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さよならを云って  作者: 久慈くじら
第四章 夏から秋
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4-5 ピクニック、のち、雷

 夏の後ろ足がそろそろ見えなくなって来たころ。朝の空気はひんやりとしてきて、陽射しを浴びていても暑くはなく、むしろすがすがしい気持ちになるような日になってきた。


「ピクニックをしましょう」と朝食のときベルが唐突に云った。

「賛成」


 ムニラが賛成したことで、僕たちの今日の予定は決まった。


 ピクニックとなると、ここら辺では屋敷のある住宅地よりももうすこしあがっていったところをよく使う。


 そこは小高い丘で、町を一望できる。一面は牧草に覆われていて、羊飼いが羊を飼っている。丘の一番上には廃墟のような小さな小さな礼拝堂がある。


 ベルと一緒にパン屋さんにフランスパンとベーグルを買いにいき、肉屋さんでパストラミとハムを買った。スズネはパストラミよりも、スモークサーモンのほうが大好きなのでそちらも買い、食材の準備は整った。


 珍しく、とはいえベルがピクニックを提案したのでそうだろうなと思ったが、ベルはサンドイッチ作りを手伝うと云いだした。


 いつもはフェリシアが使う年季の入った木製の台(どこで手に入れてきたのだろう?)に乗り、手を洗いながら目を輝かせていた。


 僕がパンを切り、ベルがバターを塗りチーズかハムを挟む。それのくり返しをしていると、大量のサンドイッチができあがった。


 藤のバスケットにオレンジの水玉のハンカチを敷いて(以外なことに、このかわいいのはムニラのものだ)、そこにサンドを詰めていく。そして最後に水筒に温かい紅茶を入れて準備完了だ。




「ピクニックって、あんまりやらないけど、そんなに楽しいものじゃないわね」


 みんなで丘までの道を歩いているときフェリシアがそう云った。丘の遠さに疲れたみたいだった。でも丘はそこまで遠いわけではない。しかし子供の体力ではうんと遠く感じるはずだ。ムニラはあまり行動派ではないから、フェリシアよりも先に疲れはててしまい、ずっとぼけっとした表情で丘への道を歩いた。行軍のようだった。


 ようやく丘に到着し、僕がシートを広げるとムニラとフェリシアはうつ伏せになって倒れこんだ。


「あー」とムニラは声にならない声をあげながら微動だにせず、フェリシアは両手両足をばたばたと動かして伸ばしている。

「はしたないですよ」


 僕はスズネの言葉にうなずきつつバッグから紅茶の入った水筒を取りだす。こんなに疲れるのだったら温かいのではなく冷たいものにしたらよかったと思いながら、持ってきたカップに注いで五人に渡した。


 しばらくそうやって行軍の疲れを癒やすためにだらだらとしていると、回復したヘンリーッカが懐に隠していたピッコロを取りだして吹きはじめた。その演奏にあわせるように鳥の鳴き声がどこからともなく聞こえはじめた。この丘には大きな木が生えていないためどの方向も見晴らしがよかった。だから鳥がいそうな場所はわからなかったが、遠くの森か、それとも僕たちと同じように地面で休んでいるのかもしれない。


 サンドイッチを食べたり、サンドイッチを食べたり、サンドイッチを食べたり、牧草地を眺めたりしながら(ほんとうにすることがない)、こういうのもいいかもなーとベルと云いあった。


「町は町でいいけど、なんにもないっていうのも、なにがどうしていいのかわからないけど、いいものね」

「うーん詩的ね」とフェリシアは大まじめに腕を組んだ。「そうやって言葉にするのがむずかしいから、自然っていうのはよく詩の題材になるのかもしれないわ」

「絵にもなる」


 ムニラがクロッキー帳に小さな礼拝堂と丘を素描しながら云った。


「絵は言葉にできないことを表現するものなのかしら」とベルは訊いた。

「わたし、言葉は苦手だから」とムニラ。

「うーん、あたしも苦手よ」とフェリシアはムニラの言葉を受けてそう云った。

「それ、フェリシアの苦手はムニラの苦手とぜんぜん別物の苦手だろう?」

「ふふふ」


 フェリシアは微笑し、ムニラの手つきを眺めた。


 そんな光景に気を取られていたら、僕が持っていたサンドイッチからハムが一枚何者かに奪い去られてしまった。散歩をしていたらしいダリアが丘のどこかに消えていくのが見えた。彼女の参加は一瞬だった。見晴らしがいいはずなのに、ダリアの姿はすぐに見えなくなってしまった。きっとここもダリアの庭のひとつなのだろう。


「きっとダリアはピクニックに誘ってくれなかったことを怒ってるのね」とベル。


 僕はそれに苦笑して、レタスとソースだけになったサンドイッチを平らげる。ハムがなかったからすこし味気なかったが、それでもおいしいと思えるのはとてもいい天気だったからだろう。


「ねえ、雲ゆきあやしくないですか?」とスズネが空を指して云った。


 天気がいいと思っていたのもつかの間、雨をたっぷり含んでいそうな暗い雲が丘の近くまで来ていた。誰もこの雲の接近に気がついていなかった。それほどまったりしていたということでもあった。


「これはまずいかもね」


 ムニラがまっさきに荷物を片づけだし、スズネたちが慌てて手伝う。雨がぽつぽつと降りだして、片づけが終わったと思った瞬間ざざ降りになった。


「どうしよう!?」

「礼拝堂に行こう!」


 僕たちはばたばたと礼拝堂に駆け込む。ボロボロの外見とは裏腹のしっかりとした木製の扉を開けてなかへとなだれ込んだ。


 礼拝堂はとんでもなく狭かった。僕たち六人でいっぱいいっぱいだった。バスケットに詰められたサンドイッチのような気分だった。礼拝堂にはダリアはおらず、きっともっといいところで雨宿りをしているのだろうと考えた。


 壁は白くなめらかで、奥にはくぼみがあって、そこには燭台がぽつんとある。


 ルネサンス的な装飾が施された聖書台には埃ひとつなかった。ちゃんと使われている礼拝堂だ。


「ここ、使われているのね」ベルが呟くように云った。

「そんなに多くはないけど、来るひとはちゃんといるよ」


 意外にも答えたのはヘンリーッカだった。


「へえ、なんでそんなこと知っているの?」

「わたし、ここでよく歌うから」

「なるほど」


 ヘンリーッカはひとり讃美歌を歌いはじめた。雨音が激しくなり、雷が鳴りはじめた。雨乞いのようだった。


「ひうっ」


 ベルは雷が恐いようで、僕の腰にしがみついてきた。シャツの裾を握られている感触もする。その小さくて白い手からするにスズネだ。


「だいじょうぶ。ヘンリーッカが歌っているから」とムニラ。


 なんの根拠もないな、と思いつつ、ヘンリーッカの歌声があればなぜかほんとうに危険が訪れることはないと思えた。


「歌は祈りだからね。昔のひとだってこうやっていたのよ。すごいと思わない?」


 フェリシアがなぜかしたり顔で云う。


「思う! 思うからはやく雷どっかにやって!」


 僕たちはベルの姿に笑ったが、スズネは「笑いごとじゃないです!」と僕の背中をぽかぽかと叩きだした。


 ヘンリーッカの讃美歌が終わりに近づいてきた。雨は先ほどよりも弱くなってきており、雷の音も遠ざかっているように聞こえた。


 そして、ついに讃美歌が終わったとき、雷の音はずいぶん遠くに行ってしまった。きっと隣町のそのまた隣町くらい遠くだ。


「もう雨やんでるんじゃないかしら」


 みんなで礼拝堂を出ると雲のすきまから青空がぽつぽつと見えていた。しかしまだ霧雨が降っていた。


「見て、山の向こうに虹がかかってる」ヘンリーッカが云う。


 町の向こうには緑色の山がたくさんあって、それをまたぐようにしてうつくしい形の虹がかかっていた。


 ヘンリーッカがまた歌いはじめた。歌声はこだませずに、雨と世界に吸い込まれていく。僕たちは夏の霧雨を肌でじっとりと感じ、歌に包み込まれている。変な感覚だった。目の前にはとてつもなく広くはてしない光景があるのに、なにもかもが自分の手の届く範囲にあるような気がする。


「目を閉じるとここに世界があるとわかる」


 誰が云ったのだろう? 僕にはわからなかった。もしかすると幻聴だったのかもしれない。けれどそんなことはどうでもよかった。今感じているこのことについて、誰が云ったのかなんてまったく些細なことだ。今感じているというそのことだけが重要なのだ。


 霧雨はまだしばらく降っていそうだった。肌にあたる風がすこし冷たく感じる。遠くから来た風が、土と雨の混じった匂いを運んでくる。真夏に嗅いだ匂いとはすこし違うような気がした。これはたぶん、秋になろうとする森の匂いだ。

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