染めていたという事例は、いくつもある」
「ボクは違います。本当に善良な人間なんです!」
「口では何とでも言える。狂人は自分の本性を隠すために、善良で平凡な人間に成りすまして、世間に溶け込むものだ」
「そんなの詭弁だ!じゃあ貴方はどうなんですか!」
説の穴を突くべく、ボクは必死に責め立てた。
「自分が一点の曇りもなく、善良な人間だと他人に証明できるんですか!」
ボクの方を見つめ、衛兵は一言呟く。
「俺か。俺は平凡だが、善良ではねぇな」
「なんだって……!」
「ぷぷっ、くくっ、もう我慢できねぇ……ぷぷっ、ぎゃはははははははははっ!」
衛兵はまるで人が変わったように、けたたましい笑い声を上げはじめる。
「善良だったら、衛兵なんてやらねえだろバアアアアカ!檻の中で喚く罪人を眺めて、嘲笑うのが俺の趣味なのさ。全く、お前を見てると腹が痛くてしょうがねえ。ぶっははははははははっ!」
怒りで拳を握りしめる。彼に期待したボクが馬鹿だった。衛兵って奴は、結局皆んなこうなんだ!
「ジャック、オメエは屠殺される直前のブタみてえだなあ!檻の中で喚き散らしやがって、ぶひぶひぶひぶひ!みっともねえ!ゴミ同然の腐れ脳味噌が!ぶっはははははは!」
「ふざけるな。人間に使っていい言葉じゃない!」
「だ〜から、ここにいる時点で人間以下なんだよオメエは!暗い檻の中で、しょうもねえ死に方しかできねえ、ゴミから始まってゴミで終わるゴミゴミ生物さ!ぶはははははっ!」
最低な人間だ。ボクなんかより、何十倍も性格が悪いじゃないか。
彼が衛兵で、ボクが罪人。こいつが檻の外で幸せに暮らしている間、ボクは檻の中でずっと苦しみ続けている。何故だ。納得できない。世の中間違ってる!
「……つまりなあ、ジャック。根っこの部分は皆んな一緒なのさ。一点の曇りもなく善良な人間なんて、この世に存在しねえ。お前は運や環境が悪かった。だから檻の中にいるんだよ!」
「人生は運や環境で全てが決まると言うんですか。運や環境次第で、ボク達の立場が入れ替わっていた可能性だってあるというんですか!」
「まあ、可能性としてはあるんじゃねえの?ぶっははははははは!」
彼は高笑いを上げながら、来た道を引き返していった。衛兵っていうのは、性格が悪い人ばかりだな、とボクは改めて認識した。
◇
見回りの時間になると、衛兵は再び現れた。
「よう、ジャック」
「あ……衛兵さん」
「飯を運んできてやったぞ。受け取れ」
「はい。ああ、もうそんな時間なんですね。どうもありがとうございます」
衛兵は小ドアの鍵を開け、そこから夕食の乗ったトレイを渡してきた。
ボクはトレイを受け取る。それで用は済んだだろうに、衛兵は依然として檻の前に張り付き、ボクに向かって話しかけてくる。
「へいジャック。今朝は、ボクは無実だ〜っ、とか言って泣き喚いていたよな。その話、俺に詳しく聞かせてみろよ」
「えっ、ボクの話を信じてくれるんですか!?」
「バーカ。誰がイカレ犯罪者の言うことなんか信じるかよ。単なる暇つぶしに決まってんだろうが!」
「そうですか……それでも、衛兵さんに話を聴いていただけるだけで、ボクは光栄です。どうも、ありがとうございます」
「うむ、いい態度である。今のお前は重罪人なんだからな。話を訊いてもらえるだけでも感謝しろよ」
かさついたパンをスープに浸し、少しずつ口に嚙み入れながら、ボクは衛兵にことのあらましを語った。
アレキサンドルに追放を言い渡されたこと。困惑のままパーティーを追い出されたこと。そして、昼食を食べているときに、冤罪で確保されたときのことを。
「――パーティーから追放された後に、やってもいない大量殺人の罪でいきなり捕まって、それでこの地下牢の中に収容されたんです」
「おい、ジャックよお……その話本当なのか?」
「全て事実ですよ。残念ながら、ね」
ボクが話を終えると、衛兵は手で顔を覆った。そのままの状態で、そっと視線を落とす。
彼は声を出さずに、両肩をぷるぷると震わせ始めた。ああ、何だ。衛兵さんにも人間らしい温かな感情あったのか……。
衛兵さんはボクに、同情の涙を流してくれている。それを見られまいとして、手で顔を隠しているんだ。彼にもいいところがあるんだな、と感じた次の瞬間。
「ぶはははははははははっ!」
衛兵は腹を抱えて、笑いはじめた。
「ぶははははははっ!お前、面白え奴だなぁ!こ、ここ、これが喜劇なら傑作だぜーっ!ひーひーっ!」
「……あれ、泣いてない。笑っている。何で、どうして、笑ってるんですか?」
「ぎゃはははははははっ!お前もう喋んな!は、は、は、腹が痛てーっ!窒息死させるつもりか!流石、大量殺人の罪名は伊達じゃねえぜえええええ!」
「衛兵さん。どうして、笑ってるんですか!?」
「ひーっひーっひー、どうせ作り話か、妄想だろうがそれにしたって……ぶふっ、ぎゃははははは!つ、つつ、壺に入っちまったぜーっ!ぶははははははっ!」
「さっきから何がおかしいんですか。いい加減ボクにも教えてくださいよ!」
ひとしきり笑った後、衛兵は語り始めた。
「まだわかんねえのか。裏切られたのさ、お前は」
「裏切られた、ボクがですか?一体誰に?」
「パーティーメンバーにだよ!仲間だと思ってた奴らに嵌められてたってこと。ぶははははははははっ!」
「……貴方は何を言っているんだ。タチの悪い冗談はよしてください!」
「冗談じゃねーよ!逆になんでわかんねーんだ!?罪人ってのは、ホントにおめでたい脳味噌の構造してやがるんだなあ!やっぱりゴミだわ!」
つまり、ボクは皆んなに騙された……ってこと?
いやいや、何かの間違いだろう。確かに別れの日だけ切り取って見れば、皆んなはボクに冷たかった。
だけど、それが全てじゃない。冒険の記録や優しかった仲間達との思い出は本物なんだ。そんな皆んながボクを騙しただなんて。
「えっ、あの〜すまん。もしかしてお前、今までずーっと信じてたのか?自分を追放した仲間のことを?」
今だって、信じてる。
ボクは騙されてなんかない。
「笑えるわあああ!本っ当にバカな奴だぜえ!はあああい、実際は仲間に裏切られていたのでしたー!人生の貴重な五年間を棒に降るってどんな気分ー?」
嘘だ。嘘だ。嘘だ。こいつは嘘を言っている。ボクを騙そうとしているのは、こいつの方だ!
「いや本当にザマァねぇなあああ!今更気づいても遅せーんだよ!復讐なんて計画しても無駄でーす!何故なら無能なオメエは今檻の中だからなああああっ!」
嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。