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さよならを云って  作者: 久慈くじら
第四章 夏から秋
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4-7 嵐

 夏も秋もすぐに過ぎ去っていく。春だって長くはないが、夏と秋が終わることは、なぜかとても感傷的になってしまう。それは冬が近づいているということが身体的にもわかるからなのかもしれない。


 秋の終わりかけの日。あれだけご機嫌に晴れていた空も、どんどんと薄い雲で覆われるような空に変わっていった。


「明日、嵐がくるのね」


 ベルは窓ごしに薄暗い雲が広がっている空を眺めながら、すこし得意そうな顔をして云った。


「どこかで聞いてきたの?」

「ええ、猟師さんがね」


 猟師、と僕は目を丸くした。会ったことがないひとだ。


「ずいぶん大きな嵐が来るそうよ」


 そう云われるとたしかにそのような気がした。今日は風も強く雲も多い。窓が風に揺られて音を立てている。嵐が来るのなら準備をしなければならないだろう。


「それじゃあ早めに買いものに行ったほうがいいだろうね」

「そうね。手伝ったほうがいい?」

「もちろん」

「クッキー買ってくれる?」

「しかたないな」




 午後になると風が強くなってきた。町にある木々の色づいていた葉っぱたちは、もうほとんどが落ちていた。その枯れ葉たちは風に巻きあげられて遠くへと運ばれてゆく。買い物バッグを持つ手や、僕とベルの脚にも葉がいくつも当たり、秋の終わりを主張してくる。


「はやく帰りましょう」


 ベルが僕の手を引きながら云った。スカートがなびくのでそれを左手で押さえている。ときおり猛烈な風が吹くから、僕の手を離して両手で押さえ立ち止まらなくてはならなかった。


「ごめんね。思ったより強い嵐が来てるみたいだ。こんなに買ってる時間なかったな」

「でも私も買いもの楽しんじゃったわ」

「じゃあおあいこってことにする?」

「うー、でも、やっぱりあなた買いすぎだと思う」

「心配性なんだ。もしかして明日の夜まで嵐が続いたら買いものに行けないだろう?」

「それはそうだけど、そのときは家にあるものでなんとかなるってば。それに一日くらいご飯なくても死にはしないわよ」


 そうやって僕たちは、風に背中を押されたり顔を殴られたりしながら屋敷まで帰ってきた。


「今日はビーフシチューにするよ」

「わ! あなたのビーフシチュー大好きよ」

「自分で云うのもなんだけど、僕もビーフシチュー大好きだ」


 ベルと玄関ホールでわちゃわちゃしていると、階上からスズネが軽快かつ優雅に降りてきた。


「手伝いますよ」

「ありがとう。でも重いからいいよ」


 買い物バッグを持とうとするスズネに手から遠ざけるように胸のあたりまで引きあげて云った。


「それくらい持てますよう」


 そう云うので、絶対に持てないよ、と僕は云いながらおもしろがって恐る恐るバッグを渡してみる。


 スズネが両腕を伸ばして待ち受けているところにゆっくりとバッグを降ろしていく。スズネの両手にバッグの底がつくと、今度はバッグを持つ力をすこしずつゆるめていく。するとバッグの重さに耐えきれないスズネの腕がどんどんと下がっていってしまった。


「持てる?」

「持て、ま、せんっ!」スズネはバッグを思い切り僕に突き返した。


「スズネー、そういうのは任せておけばいいのよ。このひと、奉仕するのが好きみたいだから」

「それは聞き捨てならないね。悪戯も好きだよ」


 そう云うとベルは肩をすくめてリビングに去っていった。




 夕食を食べ終えたあたりから嵐がとても強くなってきて、この世界を解体してしまうほどの轟音の雷が鳴り始めた。


「もう寝ましょう」とベルが云う。

「ごめん、ちょっとやることが」とフェリシア。

「わたしも」とムニラ。

「私、まだ眠たくなくて」とスズネ。

「ヘンリーッカ、ヘンリーッカは寝るわよね?」ベルがおどおどと訊ねる。

「ううん。雷と合奏しようと思って」


 ヘンリーッカの返事を聞いた瞬間、ベルの顔が絶望に染まった。なぜかベル以外の子は嵐や雷が平気なようだった。


「大丈夫だよ、一緒に寝よう」

「ほんとに?」

「こういう嘘はつかないよ」

「ありがとう」


 僕はベルの明るい茶髪をくしゃくしゃと撫でてやった。するとベルは首を振って撫でられるのが嫌そうな素振りをみせてからはにかんだ。


 ベルとシャワーを浴びたり、パジャマに着替えたり、歯を磨いたりして寝るときの準備をしてから寝室に直行した。寝室の鎧戸が体験したことのないくらいガタガタと騒いでいて、飛んでいかないだろうかと不安になった。


 ときおり、ピシャッ、ピシャッ、とカメラのフラッシュのような光がまたたき、それから轟音が鳴り響き屋敷を揺らした。


 その音が鳴るたびにベルは身体を瞬間的に縮こまらせ、声にならない声をあげて驚いた。


「大丈夫だよ」僕は何度もそう云った。「屋敷の前に沼はないからね。崩壊しても飲み込まれて消え去ってしまうことはないさ」

「なによそれ」


 ベルは若干怒りながら云うので、僕は笑ってごまかした。さすがに雷を怖がっているひとに話すような物語ではない。


 広いベッドにふたりきりだからか、ベルは余計に怖くなって僕にくっついた。猫のように丸まって僕のみぞおちあたりに額をぐりぐりとこすりつけ、僕のパジャマをしっかりと握りしめた。


 僕はベルの身体に腕をまわしてしっかりと抱きしめた。ベルの身体は暖かくて柔らかい。そしてやっぱりベルは華奢な少女だから、高級な食器のように壊れやすそうだった。けれど僕は、そんなに簡単には肉体というものが壊れないことを知っている。ほんとうに簡単に壊れてしまって、しかもなおすのが大変なのは精神のほうだ。


 ベルが一生懸命にまぶたを強く閉じている。僕はその姿が愛おしくなって、さらに強く抱きしめた。


 やっぱりベルは眠れないようで、僕に楽しい話をせがんでくる。ベルが眠るまでそうしていようと思っていたとき、階段をあがる音が聞こえてきた。これはヘンリーッカの足音だ。


「あれ、ふたりともまだ寝てないの?」


 ヘンリーッカは寝室の扉を開けるなりそう云った。


「思ったより雷がうるさくて」


 僕はベルに先んじて云いわけをしておく。


「ほんとにうるさいのよ」


 ベルが僕の言葉にのっかってきたが、そののっかりかたで気づいたのかヘンリーッカはすこしだけ苦笑した。


「わたしのチェンバロが聞こえないくらい?」

「ほんとに弾いてたの?」

「楽しかったよ」


 ヘンリーッカがベッドに潜り込み、僕に抱きついているベルの背中から抱きついた。ベルは僕とヘンリーッカにサンドイッチされてしまった。


「あいかわらず細い首だね」


 ヘンリーッカがベルの首筋をはむはむする。


「ぎゃあ! 変態!」

「へへへへ、女の子同士なんだからいいじゃんかさー」


 そうやって僕たちがいちゃいちゃしていると、みんなも寝室にどしどしやってきて、ベッドに入ってきた。


 スズネは僕の背中越しにベルの左手を握っている。ムニラは僕たちの足元に潜り込み、ベルや僕の脚を枕にしている。フェリシアは枕の上にタオルケットを持ってきて、ベルと頭をごつごつさせてうっとうしがられている。


 フェリシアも、ムニラも、スズネも、ヘンリーッカも、僕も、みんなどこかしらベルに触れているというとっても窮屈な状況になってしまった。


「暑苦しいわよ」


 ベルはそう云う。たしかに冬がはじまろうとしている日とはいえ、これだけくっつけば暑かった。けれど僕たちは絶対にやめなかった。ベルがなにをどれだけ云ってもそれは照れ隠しでしかないっていうことを、僕たちは今までの生活でわかっていて、そしてベルも僕たちがそのことをわかっているということをわかっている。だからこそベルは照れ隠しを云う。


 雷はまだまだ鳴り響いていて、きっと朝になるまで嵐は去らないだろう。もしかして朝になっても去っていないかもしれない。


 けれど、今このベッドの上にはまったく嵐の存在なんかなくて、ベルのための穏やかな世界だけがあった。僕たちはそれを弱々しくも守る母鳥で、ベルはそれを感じとりながらゆっくりと眠りに落ちていった。

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