17.ゴブリンの巣穴
アレキサンドルとイザベラは、ゴブリン達が生息していると思われる洞窟へと足を運ぶ。
相手が例えゴブリンといえど、力量を誤ってはならない。アレキサンドルは聖剣を抜き構え、イザベラは杖を前方へ構え、目的地まで疾走する。
「ジャックの奴、無事だといいんだがな……っ!」
「期待しない方がいいわ。ゴブリンの巣に連れていかれて、弱いジャックが無事に帰ってこられると思えないもの」
「イザベラ、今は非常事態なんだぞ。くだらない発言はよせ!」
アレキサンドルに注意され、イザベラは拗ねる。誤解のないよう、彼女はその後に続く言葉を繋げる。
「くだらないって何?単なる事実でしょ。現実は甘くないんだから、最悪の想定をしとかないと駄目だって言ってんの」
「おいおい、最悪の想定って何だよ。オレ達の応戦が間に合わず、ジャックの腕が二、三本折れるとでもいうのか?」
アレキサンドルの速度が、無意識に早まる。彼に遅れを取るまいと、イザベラも小さな肩を弾ませ、懸命に脚を動かす。
「腕の二、三本で済めば、まだラッキーな方。最悪の場合、ゴブリン達に惨殺されるかもしれない!」
「くっ……そんなことはさせない。オレ達は今まで上手くやってきたんだ。こんな半端な場所で、ジャックを死なせたりはしない!」
仲間の死、という名の最悪の結末が、彼らの念頭に浮上した。
その漠然とした予感は焦燥を生み、更に怒りの感情となって勃発する。
「どこまでも楽観的ね。昨日無事だったから、今日も無事とは限らない。おとぎ話の世界じゃない。アタシ達はきちんと現実を生きる、冒険者なのよ!」
「……わ、わかってる。そんなことはオレだってわかってるよ!お前に言われなくたってさ!」
ジャックが集団の輪から外れたことなど、今まで一度もなかったのだ。彼には戦闘能力がない。
イザベラの言う通り、洞窟の中にいるゴブリン達に惨殺されるかもしれない。
もしそうなったら、どうすればいいんだ。このオレに何ができる……アレキサンドルの脳内に、パーティー離散の妄想が思い浮かぶ。
「どうすれば、オレはどうすれば、どうすれば……」
「アレキサンドル、しっかり!」
「はっ」
焦り悩むアレキサンドルに、イザベラは大声で呼びかけた。彼の思考は咄嗟に外の世界へ引き戻される。
「す、すまん。頭の中が混乱して、つい」
「……いや、いいの。今のは完全にアタシのせいだから。何だか焦ってるみたい。責めるようなことを言って、ごめんなさい」
「謝らなくていいさ。イザベラの言いたいことはわかる。熱血は大事だが、オレはリーダーだからな。冷静じゃないと駄目だ」
「そうね。ましてや、ここで喧嘩なんてよくないわよね。アンタに忠告するつもりだったのに、逆に熱くなっちゃって……ごめん。頭を冷やさなくちゃ」
「お互いにな。さあ、先を急ぐぞ!」
「うん!」
戦友の死と、それに悲しむ仲間達。絵面こそ美しいが、悲しみの感情に思考が覆い尽くされると、普段の調子が出せなくなる。
日々の修行で鍛えた戦闘能力も、頭が混乱すれば無意味になってしまうのだ。冒険者として大事なのは常に冷静であることだろう。
「見えたっ。一番大きな洞窟が!」
「よし、武器を構え、薬草の準備をしろ。こいつの中へ乗り込むぞ!」
二人は瞬時にアイコンタクト。その後すぐに、洞窟の中へと侵入する。すぐに松明を用意し、辺りを照らしていく。
「ふんっ、どこからでも掛かってこい。血を見る覚悟はできてるぞ……」
「気をつけてね。アタシ達二人ともドラゴンを倒した後で、お互いに体力を消耗してるんだから」
「承知してるさ。そういうお前も油断するなよ」
洞窟の半ばぐらいまで来ただろうか。周囲の様子は明らかにおかしかった。一言で言えば、異常。
「うーん、変だな。どうして奴ら、オレ達のことを襲ってこないんだ……?」
「それ、アタシも感じてたわ。耳や鼻が効くゴブリン共なら、アタシ達の侵入に気付かないはずがない」
「しかもオレ達は、堂々と正面から侵入したんだ。奴らは絶対に気づいているだろうに。どうして襲ってこないんだろう」
「……まさか。何もいないとか?」
二人はそのままの状態で、ぴたりと足を止めた。
「それはありえん。イザベラも昼間に見たじゃないか。ここからゴブリンが二匹程出てくるところを!」
「だから、巣を替えたんじゃないの。何かの事情があって。所謂、お引越しって奴」
「いや、ありえんな。ゴブリンは滅多なことでは巣穴を変えないといわれている」
「それはアタシだって知ってる。でも、可能性としてはゼロじゃないでしょう?」
洞窟の中に生まれた、異常空間。じっくりと考察したいところだが、潜在する焦燥感は如実に膨張を続けていた。
「あーもうっ。ぐだぐだ悩んでいる暇なんてない。早くジャックを助けにいかなくちゃ……!」
「うむ。つまり可能性としては二つだ。一つ、ゴブリン共はオレ達が油断するのを、物陰からじっくりと窺っている。一つ、そもそもこの洞窟には何もいない」
「前者に期待するわ。だって、もしここに何もいないなんてことになったら、ここで喋ってるアタシ達が馬鹿みたいだもん」
「……簡単に確かめる方法があるぞ」
「本当!?すぐにやってみて!」
イザベラに急かされ、アレキサンドルは頷く。そして何を思ったのか、自分の聖剣を遠くに放り投げた。突然の暴挙に彼女は慌てふためく。
「ちょっと、何してんの!?」
「作戦だ。イザベラも杖を捨てろ」
「作戦、これが!?」
「ああ。これでもしゴブリン共が様子を窺っているのであれば、これを機会にオレ達に攻撃を仕掛けてくるだろう。もし攻撃してこないようなら、この洞窟には何もいないということだ」
「いや!?杖を捨てたら戦えないじゃない。ゴブリン達が一斉に襲いかかってきたら、どうすんの!」
「素手で戦えばいいだろう。オレ達ならできる」
「無茶苦茶なこと言わないで!アンタは男だからいいけど、アタシは華奢な乙女なんだから!」
「じゃあ、どうする。他に手はないぞ」
「どうするって。それは」
逡巡の末、覚悟を決めた。イザベラは右手に握っていた杖を、少しだけ名残惜しそうに見つめ、その後思い切って杖を遠方に放り投げた。
「……華奢な乙女じゃなかったのか?」
「こうなったら、仕方ないわ。ゴブリン共の頭蓋骨を素手で叩き割って、脳味噌を引き摺り出してやる」
「おお、いい覚悟だ。共に戦おう!」
二人は両手を宙に挙げ、バンザイの形を取る。その状態でしばらく待機していたが、ゴブリン達が襲ってくる様子は一向になかった。
「……どうやら、ここには何もいないらしいな」
「はあ〜、よかった〜。生きた心地がしなかった」
「だとすれば、ここにいる意味もない。すぐに別の洞窟へ向かうぞ。他にも心当たりはあるんだ!」
「うん!」
イザベラが相槌を打った、その瞬間。ゴブリンがこちらに向かって飛んできた。正確にいえば、ゴブリンの生首が。
「「!?」」
二人は硬直。イザベラの喉元からヒッと声にならない音が鳴った。
生首は壁にバウンドした後、ゴロゴロと地面を転がる。イザベラはすぐに呼吸を整え、自身の鼓動を確かめる。
「……はあ、はあっ、ち、ち、超びっくりした。なんか飛んできたけど。なにこれは、ゴブリンの生首?」
ゴブリンの顔面。それも血みどろである。更にその面には喉の部分から、何者かに強引に引き千切られたような痕跡があった。
「仲間割れにしては、過激すぎる。この洞窟で一体何が起こってるの。他のゴブリン共はどこにいるの?」
人間と違い、ゴブリン達が家族同士で争うことは滅多にない。だからこそ、この状況は異常なのだ。
「様子が気になる。武器を持って、奥に進んでみましょう。アレキサンドル、起きなさい。そんな所でひっくり返ってないで!」
「い、イザベラ。お前、よくそんな平然としてられるなあ!生首が飛んできたんだぞ!?」
「何言ってんの。生きてる奴の方が余程怖いでしょうが。アンタは何というか……強い癖に臆病ね」
「逆だ。臆病だから強くなったんだ。自分や仲間の身を完璧に守る為にな」
「胸に響く台詞だけど、目の前でひっくり返ってる人が言っても全然かっこよくない……」
イザベラはアレキサンドルに手を貸し、立ち上がらせた。彼らは先ほど投擲した武器を再度拾い、改めて洞窟の奥へと進む。
進めば進む程、違和感は如実に増していく。目前の光景は凄惨的なものだった。
赤い地面にはゴブリンの生首や、千切られた臓物が数えきれない程遺棄されていたのだ。
「ゴブリンの手や脚が落ちている。しかもこんなに沢山。ここはゴブリンの巣なのに。一体どうして?」
「ははあ。読めてきたぞ。どうやら、この洞窟には先客がいたらしいな」
「先客って……ゴブリン以外の魔物ってこと?」
「うむ、そいつがこの洞窟に乗り込んできて、中にいたゴブリン共を皆殺しにしたんだ」
「ふうん。この数のゴブリンを相手にするなんて、その魔物は相当強いわね……」
「あくまで推測だけどな。しかし、何があるかわからない。ここからは今まで以上に警戒しよう」
強敵の出現を予感し、二人は武器を握る力を更に強める。洞窟の奥は一向に暗く、全体がよく見えない。
すると、前方に蠢いている陰を発見した。アレキサンドルが、すぐにイザベラの動きを手で制する。
「待て。何かいる」
「何かって、何。ゴブリン?」
「そうとは限らん。何しろこの異常事態だ。さっき言った先客かもしれない」
「それって、ゴブリン共を皆殺しにした!……」
「しっ。松明を消そう。ゆっくりと近づくぞ」
それは青年ほどの大きさをしていた。アレキサンドル達に背を向け、ゴブリン共の死体から剥ぎ取った肉を両手で掴み、次々と口の中へ運んでいる。
「あれは」
「待て、イザベラ!」
その生物がこちらを振り向くのと、アレキサンドルが驚愕の声を上げたのは、殆ど同時だった。
「ジャック……?」
魔物の正体は、神託の剣のメンバー、料理人ジャックであった。彼は狂気的な面持ちに変容していた。貪るように、ゴブリンの生首に噛み付く。
その小さな頭蓋に穴を開け、ピンクの脳味噌を強引に引きずり出す。それに噛んで穴を開け、脳味噌の中に保有された体液をじゅるじゅると吸い出していた。
「ね、ねえ。アンタ、一体、何してんの」
「ジャック、これはどういうことだ」
「…………くくくっ」
ジャックは不吉な笑みを浮かべていた。言い繕う様子もなく、上唇に付いた血をぺろりと舌で舐め取る。
周囲は、まるでジャックを飾り立てるかのように、食い散らかされた何十体もの死体で溢れ返っていた。