10.竜の独白
ロックとリイナは牢獄を脱走したジャックの思考を予想し、彼が向かいそうなところに目星をつける。
脱獄後の目的は定かでないが、まず真っ先に向かうとすれば、昔の仲間のところではないだろうか、と推測するに至った。
考えを整理し、荷物を持って、二人はイザベラが住んでいる迷わせの森へと足を踏み入れた。
歪んだ足場に気をつけながら、時節道を確かめつつ奥の方へと進んでいくと、不自然に木々が枯れている箇所を発見した。
「これは?」
「毒魔法だな。それも、かなり強力なものだ」
リイナの発した疑問を、ロックは自身の経験と知識をもって説明する。
「これを使用したのはイザベラだな。どうやら周囲で派手な戦闘が起こったらしい」
「戦闘って。まさか、ロックが言っていた……?」
「ああ、そうだ。脱獄したジャックが、この森でイザベラと接触した可能性は非常に高い」
「なるほど。周りの木々が枯れているのには、そういう理由があったのね。イザベラ様にここまで強力な魔法を使わせるなんて、ジャックって奴は相当の」
リイナが言い終わるのを待たずして、前方の茂みからガサガサと不審な音が鳴った。二人はアイコンタクトで即座に意思を疎通。腰に携えた聖剣を、それぞれ素早く引き抜く。
「油断しないでね、ロック」
「これでも勇者様だ。何が来ても負けやしない」
二人が睨む中、茂みが左右に揺れ動く。ぬっと現れたのは紫色の鱗を持つ巨大なドラゴンの顔面だった。
「ドラゴン!?」
「な、何故こんなところに!」
ドラゴンは驚愕する二人をその黒々とした眼球で睥睨する。背中に生えた六枚の双翼をばさっと広げ、滑空状態で風と共に突っ込んできた。
「グオオオオオオオッ!」
「来るわ。私に任せて!」
リイナは発し、聖剣の先端を標的に合わせる。向かってくるドラゴンと、それを聖剣片手に待ち受けるリイナ。互いの刃と爪が激しくかち合った。
「グオオオオオオオッ!」
「ぐっ――かはっ!」
ドラゴンの放つ力の圧に押され、リイナは大きく後ろに飛び退いた。聖剣を再度構えながら、荒れた呼吸を何とか整える。
「大丈夫か、リイナ!」
「はあっ、はあ……問題ない。だけど、このドラゴン只者じゃないみたい」
「そうか。ならば今度は、二人でこちら側から仕掛けるとしよう」
二人は視線を交わし共に頷く。ところが、ドラゴンはいつまで経っても攻撃する素振りを見せない。
ロックがそれを不自然だと感じた頃合いで、ドラゴンはその巨大な体躯を、だらりと大地に預けた。
「妙だな。いきなり寝転んだぞ……?」
「よく見てロック。このドラゴン、身体のあちこちに無数の火傷跡があるわ!」
「本当だな。奇怪なドラゴンだ。一体全体どうなっているんだ。イザベラや、ジャックは一体どこに行ったんだろう」
ロックは墨色の瞳をまじまじと見つめる。このドラゴン、何故だか妙な親近感を与えてくるのだ。
第六感や霊感の類など一切信じないロックだが、その双眼を眺めていると、愛着や懐かしさといった不思議な感情が胸の内に湧いてくることに気づいた。
だからだろうか。神託の剣時代のパーティーメンバーの名前を、ロックは殆ど無意識に口にした。
「イザベラ……?」
「ぐ、ぐうらあ」
ドラゴンは小さくうめき、ロックを見上げる。大皿程もある眼孔がぎらりと広がった。凶悪な顎が徐に開き、牙の隙間から、鳴き声が言語となって紡がれる。
「ようやく、意識が、はっきりと、してきたわ」
「イザベラ。やっぱりイザベラなんだな!」
「アタシはアタシに、決まってるじゃない、そういうアンタは、アレキサンドル。随分と、ダサい見た目になった、ものね」
「見た目の話をするなら、お前こそ変わっちまったじゃないか。鱗や翼なんかが生えちゃって」
「好きでっ、こうなったわけじゃないわ。痛たっ」
ドラゴンもとい賢者イザベラは、火傷が余程堪えるのか、うつ伏せになったまま巨体を小さく丸めた。
「あのっ、貴女は本当にイザベラ様なのですか!?」
「残念ながらね。そういうアンタは、アレキサンドルんとこの、見習い剣士じゃない。久しぶ……くっ」
「ああっ。喋らないでください、イザベラ様。傷口が開きます!」
「とにかく手当だ。治癒魔術を施してくれ。リイナはオレより得意だったろう」
「やってみる!」
リイナは治癒魔術を使用。イザベラの火傷を半分程治すことに成功した。
「すみません、イザベラ様。私にはこの程度が関の山のようです」
「いいの。貴女は治癒師じゃなくて剣士だもんね。このくらい火傷が治れば、もう充分よ」
留まりなく喋れるようになったイザベラを見て、リイナは一安心。あまり時間もないと判断したロックは早速質問に取り掛かった。
「イザベラ、端的に訊くが、ここで何があった。森の一部分が枯れているのは何故だ。どうしてお前はドラゴンの姿になっている?」
「もう、アタシは怪我人なんだから。そう急かさないでよ。そうね、順を追って話していくとするわ」
イザベラは語り始めた。ジャックがいきなり森に踏み込んできたこと。三人の執事を問答無用で殺害されたこと。そして、彼女自身も二度殺されかけたこと。
「ジャックは異常な程強かった。今の状態では勝てないと悟ったアタシは、禁術の古代魔法を行使することにした」
「なるほど。それでドラゴンになったわけか」
「ええ。だけどっ……アイツには敵わなかった!」
イザベラは雪辱のあまり号泣した。やりきれなくなって顎を強引に噛み締める。牙と牙の擦れる音だけが虚しく響いた。
「全属性魔法、闇魔法、封印魔法、そして竜化までしたのに勝てなかった。アタシを半殺しにした後、アイツは涼しそうな顔して、この森から出て行ったわ!」
「そんな。イザベラ様が、敗北するなんて……」
リイナが驚くのも無理はない。史上最強の賢者であるイザベラが敗北したとなれば、ジャックに敵う魔法使いはこの世に存在しないことになる。
「すまない、イザベラ。全部オレのせいだ。あのときオレが判断を間違いさえしなければ……っ!」
「今更言ったって遅いわよ。それに、アイツの追放は皆んなの合意で決まったこと。アンタだけのせいじゃないわ」
「……ああ、そうか。そうだな。昔のことを一々後悔したってしょうがない。わかってはいるんだが」
イザベラの発言はもっともだ。しかし、それでも彼は最悪の事態を招いたことに対し、リーダーとして責任の一端を感じずにはいられなかった。
「お願い、アレキサンドル。ジャックを殺してちょうだい。アタシも手伝いたいけど、禁術の代償でこの姿のまま、この森から一生出ることはできないから!」
「ああ、わかってるさ。お前が負けたとなると、勇者であるオレが立ち上がるしかないだろう!」
「ブレディやマイアとも、早く連絡を取った方がいいわ。ブレディの居場所はアタシが把握しているから」
「うむ。徹底的にやらねばならないな」
「アレキサンドル……アタシ達はアイツを舐めていたんだと思うわ。ジャックは五年の時を経て現世に降臨した、人類の敵と言っても過言じゃない」
「人類の敵、ですか」
リイナは絶句した。その異名で呼ばれたのは、神託の剣がかつて倒した最恐の覇王だけである。
「魔王に匹敵する、ということか」
「そ、そんな。魔王と同等の存在がこの世に現れるなんて、私達はこれから先どうしたら……」
「戦うだけさ。五年前と同じようにな」
リイナを慰め、ロックは左腰の方に携えられた“二本目の聖剣”を撫でる。
――かつて大量の鮮血を浴びた歴戦の剣。五年前に封印したものの、それはずっとロックの左腰に携えられていた。
「再びお前を振るうときが来るとはな。できればそのときは、来て欲しくなかったが」
イザベラ達が見守るなか、輝きを確かめるべく、ロックは“魔王殺し”と名付けられたその聖剣を決意と共に引き抜いた――
◇
イザベラと別れ、ロックとリイナは迷いの森を二人きりで歩く。ロックが詳しいことを何も説明してくれない為リイナにしてみれば鬱憤が溜まる一方だった。
「……ロック!」
「ん、何だ?」
「そろそろ説明してくれてもいいでしょう!」
「何を?」
「もう!」
彼が他人を慮ることが苦手だということを知っていながら、それでもリイナは苛ついてしまう。
「アンタやイザベラ様が言っていた、ジャックって奴は一体何者なの!?」
「何者って、ただの料理人さ」
「すっとぼけないで。ただの料理人が、最強の賢者イザベラ様に勝てるはずないでしょう!」
リイナがぷりぷりと怒っているのを尻目に、ロックは目を細めながら、眼差しをすっと空の方に向けた。
「すっとぼけてなんかない。アイツはただの料理人だったんだよ。気のいいやつだった……」
「ただの料理人が。無能だから追放されて。投獄されて。それで強くなった?」
「……無能だから追放したってのは嘘だ。それを信じているのは、本人だけだろうよ」
「嘘って。それじゃ、どうして追放なんて」
リイナに問われ、ロックの眼に鋭い光が走る。それは勇者アレキサンドルと呼ばれていた時代の彼を彷彿とさせた。
「オレ達はアイツの奥底に眠る狂気を、偶然垣間見てしまった。人類の平和の為にアイツは地上にいるべきではないと判断したんだ」
「奥底に眠る狂気……?」
「アイツの正体はオレにも、よくわからん。だがこのまま放っておけば、必ず人類の新たな敵として頭角を表すだろう」
イザベラの変わり果てた姿を拝見している為か、リイナはその台詞が仰々しいものだとは思わなかった。
「ジャックの目的は、やっぱり復讐かな」
「違いない。だとすると、次のターゲットはこの場所から近いところに住む、ブレディで決まりだろう」
二人は見つめ合って頷いた。ロック達は道を歩きながら、たった今考えた作戦を再度口に出す。
「オレ達は先回りしてブレディと合流する。三人で協力して、ジャックの野郎を殺すぞ」
「……わかった」
このとき二人の心底には、この世の者とは思えぬ乾燥した殺意が芽吹いていた。その芽はこの先始まるであろう死闘を、自身に予感させるものであった。




