4-6 死
夏は足早に過ぎ去っていった。僕たちの町には秋が訪れ、そしてすぐに長い冬がやってくることになる。
だから僕たちは冬がやってくる前に秋をめいいっぱい楽しむことにしている。
でも、秋もまっさかりの頃、みんなが感傷的になってしまうできごとがあった。
町の誰かが死んだのだ。僕たちはそのひとのことを知らない。けれど、そのひとはこの町に住んでいて、そのひとの家族もいるし親しいひともある。
「大丈夫? おかしいところはない?」
ベルが不安そうに僕を見上げた。
「大丈夫、ちゃんと着られてるよ」
「よかった」
ベルたちは黒いドレスを着ている。喪服だ。僕は黒いスーツ。喪服なんて僕たちは持っていなかった。だからパン屋のおばさんに相談をすると、自分の家にあったもの二着と、僕用の黒のスーツは用立ててくれた。残りの三着のドレスは服屋さんに話をとおしてくれて、そこから貸してもらえることになった。
これまで黒のドレスを彼女が着ることはなかったけど、なぜか五人ともとてもよく似合っていて、不謹慎ながらかわいいと思ってしまった。いつもなら姦しい五人もこんな日だからすこしだけおとなしくて、黒色のドレスと相まって大人の女性のように見えたのだった。
フェリシアは彼女たちのなかでも一番年上だから、率先してみんなの身だしなみをチェックしてあげている。
「うん、これでよし。スズネ、あたしにおかしいところはない?」
「大丈夫ですよ」
ヘンリーッカがスズネの裾についていた白いゴミをとって捨てた。スズネはそれに気づかなかった。
僕たちはとても変な気持ちになっている。緊張しているような、沈んだような、そわそわしているような、興奮しているような、平静を装っているような、そんな気持ちだ。
そのなかでダリアはなにも変わらなかった。いつものように屋敷を優雅に徘徊した。黒いドレスの匂いを不思議そうに嗅いだあと、玄関に向かった。僕たちはダリアに続いた。
僕が玄関を開けるとダリアはするりと外に出た。僕たちがぞろぞろと屋敷を出て鍵を閉めると、ダリアはポーチにちょこんと坐っていた。
「見送り?」
「にゃあ」とダリアは答えた。
「ありがとうね」とヘンリーッカが云った。
僕たちはふだんと変わらないような会話をしながら丘の右側にある墓地に向かった。
「明後日の夜、流星群が極大なんだって。町のひとが云ってた」とヘンリーッカが云った。
「極大?」とムニラが訊ねた。
「極大?」
ヘンリーッカは噂で聞いた話で詳しいことまで知らないのだろう、極大の意味がわからないためフェリシアを伺うように見ながらそう云った。
「いちばんたくさん流れ星が出てくるときのことよ」
フェリシアは詩人だからこういうことはぜったいに知っていて、やっぱりすらすらと答えてくれた。
「見に行く?」
ベルの言葉は疑問形だったが、それはほとんど確認のようなものだった。
「見るなら丘でいいんじゃないですか。見えますよね?」とスズネが云った。
「たぶんね」
僕が答えたことで、女の子たちはやったあ、と浮足立った。
「準備ってなにをすればいいかしら」
「うーん、なにか持っていきたいものはある?」
「私は紅茶がいいわ」
「あ、あたしも紅茶飲みたい」
「いいですね」
「わたしの魔法の瓶持っていく?」
「そういえばムニラはそんなの持ってたね」
そうやって沈みそうになる気持ちをいつもどおりのやりとりを模倣することでどうにか抑えつけながら墓地に続く道を歩いた。
墓地にはたくさんのひとが集まっていた。地面には穴が掘られていて、その横に棺が置かれている。
儀式自体は家族だけでやったらしい。僕たちは家族のひとに挨拶をし、道中で買った花を棺に手向けた。
ヘンリーッカが神父さんに挨拶に行くというので僕もついて行った。
「お疲れ様です、神父さん」
「ああ、お花はあげてきましたか」
「はい。薔薇と百合です。どっちかにしようと云ったんですけど、どうしてもベルとスズネが譲らなくて」
「ははは、色とりどりでいいじゃないですか。ヘンリーッカさんは礼拝堂ではとてもいい讃美歌を歌ってくれていますよね。ここでも歌を歌ってくれませんか」
「鎮魂の歌ですか」
「はい」
はきはきと神父さんと会話していたヘンリーッカが、急に不安な顔になって隣に立つ僕を見あげた。
「わたし、歌ってもいいのかな」
「どうして?」
「あのひとのことよく知らないから。それなのに歌ってもいいのかな」
「ふうむ」と唸って神父さんの顔を伺ってみたが、にこにこと笑って目配せをしてきた。どうも神父さん自身はなにも云う気がないらしい。「それはたしかにむずしいかもしれない」
「むずかしい? 失礼じゃなくて?」ヘンリーッカはきょとんとする。
「知っているひとの死は悲しめる。そして、知らないひとの死を切実に悲しめないのはほんとうのことだ。けれど僕は、悲しむことだけが人間の死を思うことではないと思う。死を悲しめないのはそのひとのことを知らないからだ。知っているひとの死を悲しめるのは、そのひととの思い出を振り返るからだ。それは死を思うことでもあるけど、同時に生を思うことでもある。生きていたときのことを思いだし、そしてそんな日が二度と訪れることがないから僕たちは悲しくなる。だから知らないひとの死を思うときは、生を思うことはできない。けれど、僕は死を思うことはできると思う。ただそこにある死。誰にでもひとしく訪れる死。それを思って歌う。それが鎮魂になると思う」
「それはとても純粋な鎮魂です」と神父さんは云った。
「わたし、歌うよ。むずかしくても」
ヘンリーッカはずっと握りしめていたスカートの裾を離して云った。
神父さんが棺桶の前に立って祈りの言葉を捧げている。ヘンリーッカは僕の左手をぎゅっと握りしめ、しっかりと前を見ながら祈りの言葉を聞いている。
祈りが終わる。そして神父さんは鎮魂の歌の歌い手を呼んだ。
ヘンリーッカの右手が離れていく。彼女は二歩進んでから振り返り僕たちを見た。
僕はヘンリーッカに幽かな笑みを送った。ヘンリーッカは、僕、ベル、フェリシア、ムニラ、スズネを見てから、聖者のようなゆっくりとした足取りで葬儀に来ているみんなの前に出た。
そしてヘンリーッカは歌う。
墓地の厳かさにたいして、その歌は弱いもののように思えた。こんな野外の歌としてはとてもじゃないが頼りなかった。けれど、この歌は僕たちに向けて歌われたものではなく、この棺、この死者に向けられたものだ。そして、だからこそ参列者全員に澄みやかに届いたように思えた。
歌が棺を中心としたこの場所一体に満ちる。僕たちのいる場所が透明のドームで覆われ、今この瞬間だけ生命力にあふれた外界から切り離されたような感じがする。鎮魂の思いがドームのなかに満ちて、ヘンリーッカの鎮魂歌すらも聞こえないくらい、僕の心は死にたいして穏やかになっていた。死は静かだ。
そうして自分の心の世界に入っているうちにヘンリーッカは歌い終わっていた。
参列者たちはしばらくそこに立ちすくんだ。死を悲しんでいるのではない、みんなの死への思いが長いあいだとどまっていた。僕は五人の少女の顔を見た。死を恐れている表情でも不安そうな表情でもなかった。寂しさとすがすがしさが同居したような表情をしていた。まさに秋という季節に感じること、そのものだと僕は感じた。




